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36話 叶わぬ恋



 ノーブルヴァンパイア。

 それが私の今の種族だ。


「みんなお疲れ」


 颯真様に声をかけられ、各々が返事を返す。


「マスターもご苦労だ」

「お疲れ〜」

「マスター、うまく出来てたかしら?」


 白狐がビシッとした態度で、フェリスは気安い態度で。

 そしてアンナは一気に颯真様との距離を詰め寄り、上目遣いで聞く。


「おう、みんな上手く出来てたぞ。リリィもナイスだ」


 そう言いながら、ハイタッチを求めてくる颯真様に躊躇を覚える。


 アンナに詰め寄られている癖に、全く気にせず私の元へ最初に駆け寄ってくる辺りが憎らしかった。


 私の手は血で汚れている。


 颯真様には不快な思いをさせてはならないと言う本能と、マスターを拒否することも出来ないというジレンマが私をせめぎ合う。


 ……だからだろう。

 颯真様が求めてくるハイタッチに、答えも出せずに固まってしまっていた。


 すると颯真様は渋い顔をしている私を見て察したのか、彼は自分の掌を見せた。


「気にすんなって、俺の手も血まみれだから」

「……返り血ですよね?」

「もちろん」


 ……まあ、でなければ見せてこないですよね。


 私はそう思いながらも、戦闘に参加してくる颯真様に危機感を覚えていた。

 呆れたように、私は言葉を返す。


「颯真様、流石に危ないので戦闘に参加する頻度をもう少し控えてください」


 私が忠告するようにそういうと、彼はバツが悪いような顔をした。

 自覚はあるのだろう。


「そうね……マスター、私も流石に危ないと思うわ」

「うんうん、いくら何でも危険だよね」


 アンナとフェリスが賛同の声を上げた。

 

 アンナは確かな心配の気持ちを蒼色に輝く瞳に宿していたし、フェリスも尻尾を揺らしながら賛同するように強く首を縦に振っていた。


「ん〜、いや、でもさぁ、足止めとかヘイト役とか色々貢献出来てるだろ……?」

「そういう話ではなくて……そもそもおかしいんですよ、颯真様が戦闘に参加してこようとすること自体。怖くないんですか? こないだだって、腕をやったじゃないですか」


 私がそう言うと、何を思ったのかフェリスが割って頭を下げた。


「ご、ごめん……」

 

 責めるつもりはなかったのだが、例を出したら、フェリスが責任を感じたようで申し訳なく謝っていた。ちょっと空気が気まずくなる。


「あ〜。確かにケルベロス戦は激戦だったなぁ……」

「逆によく動けましたよね」


 あれは本当に酷い怪我だった。


「戦闘中はハイだったから麻痺してたけど、二度と体験したくないな……」

「当たり前ですよ。そもそも二度と体験させる気はありません」


 使徒である以上、マスターを守れないなどあってはならない。

 そもそも主従関係を抜きにしても、颯真様が痛がっている所なんて見たくないのだから。

 

「まあ、でも、ああいうイレギュラーなんてそうそうないだろ? 普通の戦闘だと大して手傷は負ってないはずだぞ」

「いや、そう言いつつこの五ヶ月で何回イレギュラーに遭遇してるんですか!そのうち颯真様がポックリ逝っても驚けません!」


 言いながらも、正直分かっている。

 颯真様は戦闘を楽しんでいた。それこそ、どこか狂気を感じるほどに。


 ……弛まない闘争心から来るものなのか、何かの渇望に駆られているのか。


 初めて会った日に、颯真様は異空で命を賭ける理由を、生活の為であり、同時にトップに立ちたいという渇望の為だと言っていた。



 けれど、今はどこか違う理由がある気がする。


 ……私は颯真様をあまり知らない。分かったことこそ、この数ヶ月関わった中でたくさん出来た気がする。


 けれど、それでも表面の層しか見えていない気がして。本当の彼の奥底は想像の何倍も深い気がするからこそ、覗き込むことさえできなかった。


「颯真様は、戦闘に参加するの……辛くないんですか?」

「まあ、辛くはあるっちゃあるけど、でもそれ以上に物凄く充実感があるから」


 不敵にそう笑う颯真様に、焦燥感が心を駆け巡るような感覚に襲われた。

 きっと、このままではダメだ。


 颯真様を守るために、彼に逆らって、彼に方針を変えるよう進言するしかない。


 ……だって、あんなに痛い思いをしたのに。


 使徒と違って、颯真様は人間だから痛みを受けないはずの、受け慣れていないはずの人なのに。



 心配と不安が湧き上がる。



 何より、大した手傷は負ってないというものの、彼は戦闘の度に浅くとはいえ刃物や鋭い爪で肉を切り裂かれているのだ。ダメージは回復薬で簡単に直せる程度だが、痛むだろう。



 ある時、私が「痛くはないのですか」と問いかけると彼は「痛くないよ」と即答した。そんなのは嘘だ。やっぱり痛いものは痛いのだろう。私にはその気持ちがよく分かった。



 でも、と彼は続けた。「痛みに、慣れたいんだ」そういった彼に、私は言葉を返せなくなった。



 颯真様は後ろで安全に指示をすれば良いのに。

 私が、守ってあげるのに。


 そう強く思ってしまったのは、全部私の我儘だった。


「っ、颯真様はーー!」

「じゃないと、リリィを助けられないだろ?」



ーーお前が一人で勝てないのなら、俺がいつだってそばにいて助けてやる! 約束だ!



 彼の言葉が蘇った。


 それは、私たちだけの約束だった。ナナと私と颯真様のたった三人だった時に、初めて交わした大事な約束だった。


 あの言葉に救われた。

 あの言葉で変わる事ができた。

 あの言葉で、諦めないことができた。



 ……まさか、あの言葉が。



 呪いになっているのだろうか。

 


「……颯真様、勘違いしないでください」

「え?」

「もう仲間も増えたんですから、颯真様が助けてくれる必要はないんです。今、こんなに沢山の仲間が出来ました。だから、あの約束は全部忘れてください」


 きっと、同じ情景を思い浮かべているのだろうと思った。


 それくらい……あの時の約束は、お互いにとって大切で、初めて踏み出せた一歩の大事な足跡だったから。



「うん、……でもいざとなった時に君を助けたいから」


 

 言葉とは裏腹に、表情で分かった。

 彼はきっと、約束を忘れてはくれないのだろう。



 ……でも、何故彼は『君たち』ではなく『君』と言ったのだろう。



 何で?

 私と交わした約束だから?

 それとも……私が特別に大切だから?



 そんな考えがよぎった瞬間、私の顔は赤く染まっていた。



 ……きっと今までとは違った、恥ずかしさだった。



 喜びと恥ずかしさと、愛おしさがごっちゃ混ぜになったような感情が私の全身を満たす。



 今まで感じてきた感情とは違っていて。

 とても、心地よくて、暖かくて。

 


 颯真様に、安全でいて欲しいと思うのは、彼が大切だったからだ。

 颯真様を私が守らないとダメだと思うのは、彼に傷ついてほしくないからだ。


 使徒としての使命感ではなかった。

 だって、使命感なら、こんなに心が張り裂けそうな苦しい愛情は混じっていない。



 颯真様は私にとって特別な存在だ。

 私は彼に、恋をしている。過ごす時間が増える度に、はっきりとそんな自覚が増えていく。


 彼に恋をしている意味が、禁忌に触れている感覚が、形容し難い感情を形作っていく。


 ……きっと、これは心のイレギュラーだ。

 それに、私は上手く蓋をして、自分でも気づかないように大切に心にしまう。


 

 颯真様は、私に振り向かない。

 人間マスターは、使徒を愛してはくれない。


 きっと彼には普通に人間の恋人が出来て、私はずっとこの一方通行の片思いを抱え続ける。



 彼は画面越しにいるみたいに、絶対に私の方に気づいてくれたりはしない。


「馬鹿ですか、マスターは」

 

 だから、私は、照れを隠すように颯真様に顔を見られないよう、下を俯いて目元を前髪で隠しながら。


「……」

「?」

「ばか」


 彼の手首を傷つけたくない想いから優しく、されど不安から強くーー握りしめたのだった。

 




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