1話 死者に追われるエルフっ娘…アリよりのアリだな…
では頼む、と激励の…というほどの熱意は感じなかったけれど…声を受けて、瞬きした時には草原に立ち尽くしていた。
新しい世界に来る時はいつも緊張する。僕は初めての事をワクワクして楽しんでいこう!とか思える性格じゃないのだ、失敗しないようにしなきゃ…ばかり考えてしまう。
とりいそぎ。
目の前にアークデーモンが立ち塞がっているとか、
壁の中にいる!とか、
そういう危機は感じない…そりゃそうだろう、わざわざそんな危機に送り出す訳もない。
時刻は夕暮れ?なのかな?それとも夜明けか?
薄暗い空だが、自分が盆地のような場所にいることが分かる…左にも右にも5キロくらい向こうに山の稜線が見える。
前方は山の谷間に道が、そう、獣道のようなかろうじて人類の存在を感じる道が延びている。
注意深く後ろに首を回すと、後方も似たような感じだ。
さて。
どうなんだろうこれは。前に進むべきなのか、後ろが正解なのか。
…別にここで一晩様子見ても構わんのだけどね。
気温は20度くらいで、夜に氷点下に冷え込む事はなかろうし。
なんて考えている間にも少しずつ暗くなってくる。
夕暮れだったか。
ざわ…ざわ…と、腰くらいの高さまで伸び揃ったススキのような草が風に揺れる。
「便利袋」からテント的なモノを取り出そうかなぁ…と思案したその時、
「わああああ!誰か!声が聞こえたら!助けてください!襲われてます!」
と、女性の叫び声が…多分前方、1キロあたりから聞こえてきた。
あー、ベタな展開ですなー、とか考えては生き延びていけない。
そもそもこんな、農作できそうな土地が草原になっていて、ヒューマン的女性が襲われるということは。
この世界を、平和・共存サイドよりも、欲望・独占サイドの勢力が支配しつつあるのだ。
そして心細いことに、僕は前者の助力のためにこの世界に顕現しているのだ。
よし、始めよう。
2秒で決断して、前方に駆け出す。
1分で距離を詰めると、だいたいの状況は見えてくる。
僕から遠ざかる方向に…谷間?の方に走って逃げる女性を、覚束ない足取りで、ゾンビとスケルトンが追っているのだ。
50体を超える死者たちが。
彼女にとって都合の悪いことに、逃げる前方にも何体かまわり込まれてしまっている。
動きが鈍いゾンビやスケルトンとはいえ、囲まれてしまっては逃げ切ることは困難だろう。
「シルフよ…!」
驚くべきことに、彼女の走りながらの願いに応えて、風精霊が助太刀に現れ、風の刃を飛ばす。
しかし相性が最悪だ。
サラマンダーなどの火精霊とは違って、シルフの風の刃では死者たちを葬るどころか、足を止める役にも立っていない。
僕は便利袋からもう一つ別の指輪を取り出して右手の中指に嵌めながら、彼女に追いついた。
「あの、助力するよ…」
もっと格好いいファーストコンタクトがあったのかもしれない。
それでも空を飛びながら急接近してくる僕に、およそ真っ当な出会いとは言えないはずの僕に、
「ありがとう!ございます!」
と振り返り息を切らしながら健気に笑顔を浮かべ、たぶん、どうやって?と疑問符を浮かべた。
「マジック…ミサイル!」
僕の詠唱…詠唱じゃないな、呪文名に呼び出された術式が起動し、幾ばくかの魔力を消費して、指輪は魔法の矢を発現させてくれる。
80を超える光の矢が…83だ…ゾンビとスケルトンに自動追尾で放たれた。
特に近場と前方の亡骸たちを吹き飛ばして(後方のは雑に狙ったから、腕や足を失っただけの者も残っているだろう)、
いったん窮地を脱する。いったん、と言ったものの、これくらいなら後数発撃てるのだ、特に焦ることもない。
「大丈夫?ケガもなく?」
ゾンビはこの世界では伝染するのかなあ、などと考えながら彼女に近づくと、
「はい、おかげさまで…!」
安心しきった彼女の笑顔の横で、長い耳の先がやはり安心したように少し下がった。
道理で相性最悪のシルフを呼び出すわけだ、森を育てる水と風の精霊をエルフは愛するが、逆に草木を焼き払う火の精霊は嫌悪する。
「シェルミといいます、助かりました!」
こんなにも怪しい僕き真っ直ぐ笑顔を向けて礼を言えるとか、一周回って逆に怪しささえ感じるほどだが。
そう思う僕の心が汚れてんのかな。
まあいいや、挨拶はだいじ。
「俺はシン。訳ありで落ち着く所を探して旅してたとこなんだ」
そう、彼女がよほどの世捨て人でなければ、近くに人里があるのだ。野宿の覚悟もあったけど、屋根があるならそれに越したことはない。
「なるほど、訳あり…とりあえず歩きましょう、また囲まれては困ります!」
確かに、10を超える何かが接近してくるのを感じる。
「そうだな、走る必要はないだろう、ゾンビとスケルトンだけなら…だけなのか?」
早くも歩き出しながら、彼女…シェルミは、
「だけです!この草原は死者たちの住処ですからねー、狼も敬遠しますよ」
と、答えたのだった。
シェルミを前に歩かせながら、僕はなぜそんな死者の住処に夕暮れにやって来たんだろう…という謎を質問せずにはいられなかった。
進むにつれて急速に左右から山が迫ってきて、目の前に申し訳程度の木の柵と、雑に開け閉めできる木戸が見えてくる。
「いやあ。薬草を取りに来て、日が暮れてきたんで北に戻ろうとしたんですが。草採ってるうちに南北逆になってて!気付いて戻ろうとした時には死者たちが目を覚まし始めたんですよー、あはは」
確かに最初に感じたように盆地の北も南も似たような風景だが。笑い事か…
「起きたのがお昼で、家を出た時点でもう午後遅かったですからねー。やっぱり、大事なことは午前にしろ、ですよね!」
「あ、うん、そうだよな…」
この世界の諺なのか?まあ言いたいことは分かるが。
「で、シンは?」
彼女は首を横に向けて、こちらに流し目をくれるようにして質問してきた。
「あー…、ちょっと訳ありで、雑用でも何でもいいから、置いてくれる町を探してるんだ。ほら、治安を守るみたいな感じで…役立ちそうだろ、俺?どうだろう、シェルミから見て?」
シェルミは木戸を開けようとしながら、
「雑用ですかー、魔法の矢をあれだけ撃てる人なんて聞いたことないですけどね…それで王都でも行けば左団扇で暮らせません?」
と、なかなか鋭い点を突いてくる。
流石エルフ、知能が高い上に年齢も高くて知識も豊富だ。
「それ出来たら内緒で頼む…王都とかじゃなくて辺境がいいんだよ、この…」
俺は立札に書いてある町の名前を読み取ろうとして、失敗した。
「この、町なんだっけ?」
木戸を抜けた向こう側でくるりと振り返って、シェルミは満面の笑顔で
「ようこそ、アレステの町へ!」
と教えてくれたのだった。
荒れ捨て?大丈夫かな、この町…