第九話 かえでさんと
夢から覚め、現実に引き戻される。未だに自分がわからない。ぽっかりと開いた胸の中。記憶の欠如。……空洞。釈然としない気持ちが不安定なぼくを支配する。気分が優れない。病室でふさぎ込み、考え込む。自分とは一体なんなのかを。
・一九九九年 十二月三日 午前八時二十分 瀬津大附属病院十三号室
十二月三日になった。
すでに見慣れたものとなった白い病室が、目覚めのぼくを出迎える。
枕元には、依然、あの例のメモ書きと、謎の機器。
機器についての真偽は不明だけど、メモには、ぼくの行動を予期しているかのような記述があった。
『十二月三日午前四時十分 瀬津大学附属病院A棟裏庭に行け』
結局、ぼくは眠っていたから、これに関して何とも言えないけど……。
(ただ……嫌な夢を見たような気がする)
今朝、ぼくは夢を見た。いつもの研究室での夢と、もうひとつ、別の夢を。
しかし、内容をほとんど覚えていない。研究室の夢は細部にわたって鮮明に記憶しているんだけど、別の夢の方は、その全体像が濃い霧に覆われているかのように判然としない。
(それでも……、何か、とても不快なものだったことだけはわかる。脳が、想起を拒んでいるからだ)
全身の血が凍り付くような悪寒。夢のことを思い出そうとするだけで頭に痛みが走る。それほどの拒否反応があった。
本能が忌避している。強大な捕食者を前にした、か弱き被捕食者のように、真っ向から立ち向かうのではなく、真っ先に逃避しろと、赤色の危険信号を絶えず発しているのだ。
止まれ。その先に向かうのは自殺行為だ。
(思い出してはいけないから、思い出せないままでいる)
今のぼくの状態とよく似ている、と思った。有馬医師の言うように、記憶が失われているのではなく、記憶がどこに仕舞われているのか、その隠し場所自体をあえて忘れているだけと仮定するならば、この考察はまさに正しい。
(じゃあ、昨日の出来事は偶然の一致に過ぎなかったのだろうか?)
未だに判明しない。ぼくが何者なのか。メモや、今朝見た夢が、一体、何を暗示しているのか。
そんなことばかりを考えているからか、朝、病室まで訪れてくれたかえで看護婦に余計な心配をかけさせてしまった。
当直の看護婦が、深夜、ぼくの様子を見に来ていたらしいが、彼女が言うには、よほど、うなされていたらしい。
そんなわけもあって、体調が優れない今朝の状態を配慮してか、朝食は、昨日と同じく、ゼリー状の流動食だった。一応、咀嚼する必要のあるおかゆも添えられていたが、昨晩の夢の出来事が尾を引き、どうにも味気なかった。
昼は、予定通り、普通の食事に似た形式の病院食が配膳されるらしいが、それまで回復しているのかどうか……。
それに、調子の悪いぼくに触発されたのか、かえで看護婦も何だか元気がないように見えた。
……昨日のこともある。
気のせいであれば、いいんだけど。
* * *
・一九九九年 十二月三日 午前九時四十分 瀬津大附属病院庭園
病院の庭園は、どこか物々しく陰鬱な雰囲気に満ちていた。
かえで看護婦の付添いの下、二十分ほどの散歩が許可されている。
芝生の手入れが行き届いた瑞々しい大地を踏み締め、緑が香る新鮮な空気を吸う。
先日は晴天だった天候も、今日はあいにくの曇り空だ。ぼくの心模様を端的に表しているかのように上空は雲で埋め尽くされ、抜けるような青い空や太陽が顔を覗かせる一分の隙間もない。
リハビリも兼ねて、こうして出歩いてきたわけだが、こんな、はっきりしない天気だからだろう、如何せん、気分が盛り上がらない。太陽が出ていないにもかかわらず、ぼくの心は暗い影を落とす。
頭の中を駆け巡る様々な謎。
夢……、現実……、存在……。
一向に考えがまとまらない。何とも漠然とした、形にならない思念のみが取り留めもなく膨らんでは、内側からぼくを圧迫していく。
一連の思考に収拾がつかないことに憤りを覚え、ぼくはたまらずベンチに腰を下ろす。
頭を抱えたくなる衝動に耐えながら、染み出す空白を埋めようと躍起になる。
「透一郎さん、お身体の具合はどうですか?」
だから、ここまで一緒に来てくれたかえで看護婦と、まともな会話のひとつさえ出来ていない。
「やっぱり、外を出歩くのは、お辛いですか?」
「いえ、そういうわけではないのですが……」
かえで看護婦の気遣いを無碍にしたくないが、あまり強がっていられるほどの余裕がない自分がいるのも、また、事実だった。なんとも格好悪い話だが、ぼくは、ぼくを保つだけで、精一杯なのだ。
「やっぱり、気になりますか?」
――なくなった、記憶のことが。
隣に腰を下ろした彼女の真っ直ぐな目が、ぼくのことが心配だと訴えていた。
「……それは、もちろん」
視線を外して、やり切れずにつぶやく。
「焦る必要がないのはわかっているんです。心療内科の有馬医師にも釘を刺されました。頭では理解しているつもりです。しかし、本当の意味では納得していない」
少々、投げやり気味に言い放つ。
「ぼくは誰なのか? やっぱり、自分で自分がわからないというのは、気味が悪いもんです。まるでぼくが他人のように思えて。昨日は、記憶がなくても何ともないようなことを言いましたけど、今考えてみれば、あれは自分の置かれた状況に現実感が伴っていなかっただけで、恥ずかしい話、いざ、こうして腰を据えて問題に直面すると、本当、わけのわからないことばかりで、頭がおかしくなりそうです」
昨日までの、妙にすっきりとした清々しさはどこにもない。かえって、ぼくの心はごちゃごちゃしている。記憶はないにもかかわらず、余計な考えで一杯になっている。
「そんな、思い詰めなくても……。透一郎さんは、透一郎さんなんですから」
「ぼくが、ぼく?」
「はい、そうです」
他人がぼくのことを見て、その同一性を認める。それはとても大切な傍証に思えた。
視線……『眼差し』。ほんの少しでも気を抜けば一気に霧散してしまいそうなぼくという存在の存在性を固定化させる、いわば楔のようなもの。
ふと見ると、かえで看護婦が、嫋やかに微笑んでいた。今まで、自分の精神的疲労を理由に彼女をぞんざいに扱っていたのに、彼女は嫌そうな顔ひとつせず、こうして笑いかけてくれる。
その、まぶしくも優しい、慎ましやかな笑顔に意識を奪われる。
「憶えていますか? 昨日、透一郎さんが、わたしに言ってくれた言葉ですよ」
「あ……」
そう言われて、思い出した。――そうだ、ぼくは思い出すことができた。昨日の自分を。今日と同じように、庭園で、こうしてかえで看護婦と話していた。そして、ぼくはこう言った。『花は、花だから美しい』と。要するにそれは、自然体であるからこそ花なのであって、不自然な花というのは、もはや花ではない。例えば、花が自身の醜さに気が付き、花であることをやめて、自分が美しいと思うものになろうと企てるなど、愚かな行為だ。結局のところ、花はどこまでも花なのだ。他の何物でもない、それ自体なのだ。
人間にも、同じことが言えるのではないか? ぼくがぼく自身を本当の自分だと思えなくても、ぼくのそばにいる人が、ぼくをぼくだと思ってくれたら、それはきっと、本物のぼくなのではないだろうか?
ぼくが、ぼくであるということ。狭間透一郎であるということ。
(……それで、いいじゃないか)
なんだか、肩の重荷が、フッと、軽くなったような気がした。
いつの間にか、ぼくから大事なものが離れ、失われていた。そのことに、やっと気付いた。彼女が、そう、気付かせてくれた。
「じつはですね、透一郎さん」
「はい?」
「昨日、庭園と資料室で透一郎さんに言われて、ハッとしたんです。わたし、ちょっと、ううん、かなり無理をしていたんだなって」
「そうなんですか?」
あんまり、そんなふうには見えなかったけど、彼女が言うからその通りなのだろう。
「わたし、自分のことを話せるような人が近くにいなくて……。ほら、わたしってどんくさいですから。同期の子や、先輩から、ちょっと距離を置かれているというか……、わたしが勝手にそう思っているというか……」
彼女は自分のことを淡々と語る。その横顔は、少し寂しげだった。
「でも、透一郎さんのおかげで、そんな自分に、初めて自信が持てました。わたしはわたしのままでいい、無理せず、自然体でいればいいって」
胸に両手を当て、目をつむりながら言う彼女の笑顔は、まさに自然だった。何も考えられなくなるぐらいに、飾らない美しさというものに満ち溢れていた。
「だから、透一郎さんも、ただ、そこにいてくださるだけで、それだけでいいんですよ。それが、あなたが、透一郎さんであることの証だと思いますから」
それはさながら、庭園を彩る草花のように。
ぼくがぼくである理由。そこに存在するだけで許され、認められる。
胸の奥がじんわりと温かくなるような、そんな、心地良さに包まれる。
かえで看護婦の素直な表情が、ぼくが言ったことの正当性を裏付ける。
人は、全ては、そこにあるだけで意味を持つ……。
『透一郎、今のお前は、じつに無意味な存在だ』
――いや、待て。
『目上の者に傅き、みっともなく追従することでしか存在意義を付与されない、哀れな飼い犬なのだよ』
違う。
そこに存在するだけでは、意味がない。
何かが、ぼくを小突く。頭の裏を、執拗に叩く。
『如何な類稀な才能を持つ者といえども、現行社会に貢献しなければ、ただのゴミくず、いや、それ以下だ。なぜなら、ゴミはまだゴミとしての必要最低限の価値――かつては利用価値があったとの事実を示す資料的価値――があるが、一向に社会にそぐわず、また、何かを成し遂げたとの功績も実績もない、挙句の果てに自分が何者かも見定められない人間は、そこに存在する価値すらもない、存在未満の出来損ないだ。それは歴史が証明している』
――釈然としない。そこに在るだけでいいなんて、詭弁だ。気休めの綺麗事でしかない。
昨日、ぼくが言っていたことと同じにもかかわらず、かえで看護婦の慰めに対してなぜだか強い嫌悪感が湧き上がる。明らかに矛盾しているが、しかし、この感情は誤魔化しようがない。
なぜなら、ぼくは、昔、ただ在るだけでは意味がない、それは現実社会を知らぬ軟弱者の世迷言であると切り捨てられたからだ。
ぼくは、断片的な記憶の一部を、今になって思い出していた。
あれは……いつのことだったか。
緑に溢れる庭園にいるという現実は書き換えられ、視界は暗く濁った過去の残影を映し出す。
『はっきり言ってやろう。お前はお前ではない。他者の考えを植え付けられて、他者の考えで動く傀儡……機械に過ぎない。機械は心を持たない。上から下された命令に忠実に従うのみ……』
違う……。
『ただ、そこに、存在するだけ。無為に、流されるだけ。何かをしているようで、そのじつ、何もしていない。存在しているだけで存在していると思い込んでいる。――いや、そんな簡単なことすらもついぞ思い浮かばぬ、無能な人形――』
誰だ……。
『それはお前だ』
誰だ……。
『私は、お前のことを指して言っているんだ』
誰だ……。
『――透一郎』
ぼくの名を呼ぶのは……誰なんだ!
「……透一郎さん、あの……」
その呼び声で、ぼくは現実に立ち返る。
かえで看護婦の表情が、僅かに曇っていた。おそらく、ぼくがおかしいことに気付いたのだろう。ぼくもまた、彼女の表情の変化で、今の自分が異常だと自覚したように。
気まずい沈黙は、いつだって突然に訪れる。
「……わたし、ちょっと、席を外しますね」
この場合は無理矢理に話題を探すより、まずはひとりで気分を落ち着かせるのが得策だと考えたのか。かえで看護婦はぼくの隣を離れ、どこかへ行ってしまう。
彼女の判断は正しい。皮肉にも、ぼくは、かえで看護婦が立ち去ったことで、一縷の安堵感を覚えていた。
彼女に、余計な心配を掛けさせたくない。
今のぼくは情緒不安定だ。こんな状態のぼくが目の前に居れば、きっと、かえで看護婦は、そんなぼくを必死に元気付けようと立ち回ってしまうだろう。それはあまり良くない。彼女にとっても、ぼくにとっても。
今は、ただ、かえで看護婦がぼくのことを信じてくれている、頭の片隅で、ぼくのことを少しでも考えてくれていると、そう思うだけでいい。それだけで、ぼくの重く沈んだ心はふっと軽くなる。
ぼくは、ぼくである。
QはQである。
それがそれであること――自己同一性。
何より、大事だと思った。
(ぼくが、ぼくであること……)
他人がぼくの同一性を見出すには、その外見や仕草などから得られる画一的な印象から概算するはずで、そのゆえ、結論に至るために必要な手掛かりは数多くある。
では、ぼくは、ぼくを、どうやって自分自身であると判断するのか?
(……記憶)
それ以外にはない。
自分の容姿然り、性格然り、全て記憶と一致していなければ、やはり他人になってしまう。
しかし、ぼくは、ぼくを知らない。記憶を失う以前のぼくを覚えていない。すっかり忘れてしまっている。
だからこそ、ぼくは他人なのだ。
(他人であるぼくを、どうやって自己に帰属させるか?)
やはり、記憶を取り戻すしかない。
(でも、どうやって?)
……わからない。
相変わらず、考えることは山積みだった。