ジジイは小便よりも木こり
いざ、平民になりすますという目標ができると、学ぶことも増えた。平民の暮らしぶり、服装、物価、言葉づかい、住居構造の違い、などなど。
それに、みずから貨幣を取り扱い、買い物だってできる必要がある。普段のように、欲しいものをただ選んで持って行ったら、盗人となってしまう。
教師には、アーベントロートの手配した隠密調査員だという女性が来た。赤茶の豊かな髪をなびかせた、中々の美形である。名は、ヴァレンティーナといった。元は平民で、一代男爵位を賜った身とのこと。
いわゆる “皇室の影” を担う組織の一員らしい。直接関わることはないので、よくは知らないが。
化粧指導や服の試着などもあるため、試着の間に彼女を招き、侍女ともども指導を受けた。通常は仕立屋などの業者を招く部屋で、採光がよく、着替え用の衝立や、大きな姿見のある場所である。
「はーい、復習です。お財布にグランツ金貨は~?」
「いれてはいけない」
「正っ解~。ゼルネ銀貨は~?」
「多くとも10枚まで」
「はーい、大正解~。平民の年収はですねー、技量の高い職人で120ゼルネ、給仕は40から60ゼルネくらいですー。
安全のためにー、あんま、大金もちあるかないでくださいねー。金ぬすまれる分には痒くもねーと思うんッスけど~、身の代金狙いでね、姫様本人が誘拐とかされっとヤベーんで~」
「うむ!」
「さっすがですね~。マージで、一回きいたら即覚えますね~。超スゲーっす、パネェっすわ。ソンケーしちゃいます~~」
化粧台の前に座り、ヴァレンティーナに化粧を施されながら、彼女とそのような会話を交わした。
生まれが平民の教師に教えをうけるのは初めてだが、言葉づかいや口調が貴族と全然ちがっていて、聞いたことのない言葉も多い。今、褒められているのはなんとなくわかる。
ヴァレンティーナが、大きめのメイクブラシでポフポフと妾の顔を撫でる。みるみる、妾の人相が変わっていく。
「いや~~。あーし、貴族のフリしてぇ~~、貴族の夜会に潜入~~は、したことあんスけどぉ~~。逆に、ホンモノのお姫様、平民に化けさす日が来るとか思わんスよ~~。
なんつうんですっけ、こういうの。“ジジイは小便よりも木こり”?」
「“事実は小説よりも奇なり” だな。無理を言ってすまん」
「いやいや、ムリとかはねーすよ? マジで。あーし、平民ガオのがいっぱい見てっし。んまぁ、しいていえば、この爆裂アゲアゲ超絶美少女フェイス、ど~~にか、イモに見せるのが難しいッスけどぉ~~。まあ、あーしに任してくださいよ」
「うむ!」
肌色を濃く、不均一に日焼けしたような色味が足され、さらに、ぽつぽつとソバカスが足されていく。
「美人をブスにすること、あんまねーし聞かないッスけどぉ。ようするに、ブスを美人に見せるのの逆をね? やったったらいいわけで~~。そっちは、お手のモンですからよ? あーしに任したら完璧ってわけ。……おっし! どっすか!」
ヴァレンティーナが、さっと身を離し、妾に鏡がよく見えるようにしてくれる。
「おお……!」
そこには、まったく別人としか思えない、なんというか、……野暮ったい、というのだろうか? そんな、平民っぽい少女の顔があった。
目元も、本来の妾は吊り目だが、化粧で垂れ目に変えられており、それが特に印象を変えてくれている。
「これが……妾……?」
「ちょ、ウケる。それ、美人になったときに言うセリフ」
ヴァレンティーナがケタケタと笑いながら言う。言われてみれば、恋愛小説などでは、そうだったかもしれん。
「みな、見てくれ。どうだ?」
妾は振り返り、控えていた侍女らに化粧後の顔を見せた。鏡台越しに確認していたのか、すでに驚きの顔で見つめ返されていた。
「まったくの別人ですわ!」
「わたくし達ですら、姫様と分かりませんわ!」
「ええ、ええ、とっても平民らしい人相ですわ!」
「姫様の美貌が7割がた抑えられておりますわ!」
「これなら誰にも分かりませんわ!」
そのように口々に言い、ぱちぱちと賞賛の拍手をヴァレンティーナに向ける。
妾も一緒になって彼女に拍手を送ると、ヴァレンティーナは「でへへ」と言いながら頭をかいて照れた。
「まーね! えっへへ。大妖精って呼んでくれてもいッスよ! まあ、童話なら逆ッスけどね!」
ヴァレンティーナは、有名な童話を引用しながら、そのように応じた。
童話の中では、とある舞踏会に行くことを望んだみすぼらしい少女が、大妖精の魔法で身なりを一変させ、ふさわしい服装となって望みを果たす。ただし、その状態が維持されるのは、夜中の12時の鐘が鳴り終わるまでだ。
「さらにさらにー? あーしの魔法は、夜の12時になっても解けないッス!」
そう言うと、ヴァレンティーナは「目と口とじてください~」と言ったのち、なにやら霧吹き容器の液体を妾の顔に吹き掛けた。
「これはですね~、メチャメチャ強力なコスメキーピング剤ッス。お手持ちかもしれないッスね、これ超ヤバくて、汗でも水でもバリ弾いて、化粧ぜったい落とさせないんスよ。3日くらいはもちます。落とすときはー、コレ専用のクレンジングつかって落とします。マジで他なにしても落ちないんでー。
あーしからすっと、どっちも超たけーんすけど、“影”の経費でるから超つかっててー。なんかぁ、屋外のイベント? まぁつまり、日が当たって汗でそうなとこ? 行くときとかのー、貴族の奥様やー、お嬢様たちにもちょー人気らしいッスわ」
「おお、すごいな」
それらのコスメキーピング剤とやら、および専用クレンジングはあるのか、と侍女たちに目配せを送ってみると、レオノーラがすかさず頷いた。どうやら、既に買い置きがあるようだ。
化粧が決まったあとは、ウィッグと、衣装も合わせた。ヴァレンティーナが用意してくれたものを幾つか試してみて、最終的に、平民によく出現する明るい赤毛と、体のラインを出さない古着のワンピースを選ぶこととなった。
それから、ヴァレンティーナがいなくとも同じ化粧を再現できるよう、妾の顔を使って何度か化粧を塗り直させつつ、侍女らに塗り方や手順を覚えてもらう。
こうして、“アンナ・シュタルク” の人物像は形成されていった。
「オトコどもが見て例の問題が起きないかどーかはー、宰相閣下が “消えてもいい人間” 用意して、試してくれるらしいッス! 問題なきゃ、これでいっちゃってください!」
***
商業ギルドで給仕募集のポスターをみかけ、妾は――いや、“あたし” は、はじめて銀狼亭に向かった。時間は、開店準備前の非営業時間、昼過ぎの14時くらい。
客席数25ほどの、こぢんまりとした木造の酒場は、なんというか素朴で、暖かみのある内装だった。高そうな装飾も家具も何もないけれど、安っぽくても赤くて目立つタペストリーや、少し朽ちた鹿の頭骨の壁飾りなど、使えるもので飾り付けしていて、よく掃除されていた。
「いらっしゃい。あなた、給仕の仕事をしたいって言った?」
正面扉をあけて出迎えてくれたのは、酒場店主のエルザ夫人だった。落ち着いた栗毛の髪に緑色の瞳、ふくよかな体型の彼女は、おだやかな目つきをしており、事前調査どおりの温厚な女性に見えた。
「はい! アンナ・シュタルクといいます!」
あたしは、元気よく声をだして応じ、上半身だけを大きく前に倒して挨拶した。体を起こしたら、大きく破顔してニッコリ笑ってみせる。
「あら、まあ。とんだ別嬪さんが来てくれたこと。ちょっと、レオン! レーーオン! 降りて来な! 給仕の面接の子が来てくれたわよーー!」
突然目の前でエルザ夫人が声をはりあげたので、あたしは驚いてビクッと体をふるわせた。貴族はあまり大きな声を出さないので、まだ少し慣れなかった。
エルザ夫人の視線の先には、2階に上がる階段があった。調べによると、2階が彼女たちの住居スペースらしい。
ここの酒場は、彼女と一人息子の2人と、従業員2人で営業されている。レオンというのは彼女の息子で、母子はこの住居兼酒場に住み込みで働いているのだ。
エルザ夫人の声に応じ、レオン青年と思われる若い男――18歳らしい――が、足音とともに階段出口から姿を見せた。背が高くすらりとしていて、外見的特徴は母親によく似ている。
「どーもー…って、うわ、マジじゃん! え、そんなカワイイのに、こんなボロ酒場で働きたいの?」
「レオンッ!! ボロ酒場とはなんだい!? せっっっかく、待望の給仕希望者が来てくれたってのに! ……もうほんっと、ごめんなさいね? 美人なお嬢さん。生意気な息子で。どうぞ、座って? まずは、面接させてもらうわね」
「はい! 失礼します!」
あたしは元気よく応えて、エルザ夫人に促されるまま、入り口を背にして客席テーブルのひとつについた。
おなじく、席についたエルザ夫人と向かい合う。レオン青年は、その後ろ、店の奥側の少し離れた場所に座って、あたしたち二人の様子を見守っていた。
「じゃあ、あらためて。お嬢さん、お名前は?」
「アンナ・シュタルクといいます!」
「すばらしいわ。ご両親は何をしていらっしゃるの?」
「商人です! 平民向けだけじゃなくて、お貴族さまのお屋敷とか、いろんなところに商品を卸してます!」
「まあ、まあ、立派なお仕事をなさっているのね。それで、アンナちゃんは、どうしてウチで給仕をしたいのかしら?」
「はい! あたしも将来、りっぱな商人になりたいんですけれど、そのためには、いろんな人と知り合ったほうがいいと思いました。それで、酒場には人がたくさん集まるから、酒場で働きたいと思って、こちらにうかがいました!」
「んまあ~~! なぁんて立派な考えなのかしら! ちょっとレオン、あんた、アンナちゃんを見習いなさいよ? あとで爪の垢でも分けてもらいなさい!」
終始ニコニコしながら、あたしの答えにウンウン頷いて、最後にエルザ夫人は後ろを振り返り、息子を叱るような口調でそう言い足した。
レオン青年は「うるっせぇわ」と苦笑しながら母親に応じる。
エルザ夫人の言葉じたいは終始レオンに厳しいが、親子関係は悪くなさそうである。
エルザ夫人は、また笑顔であたしに振り返った。
「採用! 採用します。ぜひ、うちで働いてちょうだい」
「ありがとうございます!」
「あら、いやだわ。私ったら、自己紹介がまだだったわね。私は、ここ銀狼亭の店主、エルザ・ディートリヒよ。みんなからは “おかみさん” って呼ばれてるわ。
それで、あっちの生意気な跳ねっ返りは、息子のレオン」
「嫌な紹介やめろよ! 母さん!」
エルザ夫人が、後ろのレオン青年を手で軽く示しつつ、そう自己紹介すると、レオン青年は顔をしかめて抗議する。
しかし、なにも聞かなかったかのような態度で息子の抗議を聞き流し、エルザ夫人は話を続けた。
「いつから入れそうかしら?」
「明後日から入れます! 家の用事もあるので、毎日は入れないのですが、大丈夫でしょうか?」
「ええ、ええ。大丈夫よ。できたら、休むときは前日までに教えてちょうだいね」
「わかりました!」
こうしてあたしは、銀狼亭の給仕として働くようになったのである。




