2話 使徒
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”貴方は何故生きるのか。悩まず、焦燥感に怯えないのは楽だ。
でもその瞬間、貴方は死ぬだろう。仮初の答えで満足したなら、必ず。”
ーー神、第三の福音より
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四十年前、本当に突如として『異空災害』が発生した。
化け物共が地上に蔓延り、数多の人を殺して回ったのである。
人類は全く歯が立たなかった。その被害は尋常なもので、一時期世界は滅亡の危機にすら瀕したという。
もうダメか。誰しもがそう思った。
しかし、そこに救の手を差し伸べる神が現れる。
スピネルと名乗った彼女は、人類に『使徒化』という力を与えた。
そしてまだ心の折れていなかった人たちが、力を使い戦った。後に使役師と呼ばれる彼らは見事に人類の破滅を防いだのである。
それから時は流れ四十年後。
俺がそんな『使役師』となり、異空に踏み入れたのがつい今日のこと。
時は現代、使役師は職業となった。報酬が与えられ定期的に発生する『異空災害時』以外にも、直接『異空』に潜って力をつけたり価値のある秘宝を拾ってくることが求められている。
俺は十五歳になり年齢を満たしたことで、使役師のライセンスを取得した。
成り立てなので、等級は正ライセンスの一番下である五等級使役師だ。
目下の目的は、自身の使役師としての等級を上げること。
そうなれば使役師として活動できる幅が広がる。
そのためには強い使徒とバンバン敵を倒す必要があるのだが……。
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「……寒っ」
俺たちは雪原の雪地を一歩ずつ、雪量の少ない場所を探しながら歩いていた。そう深くはないものの、一歩一歩踏み進めるごとに足の下から雪の冷たさが伝わる。
子供の頃から愛されていなかった。
三年前、俺が十二歳の頃。
先に家を出ていた姉さんが里親になってくれて、あの両親から保護してくれた。
以来ずっと二人で暮らしている。
だが、そんな彼女にも使役師になったことは話せていない。
だってーー姉さんは、俺が使役師になることに反対していたのだから。
「大丈夫ですか? マスター」
一歩一歩、俺は確実に足を進めている。
異空にいる。
そんな実感が、この雪原を進むたびに湧いてくる。
第七異空と呼ばれるこの異空は、あまり人気がない。
なので他の使役師と出会うことは稀なのだが、裏を返せばこの極寒の中でふとした拍子に気を失っても助けは来ないという危険がある。
「……気温、零度は下回ってるよな……?」
パラパラと降る雪に、せめてブーツくらいは履いてくれば良かったと後悔しても遅い。
完全に服装の選択を間違えたと言わんばかりの長袖とインナーの二枚。その上に羽織ったコートも防寒性能は薄い。
顔は多分真っ赤に腫れているように赤くなっているだろう。
「だね……」
横を歩く存在から返事を貰いながら、俺は寒さに耐えながら足を進める。
雪を薄く積もらせた鼻先が痛む。その上、鼻を拭う手もまた冷たいのだ。
薄い手袋が弾く冷気は微々たるもので、手の感覚が薄れつつあるのを俺は自覚する。現在のコンディションは最悪と言って良かった。
「相当特殊なフィールドですけど……。この異空、しっかり情報を集めてから来たんですよね?」
「……いやぁ、ははは、確認不足だった」
雪に足跡を付けているのは、軽装の俺と少し後方で隣を進むナイフを持ち合わせた少女だ。
彼女は百七十近い背の高さがあり、顔はクール系で可愛い。年齢としては十代後半そこらの女子の外見で、肩に積もった雪をパパッと振り落としていた。
「なるほど。馬鹿ですね」
寒いのか、少し不機嫌そうである。
自由にして良いとは言ったものの、早速俺を睨み付けてるあたり結構神経は図太いのかもしれない。
容姿を一言で言うなら可憐。
髪は紫色のメッシュが入った黒髪だ。
「マスター、次は許してもらえないと思うよ〜」
「申し訳ない……」
続いて話しかけてきたのは、先ほど返事を返した赤髪の美少女である。背は小さく、ボサボサの汚れた袖の先には左腕がない。
彼女は寒くなさそうだ。
二体とも容姿は人間となんら変わらなさそうに見えるが、よくよく見れば黒髪の少女には髪に隠れて頭の横に小さなツノが二本生えているし、背中には小さな蝙蝠の翼がある。
赤髪の少女に関しては片目を隠している髪をどかせば、顔を縫ったような後と茶色に変色した肌、蒼色の瞳が顕になる。
そう。彼女らは人間ではない……紫色の混じった黒髪の少女の方は悪魔であり、赤髪の少女は死者だ。
「異空って、本当にどうやって現れたんだろうな。神様の存在も謎だし」
「……さあ。分からないことは気にしても仕方ないと思いますよ」
勿論誰にも分からないのだから、こんな問いに答えは出ない。
スピネル様が手を貸してくれているということは、彼女の敵神とかなのだろうか。
「なあ、ゾンビ……」
「なーに? あ、そうだマスター。そのゾンビっていうの、やめない? 可愛くないし。……あ、ゾンビちゃんとかが良いな!」
随分と気軽に言う上、距離感が近い。
気を許してくれているのか、元々そういう性格なのか。見る限り後者のように見えるが、真偽は分からなかった。
「ゾンビちゃんは違和感があるんだけど」
「確かに……? なら、種族じゃなくて名前で呼んでよ!何か思いつかない? 出来ればデビルの分も!」
「私もですか?」
唐突に巻き込まれたデビルは、驚いた声を出す。
「え……パッ、とは思いつかないな」
いきなりそう言われ、俺は女の子の名前を色々と思い浮かべる。
とりあえず、提案してみるか。
「ナナとかはどうだ? デビルは……リリィとか」
「んー、人間っぽい名前だね。でも良いかも! 採用」
「……私も構いませんよ。変な名前だったらどう断ろうかと」
犬猫などのペットを飼った経験がない為、人間の名前しか付けられないのだ。
俺は二人が俺のネーミングセンスに突っ込まなかった事に安堵し、ほっとため息をついた。
「じゃ、これからはナナって呼んでね!」
軽いノリで呼び名が決まってしまったが、まあ納得してくれたならいいか。
「分かった。じゃあ二人のことは名前呼びで行くか」
「二人っていうか、二体だけどね」
「あ、悪い。じゃあ二体のことは……って、どっちでも変わんないだろ」
「えぇ……? 変わるでしょ」
ナナは異質だと思う。
異空にはイレギュラーが付きものだ。
いつもの難易度の異空に潜った使役師が、イレギュラーのせいで異空の難易度が上がってしまい、油断してたが故にそのまま帰らぬ人となった。……なんて事件は少なからずあり、確かに実在する話である。
「まあ二人は異質だし……あんまり普通の使徒って感じはしないからなぁ」
ナナもイレギュラーの類であれば、強力な使徒に化けたりする可能性もあると考えたがーー本人はよく分かっていないようだ。
「……っ。マスターって、ちょっと失礼だよね」
若干不満そうに言うものの、ナナは上機嫌だった。
困惑していると、リリィに背中を軽く突かれる。
「そろそろ穢者も出るんですから、遊んでないで行きますよ」
言われて、少しばかり後ろを振り返る。
もう随分と森林の奥まで入ってきた。そろそろ穢者と遭遇しても不思議はない。
この雪林の景色もだいぶ見慣れてしまった。
やるべき事をいくつか考え、俺はリリィに話しかけた。
「戦闘の前にだが、ひとまず二人がどういう能力を持ってるのか確認をとっても良いか?」
俺は使役師になるのにあたって、ライセンス取得と共に追加でデビルの聖遺書と武器の剣を使役師組合から購入した。
聖遺書とは使徒を持ち運ぶ媒体だ。
人類が持っている力はたった一つ。
穢者を使徒に変える『使徒化』能力。
だが使徒は地上には持ち出せない。
その為、神様は使徒を『聖遺書』に変える力を『使徒化』に付随している。この聖遺書のお陰で、人は使徒の売買をしやすく、使役師という職業も金を生み出しやすい。
「何か?」
「……いや、なんでもないよ」
悪魔種のデビル。
それは四等級に位置づけられる使徒だ。
俺はその使徒を購入した。
使役師は使徒がいなければ戦えない。
そして当然、どの使役師も最初は使徒を持っていない。
だから金で取引されている使徒を入手する場合が殆どだ。
「……何です、その目は」
デビルは弱い。それが使役師の間での評価である。
小さな蝙蝠の翼を持っているが、飛べるわけでもなく。
小さな角も何かの能力を持っている訳ではなく。
貧弱な体であり、同じ第四等級の使徒である夢魔や夜魔女と比べて、何か特殊な能力がある訳でもない。
買っておいて何だが、まあ安く買えた以上、それに見合った程度の性能だ。
「何か失礼なことを考えてそうなので、もう一度ど突いておきますか」
「やめて!? あれ、俺ってマスターだよね?」
いつの間にか消えていた俺の威厳を必死に探すが、どこにも見当たらない。
忽然と消えてしまったらしく、俺は絶望した。
「まあ、良く考えればマスターは十五歳の子供じゃないですか。畏まりすぎる必要もないかと気づいたので。しかも私より背が低いですし」
「……あんまり変わらないだろ?」
俺は彼女を少しだけ見上げながら呟く。
一応俺も百六十五はあるのだけど。
「で、どうするのマスター? わたしもあんまり戦えないよ?」
ナナが片腕のない空洞の裾をひらひらと振る。
彼女は出来ても戦いのサポートくらいだろう。
「……えっと、確かリリィは確か階級Iの雷魔法と短刀術が使えるんだっけ。その短刀も最初から装備してたし。あ、でも悪魔って先が三本ある、あの槍みたいなのが種族武器なんじゃ?」
リリィに言葉をかえす。
メイジタイプじゃないデビルの魔力量がどのくらいだろうか。しかし、スキルは随分良いものを持っている、という事に関しては間違いない。
「三叉の槍の事ですか?私は扱えませんね。代わりにほら、短刀の方が得意なので」
そう言って、彼女は手の上でくるくるとナイフを回転させ手捌きの良さを見せる。
素人目でもナイフの扱いに慣れているのが理解できた。
種族武器にはある程度の恩恵があるとはいえ、使徒自身が使い難いと言うなら使う必要はないだろう。
「そういう事なら。で、階級Iの雷魔法はどういう物なんだ?」
「『感電』を習得しています。痺れでの痛みによる行動阻害や皮膚の火傷によるダメージが可能なものです。ただ初級とだけあって、威力が低いのは難点ですが」
彼女はそう言いながら手のひらで電流を操り、閃光が舞う。
「おぉ……!『感電』か。優秀なスキルだな」
「まあ私が使っても大した効果は期待できませんけどね」
彼女はそう言うものの、感電という手札は大きい。
戦術の幅が大きく広がるからだ。
戦闘か……。
リリィ自体の戦闘力も、恐らく低い訳ではないのだが、感電と短剣だけでは少し心許ない。
俺も戦闘に参加するべきだろう。ナナは……うん。いきなりの戦闘は危ないだろうし、俺たちが手慣れるまでは側で俺を守って欲しいかな。
「ま。緊張せずに行こう。二人をこれから頼りにするつもりだ。改めてよろしく頼む」
俺は微笑んで、拳を差し出す。
「うん!」
真っ先に拳をくっつけるナナ。
そんな彼女とは対照的に、リリィは俺と拳を見比べて固まった。
「…… 私もやるんですか?」
俺は再び、早くと急かすように拳を微かに揺らした。
「おう。ていうか、リリィを一番頼りにしてるからな」
雰囲気に呑まれながら、彼女の拳は確かに上がりかけていた。
けれど突然動きを止めて、ゆっくりとリリィは口を開く。
「それは……困るんですが。私は頼りにされるほど強くありませんし」
そのやけに自信のないセリフに、俺は言い返す。
「そうは言っても。さっきのナイフ捌きは上手かっただろ?」
「種族武器が扱えなかったので、極めたんです。て言うか、マスターもデビルが弱い種族なのは知っているでしょう?」
何がそんなに彼女の気にかかるのだろう。
「まあそうかも知れないけど、リリィなら大丈夫だろ」
「……どこからくるんですか、その期待の高さは」
反論する俺の言葉を受け、リリィの言葉に少し苛立ちが混ざる。
続く彼女の言葉が、耳をうった。
「分かってませんよ、マスターは。使徒の強さは、種族によって決まります。勿論、飛び抜けた例外もいますが、私にそんな力は秘められてません」
「そんなの分からないだろ?」
「分かりますよ。……少なくとも私は、平凡な使徒です」
呆れたように再びため息をつく彼女。
だが、俺はそれでも否定する。
「リリィにはさ、自信がたりてないだけだと思う。ナナに影響を受けたとはいえ、もう自分で色々考えて、意思を持って動いているんだ。リリィが普通の使徒な訳あるか」
彼女の言葉が詰まる。
何か反論しようとして、けれど中々思い付かなかったのか、少し経ってからようやくリリィは言葉を紡ぎ出した。
「……私に自信をくれても、何にもなりませんよ」
意固地になって譲らない彼女に、俺は呆れてため息をつく。
それから落ち着いて答えた。
「そんなに種族が問題なら、『昇華』すれば良いじゃないか」
「はぁ……? 貴方、馬鹿でしょう。『昇華』すれば、確かに使徒は種族を変えて強くなります。でも新しい使徒を買えば良いだけなのに、そんな勿体無いことして何になるんですか」
「二人から乗り換えずに済む」
堂々と言い切る俺に、リリィは言い淀む。
そこで訪れる静寂を予想してか、ナナがボソッと呟いた。
「……マスター、結構大胆だね」
その言葉がリリィの心中で反響する様子が、赤づいた表情からありありと分かった。
緩む頬をリリィはギュッと締め、照れ隠しみたいに捲し立てた。
「っ、馬鹿すぎて呆れます。良いですか、使徒は家畜と同じです。そりゃ中には家畜に愛着を持つ人間もいるでしょう。けど、私たちの存在意義は何ですか? 消費され、死ぬことです。マスターは人間らしくありません。お金よりも、私たちが尊いとでも言いたいんですか?」
ギュッと、彼女が自分自身の腕を強く握る。
「俺は……」
そうだよ、と言いかける。
だが突然、底冷えするような声が聞こえた。
──グゥ亜
ぞくっ、と既に凍っている背筋が寒気で震える。
声の方向へ振り返り、そして薄暗くなった光の中、目を凝らした。
「っ、マスター、敵です!」
「敵? ……あれか!」
リリィの声と主に、ズンッズンッと雪を踏みつける大きな音が聞こえた。
「でかい……」
ナナのつぶやきと共に、俺は相手を見上げる。
それは三メートルを超える巨体だった。
筋骨悠々の肉体、毛むくじゃらの肌。二本足で立ち、首には赤い鎖。
恐ろしい穢者の姿を見て、俺は敵の名前を叫んだ。
「……雪男!!」
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作者からのお願い
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