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並列世界生成原理~いかにしてぼくは過去の自分を殺したか~  作者: 河西ケン
第一章 自己の探究
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第十話 車椅子の老人と

 目に映るもの全てが、信じられない。そればかりか、ぼくは、ぼく自身さえも信じられない始末だった。病院の綺麗な庭園も、空洞となったぼくの心までは埋めてくれない。『お前は、お前ではない』。頭の中に響いた、誰かの声。ぼくは誰だ? あの夢は……何なんだ? ベンチに腰掛け、途方に暮れる。背後に忍び寄る影には――気付かない。

・一九九九年 十二月三日 午前九時四十分 瀬津大学附属病院中央庭園


 庭園のベンチに座りながら、ぼくは頭を悩ませていた。

(ぼく……、記憶……、夢……、実験……、研究……、クローン……)

 尽きぬ考えが滾々(こんこん)と沸き上がっては、黒々とした渦を巻く。

 ぼくはまた夢を見た。薄暗い研究室で、教授と呼ばれる面々や研究生たちと、きな臭い会話を繰り広げている、といったものだ。

 おそらく、昨日見たものと地続きなのだろう。夢の中の登場人物や、その内容に、共通点が多く見出されるからだ。

 この夢は、ぼくの記憶を蘇らせる呼び水となりうるのだろうか?

 そして、かえで看護婦と話している最中によぎった、黒い記憶……。

 あれは一体、何を意味するのだろうか?

「…………!」

 そんな時だった。

 背後から、凍て付いた視線を感じたのは。

 凶暴な野生動物が、獲物の隙を逃さんと一挙手(いっきょしゅ)一投足(いっとうそく)を凝視し、狙いを研ぎ澄ませる、そんな視線。

 昨日、庭園で察知した威圧感と同じものだ。

 思わず、反射的に振り返る。

 ぼくのいる花壇の近くに設置されたベンチからは一メートルくらい離れた、一本の枯れ木のそば。

 佇んでいたのは、車椅子の老人だった。

 ……昨日、見た人と一緒だった。

「……こんにちは」

 目が弱いのか、あるいは単なるファッションか、大きめで無骨なサングラスをかけた老人は、外見の異質さに反して気さくに声をかける。

「どうも、こんにちは……」

 かぶった帽子を外しての挨拶に戸惑いながらも、小さく会釈する。

 昨日、老人と一緒にいた、ウサギのぬいぐるみを抱いた少女の姿はない。

 彼は入院患者なのだろうか?

 しかし、仮にそうだとすれば、なぜ、ぼくは、彼のような人間から身の危険を感じるんだ?

 自分で自分がわからない。感情が、まったく制御できない……。

「失礼、驚かしてしまったかな?」

 柄にもなく、いろいろと勘繰ってしまう中、老人が尋ねる。

「この歳になると、きみのような人が珍しく思えてね、だからつい、目で追ってしまうんだよ」

 老人は明るく苦笑する。

 どうやら、庭園に来た当初から、彼はぼくを観察していたらしい。

 もしかしたら、昨日の時点から、ずっと、そうだったのかもしれない。

(……どうして?)

 ぼくのような若者が、珍しいから?

 ……本当に?

 少し、頭が痛くなる。

(……気を取り直そう)

 老人は、手に携えた杖を膝の上に置くと、自らの足である車椅子を器用に操りながら、ベンチに座るぼくに向かって、それをゆっくりと走らせる。


 ――ガッ


 ……いや、そうでもなかった。

「だ、大丈夫ですか?」

 ベンチの手すりの部分に車椅子の角がぶつかり、大きな音が鳴る。

 幸い、老人の方に危害は及んでいないようだが、その音に驚いたぼくは、慌てて老人の方に駆け寄っていた。

「失敬、ちょっと、手元が狂ってしまってね」

 車椅子の位置をせっせと正しながら、釈明する。

「はは、面目ない」

 彼は顎を上げ、ぼくを見上げる。

 これまではっきりと窺えなかった顔を含めた彼の全体像が、ぼくの目に映し出される。

 歳のほどは六十から七十くらい。山高帽(つばが円形状に広がった丸い帽子)から覗く髪は薄く、白髪で、顔立ちも細い。

 服装は洒落(しゃれ)たもので、一般に『とんび』と呼ばれる、袖が大きく広がった焦げ茶色のコートがいぶし銀の魅力を醸し出す、ファッショナブルな出で立ちだ。

 洗練された品性を醸し出す老人の印象を決定づける、高尚(こうしょう)な佇まいとはやや不釣り合いなサングラス越しに、彼は、ぼくを、一心不乱に見つめる。

「きみの名前は?」

「……透一郎です」

「透一郎……」

 老人は顔を曇らせる。

「それは、どんな文字なんだい?」

 シワだらけの口元をギュッと結び、おずおずと尋ねた。

「えっと、透明の透に、数字の一、そして、太郎の郎です」

 眉をひそめながら説明する。

「……そうか」

 すると、老人は大きく息を吐くように言った。それは、納得とも諦めともつかない、とても微妙な響きを帯びていた。

「純真なきみにぴったりの、素敵な名前だ」

「え?」

 何気ない老人の言葉に、強い違和感を覚える。

「純真って……、どうして、わかるんです?」

 純粋な疑問をそのままぶつける。

「私には、見えるんだ」

 にこりと笑って、そう言った。

「見える? 一体、何が……」

「きみの中にある、光の色が」

「……え……?」

 驚いて、彼の顔を見つめる。

 満面の笑み。

 無邪気な子供のように、サングラスに覆われた目元も含めた表情全体にみずみずしい輝きを携え、老人はぼくを見上げる。

 不思議な感覚だった。彼が嘘を言っているとは思えない。

 でも、にわかには信じられなかった。

 ぼくの中にある光の色? それが見える? どういうことなのか、さっぱりわからない。

 驚きにつまされ、目を白黒させていると、車椅子の老人はゆっくりと口を開いた。

「私の名前は道元(みちもと)。『道』の『元』と書いて、道元だ」

 そして、ぼくに向けて右手を差し出す。老人特有の、シワに覆われた、真っ白な手だ。肉付きは薄く、骨ばっていて、火傷の痕を彷彿させる染みもいくつか見られ、青い血管も浮き出ている。

 こうして握手を求める仕草は、昨日の、有馬医師との一幕を思い起こさせるけど、実際はその時とは正反対なのだと、瞬時に悟る。有馬医師のそれが、あくまで義務的な、儀礼程度のものだったのに対し、彼のそれは自然に身体が動いたと、そう思わせる何かがあった。でなければ、会ったばかりのぼくと握手しようだなんて、とても考えもつかないだろう。犬が互いのニオイを嗅いでコミュニケーションを図るように、彼にとっては握手こそがコミュニケーションの形なのだ。

 彼の手に触れる。

 ひんやりと冷たい、枯葉を思わせる手が、しかし、彼の存在を脈々と証明する。

 ぼくの背筋は震える。彼の手の冷たさに驚いて、ではない。手のひらから伝わる彼の存在感が、内向的に塞ぎ込んだぼくの心を震え上がらせるのだ。

 どちらからともなく手を離す。

 それでも、彼の手の感触が、強く、いつもでも残っていた。

「きみは、悩んでいるようだね」

 道元と名乗る老人は、車椅子を操り、庭園のベンチに腰かけるぼくの隣に並ぶ。

 それにしても、なぜ、こうも、ぼくの心を見透かしたように胸中を言い当てるのか。

 思い当たる節があった。

「……聞こえていましたか」

 考えるまでもない。簡単なカラクリだ。

 道元老人は、ずっと、ぼくと、かえで看護婦のやり取りを観察していた。要は、そういうことだ。

「盗み聞きしたみたいで、悪いね」

 老人はいたずらっぽく微笑む。

「いや、別に構わないですよ。聞かれて困るものでもありませんし」

 まあ、ちょっと恥ずかしいけれど。

 おもむろに帽子を外した老人は、ぼくをジッと見つめている。大きなサングラス越しに。まるで、本当に、ぼくの心の中を見通し、それを確かめるように。

「そうそう、さっきは、どうもありがとう」

 いきなり頭を下げた。

「? なんのことですか?」

 理解が追い付かないぼくに、道元老人はゆっくりと顔を上げると、朗らかに笑って答える。

「あの時、障害物に行く手を阻まれた私に、そっと、手を差し伸べてくれた」

「……ああ、車椅子がベンチにぶつかった時……」

 ちょっと考えて、さきほどの出来事に突き当たる。

「いえ、別に改まってお礼を言われるほどのことでは……」

 ぽりぽりと頬を掻く。

 まさか、あんな程度のことで頭を下げられるなんて、思ってもみなかった。

「やはり、きみは心優しい青年だ」

 にこにこと頬を緩める。

「ははは……」

 もう、苦笑するしかなかった。

 彼からは邪気というものをまったく感じられない。小さな子供の振る舞いと同じで、素直に自分の気持ちを表現しているだけなのだ。

 しかし、精神的に未熟な幼児と彼とは、決定的に違う点がある。それは、彼の全身から放たれる底知れない威圧感だ。

 彼のそばにいる、ただそれだけで、ぼくの背筋は緊張に震え、息が詰まりそうになる。

 だからこそ、不可解だった。どうして、ぼくが、このように屈託ない笑みを浮かべる老人に対して、得体の知れない恐怖感を覚えているのか。

 自らを道元と名乗る老人は、見たところ、富裕層のカテゴリーに含まれていそうな育ちの良さを窺わせる。

 とはいえ、金持ち特有の気取った感じや、世間ずれして捻くれたような印象は、微塵も感じさせない。

 それにもかかわらず、なぜだか、ぼくは、好々爺(こうこうや)然とした彼から、息を飲むほどのオーラというか、ともすれば身動きが取れなくなってしまうほどの凄まじい圧を受けとらずにはいられない。 彼から滲み出る強烈な存在感に、終始、圧倒される。

「車椅子が、珍しいのかい?」

 どのような言葉を投げ掛けるべきか戸惑っていると、彼の方から話題を振ってくる。

 これが機転を利かせてくれたものなのか、それとも、あらかじめ決まっていた質問なのか、それはわからない。

 しかし、この質問がまた曲者だった。

「いえ、別に、珍しいとか、そうではなくて……」

「じゃあ、私のような年寄りは苦手かな?」

「そういうわけでもないです。ただ……」

「ただ、なんだい?」

「……道元さんが、どうして、ぼくなんかに興味を持ったのか、よくわからなくて……」

 だから、こんなふうに、あえなく口ごもる。

 借りてきた猫のように押し黙るぼくを見て、道元老人は能天気に笑う。

「うん、そうか、そうか。きみは、やっぱり純粋な子だ。名はその人となりを表す、まさしくきみは、心が透き通っている」

 そして、この台詞である。

 もう、まともに彼の姿を見ることができない。

「心が透き通っているって……、どうして、そんなことがわかるんですか?」

 照れ隠しということもあり、つい、強い言葉で問いかけてしまう。

 道元老人は、ジッとぼくを見つめる。

 祖父が孫を見守るのにも似た、優しい笑み。

「さっきも言っただろう?」

 ぼくの失礼な物言いにも抵抗感を示すことなく、彼は嬉しそうに声を弾ませる。

「私には、人の心が、その光が、見えるんだ」

 そして、このセリフである。

 まったく、わからない。

 彼の考えが、行動が、全然、読み取れない。

「きみの色は、私とよく似ている。透明感のある白色。だから私は、きみに興味を持ったんだ」

 唯一わかるのは、どういうわけか、彼が、ぼくに、好感を抱いているということ。

 まるで昔馴染みの旧友と接するような、完全に気を許しきった言動。

 彼の見せる一挙一動から、喜びと嬉しさがひしひしと伝わってくる。

「それに――」

 道元老人はぼくから顔を逸らすと、不意に庭園の方に視線を送る。

 その先には花壇を華やかに彩る生垣があり、無数の山茶花(サザンカ)が赤色の花びらを咲かせている。

「長生きしていると、いろいろなことがわかるようになるものさ。自然とね、楽しいことも、嫌なことも、嬉しいことも、悲しいことも、酸いも甘いも、何もかも、経験してしまう。亀の甲より年の功とはよく言ったものだよ」

 そう語る道元さんの横顔は、老年特有の哀愁に満ちている。

「でもね、それでも、体験したはずの出来事、その全てが――遠い昔の話だ。まるで、はじめからなにもなかったかのように、段々とくすんでいき、やがて真っ白に朽ちていく。歳と共に、華やかに色付いていたはずの記憶は、得てして()(さら)な、空虚なものに変わってしまう」

 笑顔は絶やさぬまま、しんみりと、過去を述懐する。

 彼は、ぼくが知らないことを、たくさん知っている。

 例えば、彼ぐらいの年齢ともなれば、あの戦争を実際に経験しているだろうし、それこそ、昨日のテレビで放映していたような悲惨な事件も、直接見てはいないとしても、その息苦しい空気感を直に肌で感じ取っていることだろう。

 もっと身近な例を挙げれば、彼の家族や友人といった人間関係など、彼しか知らないことは多岐に亘る。

 もっと奇妙なのは、逆に、長い時間を生きた彼が知らないことを、ぼくは知っているということだ。

 例えば、ぼくが、今、こんなことを考えているなんて、ぼく以外の誰にも、わからない。

 彼とぼくは同じ場所、同じ時間、同じ空間に立ちながら、見てきたもの、感じてきたものが、まるで違う。どこまでも平行的な彼とぼくの立場は現在進行形で続いていき、決して交わることはない。

 それにもかかわらず、ぼくたちはこうして互いを認識し、当人にしかわからない内面を知るために言葉を交わす。

 改めて考えると、こんな、何気ない出来事が、かけがえのない、特別な物に思えてしまう。

 彼が見て、感じている世界と、ぼくが見て、感じている世界の、根本的な差異。

 果たして、世界とは、誰にとっても同一的に映るものなのだろうか?

 そこまで考えたところで、ハッとする。

「どうやら、気付いたようだね」

 いつの間にかぼくの方に向き直っていた彼は、にこりと笑っている。

 屈託ない笑顔は、子供が見せるそれと変わらない。ぼくの数倍は生きているであろう老人なのに、彼は幼児さながらの人懐っこさでぼくと接し続ける。

「私は、私のことしか知らない。私に関わる物事しか知らない。言い換えれば、私のことはもう随分と知っている。たとえ、記憶が薄れていても、私は私であることを知っている。だから、何も恐れない。私は私であることを恐れない。私から、私は、切っても切り離せない」

 ……たとえ記憶が薄れていても、自分が自分であることを知っている……。自分を、自分から切り離すことはできない……。

「私が急におかしな話をするものだから、困っているね?」

 小難しい話から反転して、いたずらっぽく言う。

「いや、その、ははは……」

 愛想笑いで誤魔化すが、心を見透かす慧眼の持ち主である道元老人には通用しない。

「ふふ、いいんだ、気にしなくていい。私が勝手に、好きで話していることだ。きみも、年寄りなんかに気を遣わず、好きに反応してくれて構わないよ。むしろ、そうしてくれた方が、私も楽しいし、嬉しい」

 喜びの気持ちを体現しようとしてか、早口で捲し立てる。

 実年齢よりもかくしゃくとした、躍動感に溢れる道元老人の言動は、ぼくの中に絡み付いていた緊張感を徐々に解していく。

「そう、私は、きみと少し、話がしたくてね。だからこうして、私の思いを、考えを、声に出し、言葉にした。きみの話も聞いてみたいから、まずは私の身の上話を、と思ってね」

「ぼくの、話を?」

 浮かんだ疑問をそのまま口にすると、彼は首を縦に動かす。

「言ってしまえば、暇を持て余した年寄りの趣味……、残りわずかな余生をまっとうするための、唯一無二の楽しみ……、みたいなものさ」

 笑顔で言うが、車椅子に収まった彼の小さな全身からは、そこはかとない寂寥感が漂う。

「……ぼくでよければ、いくらでも、話し相手になりますよ」

 彼の厚意に応えるため、笑顔で頷く。

「そうか、ありがとう」

 彼もまた、大きく頷いた。

「さて……、どこから話せばいいかな」

 道元老人は天を仰ぐと、記憶の糸を手繰り寄せるようにして小さく息を吐く。

「少々、小難しい話になってしまうけれどね……」

 そう前置きして、口火を切った。

「きみは、私の長くて退屈な話に耳を傾けているうち、知らず知らずの間に、私ときみ自身とを比較し、私ときみはそれぞれ別な存在だと気が付いた、違うかい?」

 ぼくの思惑を見透かす鋭利な慧眼(けいがん)に、ただただ感嘆するしかない。

「……ええ、おっしゃる通りです。ぼくと、あなたとでは、歩んで来た道の長さがまるで違うと、痛切に思い知りました」

「そうか、そうか」

 うんうん、と頻りに頷く。

 まるで、孫と話すかのように、彼は親身に耳を傾けてくれる。

「つまり、きみは、発見したわけだね。この私を、自分とは別の存在として。隠されていたものを発見し、自分のもとに開き示したわけだ」

「そう、ですね」

「ということは、つまり、自分の存在を開示したということだね。相手を発見するということは、自分自身をも発見するということ、ひいては自他の区別がつくということに他ならないから」

「……そういうことに、なりますね」

 彼が何を言おうとしているのか、よくわからない。

 ただ、何かを伝えようとしていること、その意図は理解できる。

「だからこそ、私はきみとは違う存在だと、気付けたわけだね、うんうん」

 ……なんだ?

 一体、彼は、何を……。

「要するに、きみは気付いたんだ。世界は、ひとつではない。私の見ている世界ときみの見ている世界は、まったく同じようでいて、そのじつ、ところどころが食い違っている、と」

「…………」

 この人は……。

「さて、突然で悪いけど……」

「……え?」

「今から、少しばかり、質問をさせてもらうよ。きみの準備はいいかな?」

 次々と寄せられる彼の言葉の意味を考えていると、不意に、そんな提案をされた。

 返事に迷っている暇は、与えられなかった。

「きみの存在は、一体、どこに存在していると思う?」

 最初の質問の時点で出鼻をくじかれる。

 存在? ……ぼくが、どこに存在しているか?

 慌てて意識を持ち直し、問いの答えを考える。

「……ぼくは、ここにいます」

「こことは、具体的には?」

「……世界の、中です」

「うん、じゃあ、世界は、どこに存在していると思う?」

「……世界は、世界の中に……」

 絶え絶えにつぶやく。

「世界の中に。そうかい、そうかい、なるほど」

 苦し紛れの答えの連続を、道元老人は採点することなく、意味深に相槌を打つのみ。

「それじゃあ、存在は、一体どこに存在すると思う?」

「……えっと……」

 いよいよ返答に窮する。

 答えなど出せるはずもない。ましてや的確な回答を用意できる者など皆無だろう。

 世界は世界である。存在は存在である。このような同語反復(トートロジー)に陥ってしまうのが、目に見えていた。

「きみは、世界の中にいる。私も、世界の中にいる」

「……はい」

「きみと私は同じ世界の中にいるのに、見ているものがまるで違う。きみは私を、私はきみを、それぞれ見ている」

 ……世界は同じはずなのに。

 ぼくと、道元さんは、他人同士。

 では、ぼくは?

 ぼくは、ぼくにとって、『他人』……なのか?

 いや……。

 そんなはずは……。

「どうやら、それが、きみの抱える疑問の根本的な部分のようだね?」

 驚きのあまり目を見張る。彼が、いとも容易く、ぼくの心を悩ませる問題の核心を突いたからだ。

「なあに、人の本心を探るために用いる古典的な手法だよ。こうやって答弁を繰り返し、徐々に時系列を遡っていく、いわゆる産婆術(さんばじゅつ)弁証法(べんしょうほう)だ。物事の結果から逆算して、徐々に背進(はいしん)していき、原因を究明すると、やがて問題の核ともなる本質にいきつく……」

「……弁証法……」

「なぜなら、因果律(いんがりつ)が世界を支配しているからだ。因果律とは原因即結果の生起(せいき)継起(けいき)。ゆえに、結果から原因を洞察するのは決して難しい話じゃない。全ては発生と消滅の繰り返し。ただし、消滅も発生も、無から有への変移ではないのは言わずもがな。これらはただの循環であり、言ってしまえば変化に過ぎない。あたかも質量保存の法則のように」

「…………」

「起源は、どこかにある。普段は覆われているだけで。世界に起こる現象の全ては、ある状態の一様態を指すのみ――」

「…………」

「――なのかもしれない」

「……え?」

 自ら(たくわ)えた見識の鋭さを隠す無邪気な笑みを浮かべて、はぐらかす。

「ふふっ、驚いているようだね」

 いたずらっぽく口元を緩める。

 話の筋をようやく軌道に乗せたと思わせておいて、即座に逸らすおとぼけぶりには、いささか拍子抜けだ。

 さながら御仏(みほとけ)のごとく慈愛に満ちた彼の、貫録ある表情に潜む本意を探る……。

「――コギト・エルゴ・スム。()()()()()()()()

「……?」

 余計な茶々を挟んだかと思いきや、今度は神妙な表情でつぶやく。

 低い声色。

 これまで、終始、笑顔を絶やさなかった道元老人が見せる、熟練の職人か武道の達人を連想させる真剣な面差しと迷いのない語調に気圧(けお)され、一瞬、息が詰まる。

「優れた数学者でありながら、同時に哲学者でもあるデカルトの言葉だ。私はこの言葉が好きでね、若かりし頃から胸に刻み込んでいる。人間の本質を見事に要約して表現した、珠玉の格言だよ」

「デカルト……」

 聞き慣れない名前が出たので、つい、その名をオウム返しに漏らす。

「疑いこそが知の始まりであり、行為することが存在の証。全ての物事は己によって証明される――」

「疑うことが、存在すること……?」

「ところで、きみは、哲学に興味あるかな?」

 温和な笑顔で尋ねられるが、首を横に振るう。

 すると、彼は「ふふっ」と小さく息を漏らす。

「だろうね。さっきの反応からして、そうだと思った」

 屈託なく笑う。

「すみません……」

「いや、気に病むことはないよ。哲学なんていうものは、一般の認識じゃ、暇を持て余した思想家の空想……、所詮は詭弁に過ぎないと見限られ、誰からも見向きもされないような、難解で退屈な学問だからね。私の好きな形而上学(けいじじょうがく)なんかは、特に」

「はあ……」

 急に哲学の話になり、どう答えていいものか反応に困るぼくに構わず、彼は続ける。

「さて、話を戻そう」

 と、思いきや、手に持った杖の先を地面に向け、カツンと一回叩く。

 それが、脱線した話を再開させる合図だった。

「きみは今、考えている。考え続けている。額に汗を流し、悩みに悩み抜き、苦しんでいる。その瞬間、まさに一瞬ごとに、きみは存在している。なぜなら、考えることこそが、人が、存在している証だから」

「考えることが、存在する証……」

 そこでハッとした。

「まさか、それが、デカルトの『我思う、故に、我在り』の意味、ですか?」

 尋ねると、道元老人は我が意を得たりというふうに大きく頷く。

「そうだよ、何も考えずにいたら、きみは、存在しない。きみが存在しないということは、同時に、世界の全ても存在しないことになる。それはいわゆる、環境的、公共的な、目の前にある世界のことじゃない。きみが、本来、きみの中に持ちうるはずの世界、“内世界”の、いわば消失なんだ」

「ぼくの中にある……世界?」

 咄嗟に周囲の環境に意識をやる。風光明媚な庭園の光景が、視界に広がる。草木が生い茂り、綺麗な花が咲き、空には雲が浮かんでいる。

 視覚以外にも、ぼくが受け取れる外部の印象は数多い。土の匂いが鼻に香り、人の話し声が耳につき、風が頬を撫でる。

 それは、ぼくが、ぼくだからだ。ぼくの目で見て、耳で聞いて、肌で感じたから、ぼくはそれらを受け取ることができる。

 ぼくが知る世界に、ぼく以外の要素が入り込む余地はない。ぼくという器官を通じて、この世界は映し出される。

 それはつまり、彼が言った通り、ぼくが、隠れているものを発見し、存在として存在させたから……?

(ぼくが気付き、認識しなければ、何も無いも同然……?)

 ということは……。

(ぼく自身さえも、ぼくが発見しなければ、もはや、存在しない……?)

 すると、道元老人は、ぼくの思考を読み取ったかのようにして鷹揚(おうよう)に頷いた。

「そうだよ、周囲のことを知り、理解するには、まず、自分を発見しなければ。自分を、自分に向けて開き示し、明け渡し、そうして初めて、自分を外に出すことができる。最初に自分を正しく理解できなくて、どうして他を正しく理解できるだろう? そうでなければ、人はしばしば動物のように排斥的(はいせきてき)となり、邪魔物を徹底的に排除する恐ろしい機械に変貌してしまう。まずは、自分が何者なのか、何者であるべきなのか、その本質ないしは適材性を見極めなければ。そして、それを知るには、やはり、自分の頭で考えるしかない」

 ……全ては、考えることから始まる……。

「だからきみは、自分自身の存在に疑問を覚えている。『存在する』とは一体どのような状態を指すのかと苦悶している。あたかも脱皮中の昆虫のように、自分自身と格闘し、こうして汗水流している」

 ぼくの悩みや迷いを見透かしたがゆえの、包容力に溢れた穏やかな声。

「しかし、これらは何ら不思議な行為じゃない。むしろ人間として当然の行いだ。なぜかと言うと、人が、何かに対して、疑問を、興味を、関心を覚えなければ、全ては空虚になるからだ。『人は脅威することによって知恵を愛求し、そして哲学した』。アリストテレスの『形而上学』に、そう書かれているように。思考される対象がないということは、そのまま、思考する対象も、また、存在しないことに他ならない。考えること、疑うこと、悩むことが、存在、それ自体を形成するんだ。すなわち、()()()()()()()()()()()()()()()()()。つまり“実存(じつぞん)”している」

 ぼくの内部でわだかまる疑問を的確につき、その理由を丹念に紐解き、噛み砕いて説明してゆく。

「きみはこう思ったはずだ、私ときみとで何が違うのか。確かに、こうして、公共的な、物理的な、目に見える世界にいるという点においてのみ、私たちは同一的だ。しかしながら、私ときみはそれぞれ別のことを考え、あたかも別の存在だと思い込んでいる。そして、それは正しい。自分に近しいものは、自分の中にいる自分以外に、どこにもいないのだから。私ときみは、構造的には同じでも、決して同じ存在ではない。私たちは即自的(そくじてき)、つまり、単なる事物――物質ではない。こうして、現実的に、実際に存在するもの――意識を伴う自己を有する――対自的(たいじてき)存在だ」

 それはつまり――。

「世界は、きみの中に在る。わかるかい? まさしくそれは、宇宙の中に地球が、地球の中に国が、国の中に街が、街の中に家が、家の中に人が、人の中に思考があるように、世界はひとつじゃない。丁度、目の前に広がる環境的な世界と、きみの中の世界が、根源は一緒だが分岐しているように、きみが思考することで、初めて、きみはきみだけの世界を、視点を作り出す。観測者効果というものだ。全ては一様ではなく、万にも一にも帰結する。捉え方次第で、人間の認識の次第で存在は如何様(いかよう)にも変化し、その変化もまた個別に発見される。主観と客観も、全ては相対的だからだ。互いが互いに影響を及ぼし、関連する。絶対に、無関係ではいられない。世界は分岐する。存在の、観測者の数だけ。幾重にも枝分かれしながらも、全ては相対的に補完し合っている。一は全となり、全は一となる。きみはきみの中に在り、世界は世界の中に在る」

 ぼくの中に、ぼくがいる……。

 それは……。

「“世界・内・存在”――」

 世界の中に存在する、世界としてのぼく。

「考えるんだ。きみの存在の意味を。そうして初めて、きみは、今、まさに、『現』に、『実際』に『存在』することになる」

 記憶がないぼくも、こうして考えてさえいれば、確かに存在していることになる……。

「きみが一切の思考を放棄した時、きみはきみであることをやめることになる。存在とは考えること。逆もまた然り。辛いかもしれないだろうけど、諦めちゃいけない。全てに理由が、原因が潜んでいる。そして、それを究明することができるのは――人間(きみ)だけだ」

 何物にも勝る安心感。母の抱擁にも似た温かな視線で、じっと、ぼくの目を見据える。

 ぼくも彼を見つめ返す。

 サングラス越しの表情からは、目の色は窺えない。

 ただ、小柄な彼の小さな顔に刻み込まれた無数の深いしわが、底知れぬ思慮深さと、言語に絶する知徳のほどを端的に表していた。

「なぜ、ぼくにそんな話を?」

 彼の四分の一程度しか生きていないぼくは、こうして安直に尋ねることしかできない。

「では、最後に、ひとつだけ」

 彼はぼくの問いには答えない。あくまでも、己の考えを示すのみだ。

「世界の世界性――」

 天を仰ぎ、彼はつぶやく。

 ぼくも同じように空を見上げる。ついさきほどまで陰鬱な印象だったはずの曇天が、心なしか、特別な意味合いを持つものにさえ思えてくる。

「世界とは、有意義性であり、因果律そのもの。つまり、結果を誘引する原因にすら原因性があり、全ては数珠(じゅず)(つな)ぎとなっている。さっきも言ったようにね。そこに、無意味なものは存在しない。いや、そればかりか、無意味な物さえも、意味があることとして存在するんだ」

 抽象的なことを、一切の淀みなく、流暢(りゅうちょう)に語り続ける。不思議なことに、本来なら文字の羅列に過ぎない、まとまりのない暗号にも似たそれらの数々が、確かな意味を持つ記号となって脳裏に染みわたっていく。

 世界……、因果律……。

 どういうわけだろう。彼の言葉を聞いた時から、胸が騒ぐ。


 ――『因果律を覆せ』。


 頭の中で誰かが(ささや)く。


 ――『自らの因果を、他の因果とせよ』。


 知らない声。

 この言葉が意味するところを、ぼくは、まだ、知らない。

「隠されていることに、気付かないだけで……」

 誰も、まだ知らないだけで……。

()()()()()()()()()()()()――世界とは、存在の存在性とは、つまり、そういうものなんだよ」

 隠されているものを、見つける……。

「きみの存在も、そうだ。或るものとして、或る。そこに、現に、存在する以上、存在する意味が隠されている。とすれば、是非とも真理(それ)を発見しなければならない」

 ぼくの記憶と、同じ。

「意味とは、存在だ。存在こそが、何かを意味する。何かを意味するということは、そのまま、何かが存在することを指す。だからこそ、存在するものの意味を考え、存在を存在させるんだ」

「…………」

()()()()()()()()()()()()()。存在の中に眠る可能性を、そのままでは非本来的なものを、本来的なものとして、現実的に存在させる。それこそが、人間に与えられた役割なんだよ、透一郎くん」

「あなたは一体――」

 何者なのですかと、そう、続けようとした時。彼の言葉の方が一瞬早く、ぼくの言葉を上塗りする。

「私は、ただの年寄りだよ。もう、余命幾ばくもない、三度の飯より人と語り合うのが好きな、古今東西どこにでもいる、物好きなじじいさ」

 そうやって、あっけらかんと、自虐しながら笑うのみ。

「いいかい? きみの中に眠る可能性――いわば種子――を、大事に目を掛け、育てるんだ。やがて種は発芽し、現実性と言う名の大輪の花を咲かせるだろう。人間にはあらかじめその力が宿っている。だから、種を守るんだ。毒されちゃいけない。きみは透明だ。そのゆえに、他の色に染まりやすい。常に考えるんだ。他人の考えに必要以上に惑わされず、自分独自の或るものへと到達するよう、たゆまず研鑽(けんさん)しなければ。これは厳しい戦いだよ、きみにもわかっていると思うけどね。でも、それが人間性なんだ。自分を開き、世界に示し、飛び出し、また、自分の中に還る。この循環を繰り返していくうち、きみは()()()()()()姿()()()()()()ことになる。すなわち、『(きみ)』は、『(きみ)』の中から出て、『(きみ)』自身を超越する。全体存在的な『ひと』は、絶対的な個である『(きみ)』となる。個から全へ。全から個へ。まさしく人間こそが、自分を含む世界の全てを認識しうる可能存在なんだよ――」

 世界と、自分……。

 全体と個……。

 同時並列的に存在しながら、それらは決して交わらず、本質的には同一でありながら、しかし、一緒くたにできない……。

 まるで――。

「即自的な『ひと』から脱自的な『私』へ、全体世界から個の世界へ。考えることで、『ひと』から『私』に引き渡される。世界を支配する因果の流れ――時間・空間――を分岐させ、人間は因果律――時間・空間――そのものとなる。派生した因果律は、茫漠とした空虚な広がりを否定する点――視点――となる。視点は視線となり、視線は空間を形成する。そうして、新たな世界が生まれる。そうして、世界は無数に分岐しながら、一に帰結する。すなわちそれこそが――」

 ――並行世界。

 あのメモの一文が、まるで、この瞬間を待ち構えたかのように、頭の中に浮かび上がった。

 それが何を意味するのか、やはり、今のぼくには、まるで理解できなかった。


   *    *    *


 道元老人との、(ぜん)問答(もんどう)じみた答弁を終えると、次に、戻ってきたかえで看護婦と合流した。

 時間があまりないのか、彼女はぼくの手を引くと、道元老人に構うことなく、そそくさと庭園を離れようと促した。

 道元老人との別れの挨拶もほどほどに、ぼくはかえでさんと共に心療内科まで向かう。

 待合室で、道元老人から聞いた話を反芻(はんすう)していた。存在の意味。さらには、その意味が何を意味するのかということを考え続ける。

 彼の教えてくれたことは、決して一筋縄ではいかない深い内容の物で占められていたが、ゆえに、彼の考えそのものが、骨の髄まで染み込んでいた。

 彼は、ぼくに不足していたあらゆるものを与えてくれた。励ましによる勇気と、希望。おかげで心の底から自分を信じられるようになった。

 存在を疑うことこそが、存在を信じる契機であり、存在そのものの証左である。彼は、そんなことを言った。

 記憶がないぼくだが、決してその存在自体が疑われているわけじゃない。むしろその逆で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。他の何もかもが判然とせずとも、これだけは胸を張って断言できる。でなければ、こんなことを考えているぼくは、一体誰なんだ?


 存在と自己。


 時間と空間。


 原因と結果――因果律。


 いずれにせよ、ようやく、兆しが見えてきたわけだ。

 彼なら、道元さんなら、ぼくの求めている答えを知っている。そんな予感がした。

 この、地中深くに根付いた大樹を思わせる絶大な信頼感も、彼の与えた莫大な副産物だ。

 それにしても、本当に、彼は何者なのだろう? 気さくで、人が良く、愛嬌がありながら、座禅(ざぜん)を組む高僧さながらの堂々とした威圧感を全身から放つ一方で、仏のごとく超然とした物腰をそなえ、透徹(とうてつ)した洞察力をもって人の心の本質を易々(やすやす)看破(かんぱ)し、落ち着き払った深みのある言葉で他人を動かす、あの老人の正体は?

 そういえば、心の色が見えるとも、彼は言っていた。それには一体、どんな意味が隠されているのだろう?

 気になるのは、あの老人のことだけじゃない。

 昨日、この待合室で会った不思議な女の子のことも、頭の隅で引っかかる。

 それとなく辺りを見回すも、彼女の姿は見当たらない。

(とても目立つ格好をしているから、すぐに見つけられると思ったんだけど……)

 記憶を失う前のぼくのことを知っているという少女。昨日は、意味深なことを言っていた。


『何度でも、何度でも、あたしたちは巡り合う。時間の流れは直線的な一方向への不可逆的進行ではなく、循環構造的な円を形成するから』


 少女が言ったあの言葉には、どんな意味があるのだろう?

 それに、記憶を失う前のぼくが所持していたという、あの機械とメモ書き……。

 ――並行世界。

 そして、道元老人の言葉。


『世界は無数に分岐し、一に帰結する――』


 失われた記憶。


 夜毎(よごと)に見る夢。


 あの不気味な黒い顔。


 数多くの示唆(しさ)に富んだ道元老人の言葉が、全ての謎を解く鍵となる気がした。

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