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29話 フェリス



 今日は木曜で、俺にとっては学校終わりの異空探索である。



 選抜式まで残り二ヶ月を切った。

 そこで優勝する為にも、まだまだ強くならなければならない。



 最近は週で二、三回程度のペースまで異空探索の回数は増えているしやっぱり少し疲れを感じたりもする。


 今回は普通に第一異空の探索だ。二十二層からのスタートで、出来れば二十四層までは降りたいと思っている。


「んっ……」


 この冷えた水が美味しく感じるのは、周りが草原で気温も少し温かいだからだろう。一面に広がる草原の中、温かい風に乗った草が頬を掠めていく様子は日本では体験できない筈だ。


 さて、探索自体は順調なのだが、一つ俺には気掛かりな点があった。


「なあフェリス」

「……うん、何?」


 そう、この可愛らしい猫の存在である。


 髪はショートカットの茶髪で、猫の耳と尻尾が付いている獣人だ。見た目は猫要素は薄く、ほぼ人間である。フランクな喋り方で、一人称を『僕』に変えたら立派な僕っ子になる気がする。尚、お願いする勇気はない。


「その……馴染めてきたか? みんなとはどうだ?」


 端的に言えば、少し自己主張が薄い点が気になる。勿論彼女は最近加入したばかりだし、馴染むには少し物怖じしてしまうかもしれない、というのは理解できる。


 だがそれはそれとして仲間達と仲良くしてもらいたい。


「みんな良い人だよ。優しくしてもらってるし」


 フェリスはそう答えるが、俺は疑念を抱く。

 確かにリリィ達は彼女に優しくしているのだが、何か引っかかるような気がするのだ。


「そっか。なら良いんだ」

「あ、ごめん。あんまりマスターと話してると怒られるから、そろそろ……」

「怒られる?」


 それは誰にだろうか?


 俺がそう疑問を抱いた時、前を歩いていたリリィとアンナが振り返って、声を掛けてきた。


「何を話しているんですか?」

「あら……どうかしたのかしら、フェリス?」


 少し不機嫌な様子でそう問いかけて来る彼女ら。

 フェリスに釣られて、俺もオロオロとしてしまう。


「何をしている? 足を進めるぞ、マスター」


 そこへ白狐から救いの手が入り、俺たちは事を有耶無耶にしてまた歩き出すのだった。

 


||


 

「やっぱり、何か壁を感じるんだよなぁ……」


 歩きながら、俺は独り言を口にする。

 あれからフェリスと話す機会はなく、次々と穢者を狩りながらようやく一息付けた所だ。

 

 前々から違和感はあったのだが、俺はその正体が徐々に分かってきた。

 

 そう。

 フェリスは中々心の底からの喜怒哀楽を見せてくれないのである。


 例えば、彼女は頻繁に愛想笑いをするのだが、多分心の底からは笑っていない。


 しかしこれも使徒の個性……性格の一つなのかもしれない。要は人見知りの人と同じで、警戒心が高く、打ち解けるのには時間がかかるという事なのだろう。


 

「なあ、フェリス」

「なに?」

「気になってたんだが、その髪飾りって何か効果がある物なのか?」


 俺はフェリスの短い髪に付けられた小さな髪飾りを指差す。先には小さな花が連なっていて、とてもよく似合っていた。


「……ううん、特に効果はないよ」


 彼女は少し言い澱んでからそう答える。

 それだ。そういう些細な誤魔化しを、彼女は頻繁に行う。


 隠す必然性からしても、恐らく効果が無いのは本当なのだろうが、その前に何か伝えるべきか迷った事柄があったのだろう。


 やっぱりそこに一歩壁があるのだと、俺は少し核心に近づく。


「そうなのか、でも似合ってるぞ」


 探りを入れた俺は反応の手応えに気を取られ、雑に会話を振った。

 しかしフェリスは少しだけビクッと驚いたような顔をして、少し早口で言葉を返してきた。


「あ、ありがと」


 少し早まった彼女の返事に違和感を持つ事なく、俺は会話を続ける。


「ああ。フェリスは可愛いからな。でも戦闘に支障はないのか?」


 適当にお世辞を述べながら、それとなく気になっていた事を聞いてみる。


 結構サイズもあるし、激しく肉弾戦をするタイプの彼女にとっては邪魔になるのではないかと前々から気になっていたのだ。


「う、うん……支障はない、けど」


 ほんのりと恥ずかしそうに照れる彼女の横顔に、ん? と疑問を持った所で、俺は口を開こうとする。


「もしかしーー」


 もしかして、こう言う言葉は嫌だったか?

 そう聞こうとして、割り込んで来た声に俺は遮られた。


「颯真様、何イチャついてるんですか」

「ええ、全く。マスターの距離感はどうなってるのかしら」


 二人が来てそれぞれ俺の傍に並んで歩き始める。


「な、何だよ。別に良いだろ……」


 素直に褒めてただけなのに。

 でも確かにちょっと距離が近すぎたのだろうか。


「悪いな、フェリス。もう少しで安全地帯があるはずだから、そこまで頑張ろう」

「あ、う、うん……」


 俺がフェリスに声をかけると、リリィが俺の腕を小突き、アンナが俺の肩にチョップを入れた。二人が間近に来て俺は少し気まずくなる。


「何かようか?」

「何でもありません」

「ええ、そうね」


 二人が俺に攻撃を入れてくる理由をはぐらかされる。


 別に痛くはなく、ただ戯れてくれてるような感じだが、それでもそうされる理由が腑におちずに俺は言い返した。

 

「……距離が近いのは二人の方じゃないか?」


 その言葉に辛辣な答えが返ってくる。

 

「……は? 気のせいです」

「馬鹿言わないでくれないかしら」


 気のせいじゃないような……。


 遠くで白狐の嘆息が聞こえた。こちらを見ながら呆れた顔をしている。


 結局、穢者に遭遇するまで二人の攻撃は止まらなかった。

 


||


 

「良し、休憩しよう」


 その宣言と共に、俺たちはゾロゾロと持ってきたブルーシートの上に腰掛け、一息ついた。


 ここ二十二層は少し暖かい気温だが、風が強い。

 

 その為かブルーシートの端がパタパタと揺れていた。


「皆んなは何か飲むか?」


 俺がペットボトルの水に首をゴクゴクと鳴らしていると皆んなが見てくるので、俺は気まずくなりながらそう言った。


 すると真っ先にリリィとアンナが俺から視線を外した。

 見られてるの、気づいてるんだけどなぁ……。


「使徒に水分補給の必要がないのは、どういう理屈なんだろうな」

「……さあ? でもマスターを見る度、私達が改めて生物を模した偽物だという実感が沸くな」


 俺の疑問に白狐が答える。

 純粋な疑問だったのだが、気に障ったのだろうか。


「あー、悪い。そんなつもりは無かったんだが。使徒の身体の構造に知的好奇心が沸いたんだ」

「……そんなのスピネル様以外知らんだろう。あの人が私らの母なのだしな。まあしかし、スピネル様は道理に反する事象を起こすのが嫌いだと聞いている。何かしら科学的な理由はあるのだろう」

「異空自体が道理に反する事象だけどな……」

「それにも何かしら理由があるのかもしれないがな」


 白狐が吐き捨てるようにそう呟いた。


 恐らくは使徒であり、神からの刷り込みを受けている白狐は俺よりかは何倍もスピネルについて知っているのだろう。


 けれど彼女スピネルを嫌悪する仕草を見せる辺り、どうやら信仰心的なものはないらしい。


 しかし改めて不思議だ。



 スピネル。この世界を作った存在であり、この世界の未来を書いている運命そのものであり、異空誕生の際に姿を見せ、挙げ句の果てには人に力を与えた。



 そもそも実在するのかすら、ハッキリされていない。


 だからこそスピネル教という者が存在し、旧来の神である『セスト』を信仰する者たちと争い、更には無神論者さえ巻き込もうとする。


 一般的な無神論者である日本人としては巻き込まないで欲しいばかりだが、スピネルが日本を贔屓しているという話もある為、どうしても耳に入るのだ。



「フェリスは何か飲むか?」

 

 白狐にインスタントコーヒーのパックを渡した所、押し返されたので俺は気持ちを切り替えてフェリスに問いかけてみる。


 すると彼女は少し無言になった後、コクッと一度だけ首を縦に振った。


 その仕草がとても可愛く思える。


 俺はフェリスの為にこないだも渡したパンプキンスープを用意してやる。

 そしてリリィとアンナにも飲み物を用意した。


 だが鞄からカップを出した場所を見ると、一つしかカップが残っていない。

 後は俺が白湯を飲んだ時に口をつけたカップだけだ。


 入れてたのはお湯だからスープの味に影響はないのだが……。


「悪い、どっちか俺のカップで我慢してーー」

「私が貰います」

「いえ、私が貰うわ」


 結果、衝突。

 彼女達は小声で言い争いを始めた。


「(しつこいわ、リリィ)」

「(貴方もでしょう)」


 俺に聞こえない言葉で喋っていると、自分の悪口を言われているんじゃ無いかと不安になる。 


「(……リリィは、マスターの寵愛を受けてるくせに)」

「(貴方こそ颯真様との呪文が通じてるじゃないですか)」

「(そうよ。羨ましいでしょう?)」

「(殴りますよ)」


 俺は言い争いに発展してしまっていたアンナとリリィの中止に入り、鞄の底を探したらマグカップがもう一つ見つかったので、それを渡す。

 

「えっと……もらうね? マスター」


 俺たちの様子を伺って、飲まずにいたフェリスは俺と目が合うとマグカップに口を付けた。

 

 猫舌だからか、一口飲んでからビックリしたような表情をして、それからふーふーと息を吹き掛けてからゆっくり飲む。


 それから美味しさからか、頬を緩ませる彼女を見て、俺は思った。



(あ、そうか……)


 

 そうだ。

 少し焦っていたのかもしれない。


 彼女は表情こそ硬いけど、でもこういう素直な面を見せてくれる時もあって。ちゃんと時間を掛けながら牙城を解いていけばいいのだ。


 こんなにも素直で良い子なのだから。


 それこそ。

 ゆっくり、ゆっくりと。



 大体、リリィやナナの時の打ち解け具合が異常に速かっただけなのだから。



 俺は自分でも気付かぬうちに頬を緩ませるフェリスを見て、このパーティーを彼女が安心して落ち着けるような場所にしようと、固く心に誓った。





||



「姫花様」


 老練の雰囲気を宿した迫力のある老人が、執事服を着こなして己の主へと膝をつく。胸に手を当て、大人しく返答を待っていると己の主がこちらに振り返るのを気配で察した。


「ええ、スピネル様が来訪なさいます。すぐにご準備を」


 彼女の透き通った一言と共に、そこに控えていた十数人の顔を隠した者たちが散り散りに動き出す。


 その中の一人が姫花と呼ばれた女性の元へ近づき、跪きながら言葉を発した。


「教祖様、今日こそは……」

「分かっておりますわ。しかしあの方は、ここで人々に盲信される事など望まないでしょう。そもそもこの世界の全ての人間は、彼女が彼女の為に生んだ存在に過ぎないのですから。彼女に何かをしてもらうなど、あまりにも恐れ多い事です」


 別の側近らしき女性に話しかけられ、教祖とも姫花とも呼ばれていた女性は矢継ぎ早に説明を為す。その声は美しく、その語りには自然と聞き入ってしまう。


 しかし彼女の語りに意識が解けてしまっていた瞬間、打ち破るような声が響いた。


「教祖様、いらっしゃいました! スピネル様です!」


 その言葉と共に大きな戸が開き、辺りに日が差し込む。姫花も立ち上がり、豪華な着物を揺らしつつ段差を降りながら、来客に膝を付いた。


「いやぁ……だから言っているだろう、ヨミ? 気力が湧かないのさ。ここ最近は本当に大変でねぇ……」

「そう言われましても。貴方がこの世界を紡がないで、誰が……ほら、スピネル様。信徒の前です、シャキッとして下さい」


 二人は教会に足を踏み入れたとは思えないほど、気軽な様子で会話を交わしている。


 しかしここにいる誰もがそれを咎める事なく、むしろ惚れ惚れした様子でその会話を耳に入れ楽しんでいた。


「……おっと、悪いね。ようやく地上に降りてこれてさ。しばらくお世話になるよ」

「はい。数ヶ月ぶりで御座いますスピネル様。少し背も伸びなさいましたか?」


 スピネルは自然と彼女を見下ろしながら会話を交わす。


「あははっ。こことは時間の流れが違うからね。もうあれから二年……私も十五歳さ。何ならもうすぐ十六だね。次に会う時は何歳になってるかなぁ……」

「成長を楽しみにしております」

「一応『原石』君と年齢を合わせれるように世界を作ったんだけどねぇ。ま、地上での年齢なんて自在に変えれば良いから、別に良いんだけど」


 スピネルはそう言うと少女らしい姿から身を変え、あっという間に十五歳ほどの可愛らしい少女へと変身した。


 面影を残しつつも、あの人智を超えた美貌はなりを潜めている。少し可愛い程度の十五歳の少女に見えるだろう。


「そろそろ『原石』君とも接触するよ。私の予想では、彼は恐らく選抜式前……つまり残り二ヶ月ほどの間に、あの三人の中から好きな人を選ぶだろう。そこからだろうね、世界が動くのは」

「彼が選ばなかったらどうするんです?」

「彼の才能は目覚めないだろうし、世界もそのまま滅ぶだけだよ。まあ、あんまり心配はしてないけど」


 ヨミの突っ込みにスピネルは苦笑いをしながら言った。

 それから一息ついて、パンッと手を叩いてから人の視線を集める。


「……さて、悪いけど福音の時間だよ」


 誰もが彼女に注目したのを確認して、そしてスピネルは言葉を切り出した。


「私は神、スピネル。全知全能ではない、人間の神様。鎖を愛する神様であり、この世界の創造者」

「………」


 その語りに辺りが静まり返る。

 それで良い。スピネルは今、他者の言葉を求めていない。


「私は生きている。故に、生きる理由を考え続けている。例えばそれは私にしか作れない、私だから作れる世界を作る事だ。他の神様じゃ絶対に作れない世界をーー。そんな世界を作って、誰かに私という神様を評価してほしい」


 きっと誰一人私の言葉を理解できないだろう。

 そんな思いを秘めながら、スピネルはただ機械のように頷く己の信者たちを見た。


「この世界はどうだ、って。残酷さも美しさも全部ひっくるめて最高だろう、って。私は言いたい」


 私は変わり続ける。

 弱く愚かで無知な私は、生き続ける。死なない限りは、そうであれるのが人間であるから。


「歌手は歌を通して、小説家は物語と文章を通して、自己を表現する。そして私はーー神様は、『死生観』を通すんだ」


 ……でもまあ、私の場合どちらかといえば、人生観が強いかな?

 そう小さく付け足してから、彼女は続ける。


「世界を見てごらん。人の中に偉ぶれるような大層な人間なんて一人もいないのに、皆んなデカい顔してのさばりたがる。知っているかい? 他人を正しく評価出来る人間なんてこの世に一人もいないんだよ。この世界に無知でない存在などいないんだから」


 ああーーだから。


「だから、私が神様になるんだ」


 一人でクスクスと笑ってみせるも、返答はない。

 誰も私の言葉の意味を考えようとしない。


 分からないけど、スピネル様の事だから良いことを言ったのだろう、といつものように盲目な結論に落ち着く。


「姫花、君は何の為に生きている?」

「それは勿論、スピネル様の為に御座います」


 一切の疑いを持たぬずに、心の奥まで心酔し切った様子で姫花と呼ばれた女性はそう答えた。


 その返答を、スピネルは黙って見下ろす。

 彼女が答える事はない。


「……やっぱり宗教は苦手だな」

「貴方一応神様でしょうに……」


 ヨミに突っ込まれて、スピネルは口から言葉を溢す。


「私は宗教にはむしろ肯定的だよ。それに救われてる人は数え切れないほどいるからね。でもね……それとは別として。人は、頭が死ぬよ。考えなければ、それは摂理の様に当然の如く訪れる」


 言葉を吐き捨てたスピネルは、大きなため息を吐いてから風に当たってくると言ってヨミを連れバルコニーに出た。


 手すりに体重を預けながら、そのいつもと変わらない美しい青空を見たスピネルは。

 

「美しいものは、いつだって変わらず美しいから良いんだろうね」


 そう吐き出したのだった。






「……毎度の事ですが、スピネル様ってポエミーですよね」

「うるさい」


 指摘されたスピネルは図星からか、頬を少し赤くした。


明日からは一日一本投稿になります


現在別の作品を執筆中ですが、こちらの作品は後三十話ほどストックがあるので心配せず応援してくれれば幸いです。

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