第1章「PTSD」心的外傷後ストレス障害【挿絵済】
「秋」
それは死にゆく「枯葉」の季節
しかしその様は「紅葉」と語り継がれた。
「漆」「丸葉」「楓」「橄欖」「団栗」
それは「針葉樹林」をも焼き尽くし
慈悲もなく「芋の木」を灰色に染める。
刻む「年輪」の数だけ、澄んだ「森林」は「燃え盛り」
世に「み」を墜とせば、「枯れ落ちて」ゆく。
あなたはこの「秋の葉」をなんて言いたい?
カレハ・A・セプテンバー「カレハの日記」より。
《カレハの日記》
「I」945年 9月14日 晴れ
第1章「PTSD」心的外傷後ストレス障害
この部屋で迎える朝は今日で十四回目。
朝の検診を終えた私は早速する事が無くなってしまった。
そもそもあたしは…
「何処も怪我をしてない。」
なのにこんな場所に居るんだから暇になるのも当然だ。
「だってここは「病院」なんだから。」
「病院」とは怪我をした人間が治療をする場所、
故に健康な奴はこの様に暇を持て余す。
周りは明日の朝日を拝む為に必死になって「リハビリーテーション」を
行なっているというのに私はただ毎日を生きているだけ。
「はぁ…つまんない…。」
私が物思いに窓の外を見つめると。
病院の中庭で黄色く色付き始めた漆の木葉が目に入る…。
「紅葉も盛りになる季節…か。」
こんなにも世界は色付いて行くのに私の日常は枯葉の様に生気が無い。
【心的外傷後ストレス障害】※通称「PTSD」
これが私が患っている病気だそうだ。
なんでも私の「記憶喪失」や「左下半身と左上腕の痺れ」は、
この病気が原因だと医師は言っていた。
そんな今の私が覚えている数少ない記憶は倫理観という道徳的常識と
私が「カレハ・A・セプテンバーである」と言うことだけ。
しかし私は自分が記憶喪失であると自覚した時から今日まで、
たったの一度も「記憶を思い出したい」と思った事がない。
なぜなら【記憶喪失】とは文字通り「記憶」を「喪失」しているわけで、
それは自分が何を喪失しているのすらも「喪失」している。
要は思い出すきっかけとなる「思い出したい」と言う欲求さえも
今の私の中に存在していないのだ。
「故に末期少女(症状)って…、何も面白くない…。」
だらだらと綴られたこの文章で私が何を伝えたいのかと言うと
記憶を失った今の私の状況と、年頃の乙女の日記帳を開いている
あなたとの間に然程の差も無いと思って欲しいからだ。
「PTSDは小さなきっかけで思い出す事がある。」とか言われて、
治療プログラムの一環として今日から日記を書く事になったと言う訳なんだが…。
正直…病院という場所で完全に管理された生活を送っている時点で「きっかけ」なんて
起こり用も無いような気がする…。
「はぁ…」
健康な私にとってここはまるで「監獄」だ。
そんな鬱々とした気持ちを晴らす為に私はもう一度中庭の木に目を向ける。
私は「紅葉する木」が好きだ。とここのナースに話した時、
教えてもらったのだが、中庭に一本だけ生えているこの「山漆」の紅葉は
そのたった一本で中庭を飲み込む様に世界を変え、
見る者を虜にしてしまう程、絢爛豪華だと言っていた。
より近くで観察したくなった私はベッドのそばにつけていた車椅子に乗り、
その木の側にあるベンチまで数十分かけて向かう事にした。
だが到着してそうそう私は項垂れる事になる。
なんと、ベンチに先客が居たのだ…。
(はぁ…歩け無いとはなんと不便…)
私は踵を返す様に車椅子に手をかける。
赤毛の軍人
「座らないのか?」
そう問いかけて来たのはベンチに座っていた女性だ。
「赤」ではなく「紅」い髪を垂らすその女性は軍服を纏っており
その顔も正に軍人と言わんばかりに凛々しさ溢れる面持ちだ。
おそらく年齢は私より一回り上くらいかな?
彼女は項垂れるていた私を気遣ってかベンチに
私が座るだけのスペースを空けてくれた。
カレハ
「隣、良いんですか?」
彼女が頷くのを確認してから、私は車椅子をベンチの近くに付けて
彼女の隣に座る。
隣に座る事でより近くで彼女の顔を見た私はその淡麗な顔立ちの美しさ
よりもある事に驚いてしまう。
この方はきっと左眼が見えていない。
遠目からは気が付かなかったのだが、
彼女の左眼には引き裂かれた様な刀傷があったのだ。
まじまじと顔を見る私に彼女は質問する。
赤毛の軍人
「私の顔に何か付いているのか?」
カレハ
「い、いえ。軍人さんは病院でも軍服なんだなと思いまして」
入院中でも病衣では無く、軍服を着用している彼女に
感心していると、彼女は眉をひそめる。
赤毛の軍人
「…?」
カレハ
「怪我をしても包帯を巻かないのは流石に傷に障る気もしますが。」
赤毛の軍人
「あぁ…目か…。これはただの古傷だ。今日はここにいる家族の様子を見に来たんだ」
彼女は手に持っている紙コップに入った珈琲を口に含む。
どうやら私の早とちりだったようだが、私は今だに彼女から目を離せずにいた。
風に乗って鼻腔をくすぐる珈琲の香りにカップをじっと凝視めていると。
赤毛の軍人
「悪いがそんなに見ても患者に珈琲なんか飲ませないぞ?」
カレハ
「患者じゃないので一口下さい。」
息をする様に嘘を吐く私を、彼女は鼻で笑い口にする。
赤毛の軍人
「病衣を着た一般訪問者なぞ、むしろ医者に見て貰った方が良い」
嘘を看破された上にウィットなギャグまで返された私は己の
痴態を直視するよりも早く話題を切り替える。
カレハ
「その服装からしてお姉さんは「I」ルランド国防軍の方なんですか?」
赤毛の軍人
「いかにも。」
カレハ
「じゃあ、戦争にも行ったの?」
赤毛の軍人
「もちろんだ。」
カレハ
「ならお姉さんはあれですね、えっとなんだっけ」
私が思い出そうとしていると赤毛の軍人は怪訝な表情を浮かべる。
カレハ
「あ!「愛」国の英雄ってや…」
ようやく思い出した私が口にしようとすると、彼女は被せるように口を開く。
赤毛の軍人
「戦争に生きた英雄は存在しない。」
そう語る彼女の目は真に迫っていたが私はあえて質問する。
カレハ
「なんでですか?」
赤毛の軍人
「戦争では優しく勇敢な者ほど早く命を落とす。」
カレハ
「でもそれだけじゃ生き残った人間が英雄じゃ無い根拠にはならないんじゃ」
赤毛の軍人
「逆だ、【生き残っている事】こそが根拠なんだ」
カレハ
「生き残っている事が根拠…?でも死ぬ事が英雄の条件じゃない気がする様な?」
哲学的な言い回しに下唇に手を当て首を捻っていると彼女は空を見上げる。
赤毛の軍人
「あの死地から生きて帰る。それはつまり。」
彼女は胸に含んだ息を漏らし呟く。
赤毛の軍人
「人殺しが出来る人間である。と言うだけなんだ。」
この言葉が放たれるの待っていたかの様に風に揺られた漆の木がざわざわと騒ぎ出す。
カレハ
「私は…」
赤毛の軍人
「?」
カレハ
「私はそうは思わない。」
赤毛の軍人
「何故?」
カレハ
「だって人を殺さずに帰って来た人だっているでしょ?」
赤毛の軍人
「そう言う者は決まって、仲間を見殺しにした自分を恨まないでくれ。と言うがな。」
カレハ
「それはっ…!確かにその人は弱虫かもしれない。けどきっとそう言う人が戦争をやめさせる努力を一番出来る人になれるんだ。」
赤毛の軍人
「確かにその可能性はあるな。しかしそれが英雄の定義なのだとしたら、優しさの欠片も持たない冷徹な私は英雄になれんな。なにせ私はただの人殺しだ。」
自虐し俯いてしまう彼女を見て、私は言う。
カレハ
「きっと…お姉さんは優しすぎるから人を殺せるんだよ。」
その言葉を聞いた瞬間彼女は私の両頬を両手で包む様に掴み、
鳩がまめ鉄砲くらった様な表情で私の両眼を見つめる。
赤毛の軍人
「君が何故その言葉を…。」
カレハ
「あにすふんだよぉ」
両頬を潰される勢いで鷲掴みされた私は抗議する。
赤毛の軍人
「すっすまないっ。少し驚いてしまった。」
私の抗議の甲斐もあってか、彼女はすぐに正気を取り戻し両頬から手を離した。
カレハ「もういきなり何するんですかー。まぁ、何が言いたかったって言うと、どんなに最低な過去があろうと自分の命に意味がある事って私はとても大切だと思うんですよ。」
赤毛の軍人「命の意味…。」
カレハ「私、変な病気の所為で記憶が全然無くて…。唯一覚えてる自分の名前も何でこれが自分の名前なのかは覚えてない。何の為に今を生きてるのか分からない私は命に意味があるお姉さんが羨ましいんです。」
記憶とはそれすなわち人の持つ歴史。
それを失ってしまった私は彼女が羨ましくてならない。
たとえその記憶が悲劇だろうと、すっからかんの私にとって
歴史を持つ人間は焦がれるよりも焦される
太陽よりも眩しく映るのだ。
赤毛の軍人
「君はすでにその命に値する人間になっている。」
カレハ
「…命に値する?どういう意味ですか?」
私が聞き返すと彼女は寝癖が付いた髪をとかす様に私の頭を優しく撫でる。
赤毛の軍人
「気にするな、それより鏡は見てきたのか?寝癖が付いているぞ?」
カレハ
「く、くすぐったいですよ〜。それよりさっきの」
再度聞こうとすると彼女はより一層私の頭を撫でつける。
上目で彼女の顔を見た時、「何か」が日の光に反射した気がしたので
気になった私が手を払い除けようとすると彼女は私の頭を「ぽんぽん」と
軽く叩きベンチから腰を上げる。
赤毛の軍人
「身体を暖かくして療養に専念しなさい。」
と一言告げると彼女は被っていた軍帽を更に深く被りその場を立ち去ってしまった。
カレハ
「行っちゃったよ。変わった人だったなぁ。」
夏も終わり肌寒さを感じつつある空に呟くと私は身体が冷える前に病室へと戻る事にした。
つづく…。