13.木精と森の民(13)
大森林を、燎原の炎の如く赤々と染め上げ沈み行く夕陽。『世界樹』の足元から放射状に形成される都市を囲う外壁や、その都市内の家屋も、同じく西陽を浴びて赤々と染まっていく。天高く雲をも突き抜ける大樹『世界樹』を背景にした森人族の隠れ里『森都イグナス』は、それ自体が落陽の光を映し出し神秘的な輝きを放っている。
だが、その輝きとは相反するかのように、『森都イグナス』は喚声と怒号が飛び交う騒乱に包まれていた。数百年も続いた古都の静謐を打ち破り、周囲には数えきれぬ程の魔物の群れが押し寄せていたのだ。
そう、『森都イグナス』に、未曾有の危機が訪れようとしていたのである。
「放てえぇぇ!」
外壁上から放たれた金切り声と同時に、幾条もの軌跡を描く無数の矢が、押し寄せる魔物の頭上へと降り注ぐ。たちまち、断末魔の絶叫をあげて倒れる魔獣や邪精。
森都イグナスを囲う外壁。高さは十トロン(メートル)を越え、厚みも高さに比して六トロン(メートル)以上もある重厚な石壁である。外壁上部には、人の往来も可能とする十分な幅の通路が設けられていた。
その通路に、森人族の射手がずらりと並び、手に持つ大弓から矢を放っていたのだ。
しかし――。
「押し戻せえぇぇ! 外壁に近付けるなあぁ!」
声を嗄らして叫ぶ、森人族の指揮官たち。だが、森人族の願いも空しく、降り注ぐ矢を物ともせずひた押しに迫り来る魔物の群れ。射手が一斉に放つ幾千もの矢も、その後に続け様に放たれる矢にも怯むこと無く、反対に敵愾心を滾らせ魔物の勢いが増す。途中で、矢が突き立ち倒れた魔物――まだ息のある魔獣や邪精がいたとしても関係なく、それらを踏み潰し地を揺らして押し寄せて来るのだ。
「ぬぅ……こやつら、狂っているのか!?」
外壁上で呻くような声を発したのは、アルゼル氏族の次代の長アイナ。
それも当然の反応なのである。本来、邪精ディアブル等の多少の知恵ある魔物は、ある程度の攻撃を受け傷を負うと、蜘蛛の子を散らすように逃げ出すのが何時もの事であった。その事を、鍛練と称して数名の氏族の者と一緒に、結界外の森を探索した事のあるアイナは知っていた。それなのに今回に限っては、幾ら仲間の邪精が倒れようとも、遮二無二前へと押し寄せて来るのだ。まるで、何かに魅入られ取り憑かれたかのように。
しかも今回は、群れの多くは邪精ディアブルであるが、中には異種である魔獣や上位の邪精まで混じっているのである。
それらの事に眉を顰めるアイナであった。
そして、魔物の群れが外壁へと到達するには、それほどの時が掛かる事もなかった。
「グギャギャギャ!」
威嚇の声をあげ、外壁に取り付き攀じ登ろうとする邪精たち。取っ掛かりも無い、つるりとした石壁であるが、尖った爪先を突き刺し、身軽に登って来るディアブル。
こうなると、森人族にも焦りが色濃く漂い出す。
「岩を、油を落とせぇ!」
アイナの周囲にいる指揮官たちの声も、既に絶叫に近い。
射掛ける矢以外にも、攻城戦に於ける守り手側の定石である、落石や熱した油等を上部から落とそうとするが、長らく戦闘から遠ざかっていた者が殆ど。いや、それどころか、産まれて初めて戦う者の方が多い。覚束ない手付きで、逆に怪我人が続出する始末だった。
「ちっ、駄目か……」
外縁部の胸壁から身を乗り出すようにして眼下に目を向けるアイナ。その端整な面立ちを僅かに歪め、舌打ち混じりの呪詛を吐き出していた。
何故なら――高所から射ち下ろす矢は勢いもあり、邪精ディアブル程度であれば簡単に貫く。それでも、数十の矢で一体を倒すのが精々。だが、ディアブルより上位の魔獣に至っては、その体皮に矢を突き立てる事すら難しい。力無き矢を弾き返し、落とされる大岩を打ち砕く。熱した油は、強靭な体皮に傷すら付ける事が出来ない。やはり、より強力な魔獣には、魔力を帯びた矢が必須なのだ。が、打ち出された矢柄の内、満足に魔力が練られた強力な風精を纏わせた矢は、全体の約一割にも満たない。
かつては強大な魔力を有し、竜種の強固な皮膚さえ貫くとさえ言われていた森人族の矢も、現状はこの程度なのである。
確かに今も魔力自体は有しているが、長きに渡って続いた平和によって、その魔力を、魔法や魔術に変換する技術が廃れたのである。世界樹を中心に編まれた強固な結界の中では、争いの無い毎日が続く。そのような日常の中で、大規模な広域殲滅魔法等は無用の長物でしかない。より強力な魔術が、長き平穏な時の間に失われるのも、ある意味当然の結果なのであった。
その上、数百人にひとり産まれるかといった男性の数。長命故に性欲も薄く、女性優位の森人族の社会では、子育てよりも働く事を優先させる女性が多く、人口自体は減少の一途を辿っていたのである。
大昔は数十万いた森人族も、今はもう十万人を割り込み、数万人規模でしか存在しないのだ。しかもその中で、満足に武器を扱える者が約一割。更に、魔力を練れる者となると、七氏族全てを合わせても数百人程度しかいないのである。
――こうなると、壊滅した精鋭3百人が口惜しい。
眼下に押し寄せる魔物を睨み付け、歯軋りして悔しがるアイナであった。
アイナたち、南を探索していたアルゼル氏族の精鋭百人は、辛うじて滑り込むようにして『森都イグナス』に戻れたが、他の方角、北、東、西、の探索を行っていたスーリオ氏族を始めとする3氏族の精鋭は壊滅したのである。
東に向かったスーリオの精鋭は、探索中に全滅の憂き目にあい、北と西に向かったサエルミ氏族とラドミア氏族は、森都へと戻る途上で魔物の群れに飲み込まれてしまったのだ。
アイナたち以外には、ラドミア氏族の僅か十人程が、難を逃れて森都に辿り着けたのが全てであった。
今回の予想すらしていなかった襲撃に、森人族の対応は完全に後手にまわり、防衛の要となる精鋭をあっさりとすり潰してしまった。
アイナは眼下に見える魔物に向かって、その優美な立ち姿からは想像出来ない程の口汚い言葉で罵ると、姿を隠しつつある落陽を視界の端に捉え、大きく天を仰いだ。
――果たして、明日の朝陽を拝めるであろうか。
世界樹が産み落とした七人の樹人が、その祖と言われるだけあって、森人族は陽の光と共に歩む種族。故に、陽の差さぬ夜半にその能力が大幅に減退するのも、また必然の事である。
陽が落ちた後、魔物の群れに蹂躙され『森都イグナス』が灰塵に帰す姿を想像し、恐れおののき身震いするアイナであった。




