10.木精と森の民(10)
雨が止み西日が差し込む森の中を、一見、向日葵にも似た数多くの黄色い花が、陽に照らされ色鮮やかに樹上で舞い踊る。くるくると回り続ける花弁。その姿は、見る者を魅了する壮麗さだった。が、突如、花の中央部は縦に裂け、細かく鋭い歯が並ぶ凶悪な口腔へと変わる。そこから吐き出されるのは、「ケタケタ」と、笑ってるようにも聞こえる気味の悪い声。手足もなく、目や鼻すらも備えていない花弁に大きな口だけが生じる姿。
華やかで幻想的だった光景から一転、それは不気味なものへと変わっていた。
奇怪な存在、向日葵に似たその花弁が、俺の探していた『木精』だった。
「ガウガウ!」
ユキの警戒した唸り声に、近寄ってきていた木精たちが、すぅと、また樹上へと戻っていく。
その様子から、別に俺たちに危害を加えたり、敵意もないように思えるが……さてと、どうしようか。
俺の目的は、木精のスカウト。あわよくば、家族に迎えようかと思っていた……けど、この姿を見ると、ちょっと遠慮したくなってくる。
なんかもう、悪い予感しかしないんだけど……。
その時、脳裏に浮かんできたのは、何故か、ゲロゲーロとギョーの二人、ウチの凸凹コンビだ。
――また、新たに厄介な家族が増えそうだ。
思わず、回れ右したくなる気分に襲われる。そこで、もう一人の家族の姿が、ゲロゲーロとギョーを押し退け思い浮かぶ。「ギチギチ」と煩くがなり立てるそいつは……そう、キングだ。
「はぁ……」
もう、ため息しか出てこないよ。
まぁ、まだ家族になると決まった訳でもないし。断られる可能性もある訳だしな。
取りあえず、スイカの樹を移植するのに協力してもらえないかだけでも聞いてみるか。
「ユキ、ちょっと静かにしてろよ」
頭上に向かって、「ガウガウ」と吠えたてるユキを宥めすかし、木精に声をかける。
「あぁ……俺はタクミ、あっと、魔神のタクミだ。えぇと、出来れば手を借りたい……駄目かな」
一応、前世ではまともな社会人だった。ばりばりの営業マンって訳でもないけど、それなりに経験も積んだ。だけど、さすがに人相手ならまだしも、妙ちくりんな妖精相手だと上手く交渉する自信がない。てか、その前に俺の言ってる事が、通じてるのかさえ分からん。
相変わらず、木精たちは頭上で「ケタケタ」と笑い? ながら、くるくる踊っているだけだ。
でも、俺たちから離れようとしないのは、少しは興味を持ってる証拠だと思うけど……あ、そうだ。
――ユキだったら。
ユキは、河童たちと会話らしきものをしていた。俺たちの世界『アルカディア』の大地を司る下級神へと転生してからは、こっちの世界の妖精種とは意思の疎通が出来てたはず。
「ユキさん、ユキさん、ちょっとお願いが……」
ユキに頼もうとしたけど、何故か、頻りに唸り声を上げて木精を威嚇していた。さっき驚かされたのが、よっぽど気に障ったのか、それとも相性が悪いのか。土と木だと、相性も良さそうなんだけどなぁ……。
けど、いずれにしても、ユキを間に挟んでの交渉は止めた方が良さそうだ。
――しかし、困ったなぁ。
と、その時、一瞬ゆらりと体が揺れる。それは俺たちだけでない。大地が、森全体がぐらりと揺れた気がした。と、同時に悲鳴のようなものが脳内に響いた気がしたのだ。
「……何?」
途端に、「ケタケタ」と騒ぎ出す木精たち。さっきまでの、ふわふわと舞っていたのとは違い、今は目まぐるしく周りを飛び回っていた。
慌てた様子の木精たちに、またぞろ騒動かと周りを見渡し身構えるけど――周囲には何も変化はない。
――さっきのは、なんだったんだろう。
ちょっと心配になってきたので、いつでも逃げられるようにと、ユキに跨がる。すると、ユキが手出しできないのを見越したかのように、俺の元へ一匹の木精が舞い降りて来た。
「ガウガウ!」
「ちょっと待て、ユキ!」
宥めるように、ユキの首筋をポンポンと軽く叩くと、渋々といった様子で威嚇を止めた。すると、その腕の袖口を、木精が啣えて引っ張ろうとした。
「なになに、どうした?」
他の木精たちも近くまで降りてくると、俺たちの周りを「ケタケタ」と大騒ぎしながら回り出した。
何かを、俺に訴えかけようとしてるみたいだけど……直接、話ができない事がもどかしい。
「バウ!」
「ん、どうした……あっ!」
今度は、前方へと目を向け絶句する。
何故なら、目の前には一本の道が出現していたから。
――いつの間に……。
今まで埋め尽くしていた樹木が左右に分かれ、森の北に向かって小道が伸びていたのだ。それはまるで、森自体が意思を持ち、俺たちを導くかのように。
――まさか、ここを進めって事か?
どうにも……この先に進むと、またしても厄介な事に捲き込まれるような、悪い予感しかしないが……。
「ユキ、取りあえず、行ってみようか」
それでも俺は、ユキを前へと促していた。
さっきから森の意思、意識みたいなものを感じていたからだ。それは、切迫した懇願、切実なる哀願。それらを振り切り無視するほどの意思の強さは、俺にはない。
「……大丈夫だよな」
「バウ!」
ユキの元気の良い返事だけが、不安を感じる俺の心を救ってくれる。
そして俺たちは、木精に促されるまま小道へと一歩踏み入れた。
途端に、全身に絡み付く濃密な空気。でも、それを感じたのは一瞬。空気の膜のようなものを抜けると、森の様相が一変していた。
今までは、どちらかといえば普通の森。鬱蒼とした薄暗い森だった。それが今は青々とした、色鮮やかな命の躍動そのものを思わせる森へと変わっていた。森の息吹すら感じられそうだ。
そして、もっとも俺を驚かせたのは、小道の先に見える巨大な存在。
天に届けとばかりに雲を突き抜け、その天を支えるかのように枝を広げる緑溢れる大樹。
「……もしかして、あれが世界樹……」
圧倒的なスケールの大きさに、俺は言葉をなくして呆然と眺めるしかなかった。
と、そこで、
――痛っ!
頭に軽い痛みが走り、ようやく我に返る。
先ほどまで、ジャージの袖口に囓り付き引っ張っていた木精が、何故か俺の頭の上に乗っかりガシガシと甘噛みしていた。
「いやいや、ちょっと痛いんですけど」
なんか知らんけど、懐かれたかな。苦笑いを浮かべつつ、頭の上に手を伸ばした時に、
『ようこそ、異界より参りし神よ』
柔らかく優しげな女性の声が脳内に響く。
――えっ、まさかこの木精?
な、訳ないよな。叡智の指輪って訳でもないようだし……。
『今は、その子を介して声を届けています』
その子って、この木精の事か?
俺には、その女性が少し微笑んだような気がした。
――えぇと、貴女は誰ですか?
頭の中で女性と会話するって、何だか変な気分だ。前世での日本でなら、完全に危ない奴だな。
『私は、この世界を支える世界樹』
――えっ、世界樹って……。
俺は、まじまじと目の前に聳える大樹を眺めるしか出来なかった。




