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異界の魔神 【改訂版】  作者: 飛狼
2章 世界樹との邂逅……そして
48/51

15.木精と森の民(15)



 ――――神弓アルテミス。


 それは、ひとりで手に持ち支えるにも、大層に思える程の長大な弓。しかも、火竜の髭をって張られた弦も人の指ほどに太い強弓。一見して、この弓を引き絞るには、よほどの剛力の持ち主でないと叶わないかに見える。とてもではないが、ほっそりとした細身の森人族が扱うのには、無理があるように思えるほど。

 が、にあらず。

 この神弓は、力ではなく魔力でもって扱うのである。それ相応の魔力と引き換えに、引き絞る際の力も、弓自体の重量すら感じる事も無いのだ。


 崩れた胸壁の瓦礫を踏み締め、アイナはきりきりと『神弓アルテミス』の弦を引き絞る。額からは玉のような汗が頬を伝い顎先から滴り落ちる。苦しげに歪める顔一面には、樹皮にも似た紋様がびっしりと浮かび上がり、その紋様は全身へと広がっていく。それは、『神弓アルテミス』に魔力を注ぎ込んでいる証。

 そしてアイナが狙いを付けるのは、都市を囲む防壁を突き崩さんと狂気に駆られた魔獣ライノスだ。

 眼下に蠢く、数多くの邪精や魔獣などから成る魔物の群れの中でも、ライノスの巨体はひときわ目立つ。しかも驚く事に、その数は5頭。再び体当たりしようと防壁から一旦距離を取り、今まさにその内の一頭が雄叫びを上げて突撃を開始した所だった。

 ライノスを止めようと、森人族の放つ無数の矢が降り注ぐ。が、またしても全ての矢が弾かれていた。ライノスの角から生じた青白い光が全身を包み、全ての攻撃を無効にするのである。一見、体の周囲に展開した魔術障壁のようにも見える。だが、実際は障壁ではなく、周囲の空間を歪めているのである。よく見ると、ライノスの体に届く寸前に矢の角度は変えられ、まともに当たる矢は皆無。固い皮膚の上を、舐めるように滑り流れて行くのだ。ただでさえ、固い皮膚に護られているのに、これでは如何なる攻撃でも傷付かないのは当然である。だからこそ、竜種と並び称されるほどの、最硬の魔獣と呼ばれる所以なのであるが。


 呻くように吐き出される吐息。と、次の瞬間には、アイナの口中より気合が迸り出た。


「行っけえぇぇ!」


 神弓から撃ち出されるのは、眩しいほどに輝く光矢。『アルテミス』もまた、ただの弓ではない。膨大な魔力要求する神具でもあるのだ。だからつがえる矢も、普通の物では強力な魔力を帯びた時点で崩壊してしまうため、矢柄自体が魔力によって具現化したものなのである。

 輝く軌跡を描き、光矢がライノスの周囲に展開する歪んだ空間そのものを貫通し、頭部に拳大の穴を開け突き刺さる。


「グギャアアァァァ!」


 辺りに響くライノスの絶叫。と、同時に、ライノスの頭部すら貫通した光矢が足元の地面に着弾した。そこで、初めて轟音を響かせ爆発した。

 もうもうと立ち込める土煙。その土煙が晴れていくと、そこには直径5トロン(メートル)を越える大穴が大地に穿たれていた。さすがのライノスも、神弓の威力には抗しきれず、周囲の魔物を巻き込み爆散していたのだ。

 途端に、外壁上で防衛戦を行っていた森人族の戦士たちから、暗い雰囲気を吹き飛ばすかのような歓声が沸き上がった。


 しかし、まだ最初の一頭。残りの四頭は後方に控え、仲魔のライノスが消し飛ぶのを見ても怯む事もなく、逆に気も狂わんばかりに闘気を漲らせていた。


 ――もしかすると、家族であったのかも知れないな。


 そんな事を考えつつ眺めるアイナの眼下で、残りの四頭が一斉に動き出した。


 例えライノスの一団が家族で有ろうと――そこまで考え、アイナは周囲に群がる邪精や魔獣に、ちらりと目を向ける。

 本来は森人族も、森の自然と共に生きる種族。それほど、好戦的な種族ではない。なんらかの理由で、大人しいはずのライノスが暴れているのなら、その原因を取り除いてから森に帰していただろう。

 だが、この状況ではそれも叶わないし、アイナも手心を加えるつもりも無い。いや、そんな余裕もないのだ。


 ――ヒュッ!


 鋭い呼気を洩らし、アイナは次弾の矢を充填させるため、神弓へと魔力を注ぎ込む。

 が、突然、膝を折りしゃがみ込んだ。


「アイナ様ぁ!」


 叫んだのは、副官のエレミア。駆け寄るエレミアを、手を上げ制止するアイナ。


「心配するな、少し立ちくらみがしただけだ」


 そう答えると、アイナはよろよろと頭を振りながら立ち上がる。

 しかし、誰の目から見ても、魔力欠乏症なのは明らか。連日の戦闘に次ぐ上での森都の防衛戦。幾ら、アルゼル氏族内でも図抜けた魔力量を保持していようと、欠乏するのは当然のことであったのだ。


「しかしアイナ様、このままでは……」


 尚も、心配してアイナの体を支えるエレミアに、アイナは苦笑いを浮かべて返す。


「すでに覚悟の上。それにもう遅い」


 眼下では四頭のライノスが、防壁の直ぐ近くまで迫っていた。

 防壁上の各所から森人族のあげる悲鳴が、アイナの耳にも届いて来る。


 ――もはや、時間もない。


「エレミア、手を貸せ!」


 エレミアの助けを借り、アイナは立ち上がる。だが、アイナが「貸せ」と言ったのは、そればかりではない。まっすぐ、エレミアの瞳を見詰めるアイナ。


「よろしいので?」


 察したエレミアが、困惑した様子で聞き返すのを、アイナはにやりと笑う。


「構わんさ。どちらにせよ、ここを抜かれると、我らも終わり。後は野となれ山となれだ」


 次のライノスの体当たりには、とてもではないが防壁は持ちこたえられない。崩落する防壁に巻き込まれ、アイナたちも只ではすまないはず。例え、生き残れたとしても、後に続く邪精になぶり殺されるのは想像に難くない。

 ならば、いっその事との思いから発せられた言葉であった。


 強張った表情で深々と頷くエレミアが、そっと神弓に手を添える。

 アイナが考えたのは、二人の魔力の融合。足りぬなら、他の者から借りようと考えたのだが。しかしそれは、危険な考えでもあるのだ。異なる魔力の塊を神弓内で融合させると、お互いが反発しあい、この場で暴発する可能性の方が高いのだ。そうなれば、先ほど大地に大穴を穿った爆発が、この場で発生して防壁もろとも二人は消し飛ばすことだろう。

 それでも二人は、魔力を注ぎ込む。もはや、それ以外に手がないのだから。

 けど、エレミアは死すら覚悟していたが、アイナにはある程度の勝算があった。

 森人族は、氏族ごとに意識下で繋がる種族。しかも、エレミアは数十年近くを副官として傍に付き従ってくれていた。他の者よりかは、遥かに親和性は高いはずなのだ。

 僅かな勝算ではあるのだが、その僅かな勝率にアイナは賭けたのである。


「いくぞエレミア!」


 アイナの気合いの隠った掛け声と同時に、神弓内に光輝く矢が形成される。それは、先ほどアイナがひとりで放った光矢より光度は増し、太さも倍以上に膨らんだ光矢。

 

 ――いける、いけるはず。


 そして、次の瞬間――


「ハッ!」


 二人の喉元から、同時に息の合った鋭い呼気が洩れる。と、アイナは神弓の弦から指を放した。


 ――ビイィィンッ!


 辺りに響くのは、神韻たる弦が弾ける音。放たれた光矢が、狙いを違わずボンッと音を鳴らして、先頭にいたライノスの頭部に突き刺さった。


 ――ドオォォォン!


 途端に、凄まじい爆発が大地に大穴を穿つ。衝撃の強さでは、さっきの倍以上。周囲の空気をビリビリと震わせる。


 ――これなら、残りのライノスも、全てを消し飛ばしたのでは。


 周囲に群れる邪精や魔獣だけでなく後に続くライノスまで、辺り一面の全てを消し飛ばした。そう思わせるほどの、凄まじい衝撃だったのだ。


 そう、アイナは賭けに勝った……はずだった。


 だが、もうもうと上がる土煙の中から、二頭のライノスが姿を現した。全身から血流を流すライノスが、爛々と狂気に瞳を輝かせ雄叫びを上げた。

 確かに、周囲に群れる魔物と一緒に、後に続く一頭までは巻き込み吹き飛ばした。しかし、そのあとに続く残りの二頭には、傷を負わせるのにとどまってしまったのだ。さすがは、最硬の魔獣と呼ばれると思うほかにない。

 一度は爆発の影響で立ち止まったものの、ライノスはまた猛然と駈け出す。


「く……まだまだあぁぁ! エレミア、もう一度いくぞおぉ!」


 しかし、エレミアからの返事はない。アイナが振り返ろうとすると、エレミアがアイナにもたれ掛りながら、ずるずると崩れ落ちていく。


「おい、エレミア! しっかりしろ!」


 エレミアは、まだ息は有るものの、完全に意識が飛んでいた。僅かに残ってい魔力を使い果たし、枯渇して倒れたのは明らかだった。


「エレミア……これまでか」


 アイナも、すでにひとりで神弓を扱えるほどの魔力は残っていない。そして、周囲から聞こえてくる戦士たちの上げる悲鳴が、もう時が残されていないことを示していた。


 意識を失くしたエレミアを膝の上に抱きかかえ、アイナは肩を落とし悲嘆にくれるしかなかった。と、その時、


「アイナちゃん、諦めるのはまだ早いわよ」


 背後から聞こえる、まだ幼さを残した声。

 驚くアイナが振り返ろうとすると、透き通るような幼女の声がまた、神都を覆う夜空に響き渡る。


「彼の敵を地獄の業火で焼き払え、【風殺刃・極・獄炎嵐】!」


 突如現れた、数えきれないほどの無数の火の粉が渦を巻いていく。その炎の渦が轟々と音を鳴らして、防壁間近まで迫っていたライノスを中心に、森都の南面の地上を舐め尽くしていくのだ。最後には、巨大な火柱となり夜空を焦がす。


 ――こ、これは、失伝したはずの大規模広域殲滅魔法……。


 呆然とする、アイナや防壁上にいた森人族の戦士たち。

 立ち込める焼け焦げた匂いが漂う中、またしても幼女の声が届く。


「ふぅ、さすがに疲れちゃった。しばらくの間は、もう一度は撃てそうにないわね」


 その声に反応した戦士の誰かが、ぼそりと呟いた。


「……樹精様」


 その呟きは、徐々に周りの戦士たちに伝播して行き、次第に大歓声へと変わっていく。

 皆の視線の先にいるのは、まだ小さな幼女。森人族と同じく、人形のように整った顔立ち。ただ、身に付ける衣服は他の者と違って、薄く真っ白なローブ。そして、もっとも違うのは、その髪の色。他の森人族が樹葉を思わせる緑に対して、この少女だけが透き通るような白銀。膝まで届く長い白銀の髪が、炎の明かりに照らされキラキラと輝いていた。

 そう、その幼女こそが、世界樹の代弁者たる森人族の指導者『樹精様』と呼ばれる少女だった。

 はっと我に返ったアイナが、安堵するより先に慌てて足早に少女へ歩み寄る。


「樹精様、何故ここへ?」


 『樹精様』と呼ばれる少女は、母たる世界樹と森人族の間を取り持つ存在でもある。指導者というよりは、司祭としての面の方が強いかも知れない。普段は根元にあるうろ、世界樹内部に出来た空間『聖域』と呼ばれる場所に引きこもり、滅多に人前に出て来る事はない。アイナ自身も、年に数度会えるかどうかであるのだ。だからアイナは、防衛戦の最前線であるこの場所に現れた事に、驚きをもって尋ねたのである。

 だが、現れたのは、『樹精様』と呼ばれる少女だけではなかった。その後ろには、七人の森人族が付き従う。この七人が七氏族の長たち、森人族の長老たちであった。当然その中には、アイナが所属するアルゼル氏族の今代の長であるアグラもいた。

 そのアグラが、『樹精様』が答える前にズイッと前に出た。


「アイナよ、まだ戦いは終わっておらぬぞ」


 確かに、アグラの言うとおり、戦闘自体が終了した訳ではない。現に、樹精様が放ったであろう広域殲滅魔法から運よく範囲外に逃れた魔物などが、大幅に数を減らしながらもまだ残っていた。それに、南面以外の他方面では、まだ激戦が続いているのだ。

 アイナが周りを見回すと、戦士たちは『樹精様』を気にしつつも、迎撃を再開するところであった。先ほどまでの悲壮感の漂う雰囲気は払拭されてである。

 それだけを確認すると、アイナは『樹精様』や長老たちに向き直る。 


「これはこれは、おばば様。お久しぶりでございますな」


 氏族の長に、皮肉めいた口調で答えるアイナ。それには訳があった。長であるアグラは、アイナにとっては祖母にあたる人物。ここ半月ほどは氏族の会合にも録に顔も出さず、森都が危機に陥ってからもアイナに氏族の指揮を丸投げして、『樹精様』と共に聖域に籠っていたのである。


 ――このような大変な時に、一体何を考えている。


 それが正直な感想であり、だからこそアグラに対して棘を含んだ声で対応をしてしまう。


「ふん、アイナも今年で歳は百を超えたであろうに、いつまで子供のように拗ねておる」


「…………で、何故このような場所に?」


 苦虫を噛み潰したようなアグラから顔を背け、もう一度尋ねるアイナに、今度は『樹精様』が、嬉しそうにピョコンと前に飛び出し答える。


かあさまに言われたの、出迎えに行けって」


 樹精様がかあさまと呼ぶのは、世界樹の事である。その世界樹は、アイナや森人族にとって神にも等しい存在。この争乱の最中に、その神が『樹精様』を通してではあるが、直接出迎えると言う。アイナでなくても、疑問に思うのは最もだろう。


 ――この状況下で? 誰を? いや、そもそも人なのか? この魔物の襲撃、森都に訪れた未曾有の危機も、その何かが関係しているのか?


 様々な疑問が、アイナの脳裏に浮かび上がっては消えていく。だから、思わず口から衝いて出る。


「何を?」と。


 すると、またしてもアグラが、アイナと『樹精様』の間に割って入った。そして、渋い顔をアイナに向け、口を開こうとしたが、


 ――ズゥゥン!


 再び、防壁がぐらりと揺れたのである。


「馬鹿な、ライノスは全て倒れたはず……」


 その証拠に、この崩れかけた防壁は無事だった。今起きたのは、さっきのような強い揺れではなく、小さな揺れだったのだ。周りにいた戦士たちも、不思議そうに顔を見合わせている。そこでアイナは、ハッと気づく。ここではない別の場所。東か、北か、西か、いずれかの防壁が崩されたのでないかと。

 そして、アイナのその想像は現実となる。


「大変じゃ!」


 叫んだのは、長老たちのひとり。スーリオ氏族の長であった。スーリオの氏族は、東の防衛を受け持っていたのである。そして、皆が注視する中、恐るべき内容を告げた。


「今、木精を介して、一族の者から緊急の連絡が入った。どうやら、東の防壁が破られたようじゃ」


「なに!」


 アイナを始め一同が驚きの声を上げ、大きく目を見開く。魔物の群れの攻勢を、何とか防げているのも防壁があってこそである。その防壁が破れたのであるなら、その先に待っているのは、都市内に一気になだれ込む魔物による蹂躙。そんな未来が、容易に想像できる。


「スーリオの一族は、何をしておるのじゃ!」

「防壁が破られる、その意味が分かっておるのであろうな!」

「もう、終わりじゃ!」


 長老たちが、次々にスーリオの長を攻め立てる。


「どこの氏族が護っていたとて、同じじゃ! あいては、エルダートレント(神聖樹)じゃからの!」


 スーリオの長の反論に、皆は驚きのあまり押し黙る。それほどの驚きだったのだ。

 それも最もな事で、エルダートレント(神聖樹)は世界樹の眷属となる神樹。世界樹の森だけでなく、その外に広がる森全体を守護する要なのである。だから、眷属である神聖樹が、世界樹を襲うなど有り得る事ではないのだ。


まことであろうな」


「嘘は言わん。しかも、とびきりの神聖樹やつじゃ。ほれ、ここからでもその片鱗へんりんが拝めるじゃろ」


 皆が東へと目を向けると、確かにその姿を、おぼろげではあるが認めることが出来た。

 東の防壁まで、かなりの距離がある。それでも、夜空の下、篝火に照らされ黒々とした何かの影が見えた。先ほど苦労して倒したライノスなどが、赤子の大きさに思えるほどの巨大さ。その大きさは防壁の高さの数倍、都市内にあるどのような建物よりも大きい。

 まさに、怪物であった。


「あのようなもの、どうやって撃退するのじゃ」


 長老たちが騒ぎだし、アイナも呆然と、東から都市内へと侵入する黒々とした影を見詰めるしかなかった。と、その時、また『樹精様』のあどけない声が、アイナの耳に届く。


「大丈夫だよ、かあさまが言ってた。あっちから来るひとが助けてくれるって。きっと、あの怪物を倒してくれるって」


 そう言うと、『樹精様』が南の方角を指差した。

 

 ――あれは……。


 アイナが見たのは、遥か南の丘の上に現れた、森都に戻る時に感じた禍々しさを漂わせる存在だった。


これにて、森人族の説明回も終わり。

次回から、ようやく主人公に戻ります。

今度こそ、出来るだけ早く投稿しますのでよろしくお願いします(汗

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