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25話 何処かで少女が鳴いたとしても

第三章です。

一旦サイドストーリーが挟まります。


本編にも関わる内容です。



 この世界において『使役師』とは憧れの象徴である。


 四十年前、世界に絶望と恐怖と憎しみをもたらした異空。


 たった四十年だ。被害に巻き込まれた世代は今もその多くが生きており、自分の子供達にあの時の絶望を伝えている。


 だからこそ、当時世界中のヒーローとなり、今も尚、異空に潜って鍛え異空災害を対処する『使役師』は憧れなのだ。



 それはみんなにとって、遠い存在で。

 そして数々のスター達が人を魅了してきた。


 けれど。『使徒』は憧れの象徴ではないのだ。


 何故なら、『使徒』の見た目はかつて人間に大きすぎる憎しみを植え付けた『穢者』と変わらない見た目をしているから。


 

 特に高齢者の方には今なお『使徒』を嫌悪する人が多い。

 

 故にこそ、使徒を消耗品のように使い捨てる行動を賞賛するような異常な人種がネットで群れることも珍しくはないのだ。



 使徒の待遇は、未だに悪い。


 実際、身の丈に合わない使徒を使おうとした使役師が命令の通じない使徒に殺されたという話は昔、多々あった。

 


 そして厄介なことに、今でもアマチュアで実力のない使役師が日々の不満を吐き出すように使徒の愚痴を延々とネットに垂れ流す。



 今の時代は、使徒にとってあまりにも過酷だ。

 故にこそ感情の封印は、使徒たちにとっても有効的なものであったと言える。


 

 そもそも、スピネル様はいつから使徒たちの感情を封印したのだろう。

 少なくとも、最初からそうだった訳ではないのだ。


 最初は、ただ従順であれと。

 それだけの命令だったのだから。



 これは……。

 スピネル様がまだ使徒の感情を封印していなかった、異空初期のお話。




||



 長い夢から目覚めたような気がした。


 感覚的には召喚された、といった辺りだろうか。

 

 目の前の男を、自分の新たなマスターを視界に捉える。


 二十代前半。そこそこガタイが良く、髪を金髪に染めているものの、別に顔が良いという訳ではない。ぱっと見チャラいが、モテるタイプではないだろう。


「おー、結構可愛いじゃん」

「……光栄です、マスター」


 自分を見る目がやや好意的に変わった気がした。

 

 可愛い、という言葉には下心が含まれていない様に見える。


「んじゃあ、獣人戦士ビーストウォーリアーちゃん。

 今日から君はそこの奴らと一緒に戦ってね。俺、あんまり指示出さないタイプだから、上手く他から学んでよ」

「……はい」


 そう言われ、彼の使徒と思われる三体を確認する。



 一体はギガント。巨人で、大きさは四メートルほどだろうか。九等級の使徒である。

 もう一体はハーピー。大きく真っ白な翼を持つ女性だ。七等級の使徒だ。

 そして最後の一体は鬼女。鬼の角を頭に宿した女で、十一等級の使徒。

 

 対して私は猫型の獣人戦士で、九等級。

 

 主力が七〜十一等級なのは中々の振れ幅である。だが十一等級の使徒を従えていると言う事は、マスターはそれなりに時間を費やしてきたのだろう。少なくとも素人ではない。


「獣人ちゃん? でいいかな? よろしくね〜」


 ハーピーに気軽に話しかけられ、私は戸惑う。


 なんだろう。凄く気さくだ。

 このマスターは、自分の使徒の口調や態度に口を出さないタイプなのだろうか。


 どう答えれば良いのか……。


「……はい。構いません」

「えー。そんなに畏まらなくて良いからね? ここのマスターは結構自由にさせてくれるし。敬語も使わなくて良いから、分からない事があったら何でも聞いてよ」

 

 真面目に答えたのだが、当のハーピーには明るく往なされた。


「そうなんだ……それは、えっと……ありがとう……」


 それはハーピーの声色が優しかったからか。

 みんなの表情が穏やかだったからか。

 

 私の知らないうちに、自身の中にあった警戒心は少し緩んでいた。


「まあまあ。気軽にしていいよ! それで、こっちは鬼女のルナ」

「ルナって呼んでね」

「ルナ……うん、分かったよ」


 ルナ……名前だろうか。

 このパーティーで一番強いだけあって大切にされているのだろう。


「オレモ、ヨロシク」

「あ、う、うん」


 大きなギガントに話しかけられて、言葉が詰まった。

 けど、落ち着いて彼を見ると、あまり威圧感は感じない。


「ギガント、怖がらせない様にね」

「ウ、ン」


 ハーピーに優しく注意され、ギガントは素直に頷く。

 こうして見ると、見た限りはみんな気の良さそうな使徒ばかりだ。


「ほら。私達って皆んな人型の使徒でしょ。だから、皆んな仲間だよね。仲良くしてこう?」

「何それ。うん、獣人ちゃんも馴染んでくれると嬉しいな」

「キッ、ト……ダイジョウブ」


 随分と暖かい歓迎だった。

 私には熱過ぎるほど感じるほどの。


 けれど、不思議とそれが心地よい。

 

「……うん。よろしくお願い」



 私は多分この時、少し暖かな気分で表情を崩していた。





 時とはあっという間に過ぎるものだ。


 私がパーティーに加入してから、既にかなりの月日が流れた。


「どう? ここには慣れた?」

「うん。お陰様でね」


 マスターはセオリー通り手持ちより二等級程下の相手に狩りを行っている。


 私たちのパーティーの平均の等級が九なので、その二つ下は七等級だ。なので私達が相手する穢者らはゴブリンノーブルやニンフ、ロアなどになる。


「フン」


 ギガントがゴブリンノーブルを殴り飛ばした。


「ケガ、ナイ?」

「私は大丈夫だよ」


 ギガントは穏やかだけど頼れる存在だ。


 少し天然な所もあるけど、こうして定期的に心配をしてくれる辺り、とても良い方なのだと思う。


「怪我人は回復薬貰ってるから集まって〜!」


 ハーピーが呼びかけた。

 その手にはマスターから貰った回復薬が数本握られている。


 マスターは私達に興味がないのか、後方で背後を確認していた。


「私は貰っとくよ、ありがとう。獣人ちゃんは……まあ、心配しなくても大丈夫かな。何故か全然怪我しないし」

「そこは心配してよ」

「ごめんごめん」


 ルナと私はリーチが短いのでかなり接近して戦うのだが、戦い方が違う為か私はあまり怪我をしない。


 そもそも私はヒットアウェーなので、そもそも攻撃を受ける回数が少ないのだ。


 逆に、ルナは攻撃と防御を繰り返し、あまり避けるという事をしない。それを可能とさせる回復力と攻撃力あっての事だけど。


 やはりと言うか、ルナの強さは別格だ。

 等級がパーティーの中で一番高いだけある。

 

 私の中でもルナは戦闘に関して困った時に聞けば、上手く言語化して教えてくれる良い先生でもある。

 

「ほら。痛い所は無いのよね?」


 ルナが優しく私の頭を撫でた。

 心地良い感触に、私の頬は緩む。


「……ないよ。ルナが敵を引きつけてくれたお陰で。凄く戦いやすかった」

「ふふっ、……なら良かったわ」


 そう言いながら、ルナは優しく微笑んだ。


 この関係がとても心地良い。

 正直なところ、私はルナがーーいや、ここにいる皆んなが好きになっていた。


 もう少し撫でられていたいけど、ハーピーと話したいので名残惜しくもルナから離れる。


「あ、ハーピーさん」

「獣人ちゃん! ……っていつも通り血の匂いキツいね」


 ハーピーは私に抱きつこうとしたけど、私が血まみれなのを見てやめた。

 

「……私は前衛だから」


 私は接近戦な上、ルナやギガントと違って打撃ではなく、爪での斬撃を攻撃手段としてるからかも知れないけれど。


「じゃあ、あんまり近付かないでよね。私、汚れるの嫌だし」

「変な事を言うね?」


 別に服が汚れても問題ない筈だ。

 召喚される時に綺麗さっぱりになるのだから。


「ま、これでも乙女だから」

「乙女……?」

「何で懐疑的なの」


 頭を打ったのだろうか?


「その、イメージと違ったから」

「失礼な。獣人ちゃんも乙女とかに憧れないの? まあ筋肉カチコチ過ぎて無理かもだけど」


 乙女であるとかはどうでも良いが、何故かむかつく。

 仲が良くなったのは良いが、侮られていないだろうか。


「そっちこそ失礼だなぁ。抱きつくよ?」

「え、ちょっ、やめて」

「えいっ」


 私は血まみれのままハーピーへと飛び付いた。

 頬ずりをして血をベッタリと付ける。


「ああ! ちょっと、汚れちゃったじゃん!」

「直ぐに落ちるんだから良いでしょ」

「まあそうだけど! ……あれ、でも獣人ちゃんから抱きついて来てくれたの初めてじゃない?」

「言われてみれば……そうだね」


 何故だろう。

 急に気恥ずかしくなって来た。


「最初は私が抱きつくのも嫌がってた癖に〜。いつの間に、そんなに私の事好きになったの?」

「……うるさい」

「照れなくていいよ〜」

「照れてない!」

「またまた〜」

「……んもう、鬱陶しい!」


 照れてなどいない。決して。




||



「ねえ、もしさ人間になれたら何がしたい?」

「……突然どうしたの?」


 ハーピーに質問され、私はツッコミを入れる。

 

「いやいや、まあ仮定というか妄想の話というかさ」

「考えた事もなかったかな」


 というか、そもそも人間の生活をあまり知らない。


「ルナは? ギガントはどう?」


 ハーピーは他の二人にも話題を振った。


「穢者を殺しながらする雑談ではないと思うわね」

「ヨク、ワカラ、ナイ」


 やはり二人とも私と同じような感想を持つ。


「人間、って言われても想像出来ないよ」

「ま、そりゃあそうだけどさ。私、人間になれたらやりたい事あるんだよね」


 あまり興味はないけれど、ハーピーは話を聞いて貰いたいみたいだった。


「何ですか?」

「恋、かなぁ。やっぱり私も一人の乙女だからさ」


 ……聞く必要なかったかも。


「それって人間じゃなくても出来るんじゃないの?」

「無理でしょ。使徒なんだし」

「……そうだよね」


||

 

 

 マスターは基本的に私達に無関心だ。

 戦闘指示の様なものはあまり無く、私達の会話に混ざってくる事もない。


 また、あまり向上心がないのか、今の稼ぎで満足しているのか、レベルの高い狩場に行こうとしない。私達としてはリスクがなくて、ありがたいけど。


「会話の途中悪いんだけどさ」

 

 それはいつもの様に私達が召喚されて、会話を交わしていた頃だ。

 会話に混ざってくるなんて珍しい事もあるんだ、とぼんやり思う。


「はいマスター」

「何でしょうか」


 ルナもハーピーもマスターの前では規律正しく敬語を使う。

 私も緩んだ顔を直してマスターへと向き合った。


「ああ。狩場を変える予定なんだ。今日のうちは指示を出すから、従っておいて」

「……了解です」

 


 私達は顔を見合わせた。

 こんな事は初めてだ。



 そうして、私達が連れて来られたのは第一異空の二十一層だった。


 ここからは十等級の穢者が出現する事となる。

 普段よりかなりレベルが高い場所だ。下手をすれば死ぬ可能性だってある。


 何故突然こんな危険な場所に来たのだろう。


「何で今更ここに……」

「え?」


 ボソッとハーピーが溢した言葉を、私は拾った。

 疑問に思い、思わず聞いてしまう。


「どういう事?」

「そういえば知らなかったっけ。……昔さ。マスターがもっと若かった頃はここに挑んでたんだよね」


 意外な事実だ。


 だってここは私達が普段利用している狩場より危険とはいえ、レベルも高いし報酬だって相当増える。こちらに挑めるならあちらを使う必要は無かった筈だ。


「その頃の主力は大体、七〜十一等級の辺りでマスターも特に苦労する事なく進んでたんだよ」


 言いながら、ハーピーは俯く。

 それから悲しそうな音色に変わった声で、言いづらそうに話し始めた。


「だけどさーーここでつまづいたんだ。あの頃は七体の使徒に指示を下してたんだけど、あんまり手が回り切ってなくて。

 とある戦いで十等級の穢者相手に戦って、それで主力の使徒を一体ロストしたの。七体がかりだったのにね」

「……」


 私は言葉を失った。

 マスターの事など私は一割すら知らないけれど、それは彼の初めての挫折だったのだろう。


「マスターがロストしたのなんて初めてだったからさ。

 私達で一旦中止しようって言ったんだけど、焦ってたのか、あの子を失ったダメージが大きかったのか、進むって言ったんだよね」


 明るく話そうとするハーピーの思惑とは裏腹に、空気が澱む。 


「でも、やっぱりゴタつきまくってて。二十一層の首領穢者を倒せはしたんだよ?

 もうその頃には、私とギガントと他の一体しか残ってなかったけどね」

「……そう、だったんだね」


 ハーピーが静かに言葉を続ける。

 マスターは選択を間違ったのだろう。その結果、多くの仲間を失ったのだ。


 彼が悪い、とは言い切れない。

 けれど、彼は自分を責めたのだろう。責任を取ろうと思ったのだろう。

 

 誰かが責められる。責められなきゃいけない。


 失敗とはそういう物だ。


「あの日、二十一層のボスを倒してたマスターはルナを手に入れた。けれど、それ以上に損害が多過ぎた。あの後、諦めきれなくて三回は挑戦したよ。でも、三回目でまた一体失っちゃってね。心が折れたらしくて。それから、ずっと残った私たちとあそこの狩場でお金稼ぎするだけになってた」


 ゆっくりと語る彼女の言葉に耳を傾ける。

 色々言いたい事はあったが、私はまず相槌を打った。


「そう言う経緯で……」

「マスターもさ。昔は結構私達の会話に混ざったりしてたんだ。

 結構親しみ易かったんだよ?

 お茶目で、話とか面白くて。けどみんな消えちゃったからさ。私もずっとまともに喋ってない」


 その話は凄く、意外だった。今では私たちとは全く話さないし、私も興味を持たなかったから分からなかったのだろう。


「……そろそろ陣形を組みましょう。

 近くに穢者がいると思われます、マスター」


 索敵していたルナが、マスターに助言する。

 しかし、マスターは黙ったままだった。


「マスター?」


 ルナがマスターの顔を覗き込みむ。

 よく聞き取ると、彼は独り言を言い続けていたようだった。


「大丈夫……大丈夫、うん、……うん」

「え?」

「……ああ。……ルナか。気にしなくていい」


 ルナが心配の入り混じった疑問の言葉を投げる。

 しかし、マスターは彼女を制止した。


「ゴブリンタンク」


 マスターがそう呼びかけると、五体のゴブリンタンクが召喚された。

 ゴブリンタンクは五等級の穢者だが、戦闘力が低く人気もない。


 何かの作戦に使うつもりなのだろうか?


 ぱっと見、彼らは防具となる盾を持っていない。


「ゴブリンタンク。総員、敵に『ヘイト』を」


 そう指示されたゴブリンタンクらには戸惑いの表情が窺えた。

 ヘイトというスキルを使うのには問題ない。


 しかし、彼らには盾がない。


 どうやって己の身を守れと言うのだろうか。


「命令だ」


 しかし有無を言わせぬ口調によって、ゴブリンタンクらは敵へとヘイトを使った。

 それによって、フィールドにいた一体の穢者が此方へと駆け出して来る。


「コカトリスです!」


 その鶏と蛇を合わせた怪物は、尻尾でゴブリンタンクの内の一体を串刺しにした。


「──な」


 あっさりと倒されたゴブリンタンクは地に伏して、光の粒子に変わる。

 状況を理解出来ずに、私は掠れた声を溢した。


「『不良品』が混じってたのか……?

 まあ良い。ゴブリンタンク、総員ヘイトだ!」


 訳の分からない事をマスターが言う。でもそれは命令だ。


 有無を言えず、ゴブリンタンクはヘイトをかける。すると先ほどとは違い、コカトリスは動きを止める。


 コカトリスは混乱している様だった。


 複数対に同レベルのヘイトをかけられ、誰から潰せば良いのか戸惑っている様子だ。

 これが作戦ということなのだろうか?


「今だ。ゴブリンタンクはヘイトをかけ続けている間に、ルナ達で攻撃しろ」


 それは命令だった。

 マスターの酷く冷たい眼差しが向けられる。


 私達は否応無しに一斉攻撃を仕掛けた。


 しかし攻撃が届く前に、混乱から解けたコカトリスがもう一体のゴブリンタンクを消し去る。

 

 そして私達の攻撃によってコカトリスもまた、光の粒子へと変わった。


 後には聖遺書が残っている。

 マスターの呪文が成功したのだろう。


 戦闘は終わった。

 確かに、終わったのだ。


 ゴブリンタンク二体が消えたとて。

 コカトリスの聖遺書がドロップすれば、十数倍の金額が返ってくるのだから。



 だから、これは確かに合理的な作戦なのだろう。

 


「マスター……?」



 けれど。

 ……その場にはハーピーの小さな掠れ声だけが場に響いていた。







 それから。

 私達の狩りは変わった。


 マスターは大量のゴブリンタンクを購入していた。


 大量のゴブリンタンクが死んでいる間、私達は一斉攻撃を仕掛けるだけ。

 それだけなのに、とても息苦しかった。



 ハーピーが聴き出したららしく、どうにもマスターは、とあるインフルエンサーに影響されたのだとか。



 曰く、使徒は消費するものである、と。

 


「一日、十万円……こんなに……!! 順調だ……、はははっ!!」



 彼は、それから利益だけを考える様になった。

 ゴブリンタンクのロスト分と、その時の利益を数え続ける様になったのだ。



 仮にもゴブリンタンクは五等級。一回の戦闘で三体を失うとすれば、十等級の穢者の魔石だけだと利益は若干マイナスだ。


 しかし聖遺書が手に入った日は違う。



 それまでのマイナスを払拭するほどの大きなプラスとなる。



 いつしか、四体だけだった私達の主力パーティーは再び七体まで増えていた。



 新しく入った十等級の妖精シャナ、ケンタウロス、そしてコカトリス。

 結果だけ見れば、それはとても順調の様に見えた。



 内側はとっくに崩壊していたけれど。



 マスターはそれを無視し続けていた。

 私達でさえも目を背けていた。



 だから、同罪なのだ。




 当然、こんな作戦はいつまでも続かなかった。



「……値上がりし過ぎたせいで、利益が薄過ぎるな」



 どうやらこの戦術の浸透によってゴブリンタンクの価値が上がったらしい。


 ゴブリンタンク一体の値段が十等級のモンスターの魔石の値段の十倍になったのだとか。これではほぼ毎回聖遺書が手に入らないと利益が出ない。



 潮時、といった所だろう。



 こんなブルーオーシャンはとっくに消えていた。

 私達はそれを知っていながら、彼に言わなかったのだ。



 







 私達は元の狩場に戻って来た。


 マスターと共に安全地帯へ座り込む。

 動かないまま、マスターは携帯端末を触り始めたようだ。


「はぁ……」


 皆、ため息を吐く。

 これから、どうするのだろう。


 そんな不安だけが私たちを襲った。



 シャナ、ケンタウロス、コカトリスとは別々に、それぞれが固まって座り込んでいる。


 

 彼らとは全く話さない。

 話す気も起きなかった。


 何処かですれ違ってしまって、溝が空いたままなのだ。



 だから、私達は交わらない。


「……どうするの?」

「さあ。そんなのマスターが決めるんじゃない?」

「それは……分かってるけどさ。私達がどうするのか、って事」


 ハーピーの言葉に、ルナは淡々と返した。

 その態度が、苛立っていたハーピーを更に強く苛立たせる。


「どういう意味?」

「マスターの為に何が出来るかって話でしょ」


 冷たい返事だ。

 ルナから不機嫌さをアピールされ、ハーピーの怒りが積もり重なっていく。

 

「別に……私は興味ないわ」

「はぁ?」


 ハーピーが、ルナに対する声色を変える。


「何? 変な事言ったかしら? 私に出来ることなんてないわ。最終的に何をするのか、それはマスターが決める事だから」

「そんなのでいいの? 私が、私達が支えなきゃ、マスターは……」


 思い悩むハーピーに、ルナが鬱陶しそうに告げる。


「それ、私に関係ないわよね?」

「……ふざけないでよ!」


 ハーピーがルナに掴み掛かった。

 襟元を掴まれたルナは、しかし落ち着いてハーピーの手を払おうとする。


「オチ、ツ……」


 最早ギガントの言葉など届いていない。


 顔を睨み合わせ、一触即発の状態だ。こんな状態でもマスターは何の反応も示していない。疲れ切った顔のままだ。


「離してくれない?」

「離さない」


 ルナの問いかけに、ハーピーが睨みを利かしたまま返す。


「離して」

「……嫌」

「……離して」

「痛ッ……」


 ハーピーの必死の抵抗も已む無く、ルナはハーピーの手を力尽くで振り解いた。

 下を向き髪に隠れたハーピーの表情が見えない。


「ハーピー、方法は一つよ。正攻法であの狩場に挑む。それか、この狩場でやり直せばいいじゃない」

「何言ってんの……そんなの、……出来る訳ないでしょ!」


 突然……、いや必然だったのだろう。


 ハーピーが叫んだ。

 真っ赤に目元を腫らしながら、ハーピーが頭を抱えて、そして爆発したように吐き出す。


「……正攻法じゃ、マスターは無理なの!! 私が一番知ってるし、私が一番理解してる。

 それは、私達が……違う。……私が!! 弱いからだよ……!!」


 声が怒りに震える。

 言い返されたルナは、口をつぐんだ。 


「ルナは良いよね。足、引っ張らないもんね。私は違う。私が弱いから、みんなと連携が取れない。またみんなを失って、それでまたマスターが傷つく」


 私は呆然としたまま動けない。


 ふと気になってマスターを探す。彼の姿はどこにもいない。いや、コカトリス達ごといなくなっている。


 逃げた?

 だとしたら、本当に情けないマスターだ。


「……じゃあ」

「じゃあこの狩場でやろうって? 無理でしょ!? この狩場でやり直せる訳ない。

 私達は正攻法じゃなかったけど、初めて二十四層まで行ったの!!」


 貯めていた鬱屈が全部吐き出される。

 彼女の瞳に涙がにじむ。

 

「こんな所で諦めて、また前に戻るなんてマスターは無理……! それに、それだけは私も死ぬほど嫌……」


 その訴えはやがて啜り泣く声と、嗚咽を漏らす声に変わる。


 気づけばハーピーは泣きながら、自分の首に両手を当てていた。


「私、もう嫌だ……」


 彼女が自らの首を絞める。

 嗚咽が弱まっていって、彼女は苦しそうに顔を歪める。



 そんな事をしても意味なんてないのに。



 それでも彼女は私たちの方を見ながら。


 その自傷行為を見せつけるように。こんな私達の冷たく助けにも入れない心を嘲笑うかのような顔を浮かべながら。


 歪んだ顔を浮かべて、私たちを見下した目のまま、涙と鼻水を垂らして顔がぐちゃぐちゃにさせて。



 ハーピーはやがて限界が来たのか、ゴホッ、ゴホッ、と咳き込んだ。嘔吐きながら、空っぽの胃を逆流させる。


 しかし水も食料も摂取する事のない彼女は何も吐き出さない。

 吐き出せ無かった。


「ヤメ、ヨウ。ソレ、イミ、ナイ」

「……うるさい。うるさいうるさい!! 見下さないでよ………そんなの、分かってる!!」


 一通り叫ぶと、ハーピーが立ち上がって逃げ出すように走り出す。


 誰も追いかけない。


 ギガントもルナも。



 ああ、最悪だ。



 生き物というものは、案外プライドを持っている。


 

 無意識のうちに見下して来た相手に、自分が怒鳴られた時、全てを本心から受け入れて、向き合って、そして相手とも和解しようなんて気持ちを持つような聖人君子は正常じゃない。


 

 二人は彼女を追いかけようとしなかった。



 だから。

 私だけが立ち上がって、彼女の走った方向へと駆けていった。








「見つけたよ、ハーピー」


 私が声を掛けると、静かに泣いていたハーピーは逃げ出そうとした。

 それよりも早く、私は背後から彼女を押し倒して捕らえる。


「離して……!! 離せよ!!」


 彼女の声が荒々しくなる。


 私は一言も発しないまま、ただただ彼女が疲れて反抗する気力が無くなるまで彼女を強く、抱きしめるように抑え続けていた。


「そりゃ、そうだよね。逃げられる訳ないよね……私じゃ」


 彼女は非力だった。


 彼女がいつだったか言っていた、乙女のような細くて柔らかい少女の腕では、私を振り解く事は不可能だった。


「その翼を使えば逃げれた筈でしょ?」

「違うよ……この翼は飾りだもん。飛ぶのは物凄く体力を使うし、翼は空中に逃げる時にしか使えない。普通に移動するんだったら、時間さえ考えなければ走った方が何倍も遠くまで行けるよ」

「……そうだったんだ」

「何、しに来たの」


 彼女は私を試すような言葉を投げかけた。


「……久しぶりに、貴方を抱きしめたかったから、抱きしめに来ただけだよ」

「こんなに強く?」

「うん。貴方が逃げると思ったから」

「……離れて」


 強い拒絶を帯びた言葉をぶつけられる。

 その言葉に心が揺らぎ、心臓がギュッと苦しくなった。


「先に言うけどね、私は大人じゃないよ。聖人でもない。だから、怒ってる時は怒るし、悲しい時は泣いちゃう」

「そんなの知らないし、私に関係ない」


 抱きしめた肩越しに、私の涙が彼女の首元に落ちた。

 涙痕が服の染みになる。それが乾きそうも無い。


 いや、これは願望も入っている。この感情の証が、ずっと乾かずにいて欲しくなった。


「ーーそうかも知れないね」


 とても切ない気持ちが心を支配した。

 泣きながらの声が、どうにか口から言葉になる。


「……私は上手く言えないから、直接言うよ?

 貴方の手を離したくない。……貴方が大好きだから、多少の事は受け入れる覚悟でいる。……私は貴方に寄り添いたいんだよ……」

「……嘘」


 ハーピーは、静かに、私をもう一度否定します。


「私は私から見たハーピーの事しか知らないよ。

 でも、貴方も貴方から見た私の事しか知らないでしょ?」


 私はハーピーを胸に抱きながら、諭すように言う。

 すると身を任せるみたいに彼女の力が緩んだ。


「……私はーー貴方が思っているより、何十倍だって貴方に寄り添いたいと思ってる」


 囁くように言う。

 くっついていると、ハーピーの体温が直に伝わった。

 

 それが酷く愛おしい。


「正直、貴方がどんな人生を送って来たかなんて知らない。でも私も同じだよ。私ですら、私の人生を知らない」


 嘘も偽りもない。

 ただありのままが、その冷たい暖かさが私の手を通して、ハーピーの頬に触れる。


「ハーピー。私は貴方の苦しみを共有できるよ。貴方の苦しみを共有出来るのは私だよ? みんな不器用だしさ、分かってくれなかったんでしょ?」

「っ」


 ハーピーが口籠もる。 

 そして止めを刺すように、私は言った。

 

「ハーピー、思い出してよ。自分が何をして来たのか。何が出来たのか。少なくとも私は貴方にずっとーー元気付けられてきたよ?」

「……」

「どうなの?」


 ゆっくり吐き出した、私の言葉をハーピーは受け止めてくれたような気がした。


「私、マスターの事好きだったの。好きだったんだ」

「もう好きじゃない?」

「昔のマスターが、好きだったから」


 その瞳は私を捉えている。

 会話がちゃんと成立していると分かった。


「ちゃんと恋、出来たの?」

「恋はね。出来たよ。……でも、違う。私は、幸せが欲しかったの」

「幸せが欲しい気持ち、分かるよ。ねえ、ハーピー。私は、貴方と一緒にいられたら幸せになれると思うんだ。恋は幸せになる為の一つの手段にしか過ぎないよ。私はハーピーの事、愛してる。家族みたいに思ってる。……ハーピーはどう?」


 幸せの方法なんて、きっとたくさんある筈だから。


「分かんない。でも、私もさ……貴方のこと……大好きだよ……」


 私達は手を伸ばしあって、自然と抱きしめ合った。

 そうすれば幸せを感じられるような気がして。


「なら。このハグは、仲直りの証と受け取っても構わない?」

「……うん」


 強がって笑ってから、ハーピーは小さく頷いた。

 それから、私を介してハーピーは二人に謝ることになった。



||



 ルナとギガントとの仲を取り持った後、私はハーピーのためにマスターの元へきていた。


 相変わらず何を考えているのか分からない。

 けれど、私は声をかけた。


「マスター」

「……」

「マスター、こっちを向いて下さい」


 私は強い口調で、マスターを呼びかける。


「何かな?」

「あの時、マスターの事を殴ろうかと思いました」


 思えばマスターとちゃんと話したのはこれが初めてだ。

 マスターの顔を改めてみると、そういえばこんな顔だったと思う。


「殴れないだろう?」

「気持ちの話です。一つだけ聞きます。マスターは、ハーピーの事が大切ですか?」

「それは……答えられない」

「なら。お願い、……いえ約束して下さい。お金が貯まったらハーピーを昇華させて下さい。それから名前も与えて上げてください。出来ませんか?」


 マスターは相変わらず無表情だった。

 彼は答えずに、後ろを向いて歩き出す。


「っ、マスーー!!」

「……それくらい、良いさ」


 強く叫ぼうとして、マスターは返答した。


「絶対にですか?」

「……ああ」



 その後ろ姿から表情は分からない。

 でもその声色は嘘を言っているようには聞こえなかった。


 決してその感情は読み取れないけれど。

 少なくとも嫌われてはいなかったんだろう。




 良かった。



 本当に、良かった。


 


 それから、マスターには気付かれないよう、その事をハーピーに報告する。

 彼女は余計な事を、と言う態度を装いながら、大分照れ臭そうに頬を赤らめて喜んでいた。






 嗚呼。

 もう少しだ。




 彼女が幸せになった時、そうしたらようやく……





ーー私も幸せになれる








「今日からゴブリンタンクを使わずに戦う」



 最終的に、マスターが下した決断はそれだった。

 従来通りの戦い方で、再び攻略を進める。



 元に戻るだけ。

 私達は、そう思っていた。

 マスターさえも、そう思っていたのだろう。



 現実は甘くなんて無いけれど、希望が見え始めていた。





 でも。






 一度研ぎ忘れた牙は、切れ味を失う。




 そして。

 悲劇はあっさり起こった。



「……イレギュラーです!!」

「くそっ、引くぞ」



 それはイレギュラーとの遭遇だった。

 二十四層に居た私達はボス戦で、昇格ボスを経験し、十三等級のケルベロスと遭遇した。


 即座に私たちは逃げる判断を選んだ。


 ただ只管、大量の冷や汗が逃げる。

 気づいたら背中から噛みちぎられて死んでいてもおかしくない。


 それくらい逃げることすら怖くてしょうがない。


 あれは死だ。純然たる死だ。一目で勝てない存在だと分かった。纏うオーラが違う。寸前で腰を抜かさなかったのは、根性故だ。


 

 恐怖で固まったマスターをルナが無理やり連れて、何とか走り出したのがついさっき。


 コカトリス組は既に全滅した。

 残っているのは、私とルナ、ハーピー、ギガントだけ。


 焦りからか、息が上がるのが早い。心臓が破れそうなのに、速度を緩める事を許さない恐怖が背後に迫る。



「ダメだ。逃げきれない──」


 

 マスターの声が聞こえた。ルナに半分抱えられているような状態だからか、背後をチラチラと見ることができていた。


 

 普段なら有り難い報告のそれも、今は私たちを突き落とすだけの、絶望の一言だ。



 犬の雄叫びと肉を立つ音、低い悲鳴が聞こえる。


 背後がどうなっているかは分からない。でも状況証拠から、誰かがやられたのは明らかだった。


 そしてその誰かはーーギガントだ。



 ケルベロスの攻撃によって、ギガントが腕に大きな負傷を負った。でもまだ彼のズンズンという大きく雪を踏む足音が聞こえる。



 私達は全員走り続けている。



 ケルベロスは速い。

 

 普通に走っても逃げ切れないことは誰にでも理解できた。



──ダメだ。



 本能的に分かる。

 このパーティーはとっくに崩壊していたんだって。


 

 だって。

 私たちは、また同じ道を辿っているんだから。



「どうする、どうする、どうする──」



 それはマスターの悲痛な叫びだった。

 もうすっかり慣れた、マスターの命令も、指示も飛んで来ない。



 ただ夢中に、背中を無防備に晒しながら走り続けていた。



 息が切れて、脚は全く上手く動いてくれない。

 嗚呼、倒れそうだ。



「マス、ター、ズッ……ト、アリ、ガ、ト、ウ」


 ギガントの足音が聞こえなくなった。彼の気配がぐんぐんと遠ざかる。いや、彼は動いてない。走る私たちが、勝手に彼から遠ざかっていく。


「……ギガント?」


 ハーピーの掠れた声が聞こえた。



 私は逃げる事に集中するべきだと分かっていながらも、振り返ってしまう。その目に映る景色を話したくなかった。


「ニゲ、テ!」


 最後尾に居たギガントが走るのをやめて、ケルベロスへと向いている。

 

 私にはその行動の意味が分かった。

 時間を、稼ぐためだ。私たちのためだ。


 ギガントが拳を振った。


 私が視界に捉えた彼は、次の瞬間には臓器を雪の上に撒き散らしながら、二つに噛み千切られていた。


 拳を当てることさえ出来ずに光の粒子へと消えたのは、あのギガントだった。


 一瞬、何が起きたか脳が理解を拒む。

 優しくて、穏やかで、仲間想いで、不器用な、彼が。


 

 死んだ。



「ギガント!!」


 ハーピーが思わず立ち止まった。


 それは自殺行為にも等しくて。ギガントからの返事はない。ただ、後方で光の粒子が空に舞っているだけ。



 涙で滲んだ視界でハーピーは彼の仇を捉えていた。当然だ。



 家族のような仲間を殺されて、私も時期は浅いとはいえ、足を動かしながら同じ気持ちが心を渦巻いていた。


 

 体力を消耗し過ぎたハーピーは、羽の重量に引っ張られながら、その足で逃げている。



 けれど、無駄な足掻きなのは誰の目にも明らかだった。

 ケルベロスはもうそこまで迫っていたのだから。



 彼女もまた立ち向かう選択肢をした。



「う゛っ、あ゛あ゛っ、死ねえ゛ぇぇ!!!」


 彼女の高くて美しい声に似合わない、嗚咽混じりの絶叫だった。


 怒りのまま、ハーピーはケルベロスへ向いて、弓を引き、そして放った。


 矢が飛ぶ。

 彼女自身の羽を乗せた、熟練された矢だった。



 このパーティーの中で、等級の低い彼女がやっていけるほど才能に満ち溢れた矢だった。正確無比で早くて強くて。



 けれど、矢はケルベロスの皮膚にあっけなく弾かれた。


 

 刺さりさえし無かった。



 ケルベロスが走り続ける。

 ハーピーに迫りながら。



 彼女の顔は絶望に染まって行った。



「ハーピー!!!」



 私は走り続けるべきだと分かっている理性を押し殺して、思わず足を止めて叫んだ。


 この先の未来を誰よりも鮮明に想像してしまったから。



 逃げる選択と、マスターの言葉を無視し助ける選択。


 その二つで迷っているうちに、あっという間に事態は変わっていた。


 マスターの言葉は命令ではない。


 けれど、逃げ切れるはずの私が助けに入り、マスターにとっての損失を出す事に本能が拒否反応を示していた。


 だから、助けに入れなかった。

 足が固まったみたいで。


 全部、遅かった。



 そして想像は現実となった。



 涙を滲ませるハーピーは首から肩の辺りをを噛みちぎられて──虚ろな目のまま、その頭が……落ちた。



 ゴロッ。



 肉塊が転がる。

 あまりにも非現実的な光景だった。



 肉と血を口に含んだまま、邪悪な笑みでケルベロスが嗤う。




 死んだ?

 ハーピーも?



 違う。そんなわけ無い。

 無いーーよね??



 現実を確認するように、私はハーピーの首をもう一度見る。

 幻覚なんだと、願いながら。



 けれど、そこには何も無かった。


 光の粒子に消えた後で、消失が遅い血痕だけが幻覚じゃ無いんだって信号を、鮮明に脳へとぶち込んでいた。




「ハーピー? ……嫌だ。嘘だ。嘘、だよね? だって、ハーピーはいつも花みたいな笑顔で笑っているのが魅力で……」



 最後に見たハーピーの頭部が瞼の裏に焼きついたまま離れない。


 絶望と悲しみに満ちた空虚な目。そのどんな時も感情に溢れていた彼女の、想像もしなかったあの感情が抜け落ちた顔。



「ーーだから、あれはハーピーじゃ無いよね? 彼女はあんな顔しない。させて良い訳が無いんだ。ハーピーはーー!!」



──ケルベロスが不敵に笑っていた。



「あ、ああ゛あ゛あ゛ぁ゛!!!!!!!!」


 殺さないと。

 殺して、絶対に殺して、殺して……、殺して……。


 殺してから……あ、あ、ああ。



 嗚咽が、思考を阻んで。


 

──気づけば私は、駆け出してた。



 勝てるわけも無いのに、殺意だけに駆られていた。


 

 失う物なんて、何も無いのだ。

 私達は、幸せにはなれないんだから。



 私はケルベロスを引っ掻く。

 三つの頭のうちの一つ、その眼を抉り取る。


 同時に痛みと衝撃が私を襲って、視界が暗転した。


 押し倒されたんだと、一瞬置いて気付く。

 腹をケルベロスの足に貫かれたのか、耐え難い痛みが襲った。


 けれど正気なんて失っていたのか、私は再びケルベロスの喉元を引っ掻きに掛かった。


 爪に分厚く硬い肉を、薄く引き裂く感触が通る。


 ああ。

 腹を貫かれてなかったら、この腕に力が入っていたのに。


 内臓が抉り取られて、腸を曝け出してなくて、肝臓がぐしゃぐしゃに潰されてなくて、肺がボロボロになってなくて、そしたら、そしたら……



 そうしたら、お前を殺せていたのに。



 嗚呼。


 死ね。死ね……死ね……死ね!

 死ね死ね、……死んでしまえ!!!


 何度も何度も震える手でケルベロスの喉元を引っ掻く。



──ダメだ。



 お前は、このくらいじゃ死なない。


 


 私の表情は絶望と涙でぐちゃぐちゃになっていた。

 気づかぬうちに意識さえも薄れていく。


「うあ゛あああぁ!!!」


 遠くでルナが叫び鳴く声が聞こえた。

 

「行かせなさい! 行かせなさいよ、ねえ!! 命令を、命令を解除して!! ……行かないと! 行かないと、助けない゛とぉ……!」


 ルナ。

 泣かないで。


 泣く貴方なんて似合わないのに。


「……命令だ」

「うるさいッ!! ……皆んな、みんな、私が!」

「命令だ……。ルナ、お前が行く事は、許さない……」


 そう言ってマスターはこちらに駆け出そうとしていたルナを命令で停止させ、彼女の手を無理やり引っ張りながら振り返って走り出す。



 こちらを振り返ることは二度となかった。



 ああ、マスター。

 ……知らなかったな。


 少しは、私たちの事を大切に思ってたんだね。


 

 最後に見たマスターの顔。その瞳から溢れた涙が、頬を伝う様子を。

 どんな感情で受け止めれば良いのか、私には分からなかった。



 ……そう言えば私、あのマスターの名前すら聞いて無かったなぁ。



「……っ、…………ぁ、し………ね」



 爪で、ケルベロスの喉元を刺そうとする。

 喉元を引きちぎって、せめてこいつだけでも殺していこうと考えていた。

 

 けれど、力は入ら無かった。



 本当に弱いなぁ。

 私は。




 そして。



 力尽きた私は、ルナの金切り声が遠ざかって聞こえなくなるのを感じながら、少しだけ安心してその意識を手放した。







 一人。

 否、一匹の猫の獣人の少女が、小さく鳴きながら命の灯火を消す。









 神様。

 もし、願えるなら。




 次の生は、私を誰よりも幸せにしてくれるマスターの元へ行きたいです。












||



 どれだけ願っても、どれだけ泣いても。

 生物はあっさりと死ぬ。



 今から三十五年前。

 とある海外の配信者が、革新的な新しい戦術を発案した。


 瞬く間に世界に広がったその方法は二月も経たないうちに、ゴブリンタンクの在庫を世界中から消失させた。



 また、日本に住んでいたとあるマスターは英語が達者だった為、他よりも早くゴブリンタンクの在庫を確保出来た。


 しかし在庫が無くなり、ゴブリンタンクの値が利益を取れない程高騰した為、彼は他の多くのマスターと同様に元の正攻法に戻る事となる。


 が、多くのマスターと同様に正攻法に戻ろうとして、戦術の切替によるミスを起こした。



 多くの使徒が世界中の使役師らから消え、二ヶ月後に異空災害が起こる事を魔道具の預言書により知っていた多くの政府は頭を抱えたと言う。



 のちに、その使役師は語る。


「使徒達に愛着を持った事に後悔した時期もあったけど、今は全く無いよ。

 今では使徒との仲の良さや名付け、それが与えるプラスの影響について研究している団体のリーダーになったからね。

 何故名付けを、って? これは、一匹、いや、一人名付けられなかった使徒が居たからかな。その子の名前はミアにしようと思っていたんだ。

 意味? 私の、と言う意味さ。吐こうと思っていた嘘があったんだ。禁忌に触れてでも。本当に後悔しているよ」


 彼はその後、使徒との関係が悪いと戦力の低下を起こすと言う証明を行ったりなど、と活躍する事となった。



 また、この戦術を発案した配信者もある時期を境に失踪することとなる。


 どうやら自らの意思で活動を辞め、密かに暮らしているそうだが、彼がどうなったのかはもう誰にも分からない。


 

 尚現在は異空が修正を加えたのか、その戦術は使えなくなっている。

 ゴブリンタンクはそうして、元の格安使徒に戻った。



 しかし彼の戦術は、使徒の非生命体思想を大きく肥大させる事となる。

 


 そうして、時は現代。



 現在も多くの使役師が、使徒は生物では無いと考えている。


 穢者と瓜二つの化け物。

 彼ら彼女らは多くの人間にとって、()()でしかないのだ。

 


ジャンル別日間ランキング入り目指してます。

是非ともブクマ高評価で応援よろしくお願いします。


明日の投稿は十八時半と十九時半です

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