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桜狂い  作者: 如月 望深
11/11

小悪魔ルージュ

2013年初出作品。

同じ会社の別の課に勤める同郷の男と女。お互いが縁の端っこを握り合っているかを確かめるために、お試しでデートをすることになり…。

「花粉症なんです!」

 なぜだか不服そうに、彼女は開口一番に言った。いや、マスクをしているから口は見えなくて、開口というのはあれだが、まあ話すには口を開くはずだから、表現としては間違っていないだろう。

「うん。知ってるけど」

 仕事中はマスクをしていないが、通勤中はマスクをしているのを知っていた。それが中学二年生の時に発症したという花粉症のためだということも、いつだったか雑談の中で聞いたことがある。

「だからですね、あの、お花見だっていうから、その、外だし、マスクしてないと夜とか明日とかに症状が出て辛いんで…」

「うん」

 俺自身は花粉症ではないが、今どき身近に花粉症の人間がいないほうが珍しい。花粉症持ちの会社の同僚や妹などから、花粉症がどれだけ辛いかはよく聞かされていた。

「だから、あの、オシャレに気を遣ってないとか、そういうことではなくて…」

 そこまで言われて、やっと彼女の言わんとしていることに気が付いた。

「大丈夫。可愛いワンピースとマスクがちぐはぐだなんて思ってないよ」

 じろりと彼女の大きな目が睨む。

「思ってるんじゃないですかぁ!」

 そんなことを気にしているのか、と意外な可愛さに笑みが漏れる。

「思ってないよ。ほんと、大丈夫、可愛いって。マスクとか、気にならないくらい」

 俺の発言は、ますます墓穴を掘ったようで、彼女の目つきは厳しくなるばかりだ。

「私、これでも楽しみにしてたんですよ。お試しとはいえ、デートだし。服だって気合い入れて選んできたんですから。そこんとこ、弓削ゆげさんわかってます?」

 なぜに唐突にそんな可愛いことを言い出すかな、と相手を見遣る。

 試しに、デートかしてみる?と、誘ったのは俺だ。良縁が巡ってくるだのこないだのという話になって、俺たちの縁はどんなものなのか、とそんな賭けみたいなものだった。相手だって「いいですよ、受けて立ちましょう」と決闘状のノリだったのだ。

 会社の先輩と後輩。同じ課ではないが部署は同じで、年は離れているが同郷で共通の話題があり、彼女が入社した当初から割と親しくしていた。家の方角が同じだったこともあり、帰り道には電車通勤の彼女を車通勤の俺が拾って送ってやることもあった。

 そんな俺たちの、ちょっとした賭け。お互いが握っている縁の端っこが、良縁に繋がっているのかという、軽いノリの試み。

「ごめんごめん。わかってるよ。俺のために、オシャレしてきてくれたんだよね」

 それなのに、花粉症だからマスクしなくちゃいけなくて、そのことに自分で不満って、何だそれ可愛いな。同じ課になったことはないから一緒に仕事をしたことはないけど、職場で見かける彼女は、どちらかというとテキパキとクールに仕事をこなしているイメージだったから、そんな小さな女の子みたいな一面も面白い。

 小さな子を宥めるみたいな口調が気にくわなかったのか、彼女は俺を見上げて睨みつけてきた。小柄な彼女が長身の俺と話す時は必然的に上目遣いになって、狙ってない上目遣いってツボだよなあ、とか思ったりして。

「まあ、彩矢あやちゃん、とりあえず車乗って。お花見行こう。そんで、その後、彩矢ちゃんが観たがってた映画行こう」

「え、ほんと? 行ってくれるんですか、映画」

「うん」

「デートっぽくないからダメだって却下されるかと思ってました」

「観たくない恋愛映画見ても意味ないでしょう」

 嬉々として車に乗り込む彼女に、簡単に今日の予定を伝える。お花見して、お昼食べて、それから彼女が観たいと言っていた公開されたばかりの刑事物の映画。初デートにその内容ってどうよ、というチョイスだが、観たくないものを観ても仕方がない。俺も恋愛映画などよりは、テレビシリーズも観ているそっちの映画のほうがよっぽど心惹かれる。

 機嫌が直ったらしい彼女は、俺の車に流れるBGMに合わせてリズムを取っている。お花見の目的地までのドライブは、ご機嫌麗しい様子だった。

 目的地に着くと、満開の桜並木に目を輝かせた彼女は、明らかにテンションが上がり、デジカメ片手にさっさと歩き出す。

「あっ、こら、ちょっと」

 その手を捕まえると、一瞬きょとんとしたように繋がれた手に目を遣って、それから、あ、と俺を見た。

「そうでした、デートでした」

 俺の手をきゅっと握って、早く行こうと歩き出す姿は、まるで子どもみたいだ。

 桜を愛でながら歩きつつ、時々写真を撮ったり、舞い降る花びらのシャワーにはしゃいだりと彼女は忙しい。

「綺麗…」

 足を止めてうっとりと呟く彼女に俺も同調する。春の暖かな風がふわりと彼女の髪をすくって弄ぶ。彼女から甘い香りが運ばれてきて、ドキリとする。目を遣れば髪に桜の花びらが舞い落ちたところで、思わず手を伸ばして髪に触れる。俺の突然のスキンシップに戸惑った様子の彼女に「付いてたよ」と花弁を見せてやれば納得したようで「ありがとうございます」と微笑んだ。

「あ、」

 突然彼女はするりと俺の手を抜けて、近くを通った男に駆け寄っていった。

「すみませーん。写真、撮ってもらってもいいですか?」

 男にデジカメを渡し、操作方法を教える。それから、パタパタと俺のところに戻ってきて腕を取る。「あ、ちょっと待って」とカメラを構えた男に言って、マスクを外す。再び俺の腕に手を絡めると、男がシャッターを切った。

 写りを確認してください、と男がカメラを持ってきて、彼女は写りに満足したようで、「ありがとうございます。さすが、一眼レフを持っているだけのことはありますね」と男を褒めた。男が会釈して去り、彼女は俺にカメラの液晶を見せた。

「綺麗に撮れてるでしょ。記念すべき初デート写真ですよ」

 ニコニコと笑う彼女の顔に、今、マスクはない。顔がマスクで半分以上隠れてしまっていても、目が口ほどに物を言う彼女のご機嫌を量るのは容易だったが、紅い唇が弧を描いているのを見れば、推し量る必要もなく彼女はご機嫌だ。

 初デート、と言ってくれるということは、これを初デートにしてくれるつもりがあるということか。つまり、2回目以降があると。


 その後は、予定通り昼食を摂って、彼女の観たがっていた映画を観に行った。映画はさすがに面白く、伊達に長年続いている人気シリーズではないと二人で盛り上がった。

 夕食は、特に予定を決めてあったわけではないけれど、何となくお互いに帰りを言い出さずに、結局一緒に食べることになった。彼女が、俺と一緒にいることを楽しんでくれているのなら、何だかそれは嬉しかった。

 夕食後には、夜桜見物に誘った。ライトアップしているいい場所があるのだ。しかも、高台から桜を見下ろす特等席。知る人ぞ知る穴場だ。ちなみに、俺はある人から聞いた。

 車を降りると、彼女は光のほうへ歩いていき、眼下に広がる光景に息を呑んだ。下からライトアップされた薄紅色の雲が浮かぶ。幻想的な光景だ。「すごい、綺麗」と呟いて、隣に並んだ俺を見上げた。

「凄いですね、弓削さん、この場所、特等席ですよ。何人の彼女と来たんですか?」

 投げかけられた言葉の後半に一瞬固まる。どういう意図で訊いているのか。軽口か、それとも軽く嫉妬でもしてくれているのか。いや、この子の場合、あんまりそういう期待はしないほうがいいかもしれない。今日一日付き合ってみて、結構マイペースだと知った。

「女の子を連れてきたのは、彩矢ちゃんが二人目。ただし、一人目は妹」

 そう、この場所を俺に教えたのは妹なのだ。いい場所があるから連れて行け、と、いつだったか足に使われた。

「ふーん。じゃあ、弓削さんが口説こうと思って連れてきた女は、私が初めてってことでいいんですか?」

 答えづらいことを、あけすけに訊いてくる。そりゃ、デートっぽくと思ったから、こういう場所に連れてきたわけだけど。下心がこれっぽっちもないなんて、言わないけれど。

「…口説かれる気は、あるわけ?」

 彼女の大きな目が、俺を見上げる。相変わらず、顔の半分はマスクで隠れている。

「私は、弓削さんとの間に縁があったらいいなと思うくらいには、楽しかったですよ、今日」

 このデートはお試しで、賭けだ。俺たちの握る縁の端っこが、互いに繋がるか。

 手を伸ばして、彼女の耳に掛かるマスクを外す。現れたのは、形のいい鼻と、赤くてふっくらとした柔らかそうな唇。マスクをしていても、夕食後にきちんと化粧直しをしたらしく、薄紅色の口紅が引かれている。ほんのり赤く染まった頬に触れれば温かい。背をかがめて、距離を詰める。

 ……いやいや、いくら可愛いかったからって、初めてのデートでコレは、がっつきすぎじゃないか、俺。結構な年なのに。高校生じゃあるまいし。

 あと少しで唇が触れそうな距離へきて、突然降って湧いた理性を動員して、そのままの位置をキープする。

「逃げないなら、このまましちゃうけど」

 吐息が掛かる位置から、一歩彼女が後ろに下がった。

「…いっそのこと、そのまま勢いでしちゃってくださいよ」

 頬を赤く染めて、俺を睨みつける。睨んだ顔まで可愛いって、何だそれ。誘ってんのか。

「弓削さんは、キスしたくなるくらい、私に縁を感じてるってことでいいんですか?」

「…感じてるっていうか、求めてる?」

 キスしたくなるくらい。彼女との間に良縁が欲しいと思うほど。ただの後輩だった女の子が、可愛い女の子に変わった日だった。

 一歩、彼女が進み出て、俺の名を呼ぶ。見下ろせば、さっきとほぼ同じ距離に彼女が戻ってきていた。

「……くれないんですか?」

 なにを?と問う前に、俺は自分の理性を丸めて放り投げた。柔らかくて、甘い果実を味わうように、目の前の赤に噛みついた。

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