83話 スピネル教
「詩花、お茶をお願いするよ」
「了解しましたわ」
部屋にアンナを招いたスピネルは、詩花を退出させる。
残ったのはスピネル、ヨミ、死癡、アンナの四人であった。
全員が小さい机を囲って畳の上に座る。
「一先ず自己紹介でもしようか。私が神、スピネル。で、こっちがヨミと死癡だ」
それぞれ指を指していき、スピネルは簡素な紹介を終える。
アンナは警戒を解かないままじっとスピネルを見つめ、少しの沈黙の後口を開く。
「初めまして。アンナよ。つい最近、王印を瞳に宿したところね」
「ああ。知っているよ」
瞳に王印を写したアンナに、特段驚くこともなく答えるスピネル。
ヨミはそんな二人を観察するように眺め、死癡はじっと無表情で動かない。
「で、どうだい? 使徒の王として、上手くやれているかい?」
「……さあ。でも力を得たのは分かるわ」
「そうかい。まあ、最初はそんなものかな」
ひりついた空気を気に留めず、スピネルは返答する。
少しやりにくそうにしながらアンナは顔を顰めた。
「質問がいくつかあるのだけれど、答えてくれるかしら?」
「……答えられる範囲ならいいよ」
了承を得たところで、アンナは質問し始めた。
「まず、一つ目。王になった私は何をすればいいのかしら」
「別に。自由にすればいいさ」
「二つ目。貴方は何故、私を王に選んだのかしら?」
「素質があったのと、まあ後は運命だね」
スピネルは淡々と答えていく。
まるで予め質問を予測していたかのようだった。
「三つ目。王印にはそもそもどういった役割があるのかしら」
「世界に革命をもたらすこと」
「……どういう意味かしら」
「いずれ分かるよ」
的を射ない発言に、場が静まる。
スピネルは欲しい答えをそのまま渡してくれたりはしないのだと、アンナは理解した。
「……まあいいわ。それで、今日私を呼び出した理由を聞かせてくれるかしら?」
「ああ。要件は二つ。一つは取引だ」
スピネルが指を二本突き立て、アンナに差し向ける。
それから部屋に入って机に茶を置いた詩花に、ありがとうと伝えてから向き直った。
「君に認識阻害の魔法を与えようと思う。これは使徒としてのアンナと人間としてのアンナが同一だと認識しにくくなる魔法だね。これで地上で過ごす君が使徒だとバレる危険性はグッと下がると思うよ」
「……それは欲しいわね」
「だろう?」
スピネルは交渉に手応えを持ち、笑みを浮かべた。
だが、アンナは待ったをかける。
「けれど、取引ということは対価があるのでしょう?」
「ふふ、まあね。条件は私たちに協力すること」
「協力?」
「ああ。まあ颯真くんに直接的な害があるような事はさせないと約束するよ」
スピネルは約束を破らない。
けれど、それでもアンナはスピネルを疑心の籠った目で見た。
「信用ならないわ。少なくとも、対価と釣り合わない」
「……まあ。そうだろうね。じゃあ、どうだろうーー戸籍を用意してあげるって言ったら」
「なっ……」
「ご両親から経歴まで、私が完璧に偽造する。ああ、君が望むなら颯真くんの学校にも通わせてあげるよ。家で暇しているだろう?」
「っ、そんなことが可能なのかしら」
「勿論」
アンナは唾を飲む。
スピネルは信用ならない。ならないが、提案は魅力的だ。
颯真と……。そう考えるだけで、胸が踊る。
夢だと思っていた。人間の生活が。全部叶う……。
「で、どうするんだい? 返事は今しか許さないよ」
「……取引、成立よ」
「良かった。明日には君の戸籍を用意しておくから、楽しみに待っているといい」
ニコリと笑うスピネル。
その存在感に気圧されるが、アンナは一つ指摘する。
「それでもう一つの要件とは何なのかしら」
「ああ、別に大した事じゃない。気づいてないみたいだから言うけど、君のその能力を使えばリリィ達も地上に呼び出せる。一度くらいは颯真くんの他の使徒にも地上を体験させてあげるといい」
「……何故貴方がそんな事を気にかけるのかしら」
「それは秘密さ」
スピネルは顔に笑みを貼り付け、答えない。
アンナは立ち上がり、荷物をとって部屋の襖を開けた。
「貴方は信用できないわ」
「一応、私は世間では人類を救済した神様として崇められてるんだよ?」
「それは誰も異空を作ったのが貴方だと気づいていないからでしょう? 世界に崇められているのは、ただのマッチポンプよ」
「はははっ、帰る前に一つ伝えておくよ。近いうちに大きな異空災害が起こる。気をつけるといい」
「……ええ」
ピシャッと閉められた襖に、スピネルは苦笑した。
それから横の死癡に視線を流す。
「彼女、気づいてなかったね」
「……気づく訳ないでしょ。スピネル様がそう変えたんじゃん」
「ふふっ。久しぶりの再会だったけど、どう感じた?」
「何も。だって感情が封印されてるし」
死癡はずっと動かず、スピネルに視線を向けることもなく会話する。
そんな死癡を見て、スピネルは畳に寝転がった。
「そうしなきゃ、君は神柱になれなかった。大丈夫、きっかけさえあれば君は元に戻るよ。例えばーー颯真くんと再会するとか、ね」
「……嘘つき。それだけじゃ足りないくせに」
「ふふ……。そろそろ暦の所に戻ってあげるといい。彼女も寂しくしてるよ」
そう言って、疲れたと言わんばかりにスピネルは目を閉じた。
寝る気らしい。
「そうする。ヨミ様、スピネル様をよろしく」
「はい。……死癡、スピネル様は我儘ですが貴方を神柱にして記憶を残すと決めたのは彼女です。嫌わないであげてください」
「……そうだね」




