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32話 罪



 最近、悩みが増えたような気がする。

 満たされているはずなのに、何かを見落としているような、そんな感覚だ。



 そういう時は、自分を肯定してくれる存在を思い出す。

 自身の使徒達から向けられる、信頼の眼差し。俺はそれが、心の支えだった。



「姉さん」

「何?」


 晴れやかな朝、暖かな陽射しが部屋を照らす午前七時ごろ、テーブルには俺と姉が座っていた。


 トーストで焼かれたパンが二枚と目玉焼き、ソーセージ。マグカップにはコーヒーが一杯入っていた。


「ジャム無かったから買い足しといたんだけど、苺ジャムで良かった?」

「えぇ……ブルーベリージャムが良かったなぁ」

「……我儘だな。あま○うの奴だから、高かったんだけど」

「じゃあ嬉しい」

「……おい。まあいいや、取ってくるよ」


 そう言って部屋に向かう。


 部屋は綺麗にしてるだけあって清潔だったのだが、乱雑に床に置かれたリュックと買い物袋が、前日片付ける暇もないくらい疲労していた事を表していた。


 袋から目的のモノを取り出し、リビングに戻る。


 狭いアパートの一室だ。姉の稼ぎが高く無い中で、良い家に住まわせてもらっている事には感謝と共に、心苦しい気持ちもあった。


「あれ、これ高い奴じゃん。そんな金あったの?」

「まあ最近ちょっと貯めてたから」

「……ちゃんと貯金もするんだよ? お金はほんと大事なんだから」

「うん」


 重い空気にならないよう、日常会話のように喋る姉に合わせる。

 そんなの分かってる。そう思いながら。


「あのさ、颯真。……使役師にだけはならないでね?」

「……またそれ?」


 少しうんざりしながら、俺はいつもの彼女の言葉を聞くことにする。


「私はさ、いつだって颯真がふと私のあとを追いかけてくるんじゃないかって心配してるの。颯真、私のこと大好きだし」

「……おい。いつそんな事言った」

 

 あながち間違いではないとも思うが、それは単に姉さんに数え切れないほどの恩があるからだ。


 俺たちは兄弟で、家族だ。

 でもーー不干渉でいた期間が長すぎた。


 心の底ではきっと、俺たちは互いに他人なのに。


「それとこれは別だろ。大体、姉さんこそ俺の事は好きじゃないのか?」

「……まさか。愛してるよー、颯真」


 彼女は一瞬、言葉に詰まってから笑みを向けた。


 多分、彼女の言葉は嘘なんだと思う。


 それは俺の推測にしかすぎないけど、でも彼女の目を見る度にいつも、あの日の言葉を思い出す。



ーーごめんなさい


 俺を助け出してくれた日、俺を置いていった姉さんが、罪悪感に塗れた様子で謝罪を繰り返していた日を。


 ……贖罪と愛は違う。


 目を逸らすように俺は言った。


「そもそも姉さんは、俺が使役師になろうがなるまいが、関係ないじゃん」


 思わず、本音の混じった言葉が口から溢れでる。

 そんな俺の言葉に、姉さんは素早く否定の言葉を入れた。


「……っ。違うよ……? 私は颯真が心配だから、違う。大切だから、使役師にはなって欲しくない。絶対に……死んで欲しくない」


 姉さんは俯きながらそう言った。

 冷たいほど澄んだ心で、俺は思う。


 本当に……?

 俺から見た姉さんの目は、ただ他者に依存しているだけの目だ。


「……」

「ねえ」


 俺が黙っていると、姉さんは唐突に口を開いた。

 

「何?」


 問い返すと、一息置いて姉は真剣な顔になる。

 多分大事な話をするんだろう、と思って俺は身構えた。

 

「話は変わるけど、お父さんとお母さんは好き?」

「……嫌いになったよ」


 慣れた答えを出す。


 その答えが本心なのかは、俺にも分からない。目を逸らしているから答えと向き合えないのだ。


「そう……。良かった」


 両親は嫌いになった。

 思い返せば、思い出の一つや二つなんて幾らでもある。

 

 四歳の頃、母親にダメ元でねだったら袋の飴玉を分けてくれた事。

 七歳の頃、父親に一生懸命考えたネタを披露したら笑ってくれた事。

 九歳の頃、母親に風邪をひいて寝込んでいた時、出来立てのお粥を作って貰えた事。


ーーでもそれ以上に。


 殴られた時の痛み。失望されたような顔。兄と比較され、吐かれた溜息。

 そして何より。


 ……異空災害の時に、見捨てられた絶望。


 辛い記憶が真っ黒なペンキになって、セピア色の思い出の全てが台無しになるよう塗りつぶされている。


 両親は最低限、親として学校に行かせてくれたしご飯も用意してくれた。本当に偶には普通の会話を交わしたし、偶には兄のオマケとはいえ映画やご飯に連れて行ってくれた。


 こんな思い出に縋る事だって出来る。でも縋るわけには行かないのだ。そうしたら、本当に苦しくて嫌で泣いていた時の自分を裏切る事になるから。……それは嫌だ。


 姉さんが親は嫌いになるべきだと、長い時間をかけて教えてくれた。好きでいると辛いから、自分を騙せって彼女に言われて。何だかんだ今は感謝しかない。


「姉さんのおかげだよ、ありがとう」

「気にしないの。確認しただけだから。ねぇ、颯真」

「何?」

「私は色々教えることが出来るよ。人生の先輩だから。……でもね、いつも言ってるけど。颯真は絶対に、自分の道を自由に歩いてね」


 いつも聞いている姉の言葉は、どうしてか普段と違うように聞こえた。


 姉さんが掛けるその呪いは、聞くたびに俺の心をズキズキと傷ませていた筈なのに。

 今日は驚くほど、何も痛みを感じない。



 何故だろう……そう考えて、俺は答えが分かった。



 ああ、そうか。

 俺はもう自分の道を歩き始めたからか。



 使役師を始める前は、あんなにも姉さんの依存していた醜い寄生虫だったのに。


 お金を稼いで貰ってるくせに、その苦労の一欠片も知りやせずに、無知のまま喧嘩をしてしまって。


 その時に現れた俺の本性は、自分の心配ばかりで。姉さんに対する気持ちがあまりにも薄い事に気づいてしまって。


 そんな自分が嫌いで、何かを変えたくて、俺は使役師になった。



 姉さんにすら嘘をついて、危険にばかり飛び込んで。

 自分の足で立って、地面の感触を確かに感じたその日から。


 俺はあの日ーー自分の足で歩き出したんだ。



「……姉さんこそ」

「え?」


 ボソッと呟いた時、何も自覚がないのか、無邪気にそう聞き返してくる己の姉が。


「……何でもない」


 そして姉さんに指摘する事も出来ない自分自身の情けなさが。

 酷く哀れに思えて堪らなかった。



 いつか、俺も。自分が姉さんや、他のみんなに救われてきたように。

 姉さんを救えるのだろうか。






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