第8話 スレイプニルのベル
ある昼下がり。
「今日でこっちに来て……5日か?」
この5日間、何にもない素晴らしい日々を過ごしていた。
朝起きて、果物を食べて、馬の世話をし、昼までもっかい寝て、果物を食べて、地下を捜索して、果物を食べて、寝る。
ゲームやスマホ漬けの毎日を過ごしてきた世代としては少し刺激が足りない気もするが、これはこれで楽しんでいる。
しなきゃならない事が何にもない、これ以上何を求めるというのだろう。
……いや、いくつか不満点もある。
「あぁ……焼肉とかラーメンが食べたい……」
思い出すのは、帰り道にある焼肉チェーン店と近所のラーメン屋の濃厚豚骨。
前者は韓国のりを敷き詰めたアツアツご飯の上にカルビを乗せて掻き込むのだ。
後者は濃いスープによくからむかための細麺をすするのだ。
思い出すと涎が出てくる。
「せめて……せめて肉……いや、果物以外が食いたい……!」
俺の叫びは森に消えていった……。
○ ○ ○
翌日、俺はある決意を固め、家の外に出た。
「スウ!」
名前を呼ぶと、スウは俺を見つけて嬉しそうに近寄ってくる。
首筋を撫でながらリンゴを取り出す。
「よーしよしよし。可愛い奴だなお前は。ほら、食え食え」
リンゴを口元に近づけてやると、待ってましたと言わんばかりに齧りついた。
「美味いか? まだまだあるからな」
次のリンゴを出すと、早く欲しそうに前掻きをする姿がなんとも愛らしい。
スウは、地下にあった『スレイプニルのベル』を鳴らすとどこからともなくやってきた漆黒の馬だ。
スウは俺が勝手につけた名前で、ちゃんとした名前はおそらく『スレイプニル』だと思う。
一人暮らしの寂しさを埋めてくれる、大事な家族だ。
「今日は街まで出るから、よろしく頼むぞ」
スウは頭のいい馬で、俺の言葉を間違いなく理解している。
乗馬の経験がない俺でも乗ることができ、口で命令すればその通りに走ってくれるのだ。
俺がスウに乗って森を駆け回り、家への道が分からなくなったときも、スウが覚えていて帰ることが出来た。
だから今回も街からの帰り道はスウに任せ、俺は役に立ちそうなアイテムを幾つか持っていくことにした。
○ ○ ○
「お、見える見える! スウ、あの街まで飛んでってくれ!」
そう言うと、スウは俺の言う通り街の方に向かって空を駆けてくれる。
一応黒い翼も付いているが、それが原動力で飛んでいるわけではないようで、まるで空に浮かぶ地面を駆けているように飛ぶ。
俺はただしがみついているだけだ。
「……そろそろだな。スウ、一度止まってくれ!」
街まである程度近づいたところで一度スウを止め、鞄から試験管のようなビンを取り出す。
これは『盗神の秘薬』というアイテムらしい。
こいつの効果は単純明快、"透明になる"のだ。
効果は約5分。それだけあれば十分だ。
「ほら、これを飲んでくれ。……おーしおし、いい子だ」
スウにも飲ませてやると、瞬時にスウの姿が見えなくなる。
「よし、俺も飲むか」
ビンの蓋を開け、透明な無味無臭の液体を飲み干す。
みるみるうちに自分でも身体が見えなくなった。
「……これでよし。じゃあスウ、あの街までまた進んでくれ」
俺の言う通りにスウがまた駆けだした。
スウが見えなくて俺が空を飛んでいる気分だった。