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桜狂い  作者: 如月 望深
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狂花酔月 壱-鏡花

2009年初出作品。

戦国時代が舞台。

とある国の城主のもとに、他国から麗しの使者がやってくる。

城主は言う。「人の世は、みな酔狂よ。人生は短い。せいぜい花に狂い月に酔うのがよかろう」

 桜の蕾がほころび始めたかと思うと、あっという間に花は盛りとなり、辺りを薄紅の染料で染め上げたかのように色づかせた。城主が住まう城にも多くの桜の木が植えられており、城下と同じように空を薄紅に染めた。

 その花の盛りを待っていたかのように、ここから北東に位置する国より使者が参った。

 城主は使者の待つ間へと入ると上座に納まった。頭を垂れている使者に「おもてを上げよ」と命ずる。

 命令通りに顔を上げた使者に、一瞬息を呑む。

 周りに控える家臣たちも目をみはって静まり返った。長い髪を低い位置で一つにまとめた身なりは武士ではない。端正な顔立ちに微笑を浮かべる様子は、あでやかと称するに相応しく、このような遣いには似つかわしくない男であった。

 男は、冷泉れいぜん 理人りひとと名乗った。彼を遣いに寄こしたその国の城主の庇護のもとで商人をしていると自己紹介した。

 商人を遣いに寄越すとは、と家臣たちに憤りの声が上がった。城主はそれを片手を挙げて制する。

「虎めが、おぬしを遣いに立てたは何故なにゆえか」

「先般、尾張様が我が城主に贈り物をくださった際、美しい女商人にょしょうにんが使者にいらしたので、その返礼にと申しておりました」

 つまり、仕返しである。尾張の城主は、理人の国の城主に贈り物をする際に商人を遣いに立てたのだ。しかも政治的に力を持たぬはずの女人にょにんを。その返礼と称して、城主は彼女に勝る美貌を持つ理人を贈り物の使者とした。理人が商人であるのは、偶然であると城主は笑うだろう。

 その意図を汲み取った尾張の城主は、口元を歪め、「虎めが…」と呟いた。そこに怒りはなく、その意趣を楽しんでいるようであった。


 尾張は美貌の使者を歓迎し、理人のために宴を開いた。そこで上機嫌に酔った尾張の城主は舞を一さし舞って見せた。誰もが称賛する尾張の舞は力強く、天下に近い武将に相応しい見事な舞であった。

「おぬし、舞は出来るか?」

 尾張が理人を指名した。理人は「それでは僭越ながら」と立ち上がった。尾張に扇を借り受け、理人は宴席を設けた部屋の縁側へと進み出る。かがり火に浮かび上がる桜を背に立つだけで、理人は溜息が出るほど絵になる。

 理人はぱらりと扇を開き、降る桜の花びらを扇で操るかのように背景に溶け込んだ。図ったように典雅な曲を楽士たちが奏で、それに乗って舞う理人は、まるで優美な桜の精だ。尾張の舞とは対照的に、しなやかで艶やか、そして物憂げな舞は、人々の口数と目を奪うに充分だった。

 理人が舞い終えると、ほう、と感嘆のため息がいくつも落ちた。

「気に入った。褒美を取らす。欲しいものを何でも言うがよい」

 扇を返す理人に、尾張は上機嫌に声を掛けた。有り難き幸せにございます、と言ったきり、欲しいものを口にしない理人に、尾張は帰るまでに考えておくようにと言った。



 翌日の夜、理人は尾張のもとへと呼ばれた。南蛮渡りの珍しい葡萄酒をふるまってくれるという。それを注ぐ器も繊細な装飾を施された南蛮の硝子の酒器だ。

 美しい赤色の葡萄酒が入った硝子の杯を明かりに透かして眺め、初めての味を楽しむ理人の横顔に、尾張は溜息を洩らした。

「おぬしは、まことに美しいのう」

 葡萄酒を傾けながら、尾張は理人をでた。尾張の言葉は純粋だ。望むものを望むように欲する彼の言葉に偽りはない。

「よく言われます」

 理人は微笑して答えた。

「気に入った。わしのものにしたいくらいじゃ」

 尾張は理人に顔を近づけ瞳を覗き込んだ。そして、理人の肩に掛けた手に体重を乗せ、そのまま理人を床へと押し倒した。尾張に組み敷かれた理人は、狼狽することも抵抗することもなく、黙って尾張を見上げた。その瞳に宿る清冽せいれつな光は、ゾクリとするほど尾張をよろこばせた。

「私を、手に入れたいですか?」

 理人の唇が動く。動きを止めた唇が冷やかな笑みを湛える。

「私に寝首を掻かれるとしても?」

 尾張の首筋にひやりと冷たい感触があった。理人の懐刀の刃が鋭く光って見えた。いつの間にそれを出したのか、尾張にはわからなかった。彼が理人を押し倒すその一瞬に、ここまでの用意ができたのだろうか。

 尾張は理人を見下ろして、ク、と喉元で笑った。愉快そうに笑い続ける尾張を、理人は微笑したまま見上げていた。

 そこへ、「御館様」と一人の小姓が戸を開けた。主君が男を下敷きにしているのを見て、一瞬彼は息を呑んだが、何事もなかったかのようにもう一度「御館様」と呼んだ。

 しかし、次の瞬間、視線を自分に向けた尾張の首に懐刀が突き付けられているのを見て小姓は「おぬし…」と理人を睨みつけて刀に手を掛けた。

「よい」

 起き上がった尾張は小姓を制した。

たわむれじゃ」

 理人も起き上がり、刀を納めた。

「して、いかがした」

 小姓が尾張を呼びに来たのは、尾張に来客があったからだった。このような時間に何用じゃ、と尾張は忌々しげに問うた。

「冴木殿の奥方様が御館様にどうしてもお話したいことがあると」

 小姓が来客の名を告げると、渋々尾張は立ち上がった。


 冴木の妻は、現れた尾張を憎悪を隠さぬ目で射抜いた。上座の尾張に臆することなく言い募る。

「御館様、わたくしの夫を返してくださいませ」

 先の戦で冴木は命を落としている。敵の城を落としたはいいが、その後敵の援軍に攻められ籠城して尾張の援軍を待っていた。ところが、尾張は援軍を出さなかった。その時の戦況からいって、援軍を出すことは得策ではなかったのだ。味方を見捨てるのか、と問う家臣に、「大事の前の小事じゃ」と尾張は冴木を切り捨てたのだ。

 そしてその戦で冴木は敵の手にかかって死に、自分の夫が尾張に見捨てられたと知った妻が抗議に来たのだった。冴木の妻は尾張の親戚筋であり、尾張と面識があったからこその行動でもあろう。

「たわけ!」

 噛みつく冴木の妻を尾張は苛立った様子で一喝した。

「そのようなことで騒ぎ立てるとは、それでもおぬし、武家の女子おなごか」

 忌々しげに冴木の妻を睨みつけた尾張は、立ち上がりざま脇息を掴んで傍に控えていた家臣に投げつけた。

「このような戯言ざれごとは捨て置け。いちいちわしを煩わせるな」

 身を固くして脇息を受け止めた家臣は、申し訳ありませぬ、と低頭するばかりだった。家臣の詫びに耳を貸さずに尾張は冴木の妻に視線を戻し、刀の柄に手を掛けた。

「そんなに夫が恋しければ、おぬしもすぐに冴木のもとへ行かせてやろう」

 言うや否や、尾張は抜刀した。その眼には烈火の如くぎらついた荒々しさが見える。

「おしずまりください」

 そこへ、静かな声が尾張をいさめた。

「夫を亡くした哀れな女子おなご一人殺したところで刀の錆にもなりませぬ。無益な殺生はお控えになられるが良いでしょう」

 現れたのは、美貌の使者だった。

「理人、わしに説教でもするつもりか」

 女の生殺与奪権は自分にある、と尾張は主張した。

「その激しさが命取りですよ」

 理人は尾張の剣幕を意に介することなく諭す。

「では、昨夜の褒美を私に与えてください。この女を、私にください」

 尾張は理人を射抜くような目で見ていたが、やがて、その微笑に屈するように刀を納めた。

「よかろう、そちに免じてゆるしてやろう」

「有り難き幸せにございます」

 理人は恭しく頭を下げた。それから、「もう一つ欲しいものがあるのですが」と語を継いだ。「申してみよ」と尾張が応じる。

「冴木殿のご子息様の命も私にください」

 尾張は理人を見やると、喉元を揺らして笑った。例え冴木の妻の命を助けたとしても、家督を継ぐ男子がいなければ冴木家は断絶する。そして尾張にとって、幼い嫡男を母の手から奪うなど容易たやすいことであった。

 理人はそれをすべて知っていた。他家の家臣の内部事情になど通ずるはずのない、他国の商人であるにもかかわらず、である。

「よかろう。くれてやろう」

 再び理人は有り難き幸せと頭を下げた。それから、理人は女に近づいて帰るよう促した。そして、小声で息子とともにこの国を出るように告げた。いつ尾張の気が変わるとも限らない。すぐに出立し、北東の国、つまり理人をここへ遣わした城主の治める国へと逃げるように指示した。

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