14.木精と森の民(14)
遅くなりすいません。
――ズゥゥン!
突然、体の芯まで届きそうな轟音が辺りに響き、石を積み上げた外壁がぐらぐらと揺れる。その衝撃の激しさに、思わずよろけるアイナ。
「な、何が起きた……」
片膝を突き体を支えると、慌てて周囲へと視線の先を走らせる。と、傍らで外の魔物に向かって攻撃を放っていた同胞たちも、同じくよろめき転んでいるのが目に入った。中には、熱した油や岩を投げ落とそうとしていたのか、まともに自分へと降りかかり呻き声をあげる者も多数。
そして、足下へと目を向けると、外壁上を横断するかのように、大きな亀裂が走り抜けていた。
そこへ、エレミアの慌てた声が届く。
「アイナ様、あれを!」
エレミアはアルゼル氏族の戦士を率いるアイナの副官。そのエレミアも体勢を大きく崩していたが、胸壁にもたれ掛かり体を支えると、外へと目を向けていたのだ。エレミアに促され、アイナも胸壁へと駆け寄り都市の外へと目を凝らす。
――むぅ、これは。
外壁近くにいたのは、邪精ディアブルばかりではない。その中に混じって、数頭の魔獣ライノスがいるのが見えた。
ライノスと呼ばれる魔獣は、全身を5セメトロン(センチ)ほどの分厚く硬質な皮膚に覆われ、竜種と並び、あらゆる魔獣の中でも最硬ともいわれている魔獣。だぶつく硬い皮膚に包まれる姿は、体全体が鎧で覆われているようにさえ見える。
灰褐色の身体に大きな頭骨を持つ四足の魔獣で、鼻骨から前上にせり出すように大きな角が伸びる。別の世界から転生したタクミなら、ライノスの姿を見て「もしかして、サイ!」と叫んでいた事だろう。
そのライノスが、5トロン(メートル)を軽く越える巨体を揺すらせ突撃すると、都市の外壁に体当たりしていたのである。魔獣の中でも比較的大人しく、本来ならば争いを出来るだけ避けようとする筈のライノスが、今は目を血走らせて狂ったかのように興奮して暴れているのだ。
そして、ライノスが衝突した箇所からは大きな亀裂が走り、パラパラと石塊が転がり落ちていた。
――く、まずいぞ、このままでは。
アイナが焦るのは最もなこと。一見、森都イグナス囲む外壁は強固なものに見える。だが、長きに渡る平穏は、ここにも弊害をもたらしていた。伝説では神魔大戦の折り、押し寄せる魔の軍勢を阻んだと言われる外壁も、今では録な手入れもされず、見た目ほどの強固さは失われていたのである。元来この外壁は、世界樹から溢れ出る生命力を魔力へと変換し流し込み、魔術的障壁を成す大規模な魔道具でもあったのだ。しかしそれは、いつしか忘れ去られ、長い平和の間に外壁自体は間に合わせの補修をするだけと、なおざりにされ続けていた。しかも50年ほど前に、世界樹から外壁へと流れていた生命力自体も途絶したのである。
その時アイナは、森人族の母たる世界樹になんらかの変事があったのではと、7氏族の長で構成される長老会に詰め寄った事があった。が、氏族の長たちも今代の『代弁者』たる『樹精様』も、「大事はない」と詳しい事を黙して語ろうとはしなかったのだ。それでも、尚も食い下がるアイナに、長老たちは「世界樹様に関わる秘事である」と、けんもほろろに追い返したのである。
それらの事を思い出し、ぎりぎりと歯噛みするアイナ。
――だからあれほど、変事に備えてある程度の防備は整えるべきだと言っていたのだ。
だが、それを今さら言っても、もう遅い。愚痴めいた事を考えてる場合ではないのだ。直ぐに気を取り直し、もう一度眼下に目を凝らすと、ライノスが再び突撃しようと後退りしているのが見えた。
――まさか、また体当たりするつもりか。
ライノスの鼻骨から伸びる角が、仄かに蒼白く光を発して揺れていた。それが、ただ単に体格に任せて体当たりをしているので無く、魔力を帯びた攻撃だと示している。
先ほどの衝撃は、外壁を大きく揺らすほどの強力なものだった。とてもではないが、先ほどのような強力な衝撃に、何度も耐えられそうにない。後数度の体当たりで、完全に外壁は崩壊するだろう。
外壁に走る亀裂に目をやり、焦りと共に、アイナは声高に叫ぶ。
「ライノスを集中して狙えぇ! ライノスの足を止めろぉ!」
途端に数十、いや数百の矢が、ライノスに殺到する。だが、ライノスは魔物の中でも、最硬の皮膚を誇る魔獣。全ての矢を、中には少数ではあるが魔力を帯びた矢さえも弾き返し、かすり傷ひとつ付ける事も叶わない。
そして……。
――ズゥゥン!
またしても響き渡る轟音と、立っている事すら困難な揺れを伴う衝撃。先ほど生じた亀裂は更に大きなものへと広がり、目の前の胸壁はがらがらと音を鳴らして崩れていく。
何人かの森人族の戦士は、その煽りを受け崩れる胸壁と共に、叫び声をあげて転がり落ちていく。
そして、アイナも――。
「アイナ様あぁ!」
胸壁近くに立っていたアイナも一緒に転がり落ちそうになるが、間一髪、エレミアの伸ばした腕がその体を捕まえた。
一瞬、宙に投げ出され、外壁上からぶら下がるアイナ。その体を、周囲にいた者が、慌てて引っ張り上げた。
その間、地上の様子を眺めていたアイナの目に映ったのは、再び突撃しようと後ずさるライノスの姿。その周囲に、群がり押し寄せる邪精ディアブル。積み重なる仲間の死骸を足場に、外壁の上部へと迫って来るのだ。その姿は、狂気すら漂わせていた。
まさに、魔界を写した地獄絵図そのもの。
今の衝撃で、外縁部にある胸壁は大きく崩れ、外壁自体も半壊。次の衝撃では全壊、或いは持ちこたえたとしても、その次では確実に崩壊するのは、誰の目にも明らかだった。
「アイナ様、この防護壁は、もう持ちません。一旦、都市内に退いて迎撃を……」
「馬鹿者! この防護壁がなくなれば、たちまち魔物の群れに飲み込まれてしまうぞ。そんな事も分からんのかぁ!」
ほっと安堵の息を吐き出す間もなくアイナは、声をかけたエレミアを怒り心頭といった様子で怒鳴りつける。そして、じろりと、周囲で青くなっている戦士たちを睨み回す。
「良いかあ、よく聞け! 都市内への侵入を許せば、明日の朝陽も拝めぬものと知れえぇ! なんとしても、ここを死守するのだあ!」
アイナにも分かっているのだ。この外壁が、もはや魔物の攻撃に耐えられない事は。
いつしか陽は落ち、都市内に掲げられた魔力灯が、周囲から押し寄せる闇を追い払っていた。煌々と照らされる魔力灯の明かりの中、都市の外に犇めく魔物の数は、見渡せる範囲だけでも数千。いや、もしかすると万を越えているかも知れない。
アイナたちが護るのは、都市を囲む防護壁の南側である。他の方面、北、東、西側も、ここと似たような状況だろうと容易に想像がつく。どこか一方でも外壁が抜かれると、一気に万を越える魔物がなだれ込むのだ。そうなると、とてもではないが抗えるものではない。たちまち魔物の群れに飲み込まれ、『森都イグナス』は破壊され尽くされ、この世界から消滅してしまうだろう。
だから皆には、ここを死守しろとしか言えないアイナだった。
「誰か、『アルテミス』をここへ!」
「え、アイナ様、今の我らでは、とても『アルテミス』を扱えませぬが……」
アイナの指示に難色を示すエレミア。
『アルテミス』とは、アルゼル氏族に古より伝わる神宝。
本体は数十年に一度、世界樹からもたらされる神力を帯びた神木。両端の弭と握りの部分は、伝説の金属オリハルコンで補強され、弦にはガラット山の火口に住む火竜の髭を縒り合せたものが使われた、『アルテミス』と呼ばれる神弓なのである。
その威力は絶大であるが、膨大な魔力を必要とするのだ。
「既にここへ、持ち込んでいます」
エレミアとは別の配下が答えると、アイナが喜色を浮かべる。
「おぅ、そうか、ならば間に合うな。すぐに持って来るのだ!」
それに、またしても難色を示すエレミア。
「アイナ様!」
「えぇい、煩い! 今使わずしていつ使うのだ!」
「しかし……」
アルゼル氏族の中でも、『神弓アルテミス』を扱える程の魔力を有する者は、氏族を率いる長以外にはアイナしかいない。しかし、ここ連日の探索と討伐に、続けての都市防衛。既にアイナの魔力が枯渇しかけているのを、エレミアは知っていたのである。この上、『アルテミス』の使用は、命を落とす事にもなりかねないのだ。
それを心配して、エレミアはアイナを止めようとしていたのだが。
「はは、何を心配する? ここで防ぎきれぬのなら、どうせ明日は陽の光を浴びられぬ身。ならば、ここで命を捨てようとなんら変わり有るまい」
「アイナ様……」
止め立て無用とばかりに、澱みのない澄み切った笑顔を見せるアイナに、エレミアは掛ける言葉を失う。
そうこうしてる間に、他の配下の戦士が『神弓アルテミス』を捧げるように持って来た。アイナが、それを受け取った時、外壁上に並ぶ戦士たちから絶叫が響き渡る。
「次が来るぞぉ!」
それは、ライノスの再度の突撃を知らせる叫び。
アイナたちがやり取りをしていた間も、アルゼル氏族の戦士たちは間断なく攻撃を放っていたのだが、やはり、ライノスの足を止める事は出来なかったのだ。
「く、私が止めてみせる!」
崩れた胸壁の傍らまで駆け寄ると、『神弓アルテミス』を構えるアイナ。眼下に犇めく魔獣を睨み付け、今まさに、突撃しようとしているライノスに狙いを定める。
陽は西の彼方に完全に沈み、陽の光に左右される森人族の能力は半減してしまう。森人族にとっては、絶望的な戦いが始まったのであった。
中途半端な箇所で切り申し訳ないです。
次回は、2、3日中に投稿予定です。たぶん……(汗