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64話 呪文

今日はバレンタインですね。

ここまで読み続けてくれた皆様へのお礼として、今日はもう一話投稿します。




「吸え、リリィ! まだ、勝負は終わってないーー!」


 血を吸い終わったリリィが、俺の首筋から離れる。

 犬歯に引っ付いた血を彼女は舐めとりつつ、妖艶に笑った。


『「放て。羽矢(フェザーアロー)」』

 

 俺たちの隙を逃さずに敵は攻撃をリリィの背中に刺そうとするが、突如として現れた血の刃によって叩き落とされる。


『「ーー防げ。血刃(ブラッドブレイド)」』


 リリィが大天使と交戦を開始する。


 血の刃が敵の頬を掠める。


 間一髪で避けた大天使に対し、相手マスターの小鳥遊に攻撃するフェイントを持ちかけ隙を作った所で逃さず血の球体をぶつける。


 小鳥遊の表情から余裕が失せる。

 

 大天使が羽を広げ、風を起こす。

 紅く眼を輝かせたリリィは、構わず一歩前に踏み出す。


 そして腕を前に突き出した。


 そこから、風が自ずとリリィを避けていく。

 髪が靡き、リリィの美しい顔が露わに曝ける。だが意に返さない。


 彼女の眼は。

 敵の目を捉えている。


 先ほどと違い、互角に渡り合っているのだ。いや、むしろ押し気味でさえある。ピンチだった筈の挑戦者が、吸血という奥義をきっかけに勢いを取り戻す。


 そのドラマに、観客のボルテージが高まる。


 俺は自分に向けられた歓声の全てを享受し、頬が緩む。嬉しいのだ。この上なく、自分が他者から認識されていることが。


 少しふらついた足取りのまま、俺は強く、剣を握りしめた。


 その瞬間、不意に言葉が口からこぼれ落ちた。


『「ーーリリィ、君は刹那に生きる」』

「……え?」


 俺の呟きに返したのは、アンナだった。

 フェリスもリリィも目を見開くが、戦闘からの集中を途切れさせることはない。


「マスター、待って……!!」


 でもーーアンナには分かるのだろう。

 この呪文が……リリィに向けられた時、発動すると。


『「全てを賭けてでも、掴めるかすら分からない物の為に」』

「ーーそれは、私の呪文(モノ)でしょう……?」


 アンナの顔が怒気と悲哀に染まる。

 

 反対に、リリィの顔に喜色と昂りが宿る。


「っ、ああ……、颯真様! ようやくーー」

『「その生き方は愚かかもしれない」』

「ーー私を見てくれた……!!」

 

 俺は……。

 リリィに罪悪感を抱いた。


 見透かされたような気分でいた。

 そして、自分が思っている何倍もーー俺は彼女の事を愛している自覚を知ってしまった。


 今、俺は彼女の全てを知悉ちしつしたい。

 彼女の全てを。辿りたい。


「『けれど信念を持つ貴方の』」

「ええ、そうです。私の信念は……、颯真様をーー」


 リリィの顔から昂りがはっきりと分かる。

 その顔が赤く高揚している。ナイフを振るう速度が速くなっている。


ーーあれほど脅威に見えた大天使と、渡り合えている。


「『その何と愛らしい事か』」

「支えることです……!」


 リリィの身体能力が跳ね上がる。

 同時に、彼女は(わら)った。花のようでありながら、獰猛な顔で。


「『血斧(レッドアックス)』」

「ーーっ、朱雀ッッッ!」


 アンナとの攻防を離脱し戦闘に割り込んで来た朱雀が、大天使に向かっていた攻撃を防ぐ。


ーーキィイイ!


 と、同時に光の粒子になる。

 たった一撃で、ずっと膠着していた戦闘が動きーー、ようやく一体が倒された。


『水竜』


 だがこちらもまたフェリスとの戦闘を切り上げて、こちらに向かった水精霊によって追撃の手を防がれる。


「水精霊、視界を奪ってください……!!」

霧水(ミスト)


 周囲に霧が上がる。

 俺はフェリスとアンナを集合させーー防御を固めつつ様子を見る。


 そしてようやく霧が晴れた時。


 


 天才はーー。

 小鳥遊 結奈は、『呪文(ふくいん)』を唱え終わる寸前だった。



||



 暗い畳の部屋で、半透明なスクリーンを空中に写した少女。

 スピネルが、楽しげに試合の様子を見ている。


「ーー嗚呼、見てご覧ヨミ! 分かるだろう? きっと今日だ。今日彼は輝きを取り戻す。長かったなぁ……」

「はいはい、スピネル様。それより、あの神柱は連れてこなくて良かったんですか? 感情を封印したとはいえ、記憶は残したのでしょう?」


 そこにヨミが近づく。


 茶を持って来させた教祖の娘を側に控えさせ、ふぅーっと息を吹き掛けて冷まして彼女は湯呑み茶碗を渡した。


 その様子は主人に甲斐甲斐しく世話をする側仕えと言って差し支えない。


「……アレには私の神殿にスクリーンを出して放置しておいたよ。どんな気分なの

かな。ーーかつて仲間だった己のマスターの躍動に、感情の昂りさえ思い出せないのは」

「趣味が悪い……」

「褒め言葉かい?」


 皮肉を投げかけた筈が、スピネルにさらり笑顔で躱されてヨミは口をつぐむ。

 そこに半分、呆れを滲ませながら。


詩花しいか、おいで。次期教祖として見ておいた方が良い。ーーあれが、(わたし)を殺す男の子だよ」


 妖艶に笑う幼き少女に、名を呼ばれた高校生ほどの若い女の子が頷き、前に出る。


「ーースピネル様、側にお呼び頂くのは構わないのですが……。其の前に、わたくしの部屋から退出願えると助かりますわ」

「え……?」

「此処にスピネル様がいるとくつろげませんもの。居候している身なら、せめて居間で見て欲しいですわ」


 スピネルは辺りを見渡す。


 畳の床に、木の上品な香りがする和室。

 だが同時に、生活感漂う部屋でもあった。


「……居間に向かえば姫花がいるだろう? 私もそっちじゃ落ち着かない」

「では、御菓子でも如何でしょう? 好物の乾酪(かんらく)が御座いますよ」

「良し行こう」

 

 スピネルは見入っていた筈のスクリーンから視線を外し、直ぐに立って移動し始める。

 その様子にヨミは呆れる。


「スピネル様、見なくて宜しいんですか?」

「まあ、先は知ってるしね」

「はぁ……」


 では何故見ていたのだろう、とため息を吐いて、同時に私たちに見せる為か、と直ぐに察した。


「生ハムもあるかい?」

「御座いますわ」

「そこは煎餅(せんべい)でも食べましょうよ。……一応日本の神様ですよね、貴方?」

「ははは」


 ヨミの指摘にスピネルは軽やかに視線を外す事で追及を避けながら、軽い足取りで木製の廊下を草履で踏み鳴らしながら進むのだった。


 

 ||


「のう、こうして留守を任されていると退屈じゃな?」


 そこは神殿。

 神水が湖を作り、その中核に位置する桜と紅葉が同時に咲く島に二人はいた。


 幼女が年寄りのような喋り方で、もう片方の女性に話しかける。


 互いに白衣しらぎぬを身に纏っており、手首に巻きつく紅糸で出来た組紐だけがその真っ白な姿に灯る唯一の色だった。


「……静かにしてよ」


 もう片方の女性ーーいや、少女は淡々と冷たい反応で返す。

 

「お主、物静かじゃのう。妾としては、もうちと明るい方が話し易いのじゃが」

「煩い」


 短い言葉で少女は幼女に言葉を返す。

 その声色には、怒りも煩わしさも見えない。


「スピネル様も難儀じゃ。せっかくの新しい神柱なのに、感情を封印してしまうとは」

「……もう良いよ。映像だけ見とくから、好きに話してーー(こよみ)


 諦めたのか、少女は暦と読んだ幼女に発言の自由を許す。

 

「相も変わらず態度が堅いのう。教育係として先が思いやられるわい。(そも)、そこまでスピネル様に従順になる必要はあるまいて。ーー昔の仲間の姿を見て、気を病まんのか?」

「どうだろ……分かんないや。記憶も感情も全部覚えてるのに、私の主は今ーー確かにスピネル様なんだよ」


 そう言い切る少女に、暦は凛として返す。


「……使徒も穢者けものも、元来皆々あの方の配下じゃよ。お主の感情こころに絡まる鎖が、スピネル様に支配されている証じゃ」

「……」

「一時的に心臓だけが支配から逃れられた所為で、勘違いしたのじゃろう。我らには常に鎖に縛られておる。自由など、ないのじゃよ」

「そう、なのかな……」


 それこそ人間にならぬ限りはな、と付け加えた暦に少女は顔を伏せる。


 だが悲しみは襲ってこない。悲しみを覚える瞬間であるのは頭で理解しているものの、感情がついてこない。


「……使徒は難儀じゃ。マスターを得ても、同時にスピネル様への忠誠心を抱え続ける。マスターに服従するが、それはあくまでもスピネル様から与えられた使命だからじゃ。故にそのマスターがスピネル様に反する時が来れば敵対する」

「……」


 少女は思い出す。

 自分が、人間になりたいと願った理由を。


 生きる理由を得る手伝いをしてくれると約束したマスターと出会えた日を。


「一生の内に形作られたマスターへの忠誠心も、全てが作り上げられた偽物じゃ。マスターの為に戦うという使命感に酔えれども、それが自分の感情だとは信じきれない。終いには何の為に生きているのかさえ分からなく為る」

「私は……」

「ーーだが、案ずるでない。我々は使徒ではなく、神柱じゃ。心臓の核のみが水晶ませきで出来た穢者や使徒とは一線を画す存在。我々はただ、愚直にスピネル様の命令に従えば良い」


 そう言って、温かい顔で暦は少女の頭を撫でる。

 優しい手つきで、一つ上の神柱として生まれた彼女は、全ての愛情を込めながら。


 スピネル様より預かりし、愛し子を……。


「暦」

「なんじゃ?」

「……私は、自分の名前を思い出せない」


 不意に投げられた質問に、暦は目を丸める。

 心底驚いた顔で、当然のように言った。


「お前の名は第十一柱、死癡(しち)じゃろう? 百年ぶりの新たなる神柱で、偉大なるヨミ様によって生まれ変わりし……」

「ーー違う……!! 私は、そんな名前じゃない。私は、マスターから名付けられた名前がある。他の記憶は全部あるのに、そこだけが消されてる……!」

「っ、それは」


 死癡と呼ばれた少女は、顔に喜怒哀楽を宿す。


 やや不自然に見える表情の変化は、彼女があくまでも怒っているように見せているからだろう。

 

「スピネル様が、この記憶を消したんでしょ? ……ずっと疑問だったんだ。使徒は、マスターから名前を付けられると不思議と嬉しい気持ちが湧いてくる。でも、その理由がどうしても分かんないの。ーーねえ、名前には何の意味があるの?」

「……妾は、知らぬ」

「そう……」


 彼女は暦の手をどかして、被っていたフードを下す。

 瞬間、彼女の顔があらわになる。


「顔も名前も雰囲気も変わった。でもスピネル様はきっと、私をマスターに気づかせる為に仕組んでいる。ーー私は、思い通りには動かないよ」


 そう言って、振り払う為に握った暦の手首を放す。

 暦が少し哀しげな顔をする。


「お主……」

「人間にとっては、きっと変わらない。神柱(しんちゅう)穢者(けもの)使徒(しと)も。全部、人外の化け物だよ。ーー理性のない『獣』として一括りにされる」

「っ」

「だから私はーー」

 

 そう切り出した『死癡(しち)』の悲しさを滲ませた微笑みに、(こよみ)は息を呑む。


「今度こそ人間になってみせる」

 




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