9.呪いの沼とカエルの合唱団(1)
「ふぅあぁ……よく寝た」
結局、あの後は俺の世界――いや、今はもう、ユキを含めた俺達の世界だ。とにかく俺とユキは、俺達の世界で仲良く眠ることができた。
といっても、興奮したユキが、俺をなかなか寝かそうとしなかったけどさ。
そんな訳で、起きたばかりの寝ぼけ眼で周囲を見渡すと、広がった世界にしっかりとした大地が産まれているのが見える。
植物もなく、俺たち以外には生き物もいない世界。ただ赤茶けた大地が広がるだけの、見ようによっては荒野にも見えるが――けれど、元は何もない真っ白な小さな空間だったのだ。それが今は大きく広がり、大地まで産まれていた。
――なんか感動。
この世界には、まだ名前がないと【叡智の指輪】が言っていた。
それも当然だ。この世界こそが俺の本体なのだから。いわばここが、本当の意味でのタクミ・タナカであり、今の俺はかりそめの姿でしかないのだ。
とはいっても、かりそめであっても人に似たこの姿もタクミなのだから、この世界もタクミと呼ぶのは、ややこしいことこの上ない。
それに、これだけ広がったのだから何か良い名前を名付けたい気分にもなる。
――が……ま、それは、ゆっくりと考えるとしよう。
で、そんな事を考えている間、ユキはというと、俺の後ろで丸まって熟睡していた。俺を抱き抱える形で。
そう、俺をがっちりとホールドして、ぴくりとも動かないのだ。
――だから、俺も全く動けないという訳だ、ははは。
まぁ、もふもふとした毛皮を纏ってるみたいで気持ちは良い――寝てる間は羽毛布団にくるまれるより、ぐっすりと眠れたけどさ。
――しかしだ!
目覚めると、ユキは俺を拘束する布団と化していた。しかも、ユキは今もぐっすりと就寝中。スピースピーと気持ち良さげに寝息を立て、鼻フウセンを膨らませている。
昨日は嬉しすぎて、遅くまで随分と興奮してたからね。その反動で、今朝は熟睡しているのかな。それは良いんだけどさ。
「ちょっとユキさん、もうそろそろ起きましょうよ」
さっきから幾ら声を掛けても、「ウゥ」と煩そうに唸り声を上げるだけなのだ。そしてまた、満足そうに眠り続ける。
それもどうかと思うよ、ユキさん。野生の獣としてはね。
あ、今はもう下級神だっけ。今回は、ユキが地属性の下級神となった事で、俺の世界に大地ができたようなのだ。
――けど、ユキが下級神ねぇ。
鼻フウセンを膨らませるユキを、ちらりと眺める。
とてもそうは見えないよ。
未だに信じられないが、ユキに祝福を与える事で、俺たちの世界の下級神神へと転生させてしまったようなのだ。
――家族にと願ったからだろうか?
ともあれ、俺は驚いたことに、神を産み出してしまった。
元いた世界、日本の神話の中でも神産みのくだりはあるが、今の俺はちょうどそんな感じだった。世界を創造し神を産み出す。日本神話が語るように、俺も次々と神を産み出せば、この世界も様々な形へと変えていくのだろうか?
それはそれで、楽しみかも知れない。
そんな事をうだうだと考えてる間も、ユキは一向に目を覚ます気配がない。
俺も今日は色々と――周りの探索やあのスイカを収穫して食したり、あのスイカに似た果実を食べたり、あのスイカを……そうだよ。俺も早く食べたいんだよ!
こうなったら強硬手段に出るしかない。
体はがっちりと抑えられているが、右腕は何とか動かす事ができる。その右手を伸ばし、寝息を立てるユキの鼻先を掴む。
そして俺は、にやりと笑った。
――ふっふふ、これで嫌でも起きるだろう。
「……グル?」
――お! しめしめ。
一瞬ユキの鼻息が止まり、俺への拘束が緩む。が、次の瞬間――
「……バッフウゥン!」
「う、うおおぉ……!」
ユキから強烈なくしゃみが放たれ――すっぽ抜けた俺が吹き飛ばされた。
「なんじゃこりゃあぁぁ!」
――あり得ん!
ユキの鼻息は台風なみの暴風となって、周囲に荒れ狂う。
「うひゃあぁぁ……!」
盛大にぐるぐると転がる俺。あっという間に、世界の果てまで転がっていく。果てといっても、50メートルほどしかないけど。それでも、結構な距離ではあるが。
「あ、危なぁ……」
今のは本当に危なかった。何か、ユキがくしゃみをしたときに、炎も一緒に吐き出されたように見えたのは気のせいだろうか。
しかし、ほっと安堵したのも束の間、今度は目を覚ましたユキが「ガウガウ」と、お怒りの様子で迫ってくる。
「今のは出来心。ちょっとした悪戯だから。落ち着いて……あ、ユキさん止めて……」
そして、ゴロゴロとユキに転がされる俺。何が楽しいのか、ユキは「バウバウ」と喜んでるし。マジでやばい。今度こそ本当に消滅(死亡)して……。
――ん? ちょっと待て。
俺は消滅(死亡)すれば、ここで再生されるよな……あれ。では、ここで消滅したらどうなる。その場で即座に再生されて……おいおい、ユキが飽きるまで延々と無限地獄が続くのでは?
もしかして、さっき吹き飛ばされた時も、一度は消滅してたかも……えぇと。
「だあぁぁぁ……ユキさん止めてえぇぇ!」
俺の叫びも虚しく、その後もユキに散々に玩具にされるのだった。
ま、ユキが少しでも元気になってくれるなら、それはそれで何よりだ。例えそれが、空元気だとしても。ユキの母ちゃんもきっと…………。
等と、ニヒルに格好を付けているが、現実の俺はまたしてもユキに蹂躙され涎だらけの情けない姿になるのだった。
小一時間、玩具にされてようやく解放された俺。ユキは満足したのか、今は毛繕いしている。
――ホントに、どっちが主人か分からんよ。
しかし、さっき考えていた事は本当だ。ユキも母ちゃんを亡くしたばかりで、本当は悲しいはず。少しでも元気になるなら、何時までも付き合ってやるよ。
ユキに歩み寄ると、その頭をポンポンと軽く叩いてやる。
「バウ?」
「何でもないよ」
ユキが、不思議そうに小首を傾け見詰めてくる。
「……さて、それでは朝食にでも行きますか、ユキ姫」
少しおどけた様子で話し掛けると、ユキは「バウ!」と元気よく答えてくれる。その尻尾はブンブンと左右に激しく振られていた。
「取りあえず、果樹園に行ってスイカだな」
そう言って歩き出したのだが、ユキは何を思ったのか、俺の後ろ襟をくわえて背中へと放り投げた。
「うおっと、今度は何?」
俺が慌ててユキの背中にしがみつくと。
「バウ!」
振り返ったユキは背中に乗った俺を確認し、塔へと飛び出した。そして軽々と跳躍すると、崩れた天井の隙間から三階へと躍り上がった。
「へ、何で3階?」
俺が疑問に思った瞬間、ユキが宙へ、地上へとダイブしたのだ。
眼前に急速に迫る大地。
「うおぉぉぉ……嘘おぉぉぉ!」
俺の絶叫を余所に、ユキは軽やかに着地すると、ぐんと一気に加速する。塔から対岸へと続く小道を、疾風となって駆け抜ける。
「ち、ちょっとユキさん、危ないって。スピードの出し過ぎ死を招くって、知らないのぉ!」
交通安全の標語みたいな事を叫ぶ。
が、ユキは何を勘違いしたのか、更に加速する。
――いやいや、俺は喜んでないからね。だから……。
「止めてえぇぇぇ!」
そして、またしても目前に迫る障害が――昨日俺が苦労して潜り抜けた道。前方を塞ぐのは樹木や生い茂る雑草だ。だが、ユキは構わず突撃していく。
ドガッ!
と、轟音を響かせ樹木や草花を薙ぎ倒し、ユキは突き進む。
――何これ……これは死のコースター、デッドコースターですか?
俺は涙目で、ユキの背中にしがみつくのだった。
一気に廃墟となった集落を通り過ぎ、外れにある果樹園まで駆けていく。振り返ると、完全に道が出来上がっている。どうやらユキは、俺に良いところを見せようと張り切ってたみたいだ。それは良いんだが、その前に俺の精神が参ってしまうよ。本当に、止めて欲しい。
「はぁはぁ……ユキさん、今度から緊急の時以外は自分の足で歩くから……もう背中には乗せなくていいよ」
「バウ、バウ!」
弾む息を調え、ようやく言葉を絞り出す。それに元気よく返事するユキ。
本当に分かってるのかよ……ったく。
昨日はスイカを取るのに苦労したが、今日はユキに跨がっているので簡単にもぎ取る事ができた。それをユキと分け合って食べることにする。
――ふぅ、やっと念願の異世界スイカが食べれるな。
もいだスイカは、ユキが爪で綺麗に切り裂いてくれた。その欠片を口へと運ぶ。
「ん、これは……」
……いや、美味しいのは美味しいのだが……この味は、桃!
確かに、甘くて美味しい。しかし、見た目がスイカだけに……何だか微妙。
「どうだ、美味しいか?」
「バウ!」
俺の問い掛けに、耳と尻尾をパタパタさせて嬉しさを表現してくる。大分お気に入りの感じだ。まぁ、俺とユキの出会いを記念した果実でもあるからな。
と、その時、突然ユキが警戒の唸り声をあげる。
「グルルル……」
「どうしたユキ」
ユキの視線の先、傍にある樹木の枝の上にやつがいた。
そう奴だ。前々回、俺が塔に戻された原因となった、あのカブトだ。ここはリベンジに挑むしかないだろう。
飛び掛かろうとするユキを、手を上げて制止する。
ユキにも少しは良い所を見せないとな。
やつがいる枝の真下まで移動すると、俺とカブトは睨み合う。絡み合う視線が火花を散らすとは、まさに今の状態を表す――と、勝手に俺がそう思ってるだけだが。
「前回は確かに俺の完敗だった。しかぁし、今回の俺はひと味違う!」
右の手のひらをカブトに向ける。
「神の怒りを、その身に受けよ、ゴッドアロー!」
神力スキル【神矢】を発射する。
本当は念じるだけでいいけど、必殺技ぽく言ってみた。
すると、ビー玉程の大きさの光の玉が、ふわふわゆらゆらとカブトに飛んで行く。そして、パンと乾いた音を鳴らして当たると、カブトが少しよろめいた。
「……ちょっとポイントをケチり過ぎた?」
しまった。試し射ちをしとけば良かった。
今のはポイントを10だけ込めたのだ。さすがに少な過ぎた。慌ててポイントを込め直して、射ち出そうとする。が、その前に怒ったカブトが突っ込んで来る。
「うお、早っ!」
咄嗟に躱そうとするが――バチンと、ユキが前足であっさり叩き落とした。
まるで、ハエ叩きだ。
カブトを地面に押さえつけたユキが、これどうすると言いたげにドヤ顔を此方に向けてくる。
――くっ、何だかちょっと悔しいぞ。
カブトを見ると、じたばた藻掻いている。しかし、ユキの力強い足はピクリとも動かない。
それが、少し哀れに感じてしまう。考えて見ると、ここは元々このカブトの領域かもしれない。だったら俺たちの方が、突然やって来た侵入者だ。それに、レベルを上げるのに戦う必要が無いと分かった今、倒す必要も無い訳で。だから……。
「ユキ、離してやろう。この樹はこいつの家みたいだし、今度からはお願いして少し分けてもらえば良いさ」
カブトに話が通じるか分からないが、今回はもう良いや。
「バウ!」
返事をしたユキが前足をどける。カブトは突然自由になった事に驚いているのか、一瞬、躊躇したように「ジジジ」と鳴いていた。だが、直ぐに何処かへ飛んで行った。
その後、俺たちも集落跡をぶらぶらと散歩したりして、のんびりと塔へ帰ったのだが、途中で気になる事がひとつあった。
昨日もだが、沼から蛙に似た不気味な鳴き声が聞こえていた。それが今日は、更に騒がしくなってるような気がしたのだ。
――何もなければ良いけど……。
俺の脳裏に浮かんだのは、あのワニダコの異様な姿。一抹の不安を覚えつつ塔へと戻るのだった。