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並列世界生成原理~いかにしてぼくは過去の自分を殺したか~  作者: 河西ケン
第一章 自己の探究
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プロジェクト――経過報告その2

 大学研究棟の一室。尊大かつ傲慢な露木教授が、人類の発展と進歩を阻む「壁」について語っている。科学の進歩を妨げる最大の障壁は、人間に備わった道徳性、すなわち、「神」を生み出す善性だと。人は神ではない。ゆえに、人を作り出してはいけない。旧態依然とした宗教的禁制。露木教授はそれを鼻で笑う。「神は死んだ。我々こそが神だ」。愉悦に歪んだ邪悪な口元。タバコのヤニで黄ばんだ歯を覗かせながら、自らの屈折した価値観を披露し続ける。


 ――知的人工生命体、『Amevela(アンブラ)』。露木教授の浮かべた嫌な含み笑いと共に吐き出された固有名詞に、お祝いムードだった辺りが一気に静まり返る。

 忘れていた――忘れ去ろうと無意識の内に図っていた――事実が、歯に衣着(きぬき)せぬ教授の物言いで不意に呼び覚まされる形となった。

 強い光が差すところに、暗い影が落とされる。ぼくたち――少なくとも、教授以外の何人か――は、あえて明るく振る舞うことで、自分たちのしでかした事の重大さを、無意識的にせよ意識的にせよ、忘却ないしは上書きしようと愚かにも画策したことは自明であり、人間の精神的(せいしんてき)脆弱性(ぜいじゃくせい)というのをいやが上に痛感させるに過ぎない結果に終わる。

 もっとも――、犯した罪の重さに相反するように、まったくと言っていいほど罪悪感を覚えないぼくがいるのも、紛れない事実だった。

「――プロジェクト『666(サタン)』。数十年の長きにわたって構想を練り続けた我々の研究の集大成であり、この二週間に及ぶ最終臨床実験の成果。それが知的人工生命体、『Amevela(アンブラ)』というわけだ」

 プロジェクトの発案者であり、最高責任者である露木教授は悪魔のように口角を歪ませ、にやりとほくそ笑む。

 しかし、すぐに別の表情に戻る。それは普段の教授に見られる、自分以外の全てに対して敵意と憎悪を燃やしているのかと錯覚させる、苦虫を噛み潰したような渋い相貌(そうぼう)だ。

「この場に居合わせる諸君らに勘違いしないでいただきたいのは、私は、ただ、肩書ばかりが立派な教授連の奴らや、浅はかな一般常識に囚われた、愚かで、頭でっかちの研究員らが手出し出来んような研究をあえて対象に選び取り、実践、検証、究明、実証したに過ぎんということだ。理論的に、私の計画は、いつでも実行可能だった。法律がそれを許さんがね。だからこそ奴らは、世論などという臆病風に吹かれ、くだらん世間体や倫理観に縛られて身動き出来ず、科学の発展を停滞させてきたのだが」

(おっしゃ)る通りですな。露木教授は、もはや完成され、熟成された既存の定説や、長い時間の経過で形骸化(けいがいか)され、固定観念の塊に成り下がった学問の常識を覆すべく水面下で画策し、遂には禁断の果実に手を伸べた。すなわち、プロジェクト『666(サタン)』に。そもそもの話、知的人工生命体『Amevela(アンブラ)』の生成に着手するのに、人道及び感情的な躊躇(ためら)いなど邪魔でしかないですからな」

「無論だな。人間の最大の敵は――理性だ。それも、数ある経験の内から取捨選択するような、単なる論理的理性ではない。言うなればそれは、劫初ごうしょより人間に備わった、普遍的(ふへんてき)な、道徳的=実践理性、すなわち『善』を重んじる精神だ。これこそまさに、人間の進歩を妨げる最大の障壁であり、つまづきの石であり、私が最も嫌忌(けんき)する物に他ならない。それは科学的根拠のない神秘性を重んじる、馬鹿げた民族意識を連綿(れんめん)と受け継ぐ日本人にも顕著(けんちょ)だ。神だか何だか知らんが、合理性の欠片もないジンクスに(すが)りつく。まったく、愚かな話だ。一体、神が何をした? ――いや、逆だな。神に一体、何が出来る? 神が人間に対して行った行為とは、自らが造った人間を楽園から追放し、子孫に呪いをかけ、炎の洪水を起こしたことか?」

 傲然とした態度で猛烈に捲し立てる。哲学ないし旧約聖書の一説を引き合いに出すあたり、よほど、今回のプロジェクトに入れ込んでいるのだろう。それは、プロジェクトの最中に見せた、並々ならぬ執念からも容易にわかっていたことだが、今宵の狂乱ぶりを前に改めて実感する。

 ただ、恐ろしいまでの意気込みを感じさせる教授と裏腹に、ぼくたちの間で漂う沈痛な空気は依然として健在であり、その温度差は歴然であったが。

「ふむ、皮肉なものですな。人間を人間たらしめる道徳的理性――すなわち利他的な相互(そうご)扶助(ふじょ)精神――こそが、人間の進歩を妨げる要因になろうとは」

「何を今さら……、徹底した無神論者で虚無(ニヒ)主義者(リスト)である貴様の方が重々承知しているはずだ。人間の美徳とやらの空虚さというものを。此岸(しがん)ではなく彼岸(ひがん)を重んじろという馬鹿げた考えを。俺はキリスト教的な教義(ドグマ)が憎い。なぜなら、奴らの頑迷(がんめい)な態度が科学の発展を著しく妨げたからだ。あの明晰なガリレオが教会の連中の手によって無期刑に処されたようにな」

 長広舌(ちょうこうぜつ)に捲し立てる。

「そもそも、人間に利他的精神を期待するのが無理な話なのだ。現存する生物種というものは、所詮(しょせん)は自らを生き長らえさせ、繁栄させるためだけに存在しているに過ぎん。いわゆる利己的な遺伝子という奴だ。これは我々人間とて例外ではない。あの大戦の際もそうだ、ありとあらゆる国の人間は、ただ、自分たちだけが生き残るために万策を尽くし、結果として大量(たいりょう)殺戮(さつりく)兵器(へいき)の開発に着手、実用化に向けて製造を進め、最終的には使用にまで踏み切った。矛盾しているとは思わないか? 生物の生体組織を完全に破壊する化学兵器の開発は合法とされ、逆に、新たな人間の人為的な生成は倫理観に著しく逸脱(いつだつ)していると目の(かたき)にされ、処罰の対象になる。おかしな話だ。極めて倒錯(とうさく)した考えだ――」

 計画を完遂させ、自己陶酔に陥っているのか、極端な思想の片鱗(へんりん)が見え隠れする持論を熱っぽく展開する。

「そこで、だ――」

 ぐるりと、卑屈(ひくつ)に細められた三白眼で順繰りにぼくたちを見る。

「以上の点を踏まえて、今回、私が首謀したプロジェクト『666(サタン)』に参加した諸君らに、今一度問いたい」

 周囲の冷ややかな反応など(かえり)みず、一方的に自分語りを始めた露木教授の横暴(おうぼう)さに辟易(へきえき)していたのも束の間、唐突に、彼は、傍観者たるぼくたちに質問を投げかける。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 静まり返る研究室全体を見渡しながら、不気味な薄笑いを口元に浮かべる。

「この疑問にはっきりと答えられる人間が、果たして、この中にいるかね?」

 返事はない。それが、答えだった。

 誰一人として名乗りを上げないことに(ごう)を煮やしたか、露木教授は不満げに大きく尖った鉤鼻(かぎばな)を鳴らす。

「ふん、まあ、いいだろう。芥川はともかく、他の若い衆は経験も知識も不足している。咄嗟の判断がつかないのは無理もない。もっとも、今後も自分の考えに自信が持てず、答えに迷いが生じているようでは、てんで話にならないが」

 まるで、自分だけがすでに答えを知っていると確信しているかのような口ぶりで、辛辣に吐き捨てる。

 ――それは違いますよ、教授。

 この場にいる全員、すでに答えが出ている。おそらく、あなたと同じ解答だ。唯一の相違点は、知識だけで得た答えが絶対に正しいのかどうか、未だに決めかねているだけ。少なくとも、ぼく以外は。

 言い換えれば、教授が信じているのは問いに対する答えではなく、()()()()()()()()()()()()()()()。教授と、彼らとの差は、それだけだ。

「動物のクローン生成が今より百年以上も前に成功している以上、人間のクローン生成も理論上は可能であることは、誰の目から見ても明らかだ。特に一部の植物や虫などは、雌側のみが単体で新たな個体を生成する単為(たんい)生殖(せいしょく)を行い、次々と子孫を増やすし、単細胞生物は自ら細胞分裂を行って個体数を増やす。これらは親側とまったく同じ遺伝情報を有する、いわば完全なクローンであり、自然界では頻繁(ひんぱん)に見られるものだ。ゆえに、大学側や研究機関の連中は、まず、動植物の人為的なクローン生成を積極的に行い、生態学そのもののメカニズム解明に奔走(ほんそう)した。例えば、一八九一年に初めて動物――この時はウニの――クローンが人為的な方法で作製されたのを皮切りに、約百年後の一九八一年、哺乳類では初めての、羊のクローンが誕生した。以後も、生殖細胞以外の体細胞を用いてのクローン生成に成功した羊のドリーや、後に確立された、複雑な細胞融合を介さないホノルル法と呼ばれる手法によって、これまでに、数えきれない程の多種多様な動植物――主に哺乳類――がクローン生成の対象に選出され、科学の日進月歩の歩みと共に、人類はそれを成功させてきた」

 二週間に及ぶ研究の疲労というものを一切感じさせない饒舌(じょうぜつ)な語り口で、長々と、学術的思弁を振るっていた教授だが、一旦――恐らくは故意に――言葉を区切った。聞き手に回らざるを得ないぼくたちの様子を探り、反応を確かめると同時に、こちら側にも不要な詮索を強いる、心理的(しんりてき)摩耗(まもう)を誘う沈黙を、あえて教授は作り出す。

「しかしながら、ヒトのクローン生成というものを、誰も――そう、誰もが――手出ししようとはしない。なぜだか、わかるか?」

 苦痛を伴う無言の戦いが過ぎたかと思えば、今度は、さきほどと同様、答えに窮する質問を平気で投げかける。人の人生観、死生観をも試す、禁断とも言える問いの回答は、軽々しく口には出せず、また熟考したところで明確な答えは存在しないのにもかかわらず、だ。

 藪蛇(やぶへび)だ。こんな質問に意味なんてない。仮にあるとすれば、人には未だ解明できない問題――たとえばラカンの言う精神分析学的な、言葉でしか語り得ない一方で、その言葉だけでは到底語り尽くせぬ『現実界』の存在、または哲学的な有と無の二律背反(アンチノミー)――が存在するという厳然(げんぜん)たる事実に図らずとも直面し、その圧倒的なまでの恐怖、つまり不安感を超越する、漠然とした虚脱感を前に、質問を受けた当人の人間的な弱さが(もろ)くも露呈(ろてい)し、無意味な思考を堂々巡りにさせる効力ぐらいのものだ。

 肩口に重くのしかかる、沈鬱(ちんうつ)とした空気。

 ぼくはそれを打ち消す術を知ってはいたけど、自分から実行しようとはとても思えなかった。皆が皆、疑心(ぎしん)暗鬼(あんき)に他者の顔色を窺い、道を譲り合うふうを装っては、そのじつ、誰が最初に一歩――それも、破滅に続く一歩――を踏み出してくれるのかを期待し、(かたく)なに口をつぐむのみ。

「人が、人を、人工的に造らない理由……」

 しかし、辺りに充満する、息が詰まって卒倒しそうな空気を打ち破る猛者(もさ)が、ここにはいた。

 死んだような皆の顔が、驚きと好奇に満ちた視線を伴って、彼の方に一斉に向く。

 粕ヶ谷(かすがや)寺之(てらゆき)――。遺伝学研究所にインターンとして配属されている院生で、同研究所に勤める加賀山助教授の斡旋(あっせん)により、今回のプロジェクト『666(サタン)』に参加した、ぼくとは多少の因縁が含まれる人物だ。

 血色の悪い顔、骨と皮しかないような痩身、妙に高い背丈を知的に修飾する、ぶかぶかの白衣。絵に描いたような研究者の寺之は、瀬津大学を首席で卒業後、そのまま大学院に進み、順調にキャリアを積んでいる、安直な言葉で表すなら『天才』だ。

 ただ、()()()()()()()()()()()()が原因で、自分の意思をあまり明確に示さない節も多く見受けられるのが、彼の大きな欠点のひとつだ。

 しかし、今回は意外にも、露木教授が寄越した難問に答えようとの気概(きがい)を見せてくれる。

 まあ、単に、この重々しい沈黙に耐え切れなかっただけかも、わからないが。

「……人が、人を、人工的に造らない理由は、通常、ヒトに備わるべき人間的道徳観に著しく乖離(かいり)し、国の求める倫理観に反するから、です……」

 やはり、発言の場の中央に立つのは慣れないのか、唇を震わせ、いかにも自信なさげだ。

 白い照明の光に当てられた寺之の顔は青白く、それがますます、彼を不健康に見せる。

 ……道徳的に背き、倫理観に反する、か。

 寺之の回答はまさにセオリー、お手本通りだ。

 もっとも、彼自身も、教科書に記載されたお約束を選び取っただけというのを自覚しているだろう。『人は人を殺すな』。義務教育の期間から(茶を濁すようにしてだが)そう教わり、マスメディアからも植え付けられ、培われた価値観は、必然的に真逆の行為(人工的な人体の生成)すらもとがめる(いまし)めとなって、人間の深層心理の裏側に潜み続ける。

 人類の意向を代弁したかのような寺之の回答を耳にした露木教授は、鷹揚(おうよう)に頷く。

「そうだ。人体の人工的な生成とは、かつて神が天地創造を行い、暗闇から光を生み出し、そして全知全能たる神自身に酷似した人間の形成に匹敵する、いわば偉業中の偉業なのだ。それはすなわち、唯一神を崇める宗教団体にとって、いや、神を信仰する全ての人間にとって、所詮は神の手で造られた被造物に過ぎない人間などが侵していい領域の話ではない。まさに罪深く、(おご)り高ぶった悪魔の仕業と侮蔑(ぶべつ)し、唾棄(だき)されるわけだ。そして宗教は、国家と切っても切り離せない蜜月(みつげつ)の関係にある。少なくとも、現代日本以外の国々は、な。世界史をかじった者なら自ずと理解出来るだろう。世の人間どもが、いかに頑迷極まりない低俗(ていぞく)な連中なのかが。奴らは――本当は存在しない存在に執着し、あまつさえ信仰の対象とする――物神崇拝者(フェティシズム)、亡者みたいな人種だ。奴らは常に空の上を指差す一方で、絶えず足下に意識を向ける。つまり、目の前を見ようとしない。実際には存在しない神性を、存在する万物から見付け出そうと躍起になり、折る必要のない骨をわざわざ折り、挙句の果てに詭弁(きべん)を弄する。このように、子供だましの神秘性を何よりも愛する宗教家ないし神秘家が抱く、科学を信奉する我々のような人間に対する嫌悪感や猜疑心(さいぎしん)、更には時代錯誤(じだいさくご)(はなは)だしい、鈍重な骨董品のような神学的理念や美徳に固執(こしつ)する盲目な学者の意見など、もはや、何の意味も成さない。私に言わせてみれば、『神』と言う、極めて曖昧かつ不確定的な要素こそが、現実に敗北した哀れな夢想家の生み出した、くだらん概念だ。形而上学的(けいじじょうがくてき)には、神は『永遠不動の動者』とも述べられ、いわゆる絶対的に必然的な無条件者であり、完全無欠な最高善、つまり可能的領域から逸した現実態(エネルゲイア)であると、定義されるがね。そこからして、まず、おかしいのだよ。()()()()()()。昔の誰かは『変化とは永遠である』と言ったがね。しかしこれもあり得ない。例えば、我々の故郷である地球を内包する宇宙は膨張を続け、今も加速度的に質量を増やし続けているが、いずれ重力崩壊を引き起こし、消滅する。あたかも活動を終えた星が、様々な変移の末に超新星爆発を起こし、最終的にブラックホールとなるように、何物も追い越しえない不可能性の可能性というものが必ず潜んでいるものだ。結局のところ、世界は原子や分子の集合体に過ぎん。とすると、所詮は細胞の集まりでしかない人間も、構成の複雑さに多少の差異はあるが、アメーバやミジンコなどの微生物らと、大してそう変わらん。宇宙と名付けられた単なる空間の一部でしかない人間が、善と悪、美と醜を語ろうとすること自体が、おこがましいというものだ。そうは思わないか?」

 鬼気迫る執念すら感じさせる露木教授の自論には、誰も、反論できない。

「まったく馬鹿馬鹿しい。人間の人工的生成など、日本でも盛んに行われる魚類の養殖等と、どんな違いがあるというのか」

 ――恐ろしい人だ、と内心では思った。

 同時に、その通りだと頷きかけたぼくがいたのも、また、真実だった。恐らく、この場に立つ全員が、教授の抱く極端な唯物論(ゆいぶつろん)に、危うく共感しかけた事実を例外なく痛感したことだろう。

 西洋医学では、手術と称して人体を切りつけるのを始め、人類の医学、科学の発展とうたって、ウサギやマウスといった小動物を、頻繁に、文字通りの実験台に使用している。

 そんな人間が、今更になって人工生命体の生成をためらうのも、おかしな話だった。

 神は死んだと、哲学者(ニーチェ)は言った。ぼくたち人間が、神を殺してしまったのだとも言っている。

 神は殺されたのか。

 それとも、やはり、元々、神など存在しなかったのか――。

「話が長くなってしまったがね」

 咳を払い、神経質そうに鋭く尖った目つきを、ほんの少し和らげる。

「諸君らも、我々のような自由主義者(リベラル)に対して向けられる偏見の眼差しや、もはや形式化された善悪を論じる愚劣(ぐれつ)なる因習を()とする世論の風潮に耐えて、よく私についてきてくれた。中には、人が人を造るという倒錯的(とうさくてき)な試みに精神を病み、いわゆる人間精神の最後の抵抗とも言える良心の呵責(かしゃく)(さいな)まれた者も、いることだろう」

 彼らしくない気遣いに触発され、ぼくは寺之を一瞥(いちべつ)する。

 彼は誰とも目を合わせようとせず、当初よりずっと、俯き加減で佇んでいる。

 意志薄弱(いしはくじゃく)、精神的脆弱性が顕著(けんちょ)の寺之は、プロジェクトの最中も、終始、情緒不安定で、所構わず弱音や愚痴を吐いたり、ぶつぶつと独り言をつぶやいて施設内を徘徊しては、お目付け役である加賀山助教授にしょっちゅう御咎(おとが)めを受け、時には話の前後関係を無視して大声で泣き出したり、あるいは不気味に笑い出したりと、不審な挙動のエピソードには事欠かない。極めつけは、プロジェクトの最終日である二週間目、実験の集大成である『Amevela(アンブラ)』の定着化が確認された際も、突如、金切(かなき)り声のような奇声を上げ、現場に居合わせたぼくらを二重の意味で驚愕させた。

 だからと言うべきか、ぼくたちが、こうして非公式に集まった際も、一同は寺之が発狂するのではないかとの懸念が高まっていたが、それは今のところは杞憂(きゆう)に終わっている。

 そう、まだ、誰も知らない。闇が広がる深夜、ぼくたちが大学に残っていることも、ぼくたちの手によって新たな生命が芽吹き、今も静かに、脈々と息づいていることも。

 そもそもの話、風光(ふうこう)明媚(めいび)な瀬津大学でプロジェクト『666(サタン)』が企画、断行された事実でさえ世間に公表されていない。表向き、ぼくたちは、ゼミ合宿に二週間ほど出払っていることになっているのだから、当然なのだが。

 誰も、知らない。ぼくたちの犯した罪も、受けるべき罰も。天上にて黄金色に輝く神殿、その中央の高御座(たかみくら)()す、いと高き神さえも――本当に神が存在すれば、の話だが――知らないまま、冒涜的(ぼうとくてき)な試みを企て、ついに成し遂げてしまったのだ。

「今日だけは、我々が目にした輝かしき研究成果と、いずれ手にするであろう栄華、そして何より、人類の更なる成長と著しい科学の発展を祝い、細やかながらも、しばしの間、宴に興じるとしようじゃないか」

 教授は努めて明るく締めくくると、やや遅れて、ぎこちない拍手が研究室に広がった。

 人類の栄華。それは、ヒトが興した学問を発展させるためという絶対的な免罪符を付与され、破竹の勢いで神聖なる自然の領域を侵しつつ、浅ましくも熱烈に求められ、歓迎される、潜在的な人間の欲望。慎み深く、また思慮深い先人が崇めた神秘性を犠牲に得られる物質的繁栄というのは、統計学的な数値として如実に現れる。

 ぼくは、ぼくたちは、まだ、気付いていなかった。見て、見ぬふりをしていた。これから起こる出来事と、ぼくたちがしてきた事実から、目を、逸らしていた。

 宴が始まる。眠らぬ夜が、今、目覚める――。


    *    *    *


 ――ぼくは、彼らをぼんやりと眺めていた。窓越しに外の景色を見るように、部外者の立場からそのやり取りを傍観していた。

 ぼくは何も知らない。彼らのことなど、全然、見たことも聞いたこともない。夢か現実かもわからぬまどろみの中、そう、強く思う。

 研究? プロジェクト?

 まったく、わけがわからない。

 一体、ぼくは何を知っているというのか? ぼくの知らないことを、どうしてぼくが覚えているんだ?

 ぼくの知らない世界。記憶。

 わかっているのは、これがぼくの見る夢の続きだということ。その点に限られる。

 では、なぜ彼らはそこにいる? どうしてぼくの夢の中に頻出ひんしゅつする? ぼくの知らない存在が、どうやって夢に現れて、こうして現実を侵食する?

 夢。

 記憶。

 過去。

 現実。

 世界。

 何が正しくて、何が間違っているのか? 薄闇が広がる病室でこんなことを考えているぼくは、本当に存在しているのか?

 何も、わからない。

 それとも、夢の中の光景こそが現実なのか? 現実とはどこにある? ぼくの頭の中にあるとでもいうのか。

 ……記憶? 記憶の中に現実が?

 では、ぼくの記憶は……現実は、一体どこに?

 ぼくは……。

 ぼくは……。

 ぼくは……誰なんだ……。

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