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異界の魔神 【改訂版】  作者: 飛狼
2章 世界樹との邂逅……そして
44/51

11.木精と森の民(11)


 スコールにも似た激しい雨と風が通り過ぎ、森の中には湿った空気が流れ込む。青々とした樹葉からは、ぽつりぽつりと雫が滴り落ちる。

 そんな、息吹すら感じられる森の中を、周囲の景色とは真逆の異様な集団が闊歩していた。


「グギャギャ!」


 聞く者に不快な気分をもたらす声を発する集団。それは、この世界で森の邪精ディアブルと呼ばれる存在。その数、百を優に越える。しかも、中には通常のディアブルより、倍以上大きな個体が複数含まれていた。


 その群れの中に、先ほどから「ギャッギャ、ギャッギャ」と、大騒ぎするディアブルが一匹いた。それは、自分が所属していた群れが潰滅し、この群れへと逃げ込んだ一匹だった。

 頻りに、周りの仲間に何かを訴えていたが、誰も相手にしていない。

 すると突然、群れの中でも一際大きな個体がむんずと、そのディアブルの頭を鷲掴みにして持ち上げ、いきなりその喉笛に噛み付いたのだ。途端に、ごきゅりと音を鳴らして噛み破られる喉元、飛び散る暗緑の鮮血。


「グギイィィィ……!」


 ディアブルの断末魔の声が、森に響き渡る。

 その殺戮劇に、周囲のディアブルが「ギャッギャ、ギャッギャ」と囃し立て大喜びする。邪精にとって、死の間際に発する声は、最も心地良く聞こえる音楽であり、死を弄ぶ事自体が最大の歓びなのである。

 例えそれが、同胞のものであろうとも。

 緑溢れる森に響く、邪悪な歓喜の声。


 が、次の瞬間――。


 凛とした涼やかな声が、森に漂う濃密な血臭を切り裂く。


「放てえぇぇ……!」


 その声と同時に、無数の矢柄が、ディアブルの群れへと殺到した。風を纏うその矢柄は、樹木の間を縫い、まるで意思を持つかのように弧を描き、余さず邪精たちの頭部に突き立った。


「ギイィィ……!」


 たちまち、歓喜の声が絶叫へと変わり、ばたばたと倒れていく邪精たち。


 だが――。


「グオォォォ……!」


 群れの中にいた数匹の大きな個体は、頭部に突き刺さる貫通した矢柄を物ともせず雄叫びを上げた。そのまなこに憎悪の炎を滾らせ、敵を求めて周囲を睨み付ける。

 だが、矢を放ったで有ろう存在は、まるで森に溶け込むように一切の気配を感じさせない。


「グガアァァァ……!」


 もう一度、苛立ち混じりの雄叫びを上げた時、またしても涼やかな声が響く。


「風殺刃!」


 声と同時に、今度は邪精の群れの中を突風が吹き荒れる。

 周囲の樹木の幹から生じた小さな旋風が、生き残った邪精の周りを回り出したのだ。小さな旋風が重なり、瞬く間に大きな渦巻く風へと姿を変えていく。最後には、轟々と渦巻く巨大な竜巻へと変わり、生き残った邪精をその中へと閉じ込める。

 厚い風の壁の中で吹き荒れるのは、風の刃。見る間に回転する竜巻が、邪精の流す血流に因って、暗緑色に染まっていく。

 数瞬後、荒れ狂う竜巻が周囲に溶けるように霧散した後に、邪精の群れの中に立っている者は存在しなかった。


 先ほどまでの騒音が嘘のように、ひっそりと静まり返る森の中。


 ――カサリ。


 誰かが、落ち葉を踏み締める音が鳴った。

 それが合図となったのか、周りの樹木の幹から、すぅと影が浮かび上がる。それは、さっき旋風が生じた樹木。影が徐々に人の姿へと変わると、先ほどまで誰も居なかった森に大勢の人々が出現した。

 その姿は、薄緑色の長い髮を、ふわりと風に靡かせる女性たち。整った顔立ちに、すらりと伸びる手足。表情を殆ど動かさず、まるで人形のような美しさである。片手に弓を持ち背に矢筒を負う。腰の後ろに、刃渡り50センチ程の身幅の分厚い無骨な鉈を差す。身体に纏うのは、胸と腰周りを覆う樹皮で誂えた僅かな布切れのみで、白磁の陶器のような真っ白な肌を晒していた。

 その白い肌に、うっすらと紋様が浮かんでいる。それは魔力の残滓、それこそが、先ほどまで樹木に紛れていた名残である。

 彼女らは、魔力で全身を変色させ背景に溶け込み、気配すら断ち樹木と一体化する。いわゆる、保護色と呼ばれる擬態を行う肌の持ち主。

 故に、他の人族からは樹人とも呼ばれる。

 そう、彼女らこそ、森の民、森人族と呼ばれる人々だった。




 喉元を踏みつけると、ごぼりと血の塊を吐き出す邪精。腰に差した鉈を引き抜くと、無造作に振り下ろし僅かに残った命を刈り取った。

 その間、眉ひとつ動かさない。

 と、そこへ、背後からエレミアの声が届く。


「アイナ様、こちらも全て片付きました」


 アイナが顔を上げ周囲を見渡すと――アルゼル氏族の同胞たちが、まだ息のあるディアブルのとどめを刺して回っている。それが、ちょうど終わる所であった。

 エレミアに軽く頷き、皆に集まるように指示を出すと、アイナはもう一度、足下に転がる一回りは大きな邪精へと視線の先を落とした。


「まさか、ディアブルの中に上位種のオルドスまで混じっているとはね」


 そう呟くと、アイナは天を仰いだ。


 大森林の中でも、世界樹を囲む『世界樹の森』と呼ばれる地域は、厳重な結界で囲まれていた。長命種たる森人族でも覚えていない、遥か太古に編まれた結界の魔術。それを、歴代の森人族の総代――ただひとり選ばれ世界樹と意識を交わすため、『樹精』或いは『代弁者』とも呼ばれる森人族の指導者――が、新たな魔術を追加で組み込むため、今では複雑化し過ぎて誰も全貌を把握出来ない強大な結界魔法。


 人族はおろか、強力な魔獣、竜種でさえ突破するのは困難と思われていた、今までは。

 それが、十日ほど前から様相が一変したのである。厳重であるはずの結界内に、多数の邪精や魔獣が彷徨き出したのである。

 報告を受け、森人族七氏族の内、四つの氏族の精鋭が、東西南北の四方に調査に赴いたのだが、杳としてその原因が分からなかった。その間にも邪精や魔獣は数を増やし、今では数十の群れを成し森人族の都を目指していたのだ。


 アイナはアルゼル氏族の次代の長。今回、『世界樹の森』の南方域の調査及び魔獣の討伐を任された、アルゼル氏族の精鋭を率いていた。


 ここ数日、幾つもの魔獣の群れを殲滅したアイナたち。それでも、一向に数を減らさない。中には、有り得ない事に、数種の魔獣が混在する群れまであった。


 ――結界の何処かに綻びでも有るのか、それとも……。


 魔獣や邪精の行動に、何者かの意思が介在しているとしか思えないアイナであった。


「アイナ様、皆が集まりました」


 エレミアの声に物思いから我に返るアイナ。目の前にはアルゼル氏族の精鋭百名が整列する。表情の乏しい森人族では、顔色から疲労の度合いは読み取れ無いが、連日の戦闘で、彼女たちの魔力の欠乏が限界に近い事を覚っていた。

 森人族は、氏族ごとに意識下で繋がる人族。だからこそ、アルゼル氏族内の事は手に取るように分かるアイナである。


「一旦、都に戻るとしよう」


「よろしいので?」


「あぁ……どういう訳か、南からの侵入はこの群れが最後のようだ」


 ざわりと、皆が顔を見合わす。


「本当に……ようやく、終わったのですか?」


 森人族には珍しく、エレミアの口元に白い歯が溢れ、ほっと安堵した様子を見せる。


「慌てるな、まだ終わった訳ではない」


「えっ……」


「木精たちの報せでは、南からの侵入が止まったと知らせてきただけ。他の地域からの侵入はまだまだ続いている。今はもう、数千の数に膨れ上がってるようだ」


「そんなぁ……」


 言い伝えでは、世界樹が最初に産み出したのは七人の樹人。それが、七氏族の先祖と言われている。その時に同時に産まれたのが、世界樹の森に数多く漂う木精だと言われているのだ。その近親種の木精を介して、森人族は森の様子を探る事も、他の氏族と連絡を取り合う事も出来るのである。

 南からの侵入が止まったとの情報も、ディアブルの群れを殲滅している最中に、結界の南端付近にいる木精たちからもたらされたものだった。


 呆然と項垂れる同胞たちを眺め、無理も無いと思うアイナである。

 ここにいる百名は、精鋭とは名ばかりで、実際にはアルゼル氏族内で満足に魔力を練れるのが、これだけしかいなかったのが実状だった。


 ――長い平和が、森人族を駄目にしたのだ。


 そんな思いの強いアイナは、常日頃から長老たちに訴えていたのである。森人族の将来のためにも、もっと外に目を向け体質改善に努めるべきだと。

 だが、強固な結界に護られ、その内側に引き籠もり安寧な暮らしに慣れた長老たちは、誰も耳を貸さなかったのだ。その付けが、今まさに巡ってきているのだと、思わずにいられないアイナであった。


 声高に叫んでいたアイナの所属するアルゼル氏族でさえ、この体たらくなのだ。他の氏族も、推して知るべしであろう。


 森人族は、完全なる母系種族。元来、極端に男性の数は少ない上に、長命故か、性欲も薄い。長の安寧は退廃をもたらし、高位の魔術の失伝と人口の減少をも招いていたのである。

 かつては、数十万いた森人族も、今は大きく数を減らしている。


 ――森人族全体で、果たして何人の者がまともに戦えるのであろうか。


 アイナは、人知れず小さなため息を吐き出した。


「都の守りが心配だ。取りあえず、都へ――」


 皆に、引き上げを命じようとした時、ぐらりと森全体が揺れた。


「今のは!」


 皆が、何事かとざわざわ騒ぎ出す。


「静まれ! 今、連絡を……なにっ!」


 アイナが皆を静めようと声を発した時、今度は木精を介しての念話が、慌ただしく届けられたのだ。


「アイナ様、何が起きたのですか?」


「……たった今、東の結界が破られたと報せが……」


「東といえば、スーリオ氏族が向かったと聞いていますが」


「あぁ……そのスーリオの精鋭は全滅したそうだ」


「えっ……」


「皆、走れ! 大至急、都に戻り防備を固める。走れ!」


 アイナの号令に、全員が北に向かって走り出した。が、その瞬間、アイナの背筋に悪寒が走り抜ける。それは、他のアルゼルの同胞たちも一緒。一斉に後ろを振り返った。

 それは背後に、南の方角から迫るとてつもなく巨大な、禍々しい気配を感じたからだ。


 ――馬鹿な、何故だ?


 結界を壊すでもなく、するりとくぐり抜けた気配に、アイナは焦る。南にいる木精へと意識を伸ばすも、何かに興奮しているのか上手く繋がらないのだ。

 東の結界を破った存在が本命なのか、或いは背後から迫り来るのが敵の本命なのか分からない。

 しかし今は、


「走れ! 命の限り走れえぇ!」


 もはや、声を枯らして叱咤するしかないアイナである。

 神話で語られる神魔大戦、それ以来の未曾有の危機が森人族に降り掛かっているのだと思うのだった。


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