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37話 恋と愛


 篠原美香



 ……結局のところ、私には経験値が不足していた。

 

 こういう気持ちをなんと呼べば良いのか分からない。


 ベッドに横たわりながら、今日の昼の出来事を振り返る。


 友達に相談してみた。少し呆気とした顔の彼女から、「好きなんじゃないの?」そんな言葉が返ってくる。私は少し考え込んだ。


 確かに、言われてみればそんな気がするし、間違ってもない気がする。


 よく分からなくて悩んでる私に、その友達は「とりあえず付き合ってみなよ」と言ってきた。「嫌なら別れたらいいし」彼女はそう言う。けど私はそれに頷けない。


 男女って軽々しく付き合うものなんだっけ。

 勝手に失望して別れたら、颯真を傷つけてしまうと思う。

 彼は、繊細な人だから。純粋な人だから。

 

 そして私は、悲しみの痛さをよく知っているから。


 私なら。

 ちゃんと好きなんだって確証を持って、大事にしたい。

 



 けれど。



 加奈とのメッセージアプリを開く。


 そこには『今どうしてる?』とか『颯真はどんな感じ?』とかそんな話題でチャットが埋まっていた。


 加奈は恩人で、親友だ。

 

 大切だし、悲しむ姿は見たくないと思っている。


 でもーー同じ人を好きになってしまった。

 これは我儘なんだろう。


 ズル……なんだろう。

 加奈はいまここにいなくて、私は彼女を置いて颯真と仲良くなってる。


 

 颯真は……私を、好きだって言って。

 応えてくれるのかな。



||



「お待たせ〜。待った?」

「いや、俺も今来たとこ」

「あ、モテる人がよく言うセリフ」

「どんな偏見だよ」


 十月二十日、土曜日。

 秋の真っ只中ではあるが、気温は大分低くほぼ冬と言って差し違いなかった。


 本日は美香との待ち合わせだ。


 今日は某アミューズメント施設にきている。中学生にとってはまあ普通のデートスポットだ。


「服、可愛いね」

「あっ……そ、そう?」


 一目で注目を掻っ攫うほど、今日の彼女はおしゃれに着飾っていた。実際とても可愛らしい。


「うん。スカート、珍しいし」

「……今日はその気分っていうか、たまたまだから……」


 俺の指摘に彼女はほんのり顔を紅潮させた。

 

「何から遊ぶ?」

「……んー、カラオケ?」

「うん、そうしようか」


 軽く会話を交わし、予定を決めたところでカラオケに向かった。


 フリータイムで、ドリンクバー付き。あと、ワンオーダー制なので何かしらをオーダーする必要はある。


 一室に入ると、肌寒くなってきた外よりやや暖かく丁度いい温度だった。


「先に歌う?」

「あー、私先に歌うのは緊張するかも」

「そうなんだ。じゃあ俺先歌うよ」


 ひとまずある程度有名な曲をを入れておく。


 実際は結構色々聞いてる上、一人の時や男友達と歌う時はボカロやアニソンも歌うのだが、今回は控えておく。


「〜♪」

「おお上手い上手い」


 腹に力を入れて、一曲歌い切る。

 点数は……八十九点だ。


 確か九十点以上が上手い人のボーダーラインだったっけ。

 あまり難しい曲じゃないので、平均的な点数だろう。

 

 ……もう少し練習すればよかったか。

 ちょっとカッコいい所を見せたかったのは、男の(さが)だと思うことにした。


「次、入れてる?」

「うん入れてるよ」


 彼女がマイクを持ち、立ち上がる。

 画面に曲名が浮かぶ。


「あれ、この曲」

「うん」

「何か意外かも、この曲知ってるんだね」


 俺はとても好きな曲なのだが、女子高生が知ってるタイプの曲じゃないし、どちらかというと若干マイナーよりな曲だ。


 しかも相手はスポーツ少女の美香。口から溢れるように、意外だと思ってしまった。


「前に颯真が好きだって言ってた曲だから、聞いてみたんだよね」


 不意に出たセリフにドキッとさせられる。


「~♫」

「上手っ!」


 可愛らしい声とは裏腹に、しっかりと音を捉えていて、歌い方も上手い。

 力強い声だったり、広い音域だったり。


「やった!」

「九十二点って……凄いな!?」

「ふふん、でしょ?」


 少しわざとらしく、ドヤる彼女。


「うん。可愛いよ」

「ちょっ……う、歌褒めてよ。……馬鹿」


 画面に表示される九十二点の数字。


 自分自身歌が上手い方ではないので、歌が上手い人は尊敬する。憧れの人ーー小鳥遊 優彩が歌手だったから、という部分も関係していない訳ではないが……。



 その後、三時間ほど歌い、食べ物も頼んで小腹を満たしつつ部屋を出た。


「楽しかったよ。次、行こうか」

「ほんと、久しぶりにたくさん歌ったなぁ。誘ってくれてありがとね?」

「そう言ってもらえると嬉しいよ。クーポン貰ったしゲーセンにでも行く?」

「良いよー」


 軽い雰囲気で決め、ゲーセンエリアへと赴く。


 基本的にUFOキャッチャー系が多く、ゲームなどは奥の方にあるのだろう。後はエアホッケーが設置されていたりする。


「色々あるね……どれからやりたい?」


 適当に周りながら、隣の美香に尋ねる。


「じゃあ私、あのぬいぐるみ狙おうかな」

「お、良いね。俺はちょっと両替機に行くよ」


 そう言って二手に別れる俺たち。

 千円くらいで良いかなと思いながら、機械に千円札を入れる。



 最近、金銭感覚を大切にしなければならない、と強く感じている。これ以上は使わないようにしよう、と音を鳴らしながら落ちて来た小銭を見ながら思った。



 ジャラジャラと出てきた百円玉を回収し、美香の元へと戻る。


「あー!!」


 美香が声を上げていた。


 先ほど「百円を入れてね!」と明るく言っていた台の音声が「残念〜!!」と言っている。というか、機械に煽られてる。


 見た所、取れなかったのだろう。


「どう?」

「三百円消えた〜!」

「あー、まあそんなもんだよ」

「うわ、悔しい〜!」


 可愛らしく悔しがる彼女に俺は提案する。


「俺も一回挑戦していい?」

「えー、うーん……いいよ?」

「ちょっとはカッコいいと思って欲しいし」


 百円玉を投入し、→のボタンと↑のボタンが点滅し始める。

 

 そして意を決してボタンを押した。

 

「お、どうかな?」

「これで取れたら、何か悔しいかも」

「えぇ……欲しいんじゃなかったの?」

「達成感がないよ、達成感が」


 設置されたアームが、ゆっくりと降下して狙っていたイルカ系のぬいぐるみを掴んだ。

 

「おっ」

「ぅ」


 一緒に遊んでいる筈なのに、対照的な表情を覗かせる二人。

 そしてアームがゆっくりとイルカを持ち上げ始めた。


 やがて持ち上げ切ると、アームが上昇を止めたが、しかし同時にぬいぐるみも落ちてしまう。


「あちゃー、ダメかぁ」

「惜しー! でも、そうだよね! 一発じゃ難しいもんね!」


 隠しきれていないが、内心、美香は嬉しそうだ。


「なんか嬉しそうじゃない?」

「そ、そんな事ないよ……」


 負けず嫌いなところがあるから、同じ台で遊ぶと言うよりかは近くの台で遊ぶのが良いのかもしれない。


「俺は隣のこれやるよ」

「じゃあ、私もこれ取れるまで続ける!」


 言いながら、俺は隣の台に移った。

 


 そして二十分後。


 俺たちは時間を確認して店舗から出た。


 成果は特になし。


 おかしい……と美香がへそを曲げながら不貞腐れていた時は、思わずクスクスと笑ってしまった。


 外に出ると、頬に風が吹きつく。


 空は少し暗くなり始めていて、夕陽へと変わっていた。何だかんだ四時間くらいは遊んだだろうか。

 

「さてと……後は帰るだけかな。駅まで歩こうか」

「そうだね」


 二人で歩きながら、何気ない雑談を交わす。


 学校での話。週末中に出た課題の愚痴。今日のカラオケでの思い出深いシーン。食べたポテトの感想。好きな音楽の話題。


「あ、喉渇かない? ちょっとその自動販売機で飲み物買いたいんだけど」

「うーん、私はあんまりだけど……あ、でも全然待つよ?」

「ありがとう。ちょっとだけ待ってね」


 小銭を投入し、水を購入した。

 最近水の値上がりもあってか高いな、といった感想を抱く。


 百円玉一枚と五十円玉一枚が消えた。


 それから口を付けて水をグビグビと飲む。


「ちょっと飲む?」

「え、あ、うん」


 あたふたしてまう彼女を見てクスクス笑ってしまう。


 それが余計羞恥心を煽ったのか、彼女は「やっぱりいらないから!」と照れたようにガシガシと俺の脇腹を突きながら断った。


「痛い痛い」

「もう」


 割とダメージがあり、彼女の手を掴む。

 そこでようやく止めてくれた。


 それでも足の動きは止めずに歩き続ける。


「……手、離さないの?」

「んー、柔らかい手だしなー。離したくないかも」


 曖昧な相槌を打って誤魔化す。

 けれど、「……何言ってんの」と突っ込む彼女もまた、手を離す様子は無かった。


 気づけば夕陽は落ちていて、真っ暗になった空には小さく月が浮かんでいた。

 

「そういえば、月、綺麗だね」

「どっちの意味、それ?」

「んー、今回に限っては普通の意味かな」

「そうなの?」


 反撃に出るように、彼女は顔を覗き込みながら揶揄うような仕草で挑発的な顔をした。

 その言葉に心が跳ね上がり、胸のトキメキを自覚してしまう。


 俺の思い違いでなければ、美香は俺のことを大切に思ってくれている。


 一体俺の何を評価して親密にしてくれているのか、と聞きたくなるがそんな勇気も出なかった。


 なのにもしかしたら両片想いなのかも、という観測的な希望が変な期待を自分に抱かせてしまう。



「あのさ、美香」

「なーに?」


 彼女の寵愛を受けたい。

 

 不意に心の底から湧いた本音を形にしてしまった。頬が赤く染まるのを感じながら、告白の言葉を考えてみる。


 でも、あんまり照れくさいセリフも思い浮かばない。


「美香、あのさーー」

「……颯真」


 言いかけた瞬間、美香が遮った。

 俺は思わず言葉を引っ込める。


「私と、付き合わない?」


 そう言ったのは、美香の方だった。

 どくっ、どくっ、と心が激しく脈打つ。


 美香は俺の何に魅力を感じたのだろうか。

 分からない。


 美香はどんな俺を愛してくれているのだろうか。

 分からない。

 

 俺は美香の事が好きなのだろうか。

 分からない。


 俺は愛情を教えて貰わなかったから、この感情が愛だと信じられない。


 ……心が脈をうつ。


 美香の目が俺の視線を奪った。



 思い返せば、最近はずっと美香が隣にいてくれたような気がする。


 彼女はずっと魅力的だった。ただ一人、友達にさえ距離が必要だと思う中、彼女だけは踏み込まれても良いと思った。



 好きが、まだ分からない。

 

 でも一つだけ分かるのは。


 俺は……彼女が欲しい。

 独占欲。それに似た強い感情が頭を回る。


「俺も付き合って欲しい。……ごめん、今俺も言うつもりだったんだけど。先譲っちゃったかな」

「……そう……だね」


 美香は嬉しそうながらも、少し不安そうな顔をする。

 その些細な感情の変化に気づかず、俺は満たされた心のままお礼を述べた。


「ありがとう、美香」

「それは……こちらこそ」


 どこか返事がはっきりしないのは、きっと照れているせいなのだと思う。そういえば彼女の頬も赤い。


 そう思うと、急に今までよりも彼女が何倍も可愛いと思えた。

 今までも可愛いとは思っていたはずなのに、前の何倍も彼女が愛らしいと思える。


 幸せを感じた。

 とても嬉しくて、楽しくて。緩んだ頬を戻すのが大変なくらいに。



 愛おしくなって、自分の欲を満たしたくなる。

 あの日からずっと求めていた物。生きている理由。



 人肌の温もり。

 抑えきれないほど、それが欲しくなった。



 美香に体を向けた。

 彼女もまた、向き直る。



 俺の表情を覗き込み、彼女は何かを察したように目を閉じた。


「キスする? ……良いよ」

「……あ、うん。あ、でも初めてだから、上手くできないかも……」


 見透かされたような目を向けられ、しどろもどろになる。

 そんなに物欲しそうな目をしていただろうか。


「私も初めてだから気にしなくて良いよ。颯真はいつも完璧にやろうと頑張りすぎ。ていうか、付き合った直後にキスする? 普通」

「そ、そういうもんじゃないのかな……? ほらフィクションだと、そうだし……」

「……颯真って意外と子供っぽいとこあるよね」


 美香はそう言ってクスッと笑う。 


 彼女の曇った目に気づきもぜずに。


 その目が閉じられたのを見て、俺は緊張で震えながら。

 腕の中の美香を優しく抱きしめて。


 そっと、その柔らかな唇に口付けを落とした。









「あーあ」


 スピネルが、小さく呟いた。


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