5話 主人公
十八時になりました。今日を十八時間も生き抜いた皆様、本当にお疲れ様です。
この作品が皆様の癒しになっていれば幸いです。
本日は二話投稿!
次の投稿は十九時になります!
「ナナーー君の願いは?」
彼女の目はこちらを見て、後ろめたさと不安を目に宿しながら、しかし……一呼吸おいてナナは告げた。
「ごめんマスター、わたし、まだ何もできてない。でも、マスターが叶えてくれるなら。ーー本物の人間になりたい……変かな?」
強く決心したような、彼女の瞳に俺は息を呑む。
けれど意外に思えど、否定する気持ちはひとつも湧かなかった。
俺はまっすぐ目を捉えて、冷静に答える。
「……いや。変じゃないよ。でも、分かっているのか? 使徒を『人間』へ変えるには最低でも十九等級の使徒まで昇華しないといけない。道は遠いぞ? それこそ化け物みたいな使徒ばかりだ。ーーきっと途方もない長い時間がかかる」
使徒が人間に昇華する事は可能だ。
だが、その条件は厳しい。十九等級以上の使徒になるか、はたまたは王印を宿し瞬間的に二十等級の使徒になるか。
もっとも、日本で王印持ちの使徒を所持した経験があるのは、小鳥遊優彩の父で日本の『英雄』ーー小鳥遊 翔しかいないのだが。
ナナが真剣な目で俺を見つめた。
「うん。分かってる。でも……約束して、マスター。わたしはあなたの夢を叶える。……あなたはいつか、その時が来たらわたしを人間にしてくれる?」
本気なのが分かった。きっと長い道のりになる。
十九等級の使徒をわざわざ人間にして無価値に変えるだなんて、普通のマスターはしないだろう。普通の使徒が到達できる最高等級である、十九等級の価値は何億、何十億円よりも重い。
けれど。
もし、彼女が俺の夢を叶えてくれると言うなら。
「……分かった。約束だ」
俺がそう答えると、彼女は薄く満足気な表情を浮かべた。
「やっぱりマスターって変な人だよね」
「わかってるよ」
「……でもわたし、そんなマスターが好きだよ。って、あ、ごめん、使徒にこんな事言われても気持ち悪いよね……」
彼女が少し頬を赤らめながら、そう言って、しかしすぐに思い直したのか、俺へと顔を上げながら儚げな笑みを浮かべた。
「っ」
「えっ……」
思わず照れて後ろに下がる俺に、ナナは困惑と喜びの混ざったような赤面を作る。
気まずい静寂が流れるが、どうにか俺の方からそれを打ち破る。
「……ごめん、ちょっと恥ずかしいかも」
「そう、だね……」
ナナは結果が予想外の方向に転がったせいか、少ししどろもどろになっている。
「人間に……」
「リリィ?」
ボソッと呟いたリリィの声を拾えず、俺は何かを言った彼女に疑問符を浮かべる。
「なら、私もッ……!」
突如として、リリィが振り絞るように叫んだ。
彼女は今までに見せたことがないほど、切なそうな声だった。
「私も……、人間にしてくれませんか……?」
彼女達にとって、人間になるという事はどれほどの意味を持つのだろう。
人間として生きてきた俺には、何も分からないし、わかってあげられない。
「っ、あ、ああ……構わないぞ? 約束だ。…… その代わり、俺を世界一のマスターにしてくれ。リリィ、ナナ」
俺の力強い言葉に、真っ先にナナが一歩踏み出してこちらを力強く瞳で捉えて、彼女は宣言する。
「……うん、約束!」
俺たちはお互いに微笑みかけると、再び二人でリリィの返答を期待した。
俺たち二人の視線がリリィへ向く。
リリィの凛々しい顔に宿る真っ赤な瞳は、どこか上の空にも見えた。
「……ナナ、マスター」
リリィの目がこちらを捉える。
「二人は本気ですか?」
彼女は俺に問いかけてくる。
俺の覚悟を試すかのように。
「ああ本気で言っている。本気で、俺の願いも君たちの願いも叶えたい。だから、やっぱり俺はお前を信頼するよ。頼む……リリィ」
リリィはため息をついた。
その表情は見慣れた、呆れ顔の彼女の姿で。
「分かりました。飽くまでも、あまり期待はしません」
「……悪魔だけに? 上手いこと言うな」
「茶化さないでください」
「ん……悪い悪い」
あくまでも期待はしない、という彼女の言葉に落胆しかけて、しかし続かれる言葉が耳を満たす。
「……でも、これだけは宣言します」
彼女は言葉を紡ぐ。
その顔には大輪の花を咲かせた、ぎこちなさなど感じられない、本物の笑顔があった。
「二人が期待してくれた……」
甘美な声で、悪魔たる彼女は囁いた。
その目が捉える主に、彼女は楽しげな顔で語る。
ーー釘付けにされた視線の先で、鋭い犬歯が牙を剥いた。
彼女がゆったりと拳を差し出して、俺の胸元にコツンと当てた。
「この私に、任せてください」
共にこの世界に抗おう。
そう語るような彼女の顔は獰猛で、惚れ込みそうなほど可憐だった。
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???
「始まったね……」
真っ白で出口すら見当たらない狭い部屋の中、回転椅子にもたれかかった少女が独りそう呟く。
十三、四歳ほどの少女。その容姿は恐ろしいほど整っているが、ダボっと来たその白のTシャツは部屋着としか言いようがなく、だらしなくも見えた。
声は少年のような高くもエッジの効いた声だが、喋り方は大人のよう。
けれどやはり、ポテチを口にポイっと放り投げ、ポリポリと食べながら顔を嬉しそうに綻ばせるその姿は幼なげな少女のようであった。
「デビルのーー今はリリィだっけ? 彼女の封印が解かれ始めてる。もうすぐ感情の縛りが千切れる……」
彼女はクルクルと回る椅子から飛び降りると、手に持っていたポテチの袋をパッと手放す。それは床に触れるよりも前に、音も立てずにどこかへと消え去った。
「全く。末恐ろしいね、あのゾンビ……ナナの力は。神の封印だぞ? それを簡単に解いて……しかも無自覚と来た」
裸足のまま埃一つない真っ白な床を踏みしめ、少女は部屋の中央にある大きなキャンバスに塗られた絵の元へと歩く。
「さて……許して欲しい、颯真君」
既に乾いた作品の表面に触れ、優しく撫でる。
「ここから先は、どうにでも転がる可能性がある。やがて、世界中の使徒の感情が解かれるよ。……その時、使徒が人間の側を選ぶかは不明だ。誰かが架け橋にならなきゃいけない」
彼女はそのキャンバスへと視線を戻した。
その絵には惑星が描かれていた。
青い星ーーそれは紛れもなく人類の故郷、地球。
南極を含む五つの大陸。
北大陸、南大陸、西大陸、東大陸。
人類が宇宙から撮影した姿と変わらぬ、美しい星だった。
少女はそう呟く。
誰に向かって言うでもなく。
「私たちは異なる空の下に生まれた……」
少女は笑った。
真っ白な部屋で、誰かに見られる訳でもなく。
ただ、楽しげに笑った。
「でもきっと見上げるものは同じ筈だ」
その白Tシャツに刻まれた、『神』という文字が服をとてつもなくダサいデザインにしている。なのに、それを全て掻き消すかのような美しさが少女にはあった。
「先に謝るよ」
少女は悲しそうな顔をした。
その手の先にはいつの間にか、パッと見十数本もの鎖が握りしめられている。気づけば床は鎖で埋められており、真っ白だった床は黒色の鎖で覆い隠されていた。
少女が手を動かせば、握りしめた手のひらの中でじゃらじゃらと金属音が響いた。
それは、鎖だった。
床に無造作に散らばっているような古びた黒い鉄で出来た鎖ではない。それは合金で出来たとても高価に見える鎖だった。
「十二の使徒の王が世界を変えるーー今、王印の力を宿しているのはたった八体。残りの四席、楽しみだよ」
少女が握った鎖を、無造作にピッと指先で弾いていく。
八つの鎖を手放し、四つの鎖が手元に残った。それらの色は他の合金の鎖と比べ、輝きが弱い。
「さて、世界を滅ぼすんだ。人類にだって、抗える力を与えないと」
ぐっ、と少女は四つの鎖を引っ張った。
どこに繋がっているのかも分からないその鎖は、引っ張られてピンと少女に手応えを与える。急激に金の鎖は光を強めた。
「それがあの人の願いだからね」
キャンバスの隣に、銀のプレートが置かれていた。
恐らくは作品名を記す予定なのだが、まだ何も書かれてない。
その地球はーー不完全だ。