平民を知りに行こう
「……ヒマだ……」
皇宮の外庭、木の陰で仰向けに寝転がり、妾は青空を見上げていた。
ヒマに、なってしまったのである。
***
政務を任されて最初のうちは、色々と試行錯誤もできて、楽しかった。
執務室の重厚な机には、妾が私用に使うものよりずっと大きいコンピュータがあって、机左下の専用スペースに据え置かれていた。モニターは3つ、自由に動くアームで支えられ、机上に浮いていた。キーボードとマウスは、妾の手に合わせたものである。
補佐官であるマイリンク、ヴァルモンドの執務机も似た構造をしていて、同じくモニター3つが据えられていた。
まだまだ紙とインクで処理しなければならない部分が多いと聞いていたが、思いのほかコンピュータだけで済ませられる仕事も体感6割程あり、特に、最新情報やメッセージのやりとりなどはコンピュータだけで済んだ。
いくらか仕事を済ませるうちに、必要を感じて、モニターを倍の6つに増やした。目をあまり動かさず全体を見渡せるよう、少し離れて見れば更に効率的と気づき、そうした。
キーボードから手を離さず済む方が速いので、思いつく限りの処理をキーボードだけで済ませられるよう、いくつか妾用の設定を組み込んだ。
そうしていたら、一日分の仕事が午前中に済むようになり、さらに昼食までの時間の余裕ができていった。
ヒマになってしまったので、母上の執務室におじゃまして、追加の仕事を回してもらえないか尋ねた。そうしたら「これ以上はなりません」と断られてしまった。
妾の仕事が終わっても、補佐官たち――特にマイリンクは、青い顔をして毎日忙しそうにしているので、彼に割り振った仕事を引き取ろうか提案したのだが、泣きながら「ボクはまだやれます! やらせてください!」と言われ、これも断られてしまった。
そ、そんなにイヤだったのか…すまん…。
マイリンクは以前、アーベントロートの下についていたそうで、その関係で彼に相談したらしい。この件が奴にも伝わり、アーベントロートからも重ねてメッセージで苦言を呈された。
『マイリンク補佐官の顔色が悪くならぬ程度に、源流たる皇女殿下の仕事量を減らし、ちょうどよい塩梅の加減を学んでください。そのためにつけた補佐官たちです』
そ、そうなのか…! 補佐官とは、そのためにいるものなのか…! 寡聞にして知らなかった。それにしても、仕事とは、やればやるほど良いわけでは無いのだな…。
***
そんな経緯で、妾はヒマになってしまっている。ここ数日など、マイリンクの顔色が一向に良くならないので、とうとう丸々ほぼ欠勤することにした。
朝、執務室に行って、朝の挨拶をして、喫緊の仕事やメッセージがないか確認したら、「なにかあればメッセージを送れ」と補佐官らに指示して、手のひらサイズの移動端末を持って退室。
一応、呼び出されたら直ちに対応できるよう気にかけているものの、まだ着信音が鳴ったことはない。
「なにをしようか……」
淑女らしく、ハンカチーフに刺繍を刺そうか――だが、今度のチャリティー・バザー出品枠、既に妾の作が1店舗分を埋めかけておるし、誰かへ贈るにしろ、不審に思われない相手の所持枚数は、いずれも片手を超えている。
ユリウスに至っては――今何枚だ、二十? 三十? ――いくら彼が毎回「ありがとうございます、大切にいたしますね」と笑顔で受け取ってくれるからといっても、限度があろうよ。
飛び出す絵本のような仕上がりとなる立体刺繍を学んでから、なかなかやり甲斐があって、面白かったのだがな。友人の令嬢たちにも驚かれ、賞賛されたものだ。
海向こうの大国から輸入された、古い書物に記されていた刺し方で、ただでさえ我が国ではマイナーな言語のところ、更に古語で書かれていたのだ。解読のしがいがあった。
友人たちの希望で、グランツェルリヒ語訳と図面の写しを書いて配った。しかし、妾の訳や図がよくないのか、みな苦戦しているらしく、まだ他人の立体刺繍を見るに至っていない。
レース編みは――編むこと自体はいいが、出来たものは都度燃やせと言われて、やめた。あれは、なかなかにやり甲斐があって、面白かったのになあ……。
自分で使うのもダメ、特に服に使ったら絶対ダメ、人にあげるのもダメ、特に皇宮の外に出しては絶対ダメだと言われてはな……。『市場を破壊してしまうから』らしいのだが、妾ひとりの手慰みごときに大げさすぎんか?
社交――大人と交流できる夜会は、その名の通り夜開催だ。それに、妾には例の問題があるので、ユリウスの付き添いが実質必須となる。アーデルシュタイン領を一人で治めている多忙な彼を、そう毎晩引っ張り出すわけにはいかない。
女同士の社交――茶会であれば昼過ぎに集中するが、婚活まっさかりの友人たちとて、そうそう呼びつけられない。
はあ、どうしたものか。
「……とりあえず、リュシエールに乗って、森の散策に出かけよう」
妾は、いつもの暇つぶしをすることにした。
***
『アナ。最近よく遊びに来てくれてうれしいのだけれどン、アナタ、オトナになったからシゴト? で、忙しくなるって言ってなかったン?』
リュシエールに乗って、ぽくぽくと森の小道を歩いていると、彼女がそう切り出してきた。
「そのはずだったのだがなあ。思っていたよりヒマになってしまった」
『あらマア。何事も、やってみるまではわからないものねン』
「うむ……」
『アレは? ……ええっと、ベンキョウ? を、するのはどうン?』
「したいのだが、なぁ……」
我が国の統治にあたり、必要そうな分野はおおよそ学び終えたが、興味のある分野はまだある。しかし、妾についてくれる家庭教師が、最近では誰もいなくなってしまったのだ。
かろうじて、礼儀作法のベルンシュタイン夫人は、今でも妾の悪癖を注意してくれる。ただ、礼儀作法のカリキュラムはとっくに完了しているのだ。
なぜかは分からないが、妾についた家庭教師たちは、いずれも短期間のうちに「もう、お教えできることはございません」と言って辞めてしまう。長く持って2ヶ月、最短では3日で辞職されたことさえある。
おかしいな……友人たちにもユリウスにも家庭教師はついていて、みな、年単位で教わっているのに……。
教師相手なら、本と違って質問ができるので、妾は、授業時間いっぱいを質問に使おうと、事前に教科書や参考文献を読み込んでから授業を受けるようにしている。そこまで予習するのは、かなりの勉強好きくらいらしいが、そう珍しいやり方でもないはずだ。侍女長も昔そうしていたと言っていた。
しかし、授業時間が経てば経つほど、教師たちの顔色は一様に悪くなっていき、やがて逃げるように辞職されてしまうのだ。座学のみならず、実技メインの科目ですらそうなる。
どうして……。妾、しゃべりすぎなのだろうか? ……わからん。
他方で、自習ならば幾らでも勉強できるし、皇宮図書館には、一生かけても読み切れないほどの蔵書がある。蔵書の量、品質ともに国一番を誇るそうだ。
字が読めるようになってから、ずっとこの図書館に世話になってきたが、まだ全体の5分の1程しか読めていない。……おや? 一生はかからないか?
それはともかく、ずっと読書、というのもな……。
もっと、人と関わることがしたい。
将来、皇帝となる妾には、知っておくべきことがもっと沢山あるはず。
そこでふと、思い至った――平民。貴族ではない者たち。我が国の、実に99%を占める民。妾は、彼らを知らなすぎるのではないか?
教師は貴族で、友人も貴族。社交で関わるのも、ほぼ貴族。
幼い頃ともに遊んだ庭師の子の彼らや、乳母と乳兄弟とは平民だが、彼らは、代々皇宮に仕える少々特殊な者たちらしい。いわゆる大多数の平民とは違っていて、教養が特別に高く、栄誉称号や準貴族位を与えられていることも多い。
妾は、もっと平民を知るべきではないか?
民のほとんどを占める彼らはどう暮らし、どう日々の糧を得て、何を思い生きているのか、よく知るべきなのではないか?
「――よし! 皇宮の外へ、平民を知りにいこう!」
『ン~? “ヘイミン”~?』
リュシエールが、耳慣れない単語に首をかしげる。妾はあわてて、彼女にも分かる説明を試みた。
「平民というのはだな。えっと――妾と同じ人間なのだが、よく現れる髪や瞳や肌の色なんかが違って、…あー…生まれが違っていて…貴族と違って、数もずっと多くて…んー、なんだろうな」
いざ説明しようとすると、けっこう難しい。普段、いかに『貴族』『平民』を当然の前提として受け止め、思考停止していたかが身につまされる。
『ええっとォン…? つまりン…、あっちの厩舎に沢山いる――わたくしと同じウマだけれど、無骨で大きくて毛の色が暗い――わたくしとは全然ちがうウマたち、みたいな感じかしらン?』
「おお! そうだな、すごく近いと思う! さすがはリュシエール!」
妾は、感心して拍手を送った。リュシエールが言っているのは、軍馬を世話している厩舎のことだろう。
『ふぅン? それで、どうして違うウマ――じゃなくて、違うニンゲンたちのこと、知りたくなったのン?』
「妾は、皇帝になる人間だからな。この国全土の民――人間たちを従える代わりに、できるだけ、皆を幸せにする義務がある」
『あらぁン、アナってばスゴイのねン』
リュシエールが感心したように言う。妾は「まあな」と応じた。
「なのに、国民のほとんどを占める平民を知らなすぎるから、もっと知った方がいいと思ったんだ」
『あら~~、いいンじゃないの~ン?』
「リュシエールもそう思うか!」
彼女の言葉をきいて、妾は背中を押された心地がした。
「決めた! 妾は、平民を知りに行く!」
『がんばってェ~ン。わたくしに乗って出かけるなら、いつでも運んであげるわ~ン』
「ありがとう!」
――このとき、妾は知らなかった。この決断が、おもわぬ出来事に繋がることを。
妾の決断を聞き、皇宮じゅうが上を下への大騒ぎになった――のは、わりとよくあることなので、良いとして。
この出来事をきっかけに、ユリウスとの間で大きな問題を起こすことになるなどと、妾は、想像もしていなかったのである。
大変お待たせいたしました。いよいよタイトル回収――の、きっかけとなった出来事の描写が始まります。なろう令嬢ものを好む方々、タイトル回収されなさすぎて既に脱落しているんじゃ? という気はしないでもありません。こんなに…こんなに文字数がかかるつもりはなかったんです…!




