第一予報 「雨、逃げ出す。」
時は江戸時代。決して誰もが裕福ではなく、貧富の差が激しかった、そんな時代だった。
「〜〜〜。」
襖から漏れる会話。花にはすぐ分かった。また私の婚約について話しているに違いない。何度嫌だと言ったら辞めてくれるのだろう。ため息を吐き、畳を思い切り叩いた。ほおを伝った涙が、着物を濡らしていく。涙を袖でぬぐい、立ち上がると、すぐにお父様の声。花は唇を噛んだ。
「花。入れ。」
襖を開けて恐る恐る入る。
「失礼致します。」
お父様も、お母様も、怖かった。そして、大嫌いだった。
「お前の婚約者が決まったぞ。」
ほら、やっぱり。
「よかったわねぇ、花。結婚できるなんて、女の名誉ですよ。」
なんで女なら結婚しなきゃならない?子供を作らなければならない?
名誉なんて、どうでもいいんだよ。
「花?どうしたの、そんなむすっとして。可愛い顔が台無しですよ。」
可愛いなんて、言われた覚えがない。実際、思ってないだろ。乳母頼りな癖に。今更母親面すんなよ。花はそう舌打ちした。
「失礼します。少し時間を下さい。」
驚いた両親の返事も無視し、花は無理やり部屋を出た。いつからか泣いてばかりいる瞳は、紅く晴れて、まるで化粧したようだった。自室まで走って戻り、叫び泣いた。素直でいればよかったのか。可愛いければよかったのか。花は、はっとしたように、縁側から見える街を見つめた。
ーーそうか。逃げ出しちゃえばよかったんだ、こんな所。
髪を一つに結って、動きやすい服に着替えた。そしてお金を懐にしまい、決意を固めた。息を吸い込み、全力で走る。確か、裏庭に門があったはずだ。
「お嬢様!?どちらへ行かれるのですか!?」
門番の侍が驚いている。だが、そんな言葉も無視して走り続ける。江戸の街を走り抜け、もう誰も追って来れないだろうという所で、少し休憩することにした。
いつか、憧れていた江戸が、目の前に広がる。花は、感激の涙を溢した。その後、茶屋で軽食をとり、また走りだした。肩で息をする。もう夕方だ。
「ここ、どこ?」
気づけば、全く知らない場所に来ていた。山々に囲まれ、川は夕陽に照らされ紅く染まる。途端、恐ろしくなった。このまま、死んじゃう?そんなの、嫌だ。花は辺りを散策した。すると、紅い鳥居が見えた。やった、ここで一晩過ごさせて頂こう。この辺りは妖怪で有名らしいから、神社で寝れば…そう思った。
「失礼しまーす…。」
ゆっくり境内へ踏み入る。両脇にある狐。うねった道。なんか、怖かった。
と、
「おーい、君、誰?」
男の子の声。花は驚いてキャッと声を上げた。どこ?どこにいるの?周りを見る。紅い鳥居の上、水干を着た少年が座っていた。彼は、花を見るなり、にこっと笑った。そして、鳥居を飛び降りると、向こうを指差した。
「村へ行くの?俺が案内するよ。」
花はまだ唖然としているが、少年は花の手を引いて、歩き出した。
「俺は晴山輝。ここの神社の息子なんだ。十二才だよ。」
その言葉を聞いて、少し安心した。同い年だったんだ。
「私は雨野花。同い年。」
輝は雨野と聞くと、飛び上がった。
「あの、雨野様!?どうも、ええと、さっきはご無礼な真似を!!」
驚いた彼に、花は思わずくすっと笑ってしまった。
「いいの。普通の人ってことにして。逃げ出して来たんだから。」
輝は不思議そうな顔をして、花を見つめた。へぇ、と。少し歩くと、村が見えた。
「ほら、村に着いたよ!」
一見普通の村。花は安心して、胸を下ろした。
「村長呼んでくるね!」
そう言って彼は走っていった。しばらくすると、若い黒髪の男性が歩いて来た。
「どうも、花さん、だったよね?僕は伊織悠。よろしく。」
伊織悠…。その名前に花はピンと来た。江戸でも有名な探偵さんだ。
「あの、伊織探偵…!」
花は悠の顔をまじまじと見つめた。
「ふふ、それで?どうしてお嬢様がこんな村に?」
彼のその言葉に、花は息詰まってしまった。なんて言ったらいいんだ。本当のことを言えば、きっとお父様やお母様の評判は悪くなってしまう。バレたらどうなるか。花が戸惑っているうちに、悠の後ろに立っていた女の子が前に出た。
「そんなの言えるわけないでしょ、考えなよ?」
悠はまあまあ、と言うように両手を上げた。
「ごめんね。花ちゃん。この人、こういう悪い癖あるから。」
ぱっとこちらを振り向いた彼女の額には、二本の角があった。あれは、鬼の角だ。
「えっ!?あ??え???」
花は思わず退いた。鬼、鬼だ。怖い、喰われてしまうのか?なぜこの人たちは平気なんだ?
「ああ、ごめん。私鬼だけど、誰も喰わないから。」
少し信じ難い…。
「私は鈴音。伊織さんの助手よ。」
ほんとか…?て言うか伊織さんも変わってんな…。鬼が助手て…。
「まあいいや。今日はここに泊まりな。もう夜だし。」
悠は松明に火を灯らせた。
「歳の近い女の子は鈴音しかいないけど、どうする?」
絶対嫌です。喰われます。
「一人で、寝ます…。」
花はそう言ったが、悠が苦笑いした。
「ごめ、うちの村悪い妖怪もでるから一人は絶対ダメなんだよね…。」
なんそれ、怖。
「じゃ、輝と寝る?w」
もっと嫌です。絶対嫌。セクハラしそう。すぐ手繋いできたし。
「じゃあ俺と寝る♡??」
「辞めてください、気持ち悪いです。」
鈴音がすぐにツッコミを入れる。
いや、でも伊織さんが一番マシかも…。そう思い、花は悠の家で寝ることになった。少し心配だ。
「絶対花ちゃんのこと触らないでね、伊織さん!」
鈴音は家に帰る最後までそう叫んでいた。やっぱり意外といい子なんじゃ…?種族で偏見するの、きっと間違えてるよね。
「明日からは鈴音のとこで寝なよ?僕みんなからアンチコメントきちゃうよ。」
メタい発言しないでください、名探偵さん。
花は使用人に案内され風呂に入り、食事を摂った。暗い青の空には、星が光っていた。生まれてはじめて感じた自由。幸せだ。
「さ、寝るよ、雨野さん。」
伊織さんてイケメンだよなぁ…。そう思いながら、花は眠りにつくのであった…。