5.廃墟の塔と黒い番犬(3)
――あっ、【神オーラ】を止めないと。
もったいないので、つけっ放しになっていたスキルの発動を慌てて止める。残ポイントを確認してみると、残りは1040ポイントだった。
15分程度で1000ぐらいか……【異界門】と合わせて、一日で4000ポイント近く使っちまったよ。まっずいよなぁ。ただでさえ貧弱魔神なのに、ポイントも無くなったら何も出来なくなるんじゃね。早く増やさないと……増やしかた知らんけど。
そこには、異世界の朝陽を浴びて妙にテンションを上げてしまう俺がいた。
背後を振り返ると、直径が4、50メートルはあるかに見える、円錐状の巨大建造物が威容を放っている。ただし、3階から上部が吹き飛び無くなっていたが。
――まるで爆撃でも受けたみたいだ。
4階は一部の外壁が残るだけ。3階は床の半分は無くなり、それより下部、2階と1階部分は辛うじて存在していた。塔の出入り口は両開きの大きな門があったようだが、今は完全に破壊されている。片方の門扉はどこにいったのか消失し、もう片方の門扉は1階の広間に無造作に転がっていた。鉄製と思われる重厚な門扉が、飴細工のように捻れ曲がってだ。
――随分と昔に、壮絶な争いが有ったのかも知れないな。
かつては、天高く聳える塔が建っていたのだろう。感慨深く眺めていると、ふと、頭に浮かんだのは。
――バベルの塔。
元いた世界で聞き齧った神話。確か、神の怒りに触れて破壊されたとか――何故か、その神話の一節が脳裏を過った。
――まさかな……。
既に上空からは夜の闇は追い払われ、斜めに差し込む陽の光が朝の到来を告ていた。その朝陽の明るさの中で、廃墟となった塔が無惨な姿を晒していたのだ。
俺が今いる場所は、周りを沼に挟まれた畦道のような場所だった。広大な沼の真ん中にぽつんと建つ廃墟となった塔から沼の対岸まで延びる、土を盛り上げて造った細い道。その上で立ち止まり塔を眺めていた。その破壊された塔の二階に、呼び出した【異界門】があったからだ。
邪神や魔神、そんな事ばかり聞いていたから、元いた世界の神話とか思い浮かんだのかも。
少し頭を振ると、周りへと視線を向ける。
沼の水面は水草で埋め尽くされ、濃緑色に澱んでいる。その沼の周りを深い樹海が取り囲み、ぐるりと見渡しても森と沼と塔しか見えない。そして沼からは蛙に似た不気味な鳴き声が、森からは鳥獣の囀ずりが聞こえて来る。そして周囲に、少し甘ったるい匂いが立ち込めていた。
何の匂いだろう?
何かこの匂いを発する樹木でも、森の中に有るのかも知れない。
けど塔もだけど、この道も破壊の跡が凄まじいな。
足元の畦道――幅は2メートルあるかないかぐらいの大きさ。しかし沼に浸食され、あちらこちらで崩壊しかけていた。
この道も塔と同じように、かつては石畳が綺麗に敷き詰められてのだろうと、容易に想像ができる。所々に、石畳用の平たい石が残っているのが、散見できるからだ。その殆どは、沼へと流出していたが……。
中には、どうやったのか粉々に砕け散ったものまで有る。足元にも――砕けた破片を拾ってみると、どれ程の高温に焼かれたのか、一部がガラス状に変質していた。手元の欠片から、ちらりともう一度、塔へと視線を送った。
――戦争でもしていたのだろうか?
無惨にも破壊された塔と焼かれた石畳――そういえば、この世界には魔法があると言っていたな。高威力の魔法が飛び交う戦いだったのかも知れないな?
どんな戦いだったのか想像もつかない。
それにしても、建物があるから異世界人との遭遇を期待してたのに。けどそれも、この状況だと無理っぽい。どう見ても、この地から人が去ってから数年、いやもっとか。数十年以上は経っていそうだった。
俺は落胆すると、肩を大きく落として、森へと向かって歩き出した。しばらく歩くと、小道が大きく崩れた場所に出くわす。幅は1メートルほどだが、完全に崩れて両側の沼が繋がっていた。
たかが1メートル程と、何気なく、ひょいと飛び越えようとしたのだが――。
「お、おぉ! 危なっ!」
飛び越えそこね、危うく沼に転がり落ちそうになった。
思ってたよりも飛べず、僅かに向こう縁に爪先が掛かるだけ。しかも、その箇所が一気に崩れたのだ。咄嗟に手をつき、前転の要領で地面に転がった。
――危なかったぁ……完全に忘れてたよ。
今の俺は子供の体だったのを失念して、何時もの積もりで飛ぼうとしていたのだ。
高さは1メートルも無いけど、転がり落ちて沼に嵌まってたらまた消滅(死亡)してたかも……さすがに、それぐらいでは消滅(死亡)しないか。いやいや、貧弱魔神の俺なら有り得そうで怖い。沼に嵌まって死にましたとか、幾ら復活できるとしても恥ずかしいから……気をつけよう。
しかし……そうかぁ。今は子供ぐらいの大きさに縮んでたっけ。
近くの水面に、自分の姿を映してみる。
透き通るような白い肌に漆黒の髪がさらりと流れる。人形のような端正な顔立ちだが、小学生か中学生ぐらいにしかみえない。どう見ても、美青年ではなく美少年だ。あの神様に、アイドルのようにと願ったからなのだろうが、子供の姿では何とも微妙な感じしかしない。それに、5センチほどの小さな黒い角が額から生えているのも問題だ。どういう積もりで生やしたのか知らないが――多分、邪神ぽさを表したかったのだろうが、明らかに余分なもの。呆れてしまうと同時に、この異世界の人々に出会って受け入れてもらえるのか心配になる。
そして、水面に全身を映し奇妙な事にようやく気付く。今、身に付けている服装のことだ。白っぽいローブにランニングシューズと、明らかにちぐはぐで変な格好なのだ。転生前は、会社帰りのためスーツ姿だったはず。
だが、よくよく考えてみると、消滅して復活した後もこの服装のままだった。
「もしかして、この服や靴も俺の体の一部なのか?」
【叡智の指輪】にたずねると、打てば響くように即座に答えが返ってくる。
『ソノ通リデス。身二付ケテイルモノハ、全テマスターノ生体ノ一部デス』
「けど、誰がこの服装だと決めるんだ?」
『マスターノ知識カラ、ランダム二選ビマシタ』
お、お前かぁ!
変な格好を選びやがって!
結局、服装については今度復活する時に、俺が想像すればその通りになるとの事。それと、顔や姿は既に固定されたものなので、今の俺では変えられないとの話だった。
レベルがもっと上がれば、大人へと変身するのも可能らしいので、今は服装だけでも良しとする。
しかし、服装のためだけに消滅するのもあれだしなぁ……ま、良いかぁこのままで。この辺りには人も居ないようだし。
改めて自分の服装を確かめる。パンいちにローブとランニングシューズ。ローブといっても、毛布のようにゴワゴワとしたバスローブに近い。
うん、ただの変態だな。
気付いたのが、人に出会う前で良かったよ。
まぁ、先の事は後から考えるとして、取りあえずは対岸に渡ってみるか。
そんな風に、気を取り直し歩き出そうとした時だった。
たぷんと、背後から水の跳ねる音が聞こえた。
何だろうと後ろを振り返る。と、沼から眼と鼻孔のみを水面上に露出させた巨大な黒い影が水中にあった。影の大きさは10メートルを越えてるかも知れない。
――魚か? でかいな。
その目玉がギョロリと俺を捉え、睨み付けてくる。
何だかヤバそう。
水中からは出て来れないと思うけど……やっぱり逃げよう。
俺は対岸に向かって駆け出す。それこそ、脱兎の如くとの言葉が似合いそうな勢いで。それが功を奏した。
さっきまで俺の居た場所から、ばしゃりと大きな水音が響いて来る。走りながら振り向くと、その大きな影が沼から飛び上がって来ていたのだ。
「うひょおぉ!」
思わず奇声が漏れてしまう。それほど衝撃的な生き物だった。
長く突き出した大きな口と、扁平な長い尾を持つ真っ黒な体。背中は角質化した固そうな鱗が一面に生え、ぼこぼこと突起物のような刺に覆われている。一見、クロコダイルにも見えるが、4本の足の変わりに――。
――何あれ、気持ち悪ぅ!
8本の触手がうねうねと蠢いていた。まるで蛸なのだ。
「ワニダコってか……勘弁してくれよ!」
やばい、やばい。あれって絶対にやばいやつだよ。
しかし、後ろのワニダコは、「キシャアァァァ」と不気味な威嚇の声を上げるだけで、追い掛けて来ようとはしない。
ただ、警戒して威嚇して来ただけみたいだった。
対岸に辿り着く頃には、息も絶え絶えに荒くなっていた。後ろを振り返り追って来ない事を確認し、ほっと安堵の息を吐き出す。と同時に、その場に倒れ込んだ。
「はぁはぁ、異世界の生き物、やっぱり半端ねぇ!」
荒い息を繰り返し、それだけ叫ぶのが精一杯だった。