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28話 白妙の妖狐



ーー白狐ーー




 辛いとか、苦しいとか、そう言う感情は何処にもない。

 私は生きてなどいない。


 いや、正確に言えば生きてるとも言えるのだろう。



 私は穢者だ。



 肉体を脳で動かせる。

 その点で言えば、動物とも言えるかもしれない。


 けれど、食事は必要ない。

 水も睡眠も排泄も着替えも必要ない。


 異空のシステムが補っているのか、元々そう言うモノなのかは分からないけれが、とにかく私達は一般的な生命体とは違った。


 私達の死は他の生物と異なって、存在が許されるのは異空エリアの中だけだ。



 それでも構わない。

 私がどんな道を歩もうと、どんな末路で生を終えようと、それは私が決めることではない。


 

 私は生に執着し、死に怯える。

 けれども生を恐怖しながら、いずれ死を受け入れるだろう。


 

 私は怪物だ。

 何故生まれたのかなんて疑問は考えなくなった。



 その方が、人生というのモノは楽になるから。



||


 季節は九月下旬。夏も終わり、少し涼しくなってきた頃合いだ。

 しかし、そんな外界での話など関係ない。


 何故なら異空には季節など存在しないからである。


「マジか……あれ、報告にあった特殊個体だよな?」


 呟きながら、俺はその氷精霊を遠巻きに見る。


 前回、アンナに対して強化の呪文を使えるようになった。能力の確認のため、あれ以来繰り返しテストをしデータを測っているのだが、そういえば雪原エリアで使ったことはないと思い出したのだ。


 ここ、第六十一異空は初めての異空探索に使った第七異空と同じ雪原エリアだ。


 出現する穢者の等級は違うが、環境は似ていると言っていい。

 

 ここなら氷魔法を使うアンナが環境の恩恵を受けられるという訳だ。


「戦わないんですか?」


 木の影に隠れているのに気を遣ってか、リリィが小声で話してくる。

 その問いに、俺は事情を説明した。


「この異空にくる前に職員に注意されたんだ。イレギュラーで十二等級のあの氷精霊が出現してるから、関わない方がいいって。この件は十等級以上の使役師に対処させるらしい」

「マスターは今七等級の使役師なんだよね?」


 新加入のフェリスに話しかけられ、俺は頷く。


「ああ。申請すれば八等級に上がれはするが、試験がまだだからな。少し面倒だし、上げるなら九等級の条件も満たしてから一気に上げた方が良いと思って。まあどちらにせよ、俺たちの手には余る相手だから早く離れよう」


 うちで一番等級が高い使徒であるフェリスでさえ、等級は十一だ。


 避けた方がいい。


「……いえ、マスター。相手がこちらに気づいていないなら、むしろチャンスだと思うわ。射程距離だし、基本呪文を使うと一撃で倒せてしまっていたから、念願の火力テストと行くべきじゃないかしら」


 確かに、この相手なら一撃では仕留めきれないだろう。

 実際のダメージを測ることもできるかもしれない。


 だが戦闘を避けられるのに、こちらから仕掛けるのは……。


「攻撃するわよ」


 するとアンナが魔法を構築し始めた。氷の剣を何本もずらりと生成していく。


 マジか……。

 しかしこうなればやるしかない。


『「スピネル、第六の呪文。ーー貴方は刹那に生きる」』


 俺はゆっくりと呪文を唱え、一つ一つの詞を丁寧につぐ。

 やがて唱え終えると同時に、神に我に力を貸したまえと祈りーー。


「氷剣」


 アンナの魔法に強化が乗った。


 そのまま放たれた魔法は。

 あっさりと氷精霊を滅多刺しにする。


 そして一瞬のうちに、粒子と共に氷精霊が消えてしまった。


「「……え?」」



 倒した?

 一撃で?


「……驚いたな。最早化け物だ」

「ちょっ、失礼ね白狐!?」


 結論だが、呪文の発動時間がある以上起動に時間はかかる。


 でも使えれば最強。


 これはーーとんでもない力を持ってしまった、などと俺はどこか他人事のように考える他なかった。



||




「おー!! レアドロップだ」

「……そうか」

「反応が薄いぞ、白狐……」


 歓喜の声を上げる俺に、白狐が一応は返事を返してくれる。



 さっきの氷精霊のドロップアイテムを回収しながら、俺は少し浮かれていた。



 晴れやかな陽射しが低い気温を暖かに照らすが、一向に熱は冷え切った体を温めてはくれなかった。というより、寒い為か日差しがあっても歩く度に冷たい空気が頬を叩くのだ。



 こうして真っ白な雪地に足跡を付けていると、最初に異空に潜った時のことを思い出す。



 あの時ーー第七異空に行った時は情報収集を舐めていて、装備が不十分だったんだっけ。今回はしっかりと耐雪のスニーカーとコート、手袋を着込んでいるから大きな寒さは感じていない。


「……ちょっと一息つくか」

「ですね」


 安全地帯を見つけ、登山用リュックを下に敷いてから腰を下ろした。

 雪の上に座ると濡れる上に寒いからだ。


 それからリュック内のマジックバッグからビニールシーツを取り出し、俺からほんの少し離れた場所で雪の上に敷く。


「みんなも座って」


 俺がそういうと、リリィ、アンナ、白狐、フェリスが順にそれぞれ返事をしてから座った。


 小さなランプの形をした魔石形ストーブを取り出し、スイッチをオンにして暖かな熱を感じる。


「何か飲む?」


 リュックの懐から、俺はインスタントの飲み物を取り出す。


 コーヒー、コーンスープ、ポタージュ、コンソメスープ、ココア。昔からの定番ラインアップだ。


「マスター、私たちに食事は必要ないよ……?」


 フェリスに指摘されて、頷きながらも俺は言葉を返す。


「フェリスは堅いな。食べれるし味も感じるんだろ? 体もあったまるだろうし、これくらい遠慮しないで良いからさ」


 彼女の心の距離に寂しさを感じて軽く突っ込むが、彼女は表情を崩さない。

 そういえば最初の頃はリリィもこんな感じだったっけ。


「……そうなんだ。なら、ありがとうね」


 表面上はお礼を言ってくれるが、多分面倒毎に付き合ってくれている感覚なのだろう。そんな気配がどことなく感じ取れた。


「うん。で、どれが良い? 一応変わり種としてパンプキンスープとかホットミルクとかもあるけど」

「じゃあパンプキンスープが良いや」

「おっけー。ほら、どうぞ」


 カップとスプーン、そしてパンプキンスープのスティックを渡して、水筒型のポットを渡す。


 フェリスがスティックから粉をコップに注ぐと、俺は水筒型のポットから保温されたお湯を彼女のコップに入れた。ドプドプと注がれるお湯を、皆んなが注視していた。


 スプーンで掻き回してから、彼女はコップに口を付けてちびちびとスープを飲みだす。

 

「……あったかい」


 小さく呟いたフェリスは、ほんの少しだけ頬を緩ませていた。それは彼女が召喚されてから、初めて見た心の底からの表情だった。


 彼女のぶっきらぼうな可愛い顔に、昔のリリィの面影を思い出しほっこりした。


「颯真様、私はココアを下さい」

わたくしはコンソメスープが欲しいわ」


 フェリスの顔を眺める俺の前に、急に割り込んで来た二人に少し驚く。リリィはココアを、アンナがコンソメスープをリクエストしていたので、俺は二人の様子に違和感を覚えながらも、とりあえず指示に従う。


 嬉しそうにカップを受け取る二人を見て俺も微笑み返した。


「白狐は?」

「私はコーヒーを貰おう」

「コーヒーにするのか? 良いけど、苦いから砂糖とかミルクとかを足したほうがいいぞ?」


 そう言いつつも、俺は心の中で、珈琲を頼みそうなのは何となくイメージ通りだな、と思う。


 今の彼女は人間姿だが、その彼女は何処となく大人びていて、かつ獣のような荒々しく獰猛な瞳を携えてる。はっきり言えば、容姿はかなりカッコいい方だ。


 オスだったら女の子にモテモテだっただろう。


「……中々、苦いな」


 彼女は少しだけ渋い顔になる。

 けれど、すぐ打ち消すように次の言葉を並べた。


「が、悪くない」

 

 というか、彼女達はこれが初めての飲食になるのだろうが、食べ方は問題なかったな。


 過去に食べる事を経験しているのか、はたまたは知識として誰もが持っているのか……、まあ動物も教えられなくても敵の捕食はできるし、そう言うものなのかもしれない。


「それは良かった。俺もコーヒーにしようかな。ちょっと甘くするけど。……ってお湯無くなってるじゃん。水入れて沸かすか……」


 ちなみに使徒などに魔法で生成してもらった水は飲めない。


 正しく言えば、飲めないことはないのだが、魔力が混じった水は体が受け付けないらしく、体調が一時的に悪くなったり、そもそも飲む時点で変な味が付いていて不味かったりする。


 なので俺たち使役師は多少面倒でもペットボトルの水を数本購入し、マジックバッグに常備している。


「気になっていたのだが、マスターは何故私たちに優しくする?」

「優しく?」

「ああ、善意の事だ」


 不意に白狐にかけられた言葉に、俺は考え込む。

 善意か。


「うーん、これくらいで優しいって言われてもな」

「でも手間はかかるだろう?」

「まあそうは言っても、大した用意じゃないよ。どうせ休憩は俺も欲しかったし、ついでだよ」

「そう言う物ですか」

「ああ」


 コップに残ったコーヒーを流し込み、俺は立ち上がる。

 彼女達も既に飲み終わって俺を待っていたのか、立ち上がっていた。


「そろそろ行こうか」


 俺はそう声をかけ、コップをマジックバッグの中へと仕舞った。




||



 マスターは優しい。


 不自然な程にだ。これまでにも優しいマスターはいたが、根本にはペットに対するような愛情で、ただ可愛がられているような感覚だった。


 人間は、まるで私達が感情や考えを持たないかのように扱う。


 分かっている。私たちは人型の穢者だが、人間は穢者といえば獣や化け物などと一緒に、私たちを知能の低い種族だと括るだろう。



 けれど確かにそう見られてもおかしくは無いのかもしれない。人型はやや例外だが、人間からすれば私達穢者を顔や格好で区別するのは難しいし、誰もが丁寧な言葉遣いで大きな個性を持たない。



 けれどマスターは違う。

 マスターは少なくとも私が出会って来た人間の中では異質な人だ。


 何処か根本的な部分で、彼は他と違った。


 向ける視線が、ペットのそれに対する物じゃないし、気遣いも出来ていた。


 それに私が何をすれば喜ぶのか、何をすれば嫌がるのかをちゃんと理解しようとしてくれている。


 デリカシーに欠ける発言をすれば謝るし、私がまるで人間かのように扱う。


 

 同時に、私はマスターが分からない。

 初めて出会うタイプの人間だから、理解できない。


 単に、そう、マスターは少しだけ人と違う人なのだ。そう思った。


 私はマスターを気に入っている。

 今のパーティーを、気に入っている。


 だから。

 マスターが選択の道に立った時。


 リリィか、アンナか、ーーそれとも見知らぬ誰かか。でも、マスターが恋人を作った時。

 今の関係は崩壊するだろう。


 その時、このパーティーがどうなるのか。


 そんな一抹の不安が、頭をよぎった。

 



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