残機増やし
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
おっとと、立ちくらみ……ふう、ごめんね。ちょっと肩を借りちゃった。
こう、「ふいっ」と来るものだからさあ、怖いのなんのって。君は大丈夫? 僕は昔からなるから、少しは慣れてきたよ。症状そのものは、くらくらする以外に、目の前真っ白になったり、すーっと後ろに引っ張られるみたいに気が遠くなったりと、バラエティが豊かだよ。不本意ながらね。
この手のたちくらみってさ、小さい時の方が多くなかったかい? 大きくなってからは回数が少なくなったように思うんだけど、どうだろう。
科学的には、加齢とともにホルモンバランスが整ってきて、血圧をコントロールできるようになるかららしい。
じゃあ、非科学的に見たら立ちくらみって何? それについて、昔、知り合いから聞いた話があるんだ。興味があったら、耳に入れてみないかい?
立ちくらみというのは、人間が脆弱であることに端を発するというんだ。
自然界において。人間っていうのはめちゃんこ弱いだろ? 自分の身体よりはるかに小さい生き物相手だって、危険な毒をもらえば、たちどころに死んでしまう。まるでネジ一本が外れただけで、たちどころに崩れ落ちてしまう、からくり仕掛けのようなものさ。
だから人間は長年生きる上で、あらかじめ危険を察知する機構を作り上げ、今や無意識のうちに使っている。
今現在では、「生霊」という呼び方が多いかな。ほとんどその目で見ることができない存在だけど、まれに姿まではっきり見えるものは、「ドッペルゲンガー」として認識されるのだとか。
そしてその生霊が死に瀕する事態に陥った時、本体に戻っていく。その時の衝撃が身体全体を刺激し、意識と感覚がかき乱される。その現象が立ちくらみなのだという。
中学生時代のある朝。ベッドから起き上がると、僕は不意に立ちくらみに襲われた。さっきみたいにまっすぐ立っていることができなくて、近くに壁によたよたともたれかかっちゃったよ。
目を開いていると、視界が揺れる。ヘタに動くと、何かにぶつかる。まぶたを閉じてじっとするんだ、僕の場合。
ようやくおさまって、あわただしく支度。学校に行くと、すでに何人かクラスメートが教室に来ている。僕が席に着くや、そのうちの一人が話しかけてきた。
今朝早くに、ショッピングモール近くの歩道橋にいなかったか、と。彼は朝練のために早く家を出たところ、通学路の途中にある歩道橋の上で、僕がたたずんでいるのを見たというんだ。地上数メートルはある、人がいない通路のど真ん中にぽつんと突っ立って、手すり越しに下の道路をじっと眺めていたらしい。
わざわざ歩道橋に上って声をかけるのも不自然だと思った友達は、そのまま学校に向かったとらしい。そして、たった今教室にやってきた僕に事情を尋ねてきたというわけ。
友達が見かけたと話した時間は、僕はまだ起きたてだ。ちょうど立ちくらみにみまわれた時間帯。現場に居合わせることはできない。
まだあの立ちくらみの解釈について、僕はまだ知識がなかったから、他人の空似じゃないの、と思っていた。試しに現場を見に行ってみないかとも誘われたけど、自分のそっくりさんがいたとして、その顔を見たいとは考えなかったよ。
ただ、それからも僕のそっくりさんを見かけた、という声が、クラスのみんなからたびたびあがったんだ。それは決まって僕が立ちくらみを起こした時間帯だった。偶然の一致にしては重なりすぎている。
そのうえ、立ちくらみの症状は重くなっていく一方。昨日などは、横たわらずにはいられないほどの、酩酊状態。部屋の配置を踏まえずに倒れた結果、机の角で眉毛の上を切ってしまっていたよ。
僕は思い切って、みんなが僕のそっくりさんを見かけた時間と、僕が立ちくらみを起こした時間が一緒だということを、打ち明けたんだ。
たいていの人が一笑に付して、その場は終わったけど、その放課後。僕は先ほど話を聞いていたクラスメートの一人に声をかけられた。欠席が多くて、日数が足りるのか危ういと噂されている男の子だ。
いつも青白い顔をしていて、骨と皮しかないんじゃないか、なんて心配されていたけれど、本人はもくもくと自分の机や図書室で、いつも本を読んだり、書き物をしたりしていた。何度か話をしたことがあって、オカルトに造詣が深い子だと知っていたよ。
久しぶりに姿を現していた僕に、彼はそっくりさんが出始めてから、何度くらい立ちくらみがあったのかを尋ねてくる。正確な回数は覚えていなかったけれど、一ヶ月の間で、もう両手の指では数えきれないくらいにはなっていた。
その事を正直に告げると、彼は少しあごに手を当てて考えた後、「今日の放課後、時間があるかい? ちょっと困ったことになっているかもしれないから」と、真剣な顔で僕に訊いてきたんだ。
彼の珍しい姿を見たこともあって、本当はちょっと買い物をする予定があったんだけど、彼の話に乗っかることにしたよ。
一緒に近くの図書館に向かった僕たちは、長机の一つを陣取る。彼は家から持って来た、とあるデパートの袋の中から、大量の割りばしと桃色の毛糸玉、そして爪切りを取り出し、先に話した「生霊」についての話を、僕にしてくれたんだ。
「今からやるのは、そうだなあ。ゲームで例えると『残機増やし』ってところかな。その生霊って、いわばその人にとっての残りの命。あまり減らしすぎると、ついには身体ひとつになっちゃうんだ。今までは全然平気だったのに、どうしていきなり、あっけなく死んじゃったんだろうって最期が、時々見受けられるだろう? あれ、残機がなくなった状態だったから。ちょっとしたことで終わっちゃうんだよ、残機がない人間はさ」
彼の淡々とした物言いに、少し背筋がぞくっとする。それから行われる作業に関しても、いわゆる「ヒトガタづくり」だったんだ。
割りばし同士を毛糸で結い合わせ、髪の毛に当たる部分にも、もしゃもしゃと毛糸を丸めて乗っける。
加えて、僕はその場で指の爪を切るように言われた。彼が広げてくれたティッシュの上に、うながされるまま爪を切っていく。パチン、パチンと爪が音を立てて落ちるたびに、いつもやってくる立ちくらみのように、視界がわずかにクラっとする。
「やめちゃダメだよ。大事なところなんだから。ここでやめると、明日を迎えられるか分からないよ」
彼はまた抑揚のない語り方で、物騒なことを告げてくる。僕自身も、ヒトガタを作ると決めた時点で、すでに乗りかかった舟。続けるしかなかったよ。
切り終わった爪は、彼の指示のもと、作り上げたヒトガタの髪の毛の中に埋め込んでいく。
そして、最後の一個を埋め込んだ時。目の前が一瞬だけ真っ暗になった。
瞬きほど、短い間じゃない。ぱっと室内の電灯が一斉に消えて、一泊置いた後につけ直されたような、間があったんだ。光を取り戻した視界の先では、彼がそそくさと作ったヒトガタたちを紙袋に詰めていたのだけど、その手に握ったヒトガタの頭は元の桃色とは違う、濃い赤色をした斑点が、まぶされているように見えた。
まるで乾いた血痕のように、黒みを帯びた紅の色……。
「うん、これでしばらくは大丈夫だと思うよ。けどね、たとえこれから先、立ちくらみがひどくなることがあったとしても、くれぐれも一人で今日やったようなヒトガタづくりはしない方がいいよ。聞いた話だとね、それって命に対する冒涜なんだってさ。怒りに触れるとね……ピシャッと」
彼が手刀を、目にも止まらぬ速さで僕の頭の上、三センチほどのところまで振り下ろして来た。反応がまったくできなかったほどだ。
「命を取り上げられちゃうんだってさ。今日は本当に特別の特別。くれぐれも気をつけなよ」
斜陽がだいだい色に差し込み始めた館内。その書架の間を通って、彼はこちらを二度と振り返ることなく、図書館を出ていってしまった。
それからまた彼は、学校を休むようになっちゃったよ。
僕のそっくりさんを見かける機会は目減りしたけど、立ちくらみは間を置きながら、思い出したようにやってくる。そうして今に至るってわけさ。
今日、立ちくらみがやってきて、僕はほっとしたような、少し怖いような、微妙な気持ちになっている。
彼の言を信じるなら、僕にはまだ残機とやらが存在したらしい。でも、残りを確認するすべはない。もしかしたら、今ので最後。僕にはもはや、この身体しか残っていないかも……そんな想像さえしてしまうこともある。
君はどうだろう。立ちくらみはしているだろうか?