ネロと
「ネロー、ネロー」
「ネロさまー」
逃れ潜む建物の中、ネロは遠くから自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。しかし、それを振り払う。
「なんだか、もう疲れたよ。疲れたんだ」
終わったのだ。何もかもが。未練は残らないではない。芸術が失われてしまうのではないか。後悔は、だとしても、嘆きにしかならない。もはや人にも、神にも届かない。
傍らには、じっと見つめる目があった。
「お前は一緒に居てくれるのかい?」
すっと頷かれる。
どんな時でも傍に居た存在。寄り添うようにその肩に手をかける。まだ、温かさは失われていなかった。ネロは首元に熱いものを感じ、二人して、ずるっと床に落ちる。
そこからは寒々となっていくばかりだった。
最後に、ネロが小さな声で呟いた。
「火をつけたのはボクなんだ」
それは告解とはならない。
「芸術のためだ。トロヤ以上の詩を、歌を作りたかったんだ」
誰が聞くでもなく、そして、閉じられた。
冷たくなった肉体からは魂が抜き出され、天上へと向かうのだろうか。
AD68年6月9日。