61話 美香
あんなにも欲しかった物を、ようやく手に入れた時は幸せの絶頂に浸れる。だから、自分には高すぎたりして似合わなかったと、後から気付くなんて思いもしないだろう。
それと同じで私は自分の手に入れた宝石を、自分には似合わないのではないか、と薄く思い始めていた。
今日も加奈からのメッセージが届いた。
『颯真君、選定式出てたんだ!? 美香、知ってた? 教えてくれたら現地まで行ったのに〜!』
『ごめん! 私も初めて知って』
私は加奈に、颯真との交際を言えずにいる。昔は一番仲のいい友達だった。それどころか中学に入ってからも、彼女以上に仲の良い友人は出来ていない。
裏切ってしまったと言う罪悪感と、自分の我儘を止められなかった甘さ。私はどうして良いのか分からず、今も加奈に嘘をついている。
最低な人間だ。
私は颯真を好きになった。恋に堕ちる、なんて言葉は使い古されたが、何度も使われるだけの理由があると、私は実体験を持って痛感していた。
恋をした彼を手に入れた時、私は間違いなく幸せだった。
そのはずだ。
昔、陸上をやっていた。一番走るのが早かった私は、いつもプラスチックの金メダルを首にかけてもらっていた。
一人っ子だった私は両親にも愛されていた。お父さんとお母さんの、一番大切な宝物だった。
だから中学に上がって、初めて首にメダルがかからなかった日、私は陸上を辞めた。人は平凡に生きれば良い。そう思って私は歩いていた道から、普通の道へと踏み降りた。
それでも、私はささやかな願いを叶えたかった。
一番大好きな人の、一番になる。それは決して傲慢な夢ではなく、誰もが叶えていて、私でも憧れて良い筈の夢だった。
ーー美香
求めるように、私だけを眼中に写した颯真を思い出した。この記憶は、初めて颯真とキスをした時の記憶だ。
私を見ながら、私を見ていなかった彼に、少しだけ不安を覚えたけど、優しい口付けは彼の湿った唇のぷにっとした感触を強く実感させた。
だから、忘れていたのかもしれない。
……彼は、私の事が好きなのだろうか。
そんな、疑問が湧いてしまった。
私は、彼に全てを曝け出しても良いと思っている。
でも、どうしてだろう。彼は私と一緒にいる時、笑ったり怒ったりしてくれるのに、悲しい顔だけは見せてくれなくて。
私は、彼との間にある透明な壁が何倍も分厚く、彼が私に安心を寄せていない事を、自覚し始めていた。
この恋は、贖罪だ。
私が親友の好きな人を奪ってしまったから。だから、私は白馬の王子様が探してくれるシンデレラじゃ無いんだ。
テレビを見た。私が好きな彼は、まだ試合場には現れていない。
彼のカッコいい所を見たいという欲望と、彼が私の元から遠ざかっていく恐怖に挟まれて、私はごくりと固唾を呑んだ。
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「マネージャー、マネージャー! 早く! テレビつけて!」
「はいはい。分かりましたよ」
担当である白石 加奈の頼みを受け、マネージャーと呼ばれた女性はテレビを付けた。
どのチャンネルかは明らかだ。
使役師選定式。大阪の現地ライブ放送。
「彼、使役師だったんですね」
「やってるのは確信してたんだけどね。でもでも、今日出るのは全然知らなくてびっくりしたなぁ……」
「はぁ……。しかしお相手は小鳥遊の娘さんなんでしょう? 勝てるんですか?」
「それは分かんない」
その返事にマネージャーは意外に思った。
常日頃から颯真ラブを口にしている彼女であれば、迷いなく彼の勝ちを信じると思ったからだ。
「でも、楽しみだなぁ。私も颯真君のカッコいいとこ、みたいや」
だが、そう笑う白石加奈の顔は彫刻のように美しい。
仕事が終わった以上、マネージャーは帰るつもりでいた。
だがーー興味が出た。
彼女は白石加奈の隣に腰掛け、テレビから響き渡る音に耳を傾ける。
「あれ、帰らないの?」
「せっかくですから見ようかと」
「ふーん。……ま、良いけど。私の男に惚れないでね?」
「その子中学生ですよね……?」
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俺は待機室を出て試合会場への入り口付近で待っていた。
ここから差し込む光と観客の声は、一筋の緊張を俺に与えるがそれでも怯むことは無い。俺は色んな雑念に頭を回らせながら、自分が呼ばれるのを待っていた。
……俺の全てを出す必要がある。
京都対異空高校は、日本で一番レベルの高い学校だ。競争率も当然半端ではなく、地元の大阪対異空高校より何倍も格が高い。
兄がそこに通っている。そう聞いた日から俺は京都対異空高校に入りたいと思った。俺はこの気持ちが復讐心なのか、はっきりとしない。
今は昔より何倍もいい生活をしている。別に忘れたって構わないのだ。けれど、過去は呪いのようにしがみついてきて、俺はそれを清算しない限り、決して、自分の肯定にどこか虚栄が宿ってしまうのを解決できないのだろう。
俺は、今日自分を証明する。世界のみんなが、俺を見るのだ。認識するのだ。ああ、俺がここにいると。
戦いの中、哀哭を叫ぶように剣を振るうだろう。誰にも気づかれなくても良い。ただ、俺はこの戦いに、自分の全てを賭けて自分がどんな人間かを、俺の戦いで世界に魅せたい。
『美香、今日の試合、見ててくれないか?』
俺は美香に真剣な顔つきでメッセージを送った。
俺は今日、ちゃんと自分を肯定する。
虚栄を本心に変えるのだ。そしたら、ようやくきっと、美香とも釣り合いの取れる、まともな人間くらいには、なれるから。
罪悪感を抱えていた。
俺は、美香に恋をしてはいけないような気がしていた。彼女には愛情をせがむ癖に、自分を見せるのが怖くて一歩引いていた。
今日でちゃんと、自分の醜さを俺は曝け出すだろう。美点も欠点も自分らしさなんだと、自分を愛する為に。
観客の熱を、全部俺が奪おう。
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「時雨さん、次の相手の情報はあります?」
待機室で、小鳥遊 結奈は自身のそば付きである時雨というスーツを着た女性に話しかけた。
いかにも仕事が出来そうな雰囲気を漂わせる女は、すぐにタブレットを操作して結奈に近づき、見せる。
「こちらです。しかし、珍しいですね。対戦相手の事など、興味ないでしょう?」
そう聞く女性は、不思議そうにしている。よほど珍しいのだろう。しかしながらタブレットを素早く操作して見せれる辺り、一応対戦相手の事はいつでも伝えれるようにしていたに違いない。
「ええ、ちょっと生意気でしたので、叩きのめしてやろうかと」
彼女は不敵にそう微笑み、タブレットを受け取る。
表示されていた精細なデータにサッと目を通しながら、結奈は続けて口を開く。
「彼、強いんですか?」
「どうでございましょう……データを見る限り、このヴァンパイアの飛び抜けた戦闘能力に頼っているだけのように見えますが」
「へー、そうなんですね。……ウチのアークエンジェルの方が強いですか?」
「ええ、もちろん」
「ーーなら心配はいらないですね」
そう小さく呟くと、結奈は立ち上がり歩き出した。
途中までついて来ていた時雨と別れ、彼女は一人で試合会場への入り口付近まで歩いた。
「……ふーん」
そこで、相沢を見つける。
空調の効いた場所で、長椅子に座りながら彼は壁にもたれ掛かっていた。
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考え事をしていたせいで、小鳥遊が声を上げてからようやく彼女に気づいて俺は驚いた。
「あ……いつから」
「今来たんですよ」
疑問を投げかけてしまった俺は、すぐに答えた小鳥遊に若干驚く。
「なあ、答えづらいなら良いけど、何でアカデミー辞めたんだ?」
「……ああ、そういえば貴方私のファンでしたよね。別に、大した理由なんかありませんよ?」
大した理由もなく、天才と謳われた彼女がアカデミー生を辞めるだなんて考えられないのだが。
「周りと合わなかった、とか?」
「……正解です。私に負けたら、天才って良いよねって話ばかりなもので。自分が努力してないだけでしょうに」
ふん、と鼻を鳴らす彼女。テレビ越しで見ていた通り、やはり我が強い。
「天才って、使う側にとっては便利な言葉だからな楽だからな」
「その腐臭が伝染する事が問題なんです。貴方は何故、蜜柑が腐るのか分かりますか? 未完であるが故です。どうして未熟な人間は、他者の足を引っ張る事に固執するのです?」
そう疑問を吐き出す彼女に、俺は思わず答えた。
「諦めた人間なんてそんなもんだ。自責のキャパが少ないんだよ」
「馬鹿みたいですね」
俺は平然とそう信じ切った彼女に、心にモヤを抱える。
挫折した事がないような少女だ。羨ましい、と思うと同時に彼女は強い人間であるとも思う。
「才能ってのはさ、つまり成長率とスタートラインの事を言うと思う。凡人だって努力すれば追いつける位置に、天才はいるんだよ。でも殆どにとって、その努力が苦痛で億劫なんだ」
俺は昔の自分の姿を思い返しながら話す。
チラリと彼女を見ると、難しい顔をしながら、理解は示しながらも共感はしてなさそうな表情であった。
「でも、努力はして当然のものです。大変だからといって、やる前から諦めていたら天才の背中さえ見えないでしょう? そういう人間に限って、天才を否定するんですよ。貴方には才能がない、諦めろって」
彼女が実際に言われた言葉なのか、その声真似にはリアリティがあった。
「……君は頑張ってるさ。負けずに、折れずに頑張ってる。でも才能があったから、って理由で人の乗り越えてきた辛さを切り捨てるのは間違ってると思う」
彼女は天才だ。
間違いなく天才で、その上努力もしてきて、有名な分たくさんのアンチもいて、そんな環境の中で自分の軸を傾ける事なく生きてきた。
それは絶対に、評価されるべきだ。
「君は才能のない人間の経験を、劣等感を知ってるのか?」
他人どころか自分にさえ否定された人間は、自己肯定感なんて遥か彼方に置いてきてしまう。それで虚栄を張ったり、自分の事に一杯一杯になると、人に寛容になれなくなったりする。
たくさん、見てきた。
周りも、鏡の前の自分も。
けれども……そういう人間を。
俺は慈愛を持って許すべきだと思うのだ。
「……例えどれだけ苦しくても、世間はその目の厳しさを曲げないし、立ち上がらないといけないんです。私もそうでした。折れたくても、諦める選択肢がなかったんです。自分で立ち上がらないといけなくて。私みたいな環境に置かれてから言うべきです」
彼女はそう吐き捨てる。
一切の例外はない、とでも言わんばかりに。
「……君には少なくとも、支えてくれる人間がたくさんいる。だけどそうじゃない人もいるだろ。いつか奇跡的に現れた誰かに手を引っ張られて、自分を強引に変えてくれるって、ベッドの片隅で祈ったことはあるか?」
「ありません。そんなの、彼らがバカなだけですよ。少し視野を広げたら、助けてくれる人なんていくらでもいます。根本が人間不信の、根暗なだけでしょう?」
議論は平行線になる。
お互いそう悟ったのか、少し荒げていた言葉を抑えた。
少し喧嘩腰になりすぎている。
互いに冷静になった事を悟ったのか、気持ちを切り替えて俺から言った。
「悪い。ちょっと感情的になりすぎてるな、これは」
「……ええ、そうみたいですね。怒りを宿せば、言葉の重みが失われます。謝らせてください」
天才の少女。
小鳥遊 結奈を表すなら、その一言だろう。
俺が思ってる何倍も、彼女は辛い目を跳ね返してきたのだろう。
かっこいい人間だ。
だからこそ、彼女はきっと俺と考えが合わなかった。一回挫折して、それでも自分の何かを変化させようと、次を探した俺とは。
勝つさ。絶対に。
証明してやる。




