79話 対話
「あー……どう弁明しよう」
帰宅早々リビングのソファーに座った俺は、一人頭を抱えて考え込む。
座ったソファーの横には電源を付けたままのスマホが放置されており、画面には美香とのメッセージ履歴が写っていた。
「連絡、返事してなかったなぁ……」
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プルルル。
小気味の良い着信音が響き、俺は通話のボタンを押す。
『ごめんね、急に電話かけたりして……』
スマホ越しに聞こえる美香の声に俺は内心で冷や汗を流す。
メッセージでとりあえず謝罪をしていたのだが、話がしたいという事で彼女から電話がかかってきたのだった。
「い、いや。全然気にしなくていいよ……」
そう返すと、言葉が止まった。
気まずい。
俺はてっきり怒られるものだとばかり思っていたが、彼女の反応を見る限りそうでもないらしい。
『……颯真は、気にしてない?』
「ああ。勿論……いつでも応えるつもりだよ」
『うん……ありがとう』
少し会話を進めたことで解れた緊張に気を吐く。
それから意を決し、ソファーにあったクッションを強く握りしめ、俺は強張った声で美香に謝った。
「あの……美香、ごめん。小鳥遊さんとは、本当に何でもないんだけど……自覚が足りなかったって反省してる」
『……うん。大丈夫、ちゃんと分かってるから』
「そ、そっか……」
ぎこちない会話だと、我ながら思う。
美香に愛想を尽かされたのではないかと、怖くてたまらない。
精一杯言葉を選ぼうとする度、固唾が口を重くする。
『あのさ……颯真は私の事、好きなんだよね……?』
「あ、ああ勿論」
『私が、他の男の子と二人きりになったら……颯真はどう思う?』
「い、嫌だと思う……」
想像すると、確かに胸がちくっと痛んだ。
それと同時に電話越しに聞こえる美香の声が、確かな悲しみを帯びていることに気づく。
抱きしめたいような衝動にかられるが、電話越しだから、触れることすら出来ない。
『良かった。……でもね、颯真。多分私は颯真の何倍も嫉妬深いと思う』
「……うん」
『だから……お願い。嫌いにならないで……』
「……なる訳ないよ」
美香の震えた声が、胸を引き裂く。
安心させてあげたい。不安にさせたくない。
全部俺のせいだ。なのに。
「あのさ、美香今からそっちに……」
そっちに行って、直接会おう。
そう言い掛けて……けれど、その勇気が直前で怖気付いた。
『そっちに……?』
「あ、いや、ごめん。何でもない……」
『うん……そっか』
俺は何も出来ないまま。
ただ座って、そこにある重苦しい沈黙を受け入れる他なかった。
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颯真に抱きしめて欲しかった。
電話を切りながら、そう思う。
ベッドに寝転がりながら私は後悔した。
多分。
颯真は、自分から言わないと触れてくれない。
抱きしめてって言わないと、抱きしめてくれないし、キスをして、と言わなきゃしてくれない。
キスをしたのは二回。
いずれも私から、言った。
多分今回も、言わなきゃいけなかった。
抱きしめてって。ここに来て欲しいって。
でも、言えなかった。
桃子のメッセージを確認する。
相談内容は、颯真について。
『嫌だったら、別れていいんじゃない?』
慰めの言葉。
きっとそうなんだと思う。私は颯真と上手くいってない。
私は颯真が好きで、彼もきっと私のことが好きなんだろうけど。
『相沢君と?相性、悪いと思うけどなぁ』
他の友達に言われた言葉。
それを強く実感する。
でもーーそれでも、手放したくないのだ。
ズキズキと、いつまでも痛み続ける心に。
涙が溜まった。
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「で、何の話だったのかしら。颯真」
美香との通話を終えた後、部屋に戻った俺はアンナに開口一番そう言われた。
「聞いてたのか……」
「ええ。通話の相手、美香さんでしょう? ていうか帰ってきてたなら、報告なさい」
「それは……悪い」
俺はバツの悪い顔をして目を逸らす。
何せ帰ってきてすぐだったから、部屋に戻る時間がなかったのだ。
ベッドに座るアンナの対面に座り、俺は少しだけ悩みを語り出す。
「なぁ、俺……別れた方が良いのかな」
「それは美香さんとかしら?」
「ああ……」
「……確かに颯真と美香さんは側から見ても上手く行ってないわね」
割とはっきり言うアンナに少しだけへこむ。
何か原因があるとは、自覚している。でもそれを分からないでいた。
「はぁ……敵に塩を送るのは嫌なのだけれど。いいわ、教えてあげる」
「……良いのか?」
「ええ。その代わり、デート一回。約束よ」
「相談してみます……」
人差し指を立てて、にこりと笑うアンナに苦笑した。
したたかである。
「別に相性が悪いとか、相応しいとか相応しくないとか、そう言うのじゃないわよ。原因」
「なら、何が?」
「距離感よ」
「え?」
「物理的にも、心情的にもね。見てて思ったのだけど恋人の距離感ではないわ、貴方達」
予想外の言葉に、頭がストップする。
距離感……距離感? 想像しづらくて、俺は再度問いかけた。
「どういう意味なんだ? それ」
「……貴方達の間には、大きな溝がある。多分お互い表面上はうまくいってると思ってるからこそ、気づけてない。今貴方達はお互いに不信感を抱いてるわ。だからもう交際を続けるのは無理なんじゃないかって、思ってるわけ」
「言われてみれば、確かに……俺美香に心を預けられてないかも」
「そう。相手を得体のしれないものだって、思ってる。心を開けてない。なのに好き。これが歪な訳よ」
……言葉に詰まった。
名前の分からない違和感が、少し言語化されて形を帯びたのが見えた。
「例えば、貴方が街中で声を掛けられたとするわ。内容はそうね……ここの店美味しいですよね、的な会話。相手は当然誰かも分からない人で、信用もできなければ恐怖もある。自己紹介はない。相手が誰か分からなきゃ、他愛ない雑談でも深い話はできないでしょう?」
例えを何となくで理解しながら、飲み込む。
言わんとしていることはある程度分かった。
「貴方達はお互いに、相手を理解しきっていないのよ。颯真、貴方が見せている自分は氷山の一角にすぎないでしょう? 少しは秘密主義をやめなさい。人間、表の顔だけで付き合えるのは友達までよ」
「……」
「これでも喋る気は無いのかしら? 試しに私に話してみる気は?」
心が揺れ動く。
自分。もう一人の自分。弱くて脆くて大嫌いな昔の、自分。
本当の自分と感情。
「ごめん。……俺はまだ……話せるほど、自分が分からない」
自覚さえ、長らくしないでいた。
自分を見つけられない。俺はずっと、自分がどういう人間なのか分からないでいる。
「そう。なら、悩みなさい。自分が誰なのか、懊悩できるのはきっと思春期の間だけよ。人間は鏡を見なきゃ変われないのに、大人はいつしか自分と向き合わなくなる。いえ、向き終えた気になってしまう。だから私の大好きな颯真は、悩み続けなさい」
アンナから強く投げかけられる言葉の奥に。
スピネル様が微笑んでいた気がした。
ブクマ高評価を何卒……!!
何卒!! よろしくお願いします!!




