16.木精と森の民(16)
――ご助力をお願いしたいのです。
清楚さが漂う女性の声でのお願い。
頭の中に響く声、その哀願する様子にほだされた訳じゃないけど。
――貴方の世界にも悪影響が出ますよ。
その全てを信用した訳でもない。
俺も以前の世界では、曲がりなりにも営業なんかもやってた。
他社よりいかに優れているか、嘘とまでは言わないが、ある程度は大袈裟にアピールして商品を売り込む。そうして仕事を受注したりするのが、営業職だった。俺の勤めていた会社はそれほど酷くはなかったが、他社の営業職の中には詐欺紛いの口上で商品を売りつける連中も大勢いた。そんな激しい企業競争の中で、俺もそれなりに社会の荒波とやらに揉まれていたつもりだ。出会って直ぐの言葉を――実際には、頭の上にいる木精を通して【念話】とやらで届けてるらしいが――なんの疑いもなしに信じるほど、今も幼い頃のような純粋さを持ち合わせてる訳でもない。
けど……どこか、軽い気持ちがあったのは確かだ。ユキは無敵超獣だし、俺も【叡智の指輪】が言うには、この世界では殆ど不死身らしいからだ。
だから、俺の世界に悪影響が出ると聞き、とりあえず言われるままにここまで来たが……。
丘の上から眺める光景。
巨大な世界樹の上部は月明かりに薄ぼんやりと浮かび、上辺は夜空の闇に溶け込むように消えていく。足元に広がる都市の明かりに下方から照らされ、世界樹の姿は少し妖しげにさえ見えた。
すっかり陽は落ち周囲は闇に包まれているものの、俺は【神眼】のお陰で難なく見通せる。
その【神眼】で巨大な樹木を眺めると、確かに、
<世界樹>
とだけ名前が脳裏に浮かび上がる。
やはり、今の封印されている俺では、それ以上の情報は分からないのか……しかし、頭に響くこの声の主が、世界樹さんからのものだというのはなんとなく分かった。
どこまで信用して良いものか考えつつ、視線を世界樹の足元へと下ろしていく。
と、そこは今まさに、激戦の真っ最中だった。
世界樹の足元には、大地をしっかりと掴む太い根を利用した街が広がるが、その都市の周囲を埋め尽くすかのように、数え切れないほどの無数の魔物が取り囲む。周囲の樹木を薙ぎ倒し、或いは踏み潰す魔物の数は、ここから見える範囲だけでも数千……いや、それ以上。少し離れたこの場所まで雄叫びや喚声が聞こえ、焼け焦げた匂いや血臭が漂ってくる。そこにいるのは、もはや魔物の群れなどと生易しいものでなく、魔の軍勢と呼べるほどの大規模なものだった。そして、ここからでは街を防衛する人々の姿も、はっきりとは分からないし状況も分からないが、かなりヤバそうな感じに見える。
で、俺たちが呼ばれたのは……。
――まさか、こいつらを相手にしろってこと? ……さすがに、無理だろ!
その数の多さに唖然とするしかない訳で。
しかも、街の東側には巨大な黒い影が……って、どこの特撮怪獣だよ。
その大きさは、20メートルを軽く越える。
――マジで無理!
確かに、「悪しき存在が集い、私を汚そうとしています」とは聞いていたけど、これはもう集うとかのレベルを遥に越えている。完全に俺の想像の埒外。完全に国レベルの戦争だった。
「ちょっと、こんなの聞いてないぞ!」
だから、思わず俺の口から抗議の声がもれるのも仕方がない。
「ガウガウ!」
俺は世界樹さんに対して非難の声を洩らしたつもりだったけど、何故かユキが先に反応して返事をよこした。しかも、やる気満々で。
「ユキに言ったんじゃないから……ってか、あれを見て、なんで張り切ってられんのさ?」
さすがに、この数はユキでも無理だろ……ん、いや……いけるのか。
ユキの無双ぶりを思い出し、そんな事も考えるが。
――やっぱり無理だよな。
沼で起きた普人族との戦闘にびびり、ここに来るまでにも、ユキが森の中で行ったゴブリンもどき相手の虐殺に吐き気を催した俺だ。あれを殲滅する前に、俺の心の方が先に参ってしまいそうだ。
世界樹さんには悪いけど、ここは引き返させて貰おう。とてもではないが、あの戦闘の中に首を突っ込む勇気は、今の俺にはない。もし本当に、俺の世界へ悪影響が出るなら、【叡智の指輪】やゲロゲーロと相談して別の方法を考える方が良さそうだ。
しかし、引き返そうとしたとき、街の方から強烈な爆裂音が響く。
驚いて目を向けると、そこには巨大な炎の柱が立ち昇り、群がる魔獣を焼き尽くしていく様子が見えた。
「おぉ……すげぇ……」
あれが魔法ってやつか?
『さぁ、道が開けました、今の間に街へ』
唖然とする俺に、またしても世界樹さんの声が届く。
「お断りしてもってか、俺たちはいらないのでは?」
あれほど凄い魔法を使える連中が、あの街にはいるのだ。だから、俺たちの手を借りるまでもないだろうと、はっきり断ろうとしたが、
『駄目なのです。確かに、我が子たちと私が残りの力を振り絞れば、周囲に群れる魔獣を追い払う事は可能かも知れません。ですが――』
ほえぇ、あれだけの数を相手に出来るってかよ。とても、俺にはできそうもないけど。
どっちにしろ、それなら尚のこと俺はいらん子状態でないの。
『あれには、今の私の力では通用しないのです』
あれって、もしかしてあれの事?
俺の視線の先に映るのは、今しも東の壁を押し破ろうとしている巨大な怪物だった。
『あれも元は私の眷属、本来は私になり変わって、森の全てを守護していた存在』
眷属ってことは、俺にとってのユキやゲロゲーロたちみたいなもんか。
「それって、世界樹さんの家族みたいな存在ってことだろ?」
『はい……ですが、今は闇に取り込まれ堕ちた邪魔樹。もはや……だからお願いです』
「いや、俺は普通の魔神だから、とてもあんな怪物をどうにかする力なんてないよ」
『いえ、あなたでなければ駄目なのです。別の世界から降臨し、この世界の理から外れたあなたでなければ……だからお願いします、何とぞどうか』
世界樹さんの悲哀に満ちた声音に心が動かされる。
――だけど……。
俺はもう一度、魔物に取り囲まれる都市へと目を向けた。
魔物たちの雄叫びが、戦闘の物音が、誰かがあげる絶叫も、あらゆる種類の音がここまで届いてくる。
と、その時、地を揺らす振動と共に「ドォン」と一際高い轟音が鳴り響く。
遂に、世界樹さんが邪魔樹と呼んだ怪物が、東の壁を押し破ったのだ。
『もう時間がありません。このままでは私までもが闇に汚され、この世界は悪しき意志にに覆われてしまいます……早く!』
「そうは言われても、俺にも覚悟ってものが」
それでも、優柔不断な俺は躊躇していたが。
「ウオォォォン!」
突然、ユキが雄叫びをあげ都市に向かって駆け出した。
「おい、ユキ!」
俺の制止にも構わず、グングンと更に速度は増していく。
どうやら極度の興奮状態に、俺の声すら届いていないようだった。
――どんだけ戦闘好きなんだよ、ユキは。
そんな俺たちに、
『早く、早く!』
と、世界樹さんが急かす。その声音には、どこかホッとした様子が窺えた。
俺はため息をひとつ吐き出し、「まぁ、やれるとこまでやってみますか」と、投げやりにつぶやくのだった。
こうして俺は、世界樹さんの俺たちを急かす声と暴れん坊ユキの暴走に引きずられ、望むと望まざるとにかかわらず都市の攻防戦に巻き込まれるのだった。




