真っ赤な間違い
僕は友達という関係性が嫌いだ。その関係性の裏には各々にとっての利益、つまりは目的がある。だからこそ、その関係性は流動的かつ一時的なものだ。
それなのに、人はついその事を忘れてしまう。少し気を抜くと、無条件にいつまでも友達であり続けられるのだと勘違いしてしまう。けれど、もちろんそんなことはない。
畢竟、友達なんてものはあくまで他人に過ぎないのだ。その関係性にはなんの保証もなく、ふとしたことで簡単に壊れてしまうような、曖昧で不安定なつながりに過ぎない。
中二病、と言われれば反論はできないかもしれないけれど、でも決してこれは間違いではない。僕は実際に学校で、そう言い切れるだけの根拠となる経験をし続けているのだから。
本当の友達ならそんなことはない、だなんてそんなつまらない反論に付き合う気はないし、今重要なのはそこじゃない。僕が言いたいのは、僕はそう考えているということ、そしてだからこそ、僕はもう友達なんてものを作らないということだ。
けれど、悲しいことに僕は誰にも頼らず生きられるほど強くはなかった。
人間というのは社会的な生き物で、1人で生きていけるようには出来ていないのだ。どこかに感情の吐き出し先が必要だった。そして、僕にとってのその受け皿が、猫だった。
僕が彼らと会っているのは、町外れの小さな神社だ。誰も居ない境内のこの静けさが、僕は好きだった。
猫は起きている時間の半分近くを毛づくろいに充てるらしい。毛づくろいには体温調節や衛生管理など様々な目的があるそうだが、僕が思うにその中で最も重要なものがコミュニケーションだ。彼らは毛づくろいというコミュニケーションの言い訳を常に持っている。
毛づくろいは、少なくとも建前上は相手のために行う行為であり、仮にこちらが寂しさを埋めるためだけに都合よく相手を使っていたとしても罪悪感を覚える必要がない。だから僕はそんな彼らを都合良く使っていた。
膝の上で気持ちよさそうにブラッシングされるその都合の良い隣人に、けれど僕は名前をつけるようなことはしていない。だって、僕と彼らはあくまで他人なのだから。その一線を勘違いするようなことは決してしない。猫を人と同様に扱えばこそ、僕はそれを徹底していた。
そんな僕と猫だけの時間に、彼が現れたのは、ある土砂降りの日だった。
鞄を頭に載せて雨をしのぎながら、境内を小走りで駆け抜けてきた彼は、濡れた靴のまま屋根のある縁側へとやってきて、そのまま僕のすぐ隣にためらうこともなく腰を下ろした。
「やあ。君も雨宿りかい?」
学ランを着た彼は、高校生だろうか。
会ったことなどないはずの彼は、まるで僕のことを前から知っていたかのような調子で、当然のように話しかけてきた。
「まあ、そんな感じです」
「そうかそうか。急に降ってきたもんねぇ」
彼は、戸惑いを隠せない僕の反応など気にも留めず、「ちょっと失礼」とだけ言って、ポケットから煙草を取り出した。
そしておもむろに一本咥え、ライターで火をつける。
タバコを咥えた彼の横顔を、僕はじっと見ていた。その視線に気づいたのか、彼は煙草をもう一本取り出すとこちらに差し出してきた。
「一本、吸うかい?」
「え、あ……はい」
反射的に、そう答えていた。
「はは、冗談だよ。未成年は煙草を吸っちゃあだめなんだぜ」
自分も未成年のはずの彼は、そんなことを宣いながらタバコを咥えた。火のついた先端がジリジリと赤く光り、つい視線を引き寄せられる。
煙を嫌がったのか、膝の上に居た猫はどこかに行ってしまった。そのこともあって、つい攻撃的な口調になってしまう。
「あなたも未成年ですよね?」
「そう思うかい?」
「思うも何も、制服着てるじゃないですか」
「人を見た目で判断するなんて、感心しないなぁ。制服を着ているからと言って学生とは限らないだろう?」
何がおかしいのか、ニヤニヤしながら聞き返してくる。僕はムッとして言い返した。
「じゃあコスプレしてるイタいおじさんなんですか?」
「いんや、高校生だよ。失礼だなぁ」
じゃあお前も未成年なんじゃないか、という言葉は飲み込んだ。なんだか、彼の手のひらの上で踊らされているようで癪だったからだ。
「じゃあ結局未成年じゃないか、とでも言いたげな顔だね」
彼のペースに巻き込まれているとは思いつつ、僕はつい言い返してしまう。
「未成年はタバコを吸っちゃいけないんじゃないんですか?」
「ああ、駄目だとも」
「じゃあなんであなたは吸っていいんですか?」
「私だって吸っちゃあ駄目だよ。駄目だけど吸っている、というだけでね」
彼は口をすぼめながら紫煙を吐いた。
「私が何をするかは私が決めるということだよ。いいことだとか駄目なことだとか、それを理解したうえで最終的にそれをするかどうかは結局私次第なのさ」
いつの間にかすっかり短くなっていた煙草を、彼はそっと地面にこすりつけた。赤い光が消えるのを、僕はなぜだか少し名残惜しく感じた。
「そしてそれは君だって同じだ。まあ、私からは煙草なんて吸ってはいけないよ、としか言えないけれどね」
僕が煙に巻かれたような気持ちで言葉を探しているうちに、彼はそう言って立ち去ってしまった。雨脚は弱まっていて、もう鞄で雨を凌ぐ必要はなさそうだった。
彼の居た場所には、「HOPE」と書かれた小さな箱とライターが置かれている。
僕はそれを手に取った。頭の中では、先程の彼の言葉が反芻されている。彼がどんなつもりで言ったのかはわからないが、その言葉は僕に深く刺さっていた。
僕はいわゆる神童というやつだった。昔から、何をやっても人並み以上にうまく出来たし、それが当たり前だと、僕以上に周囲が思っていた。
周りが何を求めているかも手に取るように分かったし、その通りにしているだけで大人たちは決まって僕のことを褒めそやした。
いつだったか、こんな話を聞いたことがある。穿った見方、という言葉は、多くの人が本来とは異なる意味で理解している言葉の1つなのだそうだ。正しくは「物事の本質を深く見て、見抜くような見方」という意味らしい。 けれど、現在では多くの人が「疑ってかかるような、ひねくれた見方」という意味で使っている。もはも正しい意味なんて誰も気にしていない。
「正しさ」なんてものは、結局のところそんなものなのだと思う。絶対的な正しさなどに意味はなく、周りがどう理解するかということの方がよっぽど重要だ。
僕は本来の意味で「穿った見方」が出来たからこそ、この言葉を間違った意味で使っていた。僕はつまりそういう人間だった。
けれど、大人たちの「正しさ」と子どもたちの「正しさ」は全く別のものだと、そんな簡単なことを僕は見落としていた。
優秀で真面目な生徒という大人にとっての「正しさ」は、同級生たちにとってはいい子ぶってる、媚を売っているというむしろ「間違い」として捉えられる。
受験生となり成績という形で大人にとっての「正しさ」が押し付けられるようになると、その歪みはより大きくなっていった。
そうして少しずつ積み重ねた間違いは、やがて形を変え、明確な敵意として姿を表した。
はじめは無視や仲間はずれなどからはじまったそれは、3年生の夏になる頃には落書きや私物の破壊へと形を変えていった。
これまで周りに合わせて「正しい」行いを続けてきた僕は、ここにきてその正しさを見失ってしまった。友達を失ったこと以上に、正しさを失ったことは僕にとって致命的だった。
そして僕は逃げるようにして、あの神社へとたどり着いたのだ。
今僕の手元には明確な「間違い」がある。正しさを見失ってもなお明らかに分かる、真っ赤な間違い。そして、きっとそれこそが今の僕に必要なものだった。
これまでしてきた全ての正しい行いは、周りが褒めそやしてきた行動は、きっと僕にとっては間違いだった。けれど、それをしてきたことが問題なわけじゃない。それを間違いだと気づけていなかったことが問題なのだ。
初めて触れるその細長い棒を、口元へ運ぶ。
この間違いは、僕の選択だ。周りに批判されることを、駄目なことを、そう分かった上でそれでも僕がそれをすると決める。
それだけが、本当の意味での絶対的な僕の正しさだ。
ライターの火が、僕の間違いを赤く灯らせる。
口に広がったその苦みは、なぜだか心地よかった。