13話 戦力差
異空に入る前、俺は使役師ライセンスを取り出した。
五等級使役師、そう書かれたそのライセンスカードを確認する。俺は既に一度潜って一つの異空を踏破したという実績も積んでいるため、六等級へにもそろそろ上がれるだろう。
「せめて後二つ……」
武藤は少なくとも、既に八等級以上。
一人前と呼ばれる七等級になってようやく背中が見える位置だ。
同世代で天才と呼ばれている彼を超えない限り、対異空高校に入学するのはおろか、『最強』など夢のまた夢だ。
「……おぉ」
感激に声を上げているのは、前回潜った異空との比較からだった。
石造りの壁、床、天井。
相も変わらず、不自然に明るく、異様な不気味さを持っている。
異空と言えば誰もが思い浮かべる、洞窟の中のような場所。
ここがかの有名な第一異空ーー別名、『バベル』だ。
上の階層に上がれば上がるほど、出現する穢者が強くなる特性からそう呼ばれている。まあ中にはダンジョンと呼ぶ者もいるらしいが、ごく少数である。
……とはいえ、俺が感動していたのはそこではない。
そう。寒く無いのだ。
前回は散々な寒さ対策で凍傷になるかと思ったほどだ。
対して今回は良いコンディションで挑める。
「っと」
忘れかけていたが、さっさと使徒を出さなければ。
そう思いながら、俺はリリィとアンナ、それに白狐を召喚した。
白狐に穢者であった頃の記憶はない。
ナナの件もあるし、複雑な気分を抱えたまま白狐と相対することにはなるだろうが、仕方ない。いつか俺たちの記憶がなかったとしても、何処かで生まれ変わったナナとまた仲間になるため、前に進むしかないのだから。
「……颯真様」
「マスター」
召喚されたアンナとリリィの二人は、すぐに俺の元へ駆け寄ってきた。
「……もう、異空には来ないと思ってました」
リリィの少しほっとしながらも、困惑を混じらせた表情。
思わず俺は心を掻き立てられる。
「俺は……まだ異空でやらなきゃいけない事がたくさんある。それに……ナナを見つけに行きたい」
最初はもう異空には行きたくないと、そう思った。
でも、もう俺の心は異空にある。
何より、あの時ナナとした約束を無下にしたくはないと思った。
「また仲間にする気ですか……? 例え奇跡が起きたとしても、彼女の記憶は残ってませんよ?」
リリィの言う事は最もだと思う。
そもそも同一個体とまた出会えるなんて、それこそ奇跡のような確立だ。
「分かってる。でも異空に潜り続けてなきゃ、どう足掻いてもチャンスは訪れないだろ?」
「……そうですね」
そこで話を区切り、じっと待っていた白狐に視線を向ける。
「待たせて悪い。もう良いぞ白狐」
白狐は距離を置いていたようで、俺が視線を向けたタイミングでようやく声を掛けてきた。
「初めましてでしょうか、マスター」
「ああ。ところで......」
落ち着きつつも、少し荒っぽい話し方がイメージ通りだな、だなんて微かに浮かんだ考えはどうでもいい。
それより重大な事実が俺を襲っていた。
「──君、雌だったのか?」
距離を置いて立つ二十くらいの女性。白狐だ。
わざわざ人間に化けていた。
「開幕早々初対面で失礼なセリフですね」
「まあ俺たちからしてみれば初対面ではないし。後、無理に敬語を使う必要はない。
で、人型になってるのは何故?」
獰猛な肉食獣の気配を出してた癖にメスだったとかビビるんだが。
「そうか……マスターが言うならそうしよう。人型なのは、こちらの方がコミュニケーションが取りやすい事だろう? それとも獣型の方が良いか?」
「……人型だと弱くなったりするのか?」
問いかけると、彼女は顎に手を当てて考える仕草を見せた。
「接近戦では弱くなるが、代わりに魔法の威力は上がるな」
「そっか。……なら、なるべく人型の方が良いかな」
「ふむ……何故だ?」
「何でって……そうだな……獣型だと驚く」
少し考えて、俺は嘘の理由を話す。
次いでリリィとアンナに向き合った。
「ところでリリィは……」
「何ですか?」
俺は気になっていた事を口にする。
「リリィは敬語でいいのか?」
「いやいや、私が普通なんですよ。使徒なんて普通は全員敬語が普通じゃないですか」
リリィに身も蓋もない返事をされた。
「そうか……」
俺は一旦この話はいいか、と考える。
「あ……ちなみに白狐は名前とか欲しいか? リリィもアンナも貰ってるし、希望があれば付けるけど」
「.....いや。その件は保留でいい」
「そうなのか?」
「ああ、先に何かを示してからがいい」
「……分かった」
白狐が納得してるなら、希望通りにしておこう。
どの使徒にも言える事だが、安易に関係を悪くする訳にもいけない。
彼女たちに自由な感情表現を許可している以上、全てに俺が責任を持つ。
「じゃあ、そろそろ本題に入ろうか」
視線を集め、一呼吸置いてから切り出す。
「みんなに今後の方針の話をしたい。十一月、今から大体五ヶ月後の事だ。俺は全日本中・高等部使役師選定式の県別予選に出場する」
異空に来るまで考えていた。
俺は何がしたいのか。……お金か、地位か。何が欲しいのか。
俺が目指しているのは何だ?
小鳥遊 優彩ーー彼女に憧れた。使役師になりたかった。
でもそれだけじゃなくて。
使役師として成功したい。
その第一歩として、俺は『対異空高校』に入学したい。
「選定式……ですか?」
「ああ。優勝すると、この年代の一番である称号『蒼玉の指揮者』に選ばれるんだ。全使役師の憧れだな」
「なるほど……」
「ただ、現実的な目標は本選定への出場だ。今から期限は五ヶ月。その間に戦力を追加で何体か確保し、パーティーメンバー三体のランクを十等級以上に引き上げたい」
「……はい」
リリィが頷き、俺は説明を続ける。
「ーー対異空高校は毎年、本選定出場者に出場する選手達の多くを特待生として呼ぶ。次世代を切り開く使役師達が競い合う学び場。俺はそこに身を置きたい」
そんな俺の理想にリリィ達が頷き、同意を得られた事で俺はとりあえず安心する。
「目先の目標なんだが、一先ずはこの第一異空で十五層まで上がろう。そうすれば俺の使役師等級が七まで上がるからな」
七等級。異空災害に対処することが許され、使役師としても『一人前』として扱われる。個人使役師も、七等級以上なら遊びだとは馬鹿にされない。
だから。
一人前の使役師になったら姉さんにも活動を打ち明ける勇気が出ると思う。
「……当面の目標は理解しました。その十五層までは、どのくらいの期間を想定しているんですか?」
十五層まで攻略するとなると、暫くの時間がかかるだろう。
次の数ヶ月はずっとこの『バベル』の異空を攻略にかかりっきりになる筈だ。
「ああ。早ければ二ヶ月以内だな」
これもまた思い切った目標である気がするが、このくらいハードルを上げなければ選定式の優勝なんて夢のまた夢だろう。
「ではより一層頑張らないとですね、颯真様」
「ああ」
そう決めた俺たちは、第一異空の攻略を開始したのだった。
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攻略は思いの外苦労することもなく順調に進んだ。
もう既に一層の階層主区域の近くだ。
足を進めていると、俺はとあるものを見つけた。
「どうかしましたか、颯真様?」
「あれは……」
リリィに声を掛けられ、俺は遠くを指差す。
そしてリリィ達も俺の視線の先に目を向けた。
「……別のマスター達のようですね」
視線の先では、二人組の若い使役師が使徒を出しながら戦闘を繰り広げている。
相手の戦況は若干有利ながらも、手こずっているように見えた。
「まさか助けにでも行くつもりかしら?」
「いや、まさか。見る限り勝てそうだし、どう通り抜けようか考えてただけだよ」
アンナの質問に返答を返しながら、二人組の使役師達を見る。
両方とも男子で、見たところ二人とも同年代のようだ。
二人が連れている使徒はいずれも四等級の使徒で、ウルフとゴーストの二体である。
「四等級が二体……初心者でしょうか。まあ、でもあの様子なら確かに問題ありませんね」
「そうだな。先を急ごう」
異空では同じ門から入った使役師達と会うことがたまにある。
以前の第七異空は人気のない場所だった為、誰とも出くわさなかったが……ここ、第一異空ではこういった事態が何度もあるだろう。
まあでも、基本は関わらない方針で良いのでは無いだろうか。
邪魔をしても悪い。
「というか、マスターも初心者だろうに」
「そういえばそうだったな……みんなが強いから忘れてた」
とか考えていると、白狐にそう突っ込まれた。
確かに何故か上から目線だったが、俺も異空探索自体は二回目なのだ。
「でも私たちが強いのは、マスターの実力もありますから」
「そうね。マスターはもう少し調子に乗ってもいいのよ?」
アンナが揶揄うように言ったが、俺はまだ他の同世代達をあまり把握していない。勿論普通よりは上だろうが、上には上がいる筈だ。そんな気にはなれず、苦笑した。
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俺が命令を下さず、自由に戦闘をさせていると驚くほど早く異空を進んでいた。
「マスターマスター、見てください。私の討伐数が一番です。ついでにビリも見てください」
「マスター、さっきからリリィがうるさいわ。黙らせてちょうだい」
「二人共、喧嘩するな」
知らぬ間に討伐数を競っていた二人は、リリィが大幅にリードしていた。
こればかりは等級差もあるし順当な結果だ。
ヴァンパイアであり、八等級の使徒であるリリィ。アンナは五等級の雪女なので種族的にはかなりの実力差がある。
それでもリリィが目を離した瞬間、アンナは悔しそうに唇を噛んだ。相当な負けず嫌いなのだろう。それともリリィが憎らしいだけなのか。
「しかし、みんな強いな……普通の使役師ならここら辺で足踏みするのに、止まる気配が全くない」
移動しながらスラスラと目の前に出現した敵が瞬殺されていく。
もう数十体近く倒されただろうか。
どれもゴブリンやスケルトン、スライムといった穢者達なのだが、呆気なく何も出来ずに散ってゆく姿を見ると、アイツらの存在意義について考えさせられる。
哀れだ。
「マスター、十六体目です」
リリィが俺を見ながら、近寄って目を輝かせた。
褒めて欲しそうだった。
「おお、凄いな。良くやってるよ」
「ふふっ、ありがとうございます」
素直に喜ぶ彼女は可愛らしい。
しかしーー
今まで倒した総数は三十八体。
内十六がリリィ、十四が白狐でアンナは八体である。
俺は後ろから無駄に指示の声を出しているだけで、別にいなくても問題ないから活躍はゼロ。
アンナは少なくとも混戦の間とはいえ八対は倒している。
だが、それで彼女が満足するはずも無い。
「っ」
俺たちの様子を見て、苦々しそうにアンナは顔を背ける。
「アンナ、落ち着け。少し動きが硬いぞ。白狐戦の時はもっと上手く動けてた筈だろ」
彼女だって弱い訳ではない。
だが、等級差はやはり強さに反映される。
「……ごめんなさい。ちょっと調子が悪いみたい」
彼女を強くするには、昇華させて等級を上げるのが一番手っ取り早いだろう。
昇華。それは使徒の種族を変える行為である。
メリットとしては前の種族の能力が引き継げる事。デメリットとしては昇華先の種族の力が発揮し難いこと。
一長一短だが、素直に売却して新しい使徒を使った方が損をしないというのが多くの使役師の考えだ。
昇華にはリリィが起こしたように自立昇華という稀有な方法もあるが、それは特殊な方法で殆ど当てにならない。
なので普通に昇華させる場合、昇華先となる種族の聖遺書を用意するという方法を取る。
「そうか……。でも昇華させるにしてもまだ無理だし、もう少し頑張ってくれ」
「……分かったわ」
今は資金が足りないし、もう少し時間が必要だ。
俺はトラブルを起こさず、ただ愚直に敵を屠ってくれる白狐に感謝しながら、痛む胃を抑えた。
しかしその間にも二人の討伐数の差は広がる。
リリィが地を掻き分け、彼女が通った後から泥が宙を舞う。低姿勢から一気に豚の魔物ーーオークに切り掛かった彼女は喉へと刃を突き刺した。
血を噴射し、一撃で倒れ伏す豚人。彼女は返り血を浴びないよう軽やかにステップを踏んで踊るように後退する。
遅れて氷の礫が既に倒れていた豚人の頭を潰すが既に死体だ。
「ーースピネル第一の呪文『浄化』」
「……また失敗ですね」
光の粒子が消え、魔石に成り代わったそれを、俺は拾い上げる。
「アンナ、援護が遅いですよ」
「次は間に合わせるわ」
いつのもの如く軽い喧嘩腰の言葉を投げ合いながら、彼女らは互いにふん、とそっぽを向いた。
「少し落ち着け」
「白狐……。しかし、アンナが付いて来れてないのは事実でしょう。自覚が薄いんですよ、彼女は」
白狐に宥められるが、リリィはそれでも不満げだ。
「頼むリリィ。仲良くしろとは言わないけど、もう少し態度を柔らかくしてくれ」
「……うっ」
俺も加わりリリィを宥めておく。
とはいえあまり強くは言えなかった。リリィはアンナに対してきつい態度だが、実際俺よりも先にアンナの改善点を見つけ出す。
そもそもそれだけずっと彼女を見ている時点で、リリィも素直じゃない。
「悪かったなリリィ、アンナが苦手なのは把握してる。正直あれは出会って最初に喧嘩を吹っ掛けてきたアンナが悪い部分もあるしな」
アンナに聞こえないよう、俺は小声でリリィをフォローする。
しかしリリィは俺の袖を摘みながら言った。
「別に……そんな理由で彼女が嫌いな訳じゃ無いんです。ただーー彼女が、あの時あまりにも早く諦めたから……。分かってます。自分だって倒れてたのに」
「っ」
「でも、許せないんです。あの時動けるのはアンナだけだったのに。彼女が動いていれば、あの時ナナは、もしかしたら」
「待てリリィ」
俺はリリィに、優しく声をかける。
「あれは絶対に、誰の所為でもない。強いて言うなら間違いなく、俺の責任だ」
「っ違います! そんな訳ないじゃないですか……!マスターだけは、自分を責めちゃ駄目です……」
「……ありがとう」
口ではそう言う。けれど、やっぱりあれは俺の所為だろう。
そう思わなければ、きっと俺はナナを再び探しに行く為の罪悪感を保てない。
俺だけはーー誰のせいにもしちゃいけない。
「アンナ」
「……何かしら」
遠くで一人俯いていたアンナに、俺は声をかけた。
「その……あまり、気負うなよ」
「……ええ」
その日、想定よりもずっと順調に進んだ俺たちは、五層まで進んで探索を切り上げたのだった。