22話 束の間の休息
時期は七月の中盤に差し掛かり、正に真夏と言って良い。
選定式まで後四ヶ月を切った。
俺はあの土蜘蛛戦の後、二回ほど異空に潜り十一層まで上がることができた。
その中で色々と分かった事がある。
まず前回偶然成功した第六の福音による強化についてだが、あれは偶発的なものだったのか、あれ以来何度試しても成功しなかった。
リリィや白狐はおろか、アンナ相手にすら使えなかった。
その時のアンナの落ち込み具合は、相当に酷かったと思う。
第六の福音。
一部の使役師が、特定の使徒とのみ発動する事が出来るという呪文だ。
第一の福音……解放の呪文に関してはどの使役師でも使えるが、他の呪文に関しては素質などが必要だと言う。
だがウキウキの気分のまま第六の福音を試してみたら全敗。これには俺たち全員が落ち込む羽目になった。
二つ以上の福音を使える。
これは使役師にとってあまりにも大きなことだ。
武藤は分からないが、少なくとも小野寺さんですら唱えられる福音の数は一つだった。
テレビで見るプロの専門使役師も、殆どが唱えられる福音の数は一つだけだ
だからこそ、落胆は激しい。特に、アンナ相手にすら第六の福音が発動しなくなったのが痛い。彼女の不調にとって一筋の光が舞い降りたのに、それを掴み損なった状態だ。
結局今の所どうすることもできていない。
そういえば今日は学校もあるし、異空に潜る予定はないのだけれど。
「おはよう姉さん」
起きて下に向かうと、既に姉は出かける準備をしていた。
ちゃんと作り置きしていた朝食を温めて食べてくれたらしい。
朝食は健康の基本だ。特に姉さんはやつれた顔をしている事が多いので、精を付けるためにも朝食はしっかり取って欲しいと思っている。
「おはよー、颯真」
姉さんは既に出かける寸前だ。
俺はそんな姉さんを見送りながら、彼女が家を出た後でため息を吐いた。
ーー結局、姉さんにはまだ使役師になった事を言えていない。
俺が使役師になったのには、姉さんが無理をしすぎてしまっている事の恐怖からだった。
何よりも仕事の量を減らして、もっと身体を大事にして欲しい。
その思いから使役師になったのに、今日こそはと思いながらも話せないでいた。
俺が使役師として家計の手助けになるから、姉さんは仕事量を減らして欲しい。
そんな事を言えば、姉さんは烈火の如く怒るだろう。
泣くかもしれない。やめるまで許してもらえないかもしれない。
でも……姉さんが倒れてしまうのが、一番怖い。
やっぱり、今日帰ってきたら姉さんに話そう。
使役師になった事は話せなくとも、仕事を減らして欲しいという相談をしよう。
家にお金を入れる口実としては、新聞配達などをするからと言えば良いだろう。どう転ぶかは分からないが、このままで良いとは思えなかった。
……使役師は相当に特殊な職業だ。
いや職業と言っていいのかすら分からない。
戸籍は必要だが、中学生なのに親の同意書も学校の認可もいらない。いや例外的に許されている部分もあるのだろう。
使役師として活動するというのは進学や人生に大きく影響するという事だ。中には反対する親もいるだろうから、子供側の自由として同意書がいらないという部分もあるのかもしれない。
実際、姉さんは同意書が必要なかったからこそ使役師になって親から自立出来た部分もある。
ああ、本当に。
俺は……いつになったら堂々と振る舞えるのだろう。
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「おはよー、相沢」
「おっす」
学校の風景はいつもと同じだ。
最近でもメンツに変わりはないし、夏休み直前という事で今日出される課題の量を考えると憂鬱だが、ここ最近は平穏な日々を過ごせていた。
気が付けば授業が始まり、誰もがゾロゾロと席に着く。
何気ない朝の一幕を体験しながら、俺は変わり映えのしない学校の様子を見納めし、不意に窓を見た。
窓に反射するのは、髪を切って肌も綺麗になった自分の姿だ。顔は変わらずとも、随分と雰囲気の良くなった自分が写っていた。思わず、変わったなぁと見入ってしまう。
「みんな、ホームルームを始めるぞ」
その浅い白昼夢から起きろと言わんかのように、先生の言葉が耳を伝って脳に触れる。
自然と俺は顔を教壇に向けた。
「今日の知らせは、みんなご存じの通り愛知県の方で異空災害が起きた事だ。今朝方に災害は鎮火したが、亡くなった命は戻らない」
重苦しく発した担任の赤井先生の言葉に、皆んなが静まり返る。
今時、異空災害に巻き込まれたことがあったり、親族が被害にあった、という人は珍しくはない。
決して笑い事ではないのだ。俺もまた、二年半ほど前に姉さんに異空災害から救い出して貰った日を思い返していた。
「丁度来週に異空災害の防災訓練を実施する所だったが、改めて脅威が分かっただろう。巻き込まれるのはもはや防ぎようがないが、きっちりと慌てずに動くように。では、黙祷を始める」
そう言って、普段はふざけたがりのクラスの男子達も、黙祷の形を取る。
……後直ぐだ。
もう少しで、俺は七等級の使役師になる。
そしたらーー異空災害に対処できる使役師として認められる。
自分の身を、自分で守れるようになる。
そんな思いを持ちながら。
俺は黙祷した。
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ーー時は進み、昼休み。
俺は待ち合わせしていた場所に向かい、とある人物と合流していた。
「あ、悪い。待たせたな」
「ううん、いいよ。なんか男子だけちょっと居残りさせられてたしね」
「軽井のせいでな。しかし先生もこの後が昼休みだからって、説教が長い」
文句を言いながら、俺たちはクスクスと笑い合う。
ロッカー近くの壁にもたれつつ、俺は美香と話を始めた。
「ね、それよりさ、聞いて欲しい話があるんだけど」
一緒に異空に潜って以来、俺たちは距離が縮まったのか、普段から良く話すようになった。
勿論人目もあってそう話せる時間は長くないのだが、代わりに持ってくるネタの密度が濃く、毎回話がはずむ。
「……隣のクラスの赤峰って子分かる? あの子が藤井君に話しかけただけなのに、柚子がめっちゃ不機嫌で」
「マジか。男子は男子で、藤井もサッサと告白しろって催促してるんだけど焦ったいんだよな」
以前に身を張ってペアを組ませた甲斐があってか、二人の距離は急接近しているらしい。
クラスメイト同士の恋愛模様という事で、今ウチのクラスで最も熱い話題なのである。特に女性なんかは恋バナで連日盛り上がっているようだ。
そうやって会話をしているとあっという間に時間が過ぎていく。
「ごめん、そろそろ行かないと」
「そっか。じゃあね、颯真」
そう言って別れようとして、突然呼び止められる。
「あ、颯真。今日は放課後用事あるから一緒に帰れなくてごめんね」
「ああ、昨日メッセージを送ってくれたやつね。良いよ、全然。ちょっと残念だけど」
俺たちは最近、途中まで一緒に帰るようにしていた。
単純にお互いもう少し人目につかずに話しをしたいとの理由で、帰り道の間に話そうとなったのだ。彼女とは学校から彼女の家の近くまで帰り道を共にしている。
「じゃ」
「うん」
会話もひと段落付き、時間を見て俺たちは別れた。
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さて昼休みはまだ長い。
俺は持って来た弁当を食べる為に食堂へと向かう。
今日は特に友人の斎藤らと話したい話題もなく、何となく一人でご飯を食べたい気分だったので、隣に歩く人がいない廊下を進むのが少し久しかった。
「あれ、相沢君?」
食堂の空いていた席に着くと、向かいの人に話しかけられる。
彼は菊池だ。
俺の印象としては、同じクラスの爽やかイケメン君だ。三年生に上がったばかりの頃は良く話しかけてくれていたのだが、あまり興味の無い姿勢を見せると察し良く身を引いてくれた人物である。
菊池君の伝説は数多くある。三年生で一番のイケメンと呼ばれる彼は、何でも俳優をやっているらしい。
勿論それ程売れてる訳では無いそうだが、有名な芸能人も多数在籍している中堅規模の事務所に所属していて芸名で活動している。芸名で活動しているインスタでのフォロワーは六千人ほどいるのだとか。
けれど周りを見渡せば、同じ席にいるのは彼一人だ。友達に囲まれているイメージが強いのだが、どうして一人で飯を食べていたのだろうか。
「えっと、菊池君は一人なのか?」
「まあね。偶にゆっくり食べたい時があるんだよ」
意外ながらも、とても共感出来る話だと思った。
「相沢君は弁当かい? 随分と健康的な食事なんだね」
弁当を覗き込みながらそう言われる。
俺のメニューは三種類のサラダにサラダチキンと玄米である。異空探索で食費が潤ってから、身体作りを意識し始めた。
それ以来自分用のご飯はずっとこんな感じである。
「手作りなんだ。菊池君はうどんか。ここの学食うどん美味しいよな」
「だよね。それにしても手作りなんて凄いなぁ。特にそのサラダが美味しそうだよ」
菊池君はそう言いながら、プラスチック容器に入れられた俺のサラダの一つを指差す。
ミックスリーフをメインに、ミニトマト、スモークサーモン、モッツアレラチーズーー以上を見た目良く入れつつ、オリーブオイルと塩、レモンドレッシングで味を整えた一品だ。
確かにこの三種類サラダの中だとチーズや刺身なんかで値段が張るし一番の贅沢品である。
「見る目があるね。俺もこれが一番気に入ってるんだ」
事実、一番美味しいと思う。健康的だし何より好きな食べ物で構成されているというのも大きい。
「にしてもサラダを三種類も作るなんて大変じゃ無いかい? 相沢君はダイエット中……って訳ではないだろうし」
「健康と身体作りの為かな。それとサラダを三種類に分ける理由は、味変の為だね。元々野菜はそんなに好きじゃなくてさ。けどこうしたら苦なく食べれるから」
俺の答えに、菊池君は「へー、凄いんだね」と相槌を打つ。けれどあんまり共感できてなさそうな表情だ。
チラッと見る菊池君の肌は控え目に言っても綺麗だ。日焼けも健康的な感じで、尚且つスタイルも良く筋肉もついている。
普段も学食でサンドイッチやうどんを食べているのを度々見ているから、あまり食生活に気を遣っては無いのだろう。
こっちの地味な努力を才能や遺伝で超えてくるところに恨めしさを感じた。
「そういえば相沢君、学年が上がって初めて話した時から随分と見た目が変わったよね。印象は変わってないんだけど、なんていうか肌とかも綺麗になったし、髪もちょっと短くなってサッパリした印象だよ」
そうやって内心嫉妬していると、突然褒めの連続がぶち込まれる。
「そ、そうかな?」
言いながら顔のニヤつきが漏れる。
少しばかり感じていた恨めしさが彼方の向こうへと消し飛んだ。
なんだかんだイケメンに容姿を褒められると嬉しい。
「うん。あっ、ご馳走様。じゃ、また教室でね」
そう言って食器を片付ける菊池君を傍目に、俺も食べ終えて弁当箱を仕舞う。
そして俺も「じゃあ」と別れを告げてから食堂を去った。
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あっという間に学校が終わった。
俺の脳に反芻し続けるのは、昼休みに菊池君に褒められた言葉の内容である。
彼と仲良く出来たら得られるものが多い気がする。
あのコミュ力と話し方、会話の上手さなど吸収したい部分が多すぎる。後ナチュラルに褒めてくれる人たらしな部分が超好きだ。
別に斎藤達に不満はないのだが、俺もできればああ言う人間が友達だったら人生楽しかったんだろう。
「さて、帰るか……」
考え事をしていると学校の駐輪場に着いたので、自分の自転車を取り出して跨った。美香は今日友達と放課後遊ぶらしいので一人で帰る予定だ。
ああ、そういえば、と俺はペダルを踏み掛けて思い出した。
食材の買い足しをしておかねば。昨日も一昨日も美香と途中まで帰り道を共にしていたので、買いに行けてなかったのだ。
学校の近くにそこそこ大きなスーパーがあるので、一人で帰るならそこに寄れる。幸い米を買う必要もないし、自転車のカゴで持って帰れる筈だ。
着替えを入れてる鞄を既にカゴに入れてるが、大きさ的に余程大量に買い込まない限り両方入るだろう。
俺は久々に寄る事になったスーパーの品揃えを思い返しながら、欲しい物を頭で列挙しつつ自転車を漕ぐ。
数分ほどでついた俺は財布を先に取り出しつつ入店したのだった。
「……何買おうかな」
悩みながら買い物かごを取って店内を進む。
必要な物を取りながら進み、魚介類コーナーで目当ての物を見つける。アジの刺身だ。どうやら今が旬の上、寿司のネタとしても好きな魚なので夕飯にしようと決めた。
しかもラスト一つだ。
運が良い、と思いながら手を伸ばすと、丁度隣から同じタイミングで獲物に触れる手があった。
取ろうとした所で固まる。
「「あ、すいません」」
そして互いに手を離さないまま、同じセリフが重なった。
驚いて伸ばされた手の持ち主を見る。
ーーどうして今日はこうも変わった日なのか
朝はいつもと変わらない一日になりそうだと思ったのに、見事に期待は外れたらしい。
俺はこの偶然を呪いながら、目の前の人物と互いに驚いた顔のまま静寂していた空気を打ち破った。
「武藤」
目の前の人物に声をかける。
俺と同じ制服で、かつ相当に大柄な男子生徒。
武藤士郎也。学校唯一のアカデミー生であり、俺の目先の目標だった。
「あーお前は……確か……相沢だっけか?」
思い出してもらうのに時間がかかったらしい。多分前回俺を突き飛ばした事などもう覚えてもないだろう。
これでも一年の頃の修学旅行では同じ班になったりとそこそこ関わりはあるのだが。
「ああ、合ってる」
そう言いながら、軽く品物を引っ張る。しかし武藤はこのアジの刺身を離さない。
なんて我の強いやつだ、と綺麗なブーメランを投げながら俺はこめかみに青筋を立てた。
「おい相沢、これオレに寄越せ」
ぞんざいな言い方に、イラっと来る。
そもそもこいつは好きではないのだ。何せ性格が悪い。
しかし落ち着け、俺。
こいつと争っても意味がない。大体、こいつが俺の説得で諦めてくれるような人間には思えない。ここで揉めるより、大人しく夕飯のメニューを少し変更した方が早いだろう。
「ああ、全然良いよ。別のを探すから」
「なんだ聞き分けがいいな。そういう奴は好きだぜ?」
お前に好かれても嬉しくない。
そんな言葉を吐きそうになるが、堪えて笑顔を貼り付ける。
「どうも。……そういえば、随分と野菜と肉とプロテインばかり買い込んでるな」
このスーパーは学校から近いのだが、学生客は残念ながら少ない。そもそも普通の中学生はスーパーに用事なんかないだろう。
学校のもっと近くにコンビニがあるし、買い食いするなら多くの学生はそこを利用する。スーパーには偶に安いからという理由で菓子を買いに来る学生がいるくらいだ。
「お前も同じじゃねぇか。主婦みてぇな買い物しやがって。大体、オレは身体作りの為にやってんだぜ」
流石というか、武藤は当然のように言う。
しかも買い込んでいるプロテインはどれもそこそこ値を張る物ばかりだ。武藤は家が金持ちだという噂があるが、案外本当かもしれない。
「俺は親がいないから自炊してるんだ」
そう言い捨て、俺は武藤に背を向ける。特段もう話すこともないだろう。
「一人暮らしかなんかかぁ? エラいじゃねぇか」
背後で揶揄うように言葉を放ってくる武藤を無視する。
そして適当に立ち去ってやった。
「……ん? 待てテメェ、その首飾り……」
最後に何かブツブツと言っていたが、そっと離れるとようやく静かになる。
面倒な奴と出会ってしまった、と後悔しながら俺は肩のずり下がった学生鞄を掛け直す。
その際に鞄の隙間から首飾りの聖具が顔を覗かせていたのに気づき、俺はそっと奥へと押し込む。
それから何事もなかったかのように買い物を続けるのだった。




