プロジェクト――経過報告その3
大学研究棟での打ち上げは、まだまだ続く。ぼくが何を企んでいるのかも知らずに、皆は呑気に談笑なぞしている。くだらない時間。いい加減、このゆるゆるな空気に飽き飽きし始めた頃、薄暗い光の宿った露木教授の眼差しが、不意にこちらに向いた。
「時に、諸君。君らはアダムとイヴの話は知っておるね?」
これまで無言だった露木教授は、突然、その醜い赤ら顔をぼくたちの方に差し向け、したり顔で尋ねる。
気分が悪くなるような嫌な笑みが、折角の打ち上げの興を削ぐようだった。
「ええ、もちろん。一般教養として承知しておりますわ、教授」
いい加減、しつこく感じて来た露木教授の質問攻めにもめげず、果敢に声を上げたのは、今回のプロジェクト『666』で唯一の女性参加者である神崎弥生だ。理知的で聡明な彼女は、よく通る声で、露木教授の疑問に答える。
ぼくは、隣に立った弥生の意見に着眼するべく、目だけで彼女の動向を探った。
「旧約聖書、つまり、ユダヤ教にとっては唯一無二の聖書の冒頭に描かれる創世記。まず初めに、神が天地――宇宙と地球――を創造し、暗闇だけの空間から光を生み出し、それらを分離させた後、天地創造の時から数えて六日目に、人間を造ったとされます。その人間こそ、地球最初の人類、アダム――」
その通り。
「神は、自分に似た存在である男性のアダムを造ると、次に、アダムの肋骨から女性のイヴを造りました。アダムとイヴの二人は楽園――エデンの園の東――に置かれ、神の監視下のもと、幸せに、自由気ままに過ごします」
これは有名な話だ。ユダヤ教に端を発する聖書に記述された、原初の人類。彼らこそが、唯一神が己に似せて作った『人間』という種族であり、すなわちぼくたちのことである。
と、そこまで考えたところで、弥生は、ちらりと、ぼくを瞥見する。
流れるような長髪に見え隠れする、挑戦的な視線。ここまで語ったアダムとイヴの注釈と補足を、ぼくに語って欲しいとでも言いたげな、期待に満ちた流し目が、茶目っ気に溢れる彼女らしい。
(やれやれ、仕方ないな)
据え膳食わぬは何とやら。ここは、弥生の誘いに乗ってやるとするか。
ぼくは、白衣の襟を正し、教授よろしく軽く咳を払う。
「ただ、補足をするなら……」
消えた弥生の語尾に合わせて、付け加えるように言う。
場の空気が、ぼくの方に進路を変えて一気に流れ込むのが、ひしひしと感じられた。
程よい緊張感をスパイスと捉え、ぼくは続ける。
「最初の女性的存在であるイヴを造り出す前に、神は、あるひとりの女性的存在を造り出した、とする説もあります」
そう、その女性の名は――。
「――リリス」
聞こえた声は、しかし、ぼくが発したものではなかった。
ぼくを含めた五人の意識は、また別の方向に注がれる。
「ほう、わかっているじゃないか。そう、その通りだ」
口角を邪悪につり上げながら、露木教授は、寺之の全身を舐めるように見渡す。
そして続けた。
「リリス――、それは様々な国の伝承で悪女と恐怖される、夜魔の一種だ。だが、彼の言う通り、一説では、アダムの最初の妻が、このリリスとされている」
もちろん、これは正式な解釈ではなく、あくまでも中世から伝わった俗説だが。
「ただし、リリスは、アダムの下になることを嫌い、アダムもまた、リリスの下になることを拒んだ。憤慨したリリスは神の名を叫んでエデンの園から逃亡した。また、リリスは、サマエルと呼ばれる、堕ちた明けの明星――すなわちルシフェル――と同一視される、あの堕天使の妻であるともされ、サマエルは赤い蛇とも呼ばれる。これは、創世記においてイヴをそそのかし、禁断の果実に手を伸べさせた、いわゆる古き蛇ともされている――」
教授は、普段から『弱者の戯言』と公言している神学にまつわる知識を、聞こえよがしに披露する。現実主義の産物たる実証主義的な生物学と相反する、文学寄りの知見で人類の起源に言及し、根底から存在を否定しているはずの神の名を用いる姿は、徹底した唯物論者を自称する教授の姿とは相反し、それこそ酩酊状態なのかと疑ってしまうほどに奇妙だが、じつのところ、理に適っている。
神を信じないがゆえに、神に関する学問をかじっている。つまりは、防御のための知識ということなのだろう。
要するに、このぼくと、同じだ。
「いつだって人間は罪を犯す……。人間が神に最も近い存在にもかかわらず、だ。アダムとイヴの息子カインは弟アベルを殺害し、神の呪いを受け、自らの額に刻印を刻んだ」
そしてカインは作物を収穫できなくなる呪いのゆえに放浪者となり、彼と、彼の一族は、ついぞ神を崇拝しなくなる。
「人類の罪……生まれながらの罪状、原罪……」
教授は巻き舌めいた早口で続ける。
「なぜ人は罪を犯し、神からの罰を受けねばならんのか? 神に最も似た分霊たる人が、どうして神に傅くのか? ええ? なぜだか、わかるかね?」
計画も一段落して気分が高揚しているのか、執拗に、ぼくたちに、人間の罪悪について問いただす。そのような道徳観は露木教授の最も縁遠いものだと思っていたが、やはり彼も人間である限り、感情的な思考回路とは、切っても切り離せないらしい。彼もまた、前人未到のプロジェクトを完遂して、いよいよ罪悪感を覚えているのだろうか。
沈黙。
耳に痛い静寂を振り払うべく、ぼくは声を絞り出す。
「それはですね、教授。罪を犯すという行為は、人間にのみ許された、神と人間を区別し、ひいては神を超える唯一の手段だからです」
ともすれば反社会的な意見に、皆の視線がぼくに集約するのがわかった。同時に、教授の顔が悪魔のソレのように醜く歪むのが目に入る。
「いみじくも、教授がさきほど述べられましたように、かつて、エデンの園という名の箱庭で、アダムとイヴが飼いならされていた際、狡知に長けた蛇が、知恵の木になる実を食べるよう、イヴを言葉巧みに誘います。蛇の甘言に惑わされ、屈したイヴは、善悪を知ることができるという知恵の実に手を伸べます。エデンの園の中央に生える、命の木と対を成す知恵の木になる果実を、他ならぬ神によって絶対に口にしてはならないと固く戒められていた禁断の果実を、彼女はついに食してしまったのです」
ごくりと、誰かの喉が鳴る。
「禁じられていた果実を口にしたイヴは、それをアダムにも食べさせ、二人は善悪を知る存在となりました。しかしそれは、悪を知ることによって善が生じるという結果を生むに過ぎませんでした。よって、彼らは、純潔の反対概念である恥辱を思い知り、己が裸であることに気付くや否や、それを恥じ、イチジクの葉で身を隠します。二人の犯した罪を全て見ていた神は、アダムとイヴを罰し、楽園から追放します」
神は言われた。『見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない』。
「じつは、イヴをそそのかした蛇は、かつては神の右の座についた天使の長ルシフェル、すなわち、神に反旗を翻し、戦いに敗れて天から堕ちた、後にサタンと呼ばれる悪魔の化けた姿。現在ではもっぱら古き蛇と呼ばれる魔王サタンは、結果的に人間に知恵――神によって封じられていた自由意志――を授け、善と悪を区別する能力を発現させたとされます」
自由意志とは自発性であり、自然必然性とは明確に区別される。自然は法則に基づいて生起するが、自由意志は自ら法則性を作り出し、これを独自の基準、秩序とするからである。これがいわゆる理性の働きとされる。自由=理性とはすなわち、選択なのだ。事物を表象する単なる本能的な感性から出発し、触発された感性的直感の対象を思惟する認識の自発性=悟性を統一する理性こそが、人間にもたらされた可能性の力であり、可能性を現実性にまで押し上げる選択の成せる業である。
もっとも――。脳科学的には、自由意志は否定される。万物が何らかの法則に従うと仮定すれば、脳自体も物理法則に従わなければならないからだ。すなわち、『刺激と反応』のみで脳が機能すると言うなら、それは法則であり、結論的に自由はない。
しかしながら、物理・量子論の知見で見るなら、不確定性理論、特異点の存在も無視できないだろう。全ては確率であり、確実ではないのだから。
自由と法則。
意識と無意識。
可能性と不可能性。
起こり得ることと、起こり得ないこと。
――因果律の操作。
「ゆえに、人は、罪を犯せます。自由意志があるから。神の意志に逆らい、欺き、ひいては人間そのものすら、選択如何によっては自分そのものをも騙す理性があるからこそ、人は、神と差別化され、しばしばそれを超越します」
言っていて、思わず薄笑いが口元に浮かぶ。
「――この場に居合わせる、ぼくたちのように」
天狗のように鼻高々の露木教授を一瞥して締めくくる。
人神思想とも取れる悪魔的なぼくの理論がお気に召したのか、彼は愉悦に表情を歪め、歓喜する。
「ほほう、きみぃ、わかっているじゃないか。くくく、これは愉快だ。実に面白い」
黄ばんだ歯をちらつかせ、下品な含み笑いを漏らす。
「そう、神は、最初に光と闇を分かち、善悪を定めた以上、絶対悪とされる罪を犯すことが出来ない。だから自らの配下にある天使と悪魔に、己が定めた善と悪、その行為を代理させる。神は神を、法は法を裁けない。これは法治国家である日本にも同じことが言えるだろう。罪を犯すという行為自体を封じた神は、罪を犯し、罰を受けることを含めた、全てを成し遂げることが出来ない――すなわち不完全な存在だ。なら、人間はどうか? 恐れ多くも神にも成し遂げ得ないことを平気で行う人間は、果たして、神に等しいか? ――答えは、否。悪を悪と知りながら、あえて神に不可能なことを遂行する人間こそ、神を超えた唯一絶対の存在であり、完全無欠の超越者なのだ――」
なんと独善的で、なんと飛躍した考え方だろう。論理が破たんしている。彼の主義、主張は一貫性を欠き、直前まで力説していた事柄とは真逆のことを言う。さきほどまで、『人など分子の集合体に過ぎない』とすげなく切り捨てたのに対し、今度は『人間こそが神を超越する』と、当初の白眼視とは一転して自画自賛する始末だ。このように矛盾した言動は、達成した自分の功績に酔いしれている結果か、犯した罪への自責の念から来る自己擁護なのか、いまいち判然としないが、ともかく、言い分がコロコロと二転三転する自説のいい加減さは、いかにも詐欺師然としており、彼がじつは詭弁家で、再三、芥川教授に注意されていた通り、客体的な論理の緻密さよりも主観的な感情が先立つ、要するに見栄っ張りの癇癪親父に過ぎないという、直情的で短絡的な、学者にあるまじき側面を露呈させる。現象、それ自体を複眼的に捉えなければならない立場に属する研究者の本来的な在り方とは、あまりにも対極的だ。
しかし、それを咎める者はいない。生憎、この中には、目に見える事象のみを崇拝し、信仰する、合理主義者しかいない。彼らも、また、声を大にして言わないだけで、根本的な思考原理は、あからさまな自己矛盾と悪しき格律に満ち満ちた言辞を吐き散らかす教授と同等なのだ。
だからこそ、ぼくたちは、教授が起ち上げたプロジェクト――聖書において人間または悪魔を指す名数『666』を冠す、人工的な人間の生成と培養の検証及び実証計画――の実行も厭わず、これを後押しし、協力したのだ。
「そうだ、そうだとも。私は神をも超越した。新人類を造り出すのに成功した我々こそ、紛う方なき新たな神だということだ。考えてもみたまえ。既成の手段から逸脱した方法で人間を造り出したのが、我々のような人間なら、神を創り出したのも、また、他ならぬ人間なのだ。北欧神話の劫初において描かれる、かつて世界そのものであった原初巨人ユミルが、霜の石より出現した神々の子――後の主神オーディン――らに腕をもがれ、頭を千切られ、四散した四肢から天地が生じ、流れ出た血から海が現れ、新たな世界が形作られたように――。既存の概念を疑い、壊し、それを再構築した後、とりわけ優れたものが顕現するのは、やや帰納的ではあるが、事実上半ば必然であり、神話が――歴史が証明することだ。現実で例えるなら、あの大規模な大戦の後、過去に類例がないほど、爆発的に技術力や生産性が向上し、今に続く科学的発展が成し遂げられたように、全ての古い物は新たな物の基盤に置き換わるのだ。神が我々を裁き、罰し、涙ながらの懇願に応じて許しを与えるのではない。神さえいなければ全ては許されるのだ」
創世神話を交えた、演説のごとく大仰な持論を、ようやっと展開し終えたのか、教授は大きく息を吐くと、満足げな表情を皆の前に示す。やはり、ゆでだこを連想させる、教授の暑苦しい相貌は、中枢神経の昂揚効果も手伝って、一時たりとも記憶に留めたくないような、更に見苦しいものに変容していた。
「ええと、確か、君の名は……」
肉が付き過ぎて顎の線がほぼ消失した下顎を指でなぞりながら、じろじろと、疑わしげな目つきでぼくを見る。まるで、ぼくが、どこの誰か、脳内で照合しているかのようだ。
プロジェクト中、嫌でも、顔を突き合わせていたはずだが、疲労で記憶が曖昧になっているのか、教授は眉を寄せ、尚もぼくの顔をじろじろと覗き込む。
死んだ魚のように濁った瞳……。
ぼくは、いつも自分がそうするように、優男を演出する薄い笑みを貼り付け、教授を見据えた。
「ああ、ぼくの名前はですね――」
にやりとほくそ笑む。
「――狭間透一郎」
いつからか、ぼくを表す記号となった固有名詞。そいつをつぶやく。
「あなたもご存じの通り、瀬津大学大学院生物理工学部遺伝子工学研究科芥川研究室所属、人呼んで『理性の怪物』と畏怖される怜悧な芥川伶一教授に師事する狭間透一郎です――」
そう、締めくくった。
ひどく、頭が痛んだ。