プロローグ 極東の異変
清の時代より中国とドイツは盛んに交流を行っていた。それは戦乱や革命で互いに国が変わっても続いていた。交流は民間だけに留まらない。軍事の分野でも協力体制にあった。その為、中国軍にはドイツ軍から軍事顧問団が派遣されていた。
それだけでなく、大戦後に軍備の保有を大きく制限されていたドイツは、中国国内で兵器の生産と試験を行い、現地で兵員の訓練を行うことで戦力を強化しようと考えたのである。そして、秘密裏に多くの工場が中国内陸部に建築され、数多くの装甲車両や航空機が密かに作られたのである。無論、中国側へも見返りにそれらの武器が供与、または売却された。
荒鷲、西の空を舞う プロローグ
1937年8月 上海日本租界
「小隊長!敵が見えました!」
「こちらからは仕掛けるな!司令部からの命令だ!!」
「了解!…撃ってきました!」
「くそ、砲撃か!」
かねてより緊張状態にあった上海で中国軍が、日本人が多く居住していた日本租界へ攻撃を開始。日本租界に展開し、防御線を敷いていたのは海軍陸戦隊およそ4千人。5年前の事変で上海防衛に成功し、勇名をはせていた上海特別陸戦隊を主力とした部隊である。
敵情は今の所よく分かっていない。橋の向こうからとにかく盛んに砲弾を撃ち込んでくる。砲撃で陣地を叩き潰すつもりだろうか?だが、この上海には欧米各国の租界がある。流れ弾や砲弾の破片、火災による延焼で他国にも損害を与える可能性がある以上、大規模な砲撃で制圧を行うとは考えにくい。橋がある以上、必ず歩兵を送り込み制圧するだろう。それに、こちらにも15cm砲を始めとする各種大砲が多数配備されている為、砲戦で不利になるとは考えていない。
「分隊長!何かが向こうから来ます!」
一人の陸戦隊員が叫んだ。その声に反応し、バリケードと塹壕で作られた防衛線から皆が橋の向こうを見る。煙で視界はあまり良くないが、何かが動いている、数は3つ。車?それにしては妙だ。ここは砲弾飛び交う修羅場、そんな所に普通の車でやって来たら蜂の巣にされるのが関の山。では、あれは?皆がそれが何か考えていると、風が吹いて煙が晴れた。すると、その正体が分かった。砲塔を載せた独特のスタイル、そして車体に履帯が付いた車両と言えば…
「畜生!戦車だ!敵が戦車を出してきた!!司令部に報告!急げ!!」
敵と思しき戦車はこちらへとじりじり近づいてくる。機関銃が届くであろう距離まで近づいて来た時、敵戦車は停車。その砲塔から発砲炎が見えた。機銃弾が雨のように撃ち込まれる。敵が戦車を持ち出して来たことに対するショックは大きかった。中国軍が戦車でやって来るなど考えてもいなかったのだ。こちらも小銃や機関銃で反撃しているが、相手は装甲を持っている。効いている様子は全く無い。防衛線の兵士達は明らかに動揺している。
このままではいかん、指揮官がそう考えつつ手持ちの兵力での対処を考えていた時であった。
「自分が潰してきます!」
「おい、井口!無茶をするな!戻れ!!」
両手に手榴弾を抱えた陸戦隊員がバリケードから飛び出した。
上海での武力衝突の結果に日本国内の世論は荒れに荒れた。
戦地にて数多くのドイツ製兵器が使用されただけでなく、巡洋艦の対空砲火によって撃墜された最新のドイツ製戦闘機(Bf109B)から脱出したドイツ人パイロットが捕虜となったのだ。親独派の多い軍や政府内部でも堂々と義勇兵を戦地へ送り込んできたドイツへのショックは大きく、ドイツへの不信感を強めていった。
そして、遠く離れた欧州のイギリス軍はこの極東でのドイツの行動に一抹の不安を抱いていた。
欧州にも暗雲が…
という事でプロローグです
知識があんまりないのでお許しください…