31話 休日
トントン、とリズムに合わせて指が一人用の木机を叩く。
パソコンと繋がれた無線ヘッドフォンから流れる歌が耳を満たしていた。
俺は歌を流しながら、パソコンで資料を調べていていた。
画面には使役師用のアプリが開かれており、自分のアカウントで口座を確認している。
ズラッと並ぶ査定品、査定額、購入品、購入額など。
「二百十万………普通ならとんでもない額なんだけど」
使役師を始めてから四ヶ月。既に三十回は異空に入っただろうか。
「二千四百万円なんて溜まりそうにないなぁ……」
最強の使役師への近道ーー対異空高校の三年分の学費。
特待生枠などを使わずに自力で入学する場合は、入試とこの学費という条件をクリアしなければならない。別名金持ち学校とも呼ばれるだけある。
勿論選抜式を勝ち抜け、特待生枠として合格すれば良いのだが……。
そうできなかった場合を、考えない訳にも行かない。
節約かぁ……。
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少し肌寒くなってきたのは、気温が下がって冬になりつつあるからだろう。
そういう季節の変化が顕著に現れるのは、服装の変化だと俺は思う。
衣替えの良さというのは、やはり身近な人の変化によって感じられるものだろう。……ところで、俺が何故そんな思考に至ったのか。
それは目の前に現れた彼女ーー美香の格好が、唖然としてしまうほど可愛かったからだ。
「どうかな?」
おめかしの感想を求められ、俺は期待が籠った眼差しを感じ取る。
短めのスカートでしっかりと着飾った彼女。
秋なのに肌面積が多く、その格好の節々から確かな色気が感じ取れて、鼓動が嫌というほど高鳴る。
「……めっちゃ可愛い」
素直な感想が口から溢れる。
正気に戻った俺は少しか恥ずかしさを覚えながらも、真正面から褒める事に迷いはなかった。
「そう? ……良かったぁ」
駅の改札口前で合流した俺たちは並んで歩く。
こうやって二人きりで遊びに出かけるのはすっかり慣れたものになってしまった。
俺と美香は歌の趣味が合うので、基本的にカラオケという口実で出かける事が多い。それ以外で言うなら先月映画を見に行ったくらいだ。
商店街を歩く俺たちは互いに楽し気に会話を弾ませていた。
「もう十月だし、結構冷え込むようになったよね。美香、寒くない?」
「うん、私は平気かな。あ、でも行く前にコンビニ寄っていい? ちょっと喉乾いてて」
そう言いつつ、彼女は向かいにあるコンビニへと渡ろうとする。
そんな彼女を見つつ車道側を歩いていた俺は、自転車が来るのを察知して彼女を手で制した。
「待って、自転車来てる」
「え?」
かなり距離があった為、恐らく接触するような事はなかったのだが念の為のリスクを考えて止めてしまった。
「ごめん、念の為ね」
少し過保護な事を言ってしまっただろうか。
最近、自分の感情や行動に違和感を覚える。
美香と接する時の自分の性格の変化。自分の優先度より、彼女の優先度が高い感覚。
初めて抱く感情だった。
これを何と定義すれば良いのか俺は分からない。
「うん、ありがとう颯真」
でもどうしてだろう。
この胸が高鳴る度、美香の事で頭が一杯になる度、異空で出会う彼女達のーー特にリリィの顔が横切ってしまうのは。
俺が抱いているのは、何なのだろう。
幸せと共に押し寄せるこの罪悪感は。
違う。
俺は彼女達に、心を惹かれてなどいない。
だって、使徒に恋をするなんてーーありえない。
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「白石さ〜ん、お疲れ様です」
「あ、マネージャー」
白石と呼ばれた高校生くらいの女の子が、女性から声をかけられる。
「収録大変だったー」
椅子にぐったりとへたり込んで、疲れた様子を見せる白石。そんな彼女の様子に、担当のマネージャーである女性は元気づけるために笑って話す。
「白石さんの伸びは最近凄いですからね。順調に歌手としての道を駆け上がってますよ」
「ありがとー。ま、でも登録者はまだ二万人くらいなんだけどね。事務所に所属してから一年でしょ? ちょっと物足りないよね」
白石は苦笑いをしつつ返す。
彼女は自分のチャンネルを見ながら、今までの投稿された動画をスクロールしていく。活動を始めてからもう一年。
チャンネルの動画本数もショーツに重きを置いているとはいえ、いよいよ百本に突入しかける所だった。
「まだまだこれからですから。ウチは大手でもありませんし。それに白石さんは、しばらくはオフですよ。ゆっくり休んでくださいね」
「ま、でも学校があるから休んではられないかも」
学業と歌手としての活動を両立させるのは本当に大変だった。
今までの苦労に耽っていると、横でマネージャーがヘッドホンを付けて先ほどの録音を聞いていた。
「にしても、白石さんは本当に表現力が素晴らしいですよね。感情の乗せ方が上手くて……流石はウチの歌姫ーーKANAですよ」
マネージャーの女性は、心の底からの賛辞を白石にかける。
それは彼女も間違いなく、白石加奈という中学生歌手のファンであるからこそ自然と舌が動いて溢れた言葉だった。
「ありがと」
「……白石さんは、歌ってる時って何を意識してるんですか?」
少し照れくさそうに白石が賛辞を受け取ると、マネージャーは純然たる興味からそれを聞く。
「んー」
少し言いづらそうにする仕草を見せた白石は、しかし迷いつつも口を開いた。
「好きな人のことを考えてる。彼に向き合う度に、自分に対してドロドロした感情が溢れ出すから」
「えっ……」
予想もしなかった彼女の返答に、マネージャーは唖然とする。
特別恋愛を禁止していたりはしないが、その返答は彼女のメンタル面のケアとして放っておけない。
「ずっと忘れられなくてさ。もう二年以上会ってないんだけどね」
「……そんなに特別な方なんですか?」
マネージャーは驚きつつ問いただす。
まだ中学三年生の女の子がーーそれほどまでに見せる燃え上がるような執着。
一体どのような人物なのだろうか。
「そりゃ、特別だよ。私の事を一番理解してくれて、優しくて、カッコよくて……私が誰よりも憧れてる人」
「……ベタ惚れですね」
白石加奈の見た目は贔屓目に見ても、かなり美しいとマネージャーは思う。最初はアイドルとして売り出した方が売れるんじゃないか、と思った程だ。
でも彼女の歌を聴いて、それは止めた。
彼女は偶像の方が良い。幻想的で、この世の物とは思えなくて、美しくて、人を魅了させてしまう歌声を持っている。
彼女の歌に比べれば、彼女の整った容姿でさえあまりにもーー足りない。
そんな彼女が。
憧れる人物。
「……颯真君は結構弱い人間だよ。自分に自信がないし、結構人見知りだし、何より防御力が低いから、自分を好きって言ってくれる人にすぐ好意を抱いちゃう浮気体質」
「えぇ……」
マネージャーの女性は、抱いていたイメージと全く違う男性像が出され困惑する。そんな男のどこが良いのだろうか。
「でもね……頭が良くて、何より異常なほど人に優しいんだ。自分に自信がない癖に、ちゃんと信念があって、他人の意見を受け入れつつも自分の意見とも照らし合わせれる。私は弱いけれど強かな彼が好きなの」
「……」
けれど、そんな杞憂は一瞬で消え去る。
その相手を語る彼女は、今までに見たことのない程に乙女の顔をしていたから。
「それに人見知りの癖に、行動力とか判断力があってさ。私に話しかけた時もそうだった。自分は人見知りの癖に、そんなの全部棚に上げて私の手を取って不恰好に助けようとする人だった。ーーあんなにも自分の弱さを憎みながら、私の弱さに優しく寄り添ってくれる人は……世界で彼しかいないよ」
怒涛の勢いで、語る彼女。
重すぎる感情だが、しかしそれが彼女の歌の表現力に役立っているのだろう。
「そう、ですか」
「ずっと連絡を取れてないのは残念だけどね。結婚の約束もしたのになぁ……でも、いつかまた絶対再会できるよ。彼は救いを求めてる。そして彼を救えるのはーー多分、私だけだから」
その深い闇を宿した目は、かつて一世を風靡した使役師兼歌手ーー小鳥遊 優彩にも似ているとマネージャーの女性は思ってしまう。
「でも最後に会ったのが二年以上も前なんですよね? 再会する時、その子にもう彼女が出来てたらどうするんですか?」
中学生の彼女の想いは健気で可愛くも思えるが、それはそれとして相手がそうとは限らない。
そんな純粋な気持ちからでた言葉だったが、マネージャーの女性はすぐに己の失言に気づいた。
「え、別れさせるけど? 彼は私だけの物だから」
選択としては正しいのだろうが、重い……!
何がこんなにも彼女を歪ませてしまったのだろうか。
新たなる悩みの種を発見したことに、マネージャーの女性は喜ぶべきなのか悲しむべきなのか分からなくなっていた。




