18話 買い物
とある過去の記憶。
私の、懐かしい記憶。
「何だよ、お前」
男子達の中心に立ちながら、生意気にもそう言いながら睨む、リーダー格のような少年。
「はぁ、そっちこそ何よ?」
丁度当時は同じくらいの背丈だった私は、同じ高さで目線を合わせながら、親友である加奈の前に立って彼を睨み返したのだ。
思えば、相沢 颯真との初めての出会いは丁度小学三年生のこの頃だった気がする。
三年生になって、初めて同じクラスになった私たちは、そこでようやくお互いの事をまともに認識しあった。
「女子も掃除手伝えよ」
目の前の相沢が粗雑にそう言ってくる。
私たちは相性が悪かった。
当時はお互い、対立しがちな男子女子の中心的存在。
「男子だってサボってるじゃん!」
「そっちの方が分母的にサボってる率高いだろ。大体、白石さん以外みんな会話に夢中で仕事して無いじゃん」
「こっちは話してた方が効率上がるの! それにそっちはほうきで遊んでるだけでしょ?」
「あー、はいはい。ごめんごめん、今はみんな真面目にやってるからさ」
「大人ぶらないでよ、きもち悪い!」
私は心にも無い事を言う。本当は気持ち悪いなんて、微塵も思ってないくせに。
後ろにいる女子たちは同意の言葉を投げた。
「そうそう!」
「やる気出ないもん!」
「男子なんてみんなブスだし、一緒にやりたくなーい!」
段々と強くなる言葉に、私は少し感情が付いていけなくなる。それでも女子たちの気持ちを代表している立場として、頷く他なかった。
「だよねー」
嘘をついた。
彼は飛び抜けたイケメンって訳ではない。でも、時折しか見せない微笑んだそのカッコいい顔はとても優しそうでーー好きだったから。
……認めたくはないけれど。
「なぁ!?」
「ふざけんな! オレらだって女子とやんの、ガマンしてやってんだよ!」
「ありえねぇわぁ!」
当然男子らも黙っておらず、すぐに反撃に応じる。加熱していく熱に、私はどこか周りに置いてけぼりにされる感覚を覚えた。
「……まあまあ、みんな一旦落ち着つかね? そろそろ先生も戻ってくるし、ここは俺ら男子の懐の広さで許してあげようぜ」
そんな中、かなり騒がしくなっていた所に、相沢が、パンと手を叩いて注目を集めてから、男子に向けてそう喋った。
「……だな」
「男子が優しくて良かったな、お前ら」
すると彼の扇動に同意する男子達のお陰で男子の怒りが収まる。
しかしこれが女子の逆上を誘う。
「はぁ!?」
「許してあげるのは、私たちの方でしょ!」
「ほんと、男子って子供よね!」
「そっちがほうきで遊んでるから、私たちが雑巾掛けしてあげてたのに!」
原因はお互い様だったが、そんなのは当事者からすれば関係ない。
「うるせー!」
「女子の方が子供だろ!」
私もあれこれと、ない事を言われてる事に納得がいかず、怒りを覚える。
何か言おうとした時、先に口を開いて場を納めたのは加奈だった。
「みんな待って。じゃああっちより、私達女子の方が先に許してあげれば良いんじゃないかな? 悪口はおしまい。私達の方が賢いもんね?」
怒りが行き場を無くす。ここで怒ったら、加奈と敵対してしまう。
私はどうしていいか分からず、思いのまま相沢を睨んだ。
しかし、彼の目線が私にない事に気づく。
相沢の視線は、私の隣にいる加奈と合っていて。
加奈があはは、と苦笑いをした時。
「大変だな……」
相沢はただ、小声でそう言って、同情を含んだ優しい微笑みを加奈に向けていたのだ。
加奈に向けられた憐れむようなその顔に、私の中で複雑な思いが混ざり合う。
「……加奈の事なんて知らないくせに」
ボソッと誰にも聞かれないように私は呟いた。
そしてただ、悔しさと憎たらしさを滲ませて、私は相沢を睨み付けるしかなかった。
||
陽も沈み、昼空が隠していた星の輝きを曝け出した頃。
一人の少女ーー篠原 美香は年頃の少女らしい内装の自室のドアから出て、リビングへと向かっていた。
ドタドタと廊下を急いで踏み鳴らす彼女の手にはスマホが握られており、画面には『相沢』という表記があるメッセージアプリの会話履歴が表示されている。
ガラッと、勢い良くリビングのドアを開けると、彼女は若干上擦った声で部屋のソファーに座っていた母に目を向けた。
「お母さん、私土曜って予定ある!?」
「どうしたの……? ないけど……」
「良かった! じゃあ、私土曜日は友達と出掛けてくるから!」
喜びを浮かべる娘の眼差しに、母ーー篠原文子は釣られて微笑みを浮かべるも、いち親として聞くべき事を聞く。
「分かったけど、誰とどこに行って、何時までに帰ってくるかはちゃんと教えなさい」
母にそう言われ、美香は少しうんざりした顔を浮かべた。
「えー! 干渉しすぎ!」
「はいはい。いつも言ってるけど、私も本当は好きにさせたいの。でも心配だから、高校生までは我慢してね」
「……はーい」
母の巧みな言葉によって、美香は沸いた不満を飲み込まされた。
高校生になったら、と条件を付けられている。その上、ちゃんと理由も説明されているのだから、美香も納得せざるをえない。
素直にうん、と頷く娘に満足して文子は聞く。
「で、誰と行くの? またクラスのお友達?」
「えっと……颯真って人。お母さん覚えてる?」
「んえーっと……あ、颯真君ね! 昔遊んでたわよね。懐かしいわ〜。 なぁに? デート?」
少し揶揄うような口調になったお茶目な母に、美香は少し口籠った。
「べ、別に……買い物と後ちょっと異空探索をするくらいで……」
「あら、そうなの。絶対に危険なことはしちゃダメよ?」
「分かってるって。私もそんなに馬鹿じゃないから」
「ならいいわ。あ、そういえば、颯真君って昔よく遊んでた加奈ちゃんがベッタリだったと思うんだけど……」
「……そうだったね」
少し眉を顰めた娘に、母ーー文子は興味が沸く。
色々聞いてみたいが、経験則から娘は素直には話したがらないだろう。
文子は頭を回し、娘の牙城を解く事を決めた。
「あんた、颯真君の事好きなの?」
「……んぇ!? ぜ、全然違うけど!」
ジャブ代わりにド真ん中ストレートから打っていく。予想通りの反応だ。
赤子の頃から見てきた母にとって、咄嗟の反応を予測することは難しくない。
「そう? でも、私も昔は友達と男を取り合ったものよ。高校生の頃だったかしら。懐かしいわぁ。……あ、これお父さんには秘密よ?」
ニヤリ、と唇に人差し指を立てた母に、美香はたじろいだ。
母の秘密を開示させてまで、自分だけ情報を明かさない事に申し訳なさを覚える。
当然、そんな隙を母は見逃さない。
「颯真君のこと、どのくらい好きなの?」
文子はこの数回の問答で、素直になれない娘の言い訳癖を把握していた。娘は否定から入ると、その後は少し真実を混ぜがちだ。
閃いた瞬間、彼女は娘が答えやすい言い訳を予測し核心をつく。
「や、だから……ベ、別に……ちょっと気になってる程度っていうか……」
文子がニヤリと笑った。
羞恥心からか、顔の温度が上昇している娘を愛おしく思いながらも、文子は娘に対する小さな嗜虐心が掻き立てられていた。
「ふーん? 昔はあんなに喧嘩ばっかりしてたのにねー?」
頬を緩ませながら、だる絡みをしてきそうな母の雰囲気を美香は察知する。
「う……もう部屋戻るから!」
逃げ帰る美香の背中を目に、篠原文子はただ、ふふっと笑うのだった。
||
六月十五日、土曜日。
ついに来てしまった。
今日が、篠原と使役師組合に向かう日だ。
「あれ……早いね」
朝目覚めると、姉が既に朝食を食べていた。
秘め事を隠しているせいか、彼女の姿を見て心がドクっと跳ねる。汗を一筋垂らしながら、俺は平静を装って話しかけた。
土曜は普段俺が作るのだが、今日は彼女が早起きした為自分で用意したようだ。
「うん。今日は朝早くから仕事でね〜」
そう言いながら、コーヒーを飲む彼女。
「言ってくれたらもっと早く起きて朝食作ったのに」
「全く……ダメだよ。子供なんだから、ちゃんと睡眠は取らなきゃ」
「子供って……一応もう十五なんだけど」
「いやいや、颯真は大人な部分もたくさんあるけど、まだ子供だよ?」
姉さんは俺に笑いながら、そう言う。
「あっそ」
俺が不満気な顔を見せると、彼女は俺の顔を覗きながら、口を開いた。
「勘違いしないでほしいんだけど、ちゃんと精神年齢の話でもあるよ? 全部ひっくるめて子供って言ってるんだから」
「確かに姉さんから見たら、子供な部分も多いかもしれないけど……」
「まあ颯真くらいの歳なら、もっと子供っぽい子は周りに多いかもしれないけどねー。でも、分かってる? 私、いつ死ぬか分かんないんだよ? 早く大人になって貰わないと、私、安心できないなー」
姉さんは冗談まじりに言った。
でも、その目から、なまじ本気で言っていることが伝わり、俺は何もいえなくなる。随分と卑怯なカードを切ってくるものだ。
「大人っぽさって何だよ」
姉さんにジト目を向けながら、俺は肝心な内容を聞く。
俺の為に言ってくれているのは分かるが、言われっぱなしではプライドが廃れる。
「颯真にいつも言ってる事だよ。私の持論だけど、大人になるっていうのは、賢くあることと、許容深くなること」
「……やってるよ」
姉さんがよく言っている言葉だ。だからこそ嫌でも覚えたし、常に頭の片隅にちらつくようになった。自分でもそこそこに実践できているつもりだ。
「残念、私から見たらまだまだですぅ〜。もちろん、賢くなるって、勉強の話じゃないからね? 私の言う『賢さ』は、相手の仕草を読んだり、会話の流れを操ったり、正しい選択をしたり……そういう頭の使い方のこと」
「知ってるって。またその話?」
口を挟む俺に、姉さんはじろりと目を向けてから、話を続けた。
「良いから聞きなさい。許容する事はね……言い換えるなら、理性的であること。目先の楽を取らずに、怒りに身を任せる事もなく、相手の暴言を笑って流せばいい」
今度は俺は口を挟まずに、無言で頷く。
姉さんは俺をチラリと見て、首を縦に振っている様子を確認するとすぐに話を再び切り出した。
「まあ感情を律するのは難しいから。大事なのは、まず行動で許容する事だよ。そしたら、自然と自分の感情も付いてくる」
姉さんはいつもと同じ言葉を言ってくる。
初めてこの話を聞いた時は説教か、と納得できずに怒りを覚えた。
けど、繰り返しこれを言う姉さんはいつも悲しみ混じりの真剣な瞳をしていた。だから、自ずと自覚してしまったんだ。
姉さんはよく俺にこういう説法をする。
全部、俺のためだ。拙かろうが、必死に伝えようとする彼女に俺は折れた。
「分かってるよ、姉さん。ちゃんと伝わってる」
本当に誰かの為を思って言う言葉は伝わらない、なんて嘆く人は多い。けれど、姉さんは『あなたの為を思って言っている』なんて信用ならない言葉ではなく、態度で示してくれる。
だから、俺も彼女の言葉が自分の為なのだと信じられるのだ。
「偉いね。賢い賢い!」
「ていうか姉さんのせいでもう覚えちゃったよ」
「そう? ーーねえ、颯真。これが出来たら、女の子にモテるよ?」
何だそれ、と俺は思う。
そんな俺を見てか、姉さんは揶揄うように笑った。
俺の反応を見て楽しんでいるらしい。
「ていうか、これが出来ない大人も多いんだもん。颯真より五年多く生きてきた私が見つけた、アドバンテージなんだから。だから役に立つかは分からないけど……颯真は、頑張ってね」
どこか遠い目をする彼女に、俺は何も言い返せない。
事実、俺は大人の社会を経験したことがないのだから。
彼女がどんな苦労をしているのかなんて、俺には想像も付かないのだ。
「分かったから。ていうか、俺今日出かけるからもう行くよ」
「最近多いね」
「まあ、うん」
姉さんはまだ、俺が使役師になった事に気づいていない。
けれど外出の多さには気づいているらしい。
「一人? それとも誰かと一緒?」
「言う必要あるの?」
口ではそうは言うものの、彼女の心配の気持ちが籠った眼差しを見る限り言わされるんだろうな、と俺は確信した。
「出先で異空災害とかのトラブルが起きるかも知れないでしょ? 最近増加傾向にあるじゃない。少なくとも信頼できる誰かに、出かける場所と相手は話しておいて。特に、異空災害の危険さは使役師だった私が一番よく理解してるんだから」
「合理的だね……」
俺は姉さんのそういうところが苦手だ。
「私は合理的なことしか言わないから」
「……まあ何も無いとは思うけどさ。篠原美香っていうクラスメイトの女子と、梅田駅付近で買い物に出かけるだけだよ」
俺がそう告げると、姉は驚いた顔をした。
「えっ、デート? 何、もうモテてるの……あ、これって私の功績?」
「多分違う」
俺はジロっ、となぜか調子に乗る姉に視線をやると、彼女はふーんと相槌を打った。
……姉さん調子に乗らないだろうな。
そんな風に心配しつつも、俺はバタンとドアを閉めて家を出たのだった。
||
篠原美香は、内心ドキドキしていた。
彼より先についたせいか、会った時どう反応すれば良いのかをずっと懊悩する時間があった。
服装を褒めてくれだろうか。
可愛い、と言ってほしい。
彼女の使役師に興味があると言う言葉には少し嘘が混ざっている。
幼い頃から若干興味はあったし、テレビでのポジティブな報道を見る度、ちょっとした非日常に憧れていた。
だが実際そこまで重い気持ちではないのである。やはり金銭面的な問題もあるし、一緒に探索に行ってくれる友達もいない。
そんな彼女の背中を押したのが、相沢という存在だった。
相沢との接点を増やすきっかけになる上、異空も体験できる。今回の話は、彼女にとって一石二鳥なのである。
とはいえ篠原は相沢と違い、浅い階層でお小遣い稼ぎ程度にやりつつ、楽しい運動になれば……というくらいの気だ。
底階層でやれば確実に安全であり、危険度はアトラクションと大差がない。
それが彼女ーーひいては多くの高校生の異空に対する認識でもある。
そういう訳で、この話を持ちかけたのには様々な理由から成り立っている。
でもきっと、一番は。
彼が何かに熱中して、直向きに努力している姿が。
昔から好きだったから。
「本当にごめん! ちょっと電車に乗り遅れて、遅れちゃった!」
「大丈夫大丈夫。遅れるかもって連絡してくれたし、これで前回のはチャラって事で。今日は色々教えて貰うからね!」
一分ほど遅刻してしまったようで、篠原さんは既に待ち合わせ場所にいた。
上擦った声色で満面の笑みを浮かべる顔からも、彼女はテンションが高いように見える。俺もある程度合わせるべきなのだろうか、という心配が湧いてきた。
「篠原さん、今日可愛いね。服似合ってる」
「そ、そうかな……?」
「うん。そういや、先に異空探索に行くんだよね?」
ともかくとして、俺は彼女を褒めつつ、歩き始める。
「えっと、それで登録は済んでるんだっけ」
「うん、昨日のうちに……」
「よし。じゃあ、まずはショップコーナーに行く感じで良い? 予算は?」
「確か十万くらいかなぁ。使徒はレンタルじゃなくて、買う予定だから。足りそう?」
十万……俺はそう言われ、軽く頭の中で計算したが、まあ足りないという事はないだろう。パソコンが買えるくらいの予算規模だ。
学生は皆んな安物の使徒から始めがちだし、そう予算がかかることも無い。
にしても、購入希望か。値段だけ見たら高く見えるが、レンタル料も安くはないし、最近は異空災害も増えてるから念の為に持っておくのも悪くないのだろう。
「足りると思うよ」
「扱いには気をつけないと、だけどね」
それはそうだ。
普段はただの本とはいえ、異空災害に巻き込まれたら自分の身を守る武器になる。
当然違法な用途で使えば法的に罰せられるし、正しく使わなければならない。
「オッケー、了解。十分足りると思うよ。確認だけど、今日は俺が色々おすすめの物を教えれば良いんだよね?」
「うん」
頷かれ、俺は指を刺しながら答える。
「んじゃあ、取り敢えず安い奴でも良いから武器は一つ買おうか」
「そうだね!」
スムーズに会話が進んで行き、あっという間に方針が決まった。
細かい事は追々確認すれば良いかと考えながら、大雑把に必要な物を確認しあった後、俺たちは話の通り武器コーナーへと足を動かす。
「流石に丸腰はまずいからね。安物でも良いから、何かしら武器を選ぶべきだと思う」
「そうだよね。どういうのが良いの?」
「使いやすさとかコスト面で考えるなら短剣だけどーー出来るならやっぱり、リーチの長い武器が安全かな」
「へー」
いくつかの物品に目を止めながらも、彼女は目を輝かせながらガラス越しに武器を見て回っている。
そして彼女は何か目に留まった物があったのか、ふと足を止め、ケースに飾られている剣をじっくりと眺めた。
「ねえ、これとかさカッコいいし値段もお手頃だよね!!」
どうしたのか、と様子を伺っていると彼女は振り返って俺に向かってそう言った。
実際、彼女が指差す剣は中々安い割には性能が高そうである。
「そうだな」
俺は相槌を打ちながら商品情報を読み始める。
うん、悪くない。
収納袋は俺が持ってるし、予算を圧迫するから買わなくて良いだろう。
ちなみに、当然剣の帯刀は銃刀法違反になるので、異空以外では勝手に出してはいけない決まりになっている。
出していたら速やかに離れた方がいい。
刃物を見せびらかすなど論外だ。
なので武器を所持する場合は、基本的にマジックバッグに突っ込むことになる。
決して出してはいけない決まりだ。
彼女の方を確認すると、うーんと唸りながら値札と格闘していた。
邪魔するのは野暮かもしれないが、俺は思い切って声を掛ける事にする。
「まあ大事な買い物だし、今焦って選ぶ必要はないと思うよ。値段がネックなら、他に必要なものの値段も見た方が良いと思うし。良かったら先に別の物を選ぼうか」
色々見て回りながらも、若干決めかねていた彼女に声を掛け、提案する。
「んー……分かった、そうする」
「うん。じゃあ、次は聖遺書の購入に行こうか」
「待ってました!」
気分を変えるため、普段より声を明るくして陽気にそういうと、彼女から元気の良い返事が返って来た。
見て回っていると、展示されてるだけでも相当な数の聖遺書があるのが分かってくる。それだけ使徒の種類は豊富だ。
ただ、予算的には五等級聖遺書が並ぶこの辺りのエリアから選ぶ事にはなりそうだが。
「やっぱり予算を考えても、五等級辺りが良さそうかな」
俺は値段の部分をチラッと確認した上で彼女にそう言う。
五等級の使徒であれば五万から十数万円程度で済むのが利点だ。
安い奴だともちろん一万を切るが、買っても結局戦力として数えられない外れが多い。なのでこちらは武器と違い、多少値は張っても堅実に良い物を買うべきである。
「買うならやっぱり攻撃役が出来る使徒の方が良いの?」
「そうだなー、まあ総合的な強さはそんなに変わらないだろうけど、支援役とか防御役を買うと自分で戦うことになるし、使い勝手なら攻撃役がダントツで一番だと思うよ」
「ふーん」
五等級の使徒が主に置かれている場所を見て回る。
聖遺書がガラス張りのケースに並べられている。なお異空製の特殊ガラスなので盗まれる心配はない。ハンマーで殴ろうが銃で撃ち抜こうとしようが無傷だ。
「コストパフォーマンスを考えると、おすすめは鎌鼬とか白狼とかホムンクルスとか。そこら辺になるかな」
使徒が戦う上で一番重要な要素が何かと言えば、扱いやすさと単純な火力の高さだ。
例えばグールなんかは怪力だが、命令が理解できない場合が多い。
だが、火力は何よりも大事だ。
一撃で倒せれば危険はないし、何よりも時間をかけて倒すよりも何倍も効率が良い。
「んー、そうだね。どうしようかな?」
「まあ……直感的になってみるのも良いかも」
篠原さんはゆったりと歩いて、そして止まった。
動かない彼女の、視線の先を捉える。
「ねぇ、……私この子が良い」
彼女はじっとガラスケースの向こうに置かれた聖遺書を見つめている。
『エインセル』
五等級の使徒である。
妖精族のメイジだ。しかしある能力や属性に特化した個体が生まれやすい妖精種に反して、エインセルはこれといった個性が薄い。強いてあげるなら、火が強力な弱点だという事くらいだろうか。
それに腕に醜い火傷を持つ彼女は、避けられがちだ。
いわば、不人気な使徒の一角である。
個性が薄く、個体によって性能差は大きく変わる上、研究が全く進んでいない使徒だ。
火力役、支援役、回復役とこなせるが、器用貧乏。
正直言って、オススメできない。
「篠原さん、それは……」
言いかけて、やめた。
彼女が食い入るように、強く『惹かれる』ように見入っていたから。
それは少しだけ俺がデビルに感じ、向けた物に似ていた気がしたから。
「──何?」
「……いや、何でもない。それと買うのは良いけど予算の範囲内?この後武器とポーションなんかも揃えるんだよ?」
俺は口を噤みながらも、しっかりと懸念点を彼女に伝える。
彼女は考えていなかったのか、焦った顔になった。
「えっ、あ、……どうしよう」
「武器代とポーション代くらい貸すけど」
「え、何が目的!?」
「待って酷くない??」
中級ポーションは最低でも一つ揃えたい。それに武器も数万円はするだろう。
となると、仮にもレアな使徒であり十万円程度するエインセルは予算外だ。
「いや、でも、そんな大金出してまで迷惑はかけたくない、かな……」
そう言う彼女は、未だに諦めきれないような分かりやすい表情を作っていた。
「そんな気にしなくても。五、六万円程度でしょ? 今は大金かもだけど、稼げる様になったら利子一割で返してもらう事にするから」
「利子はちゃっかり取るんだ……」
「むしろ無償で貸す方が怖くない?」
篠原さんにはそういうが、正直大きな額だ。
別に俺だって使役師としてはまだ稼げていないし、何より自分を頼ってくれた彼女に良い格好をしたいという気持ちもある。
そう言う訳で、俺は己の気持ちをおくびにも出さずに平然と虚言を言う。
「で、どうする?」
「じゃ、じゃあ、よろしくお願いします」
「了解。じゃ、ポーションは俺がおすすめのを選んでくるから、武器の方を決めておいてよ」
「う、うん」
そう言った後、俺は急ぎ足で安く性能が高く信頼性の高いポーションを選んだ。
戻ると、彼女もどこからか安くて良さそうなロングソードを選んで来たのを確認してレジへと向かう。
会計で金を出し合って、ケースから品物を取り出してもらい、商品を受け取った俺たちは店を後にした。
「っていうか、色々アドバイスしてたけど、もっと自由に選びたかったりしなかった? だとしたら申し訳ないんだけど」
「別に気にしなくて良いのに。私は楽しかったから全然これにしてないよ」
「よかった、ありがとう」
気に掛かっていたのだが、彼女は何でもない様に言った。
「私自分で決めようとすると悩み過ぎて時間掛かるんだよね。だから結構助かったかな。ありがとう」
「それはどういたしまして。こちらこそ、色々と見て回りたいと思ってたし、丁度良かったよ。ところで、これから異空に行くって予定になってるけど……どうする? 行く?」
店外に出ると彼女が感謝を述べてきたので、俺も返事をしつつ彼女の反応を伺うように、提案する。
すると彼女は悩む素振りもなく返事をした。
「うん!」