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異界の魔神 【改訂版】  作者: 飛狼
2章 世界樹との邂逅……そして
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17.木精と森の民(17)


 都市を囲うように設けられている防壁。その周りに林立していた樹木は全て薙ぎ倒され、魔物の亡骸が所狭しと転がっている。その多くが炎に焼かれ未だにぷすぷすと煙を上げ、間から覗く大地までもが黒く焼け焦げ炭化していた。

 魔物の中にはまだ息があるのか、呻き声を上げているのもいたが――鋭い鉤爪を生やした漆黒の魔獣の前肢が、最後に残っていた僅かな命の灯火ごと、ぐちゃりと踏み潰す。

 その魔獣は、まさしく破壊の権化、殺戮の女神そのものだった。


 そう、その力強い前肢の持ち主――それは当然の如く俺の眷属かぞくである、ユキだ。

 目の前で繰り広げられていた大規模な都市防衛戦に血を滾らせ、興奮するあまり戦場を駆け抜けていたのだ。


 で、その間、俺はどうしているかと言うと、ユキに跨がり例の如く、


「うひょう! ユ、ユキさん止めてぇ……」


 と情けない悲鳴を絶賛発動中だったりする。


 確かに、世界樹さんも悪しき存在が集い街に押し寄せていると言っていたから、ここに転がるのは魔物と呼んでもよい存在なのだろう。

 しかし、その中には人に似た姿の魔物もちらほら見かける。さっきユキが踏み潰した魔物も、下半身は蜘蛛のような姿をしていたが上半身はうら若き女性だった。その蜘蛛に似た怪物以外にも、体が焼かれ、或いは首や四肢が引きちぎられ臓物を撒き散らした、人と似た魔物の亡骸が累々と転がっていた。


 ――ここは、戦場……。


 俺は戦場について、まだまだ甘い認識しかなかった。いや、全くといって良いほど知らなかったのだ。

 遠くから眺めていた時とは雲泥の差。目の前で――その真ん中に立てば分かる。戦場とは、想像していたより非情で残酷な場所だと。


 魔神なのか邪神なのか知らないが、そんな存在に転生しようとも、俺の中身は前世の日本で教育を受けた平凡な青年でしか過ぎないのだ。

 確かに前世の世界でも海の向こうの国の中には、紛争や戦争の絶えない地域もあった。しかし俺は幸いなことに、そんな戦場からは縁遠い安穏とした日本で育った。

 だから俺には、陰惨で生々しいこの光景があまりにも強烈すぎたのだ。


 数日前にも、果樹園や沼へと侵入してきたこの世界の兵士らしき人々と俺たちとの間で争いにはなった。しかし今回のは、それとは比べ物にならない規模。もはや国家間の戦争といえるレベルの戦いなのだ。

 前の世界でも戦場なんてものは、テレビの画面の中でしか知らない。それも、倫理規定とかで過度な暴力やグロテスクな映像は制限されてだ。

 けどここは、画面の中ではなく正真正銘の本物の戦場だった。


 この異世界に転生してから僅か数日の間に、沼の主や異世界人との争い、そして極め付けが、世界樹から参加を懇願されたこの都市防衛戦。

 記憶にない五十年は別にして、前世の日本で平穏に暮らしていた経験しかない俺にとってこの状況は、とてもではないが許容できない耐え難いものだった。だから周囲の無惨な状況に、俺の精神の方が先に参ってしまう。

 目を逸らしても、魔物の呻き声が聞こえ肉の焼ける嫌な匂いが鼻を刺激する。さながら、逃れられない悪夢の中をさまようかのようだった。

 幾ら体は不死身でも、心までは不死身ではなかったのだ。


 言いようのない気分の悪さと吐き気に呻き声を上げる俺に、


『お願いです。早く、もうあまり時間もありません。城壁の上に集まっている我が子らと合流して――』


 と、世界樹さんから早く早くとかす声が届く。

 俺の心情などお構いなしに、理不尽な頼みごとをしてくるのだ。

 そしてユキはといえば、俺の制止の声を振りきり、嬉々として魔物の命を刈り取っていく。


「……みんな、止めろよぉ……」


 俺の口元から漏れ出るのは、力ない呟きでしかなかった。

 この時、俺の心の中には様々な感情――恐怖、怯え、妬み、嫉み、怒りといった感情によって占められていた。転生してからの度重なる争いに、俺の心は知らず知らずの内に疲弊し、すり減っていたのだろう。だから今回の戦場で、それら今まで溜め込んでいた負の感情が大きく渦を巻き噴出すると、俺の精神は振り切れる寸前になっていたのだ。


 と、その時――ぞくりと背筋が粟立つ。


 そして、負の感情の向こう側に、そいつは居た。心の奥底に封じられていた何かが、身動みじろぎして浮上しようと足掻いていた。


 ――これは……この感覚にはおぼえがある。そう、あの時は確か……激情するあまり……。


 それは、この世界で最初に目覚めた時に、感じとったものと同じものだった。何故か、今まで忘れていた感覚。

 

 心の奥底にいたそいつ――どす黒く澱んだ塊が、『全てを壊せ、殺せ、喰らえ』と、俺の精神を埋め尽くしていく。


 と、そこへ「ピイィィ!」と警戒音が頭の中で鳴り響き、続けて【叡智の指輪】からメッセージが届く。


『感情ノ昂リガ危険領域二入リマシタ――』


 そうだあの時も、【叡智の指輪】が過去の記憶と共に、感情の全てを消し去ったのだ。そのことすら、俺は忘れていた。


『――コレヨリ、緊急回避モード二移行シマス』


 【叡智の指輪】から届くメッセージが、澱んだ塊の中へと沈み行く俺の心を繋ぎ止めた。

 そして俺は、思わず叫んでいた。


「……ま、待て! 止めろ!」


 また前の時のように、記憶を消されては堪らないからだ。

 この世界で目覚めてから経験した事――ゲロゲーロやギョーやキングたち、俺の眷属かぞくとなった者たち。それに何よりも、ユキとの出会いや一緒に過ごした時間は、今の俺には掛け替えのないものになっているのだ。


 ――そんな経験や想いまで、消される訳にはいかない。


 それに、この負の感情も含めて全ての感情が俺自身のもの。例え誰であろうと、俺以外の者に左右される訳にはいかないし、させない。


「……もう大丈夫だから、止めてくれ!」


 頭の中でとはいえ、【叡智の指輪】と会話を交わしたからか――いや、それ以上に俺の想いが心に余裕をもたらし、強引に負の感情を押さえ込むことに成功した。


『――了解シマシタ。現在マスターノ感情ノ昂リハ、危険領域ヲ脱シ安定ヘト向カッテイマス』


 ――ふぅ……消されずに済んだようだが。


 安堵の息を吐き、ちらりと視線の先を自分の指へと落とした。

 そこに嵌まるのは、神様と名乗る存在から相棒の代わりにと送られた【叡智の指輪】。


 ―−俺の知らない間に記憶を弄って、消したり改竄したりをしてないだろうな。


 と、そんな不信感を拭えない。

 今までは便利な機能ぐらいにしか感じられなくて、あまり気にもしていなかったが、この時、俺は初めて【叡智の指輪】に疑問を持った。


 ――それとも、この指輪には俺の知らない何かが有るのか。


 と、物思いに沈みそうになっていた俺の意識を引き戻したのは、「バウバウ!」と吠えたてるユキの声だった。

 ある程度暴れて満足したのか、それともさっきまで騒いでいた俺が、急に静かになったので不審に思ったのか――たぶん、その両方なのだろう。


 ふと気付くとユキの暴走は、何時の間にか都市の防壁近くまで達していた。周囲に転がる亡骸の中には、魔物だけでなく、防壁から落ちたであろう都市を守っていた住人らしき姿も多かった。

 その凄惨な状況に、またしても吐き気が込み上げてくるが、


 ――大丈夫だ。これぐらいではもう、俺の心は折れないし、挫けない……はず。


 自分に言い聞かせ、無理矢理に吐き気を飲み込んだ。

 そこで、ふと思う。

 俺の心の奥深くに居座るあのどす黒い塊は――あれこそが邪神の本性ではないのかと。そして、あのまま心の全てが飲み込まれていれば、俺はどうなっていたのだろうかと。

 ぞくりと、また背筋が寒くなる。一瞬、恐怖が這い登るが、それを左右に首を振って振り払う。


 ――いや、俺がしっかりしていれば大丈夫だ。


 無理やり自分に納得させ、そのまま視線を前へと向ける。

 すると、立ち止まり背中越しに振り返るユキの視線とぶつかった。

 ユキが心配した様子で此方を見詰めていたのだ。

 

 ――俺もだが、ユキにも。


「ユキ、いい加減にしろよ。俺も本気で怒るぞ」


「クゥゥン……」


 いつにない俺の真剣な態度に、ユキがしょんぼりと頭を下げた。

 しかし、ここで何時ものように甘い顔をする訳にはいかない。


 ユキも俺の眷属、いわゆる家族みたいなものになったけど、元々はこの世界の魔狼。最初に出会った時も、かなり好戦的だった。始めて異世界へと踏み出した俺へ、事情はどうあれ、いきなり襲いかかってきたほどなのだから。

 目の前で繰り広げられる大規模な戦闘に、かなりの興奮状態に陥ったのも分かるが――だからこそ、きちんとした形で言って聞かせなければいけない事もある。

 命の大切さ、そんな大層なことを言う積りはない。この殺伐とした世界で、家族や自分の身を守るためには、時には力を振るわなければいけない時もあるだろう。けれど、それでも――殺戮を楽しむような存在にだけは、なってはいけないのだ。


「良いかぁ、よく聞けよユキ。自分の身を守る場合は良い。だけど、楽しみ半分に、進んで相手の命を刈り取ろうとはするな。そんなユキになったら、俺はもうユキの事が嫌いになるぞ」


「クゥゥン……」


 悄然として肩を落とすが、ユキももう、俺の世界『アルカディア』の下級神なのだ。殺戮を好むような神様にはなってもらいたくないし、そんな殺伐とした考えを『アルカディア』には持ち込むのも避けたい。

 今は暇もないのでこれぐらいにするが、塔に戻ってからゆっくりとユキや皆にも話して聞かせよう。皆が楽しく暮らすためにも。

 そこで、またちらりと【叡智の指輪】へと目を向ける。


 ――この指輪のことも、塔に帰ってからゆっくりと考えるとして……今は先に。


 切り立つ崖のように聳える防壁を見上げた。

 そこには大勢の人々が、防壁の上部から身を乗り出すようにして此方を見下ろしている。


 ――今さら引き返すという訳にもいかないか。


 背後を振り返ると、都市から放たれたと思われる強力な魔法――俺には数十発のミサイルで空爆されたかと思えるぐらいの火力、威力が有りそうに見えた――によって、焼き払われて生じた空白地を、俺たちは駆け抜けてきた。その際に、あちらこちらでまだ息のあった魔物に、ユキが止とどめを刺してまわっていたのだ。

 しかしその空白地も今は、左右から押し出されるように溢れる魔物に埋めつくされていく。

 あれほどの火力でも、焼き払われたのは群れの全体からみれば僅かに一部でしか過ぎない。

 さっきはユキに偉そうに言ったが、俺にも降りかかる火の粉を払うだけの覚悟は有るのかと問われれば無いに等しい。


 しかしあの怪物――世界樹さんは、放っておけば俺たちの世界『アルカディア』にも悪影響を与えると言っていた。それに幸いと言えるかどうか分からないが、周りに転がる魔物の死骸を眺めても、さっきみたいな嫌悪感は今はそれほどわいてこない。これも【叡智の指輪】の影響を受けているのかも知れないけれど、とにかく今は――。


 俺はもう一度、目の前で聳そびえる防壁を見上げる。そして、ユキの首筋を軽く撫でながら命令する。


「ユキ、行くぞ!」と。


 すかさず「バウ!」と、嬉しそうに返事を寄越すユキ。


 ――もう、ここまで来たら逃げる訳にもいかない。


 ユキたち眷属かぞく、そして俺たちの世界『アルカディア』のためにも。


 ふわりと跳躍したユキが壁を駆け上がり、瞬く間に防壁上に設けられた通路に着地した。

 そこに居た大勢の街の住人が、驚いたように俺たちから距離をとる。


 だが、その街の住人よりも、俺の方が驚いていた。それはもう、先ほどまでの負の感情ですら吹き飛ぶような衝撃だった。或いは、その落ち込んでいた感情の反動で、妙にテンションを上げたのかも知れなかった。

 そして俺は、こう叫ぶのだ。


「エロフ、来たあぁぁ……!」


 それは、さっきの覚悟はなんだったのだと思わせる程の締まらない絶叫だった。


後悔はない……。

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