哀歌兄弟、日本にゆく 第一章 14~15 エルウッドのアパート
エルウッドのアパート
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楽しいドライブではあったけど、短い時間の間にいろいろなことがあったせいか、エルウッドは結構、疲れていた。帰途に着くすがら、車が盗難にあうんじゃないかとか、イタズラされても困るなあとか、いろいろ考えたんだけど、結局、ニュー・ブルース・モビールを市電のトランスの下の倉庫に止めて、歩いて帰ることにした。神の使徒の車だ。そう心配することもあるまいと思ったからだ。ただ車のキーだけはポケットにしまってはいたが。
夕食をいつものとおりにシカゴ・エキスプレスで済まそうとも思ったのだけど、まだ初夏のシカゴの日は高く、夕食の時間には早かった。喉が乾いたのでエルウッドはアパートの近所のドラック・ストアーで彼にしては珍しく、よく冷えたクアーズを半ダース買って帰ることにした。
アパートに戻ってクアーズを飲みながら、旅の支度のために代えのスーツとか下着とか靴下なんかの荷物をまとめていたエルウッドだったけど、狭いアパートの部屋を見回して、つくづく、この部屋にも長い間、住んでいるなと、そう思った。
無理して買った日本製のハイファイ・アンプやCDプレイヤー、下町のセールで値切って手に入れたJBLのスピーカー、質屋で見つけたレコード・プレイヤー、ガレージ・セールで手に入れたオーブン・トースター、書き物をするための古めかしいキッチン・テーブル、レコード店のセールにいっては買いためた、ブルース、R&B、ソウル、ゴスペルなんかのレコードやCDのコレクション。
孤児院育ちのエルウッドは車以外の物には、あまり執着のないほうだと自分でも思っていたのだけど、堅気の生活が数年以上も続くと、こんなに物が増えるし、自分が手に入れた物にも愛着がわくものだと、つくづくそう思った。そして、当然のことながら、この安アパートの部屋にも離れがたい愛着を感じていた。
子供のころはベットばかりが並んでいる孤児院の部屋とカーティスが住んでいた地下のボイラー室だけが自分の世界のすべてで、それが当然だと思っていた。自分だけの個室なんか、手に入れたことはなかった。
兄貴と一緒にバンドを結成したころも、兄貴やバンドのメンバーたちと旅から旅への安モーテルでの相部屋暮らし、兄貴が刑務所に入っていたときも安いホテルの部屋を転々としていたし、一番、長いこと腰を落ち着けていた安ホテルも例の爆弾騒動でめちゃくちゃに壊れてしまったし、そんなこんなを考えながら、とにかくエルウッドはアパートの更新の手続きをしておいて、今回のミッションが無事、終わった暁には、この部屋に帰ってこようと、そう心に決めていた。神の使徒にも安息のための場は必要だ。
荷物をまとめ終えて、エルウッドは夕食代わりにドラック・ストアーでクアーズと一緒に買っておいたターキーとトマトのサンドイッチをほうばりながら、これから向かうことになるニューヨークと日本への旅へ思いをはせていた。きっと思いもよらないことが起こるだろうという予感を強く感じながら。
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次の日曜日、エルウッドは朝から手紙をしたためていた。ペンギン、キャブ、バスター、そしてバンドのメンバーにも。兄貴やレイの夢の話や、神から使わされたレガシィのことは、とりあえず伏せてはおいたが、とにかく神のお告げがあり、自分はニューヨークのハーレム合唱団の危機を救うためにニューヨークと日本に向かうことになるであろうことや、日本のブルース・スピリットが今回のミッションの鍵になりそうなこと、堅気の生活が長く続いたので、この旅や当面の生活のための費用については十分な蓄えがあるので心配しないようにということについて。
ペンギンやキャブやバンドのメンバーたちも、エルウッドが落ち着いた生活を長く続けていることに安心しているようだったし、みんな、そのことには好意的だったから、もしこの手紙を読んだら、エルウッドは頭がおかしくなったんじゃないかなどど、余計な心配するだろうし、恐らくこのミッションに、みんなが反対するだろうことは、予想できたけど、何も言わないで、自分が仕事も辞めてアパートから姿を消したとしたら、もっと心配することは間違なかったから。ただバスターだけは、こんな手紙を読んだら一緒に連れて行けとせがむことだろう。
バスターは今、里親のところから仕事に通っているはずだ。今でも時々、エルウッドのところへ、誤字だらけの手紙を送ってきて、手紙には、里親が自分のことを大切にしてくれるのだけど、シカゴ郊外の片田舎の小さな町や、修理工場での生活が、彼に言わせると「くそ、つまらない。」ということで、二人で逃避行を続けたルイジアナでの一連の騒動が懐かしいと書いてはあるのだけれど、通勤用に買ったバイクを乗り回したりして、結構、楽しくやっている様子だ。
近所のドラック・ストアーで切手を買って、みんなの手紙にそれを貼り付けて、ポストに投函すると、エルウッドはアパートから一駅むこうに住んでいる、大家のマギー叔母さんところへアパートの更新を申し込みにいった。二月分か三月分かの家賃を払うから、しばらく部屋はそのままにしておいてほしいというと、彼女は快く応じてくれた。
そんなこんなで駅からシカゴ・エキスプレスに向かうころには昼を軽く回って二時近くになっていた。エドとデーウィに別れを言おうと思っていたので、そのほうがエルウッドには都合がよかった。昼食で混んでいる時間だとろくに話もできないことはわかっていたから。