7.木精と森の民(7)
ユキの暴走が止まらない。あらゆる障害を粉砕し、森の中を突き進む。
――これは、マジでやばい。
ユキの体毛が逆立ち、鋼となって俺の肌をちくちくと突き刺す。
ちょっと……かなり、痛い。
何がこの先に有るのか知らないけど、ユキがいつになく鼻息も荒く真剣なのだ。これだけ猛るユキを目の前にするのは、ワニダコとの一戦以来かも知れない。
――でも、さすがにこれ以上は付き合いきれないよ。
激しく躍動するユキの筋肉がもこもこと動き、何度も背中からずり落ちそうになるし、さっきも、ユキが粉砕した樹木の欠片に串刺しになる所だった。
ここまで来ての消滅(死亡)とか、勘弁してもらいたい訳で――今、塔に戻ったら、またキングに「ギチギチ、ギチギチ」と煩く騒がれそうだ。それに、この先に危険が有るなら、俺が消失した後のユキの事も心配だ。また、ワニダコみたいな魔物が現れるとも限らない。
だから、少しきつめに叱ろうと思う……けど、
「ユキさん、マジで怒るよ」
へたれな俺では、これが限界だった。
「ガウ!」
「うおっ!」
俺の声が届いたのか、ユキが急に立ち止まり思わずつんのめる。前方へと投げ出されそうになるが、どうにかユキの首に抱きつき防いだ。
「おい、ユキ! 背中に乗る俺の事も、少しは……」
文句を言いながら顔を上げるも、途中で言葉を失う。
――あれは?
俺たちの進行方向に、奇妙な物が見えたからだ。
まだ少し離れているが、妙な生き物が群れて「ギャッギャ」と大騒ぎしている。目の前の光景に注意を奪われているのか、背後から迫る俺たちに気付いていない。
猿に似ているが……ちょっと違う。肌の色は緑だし、前世の記憶と照らし合わせて思い浮かぶのは……。
「ゴブリン!」
ファンタジーの定番、ゴブリンと呼ばれる魔物によく似ていた。
思わず叫んだ俺に、背中越しに振り返るユキが非難の目を向けてくる。
「……あ、すいません。静かにします……」
しかし直ぐに、「ガウガウ」とやる気満々な様子を見せるユキ。
――えっと、まさかだよね。
俺には、ユキが「覚悟は良いか」と、問い掛けてきた気がした。
そして、次の瞬間には前肢を激しく地面に、叩き付けるユキ。
「うそっ! まさかの――」
周囲の地面が一瞬光輝き、拳大の石塊が無数に浮かび上がる。と、その刹那、弾けるように飛び出していく。当然、その行き先は――同時にまた、ドンッと地を削り、急加速して駆け出すユキ。
「――まさかだよねえぇ、ユキィィ! ぬおぉぉぉ……!」
着弾した無数の石塊が、大爆発する。大地を抉り周囲の樹木を粉々に粉砕し、ゴブリンの群れを肉片へと変える。
そして、もうもうと上がる土煙の中を、ユキが駆け抜けて行く。
「ひえぇぇ……!?」
俺に降り注ぐのは、ゴブリンの細切れになった肉片と血の雨。
――うげっ……臭い。
ねばねばとしたゴブリンの緑色した血は、腐った匂いがして気持ち悪い……マジ、かんべん!
しかも、ユキの暴走はまだ止まらない。
近くの樹木に駆け上がると、枝の上にいた何かに突撃した。
そいつは、太い枝から分かれた別の枝のように見えたが、生き物だった。見た目は昆虫っぽい……てか、そのまんま巨大化したカマキリだ。
何か、この世界の昆虫は全て人より大きくなるのか……って、呆れてる場合じゃない。
巨大カマキリが二本の鎌状になった腕を、俺たちに向けて振り降ろそうとしていた。が、構わずユキは突撃して行く。
「ちょっ、ちょっとユキイィィ!」
でも、巨大カマキリも瞬殺だった。無数の棘が生えた鎌状の腕は、ユキに傷ひとつ付ける事なく前肢に弾かれ、反対に、首の細くなった関節部を噛み千切られていた。
無惨にも、頭だけとなった巨大カマキリを啣えて、地上に降り立つユキ。
――だからぁ、またそんなばっちいのを啣えて。食べたらお腹を壊すよ、ぺっしなさい。
後から、頭を無くした巨大カマキリの体が、ズシンと音を鳴らして落ちて来た。それを見て思う事はひとつ。
――キングよ、良かったな。最初にユキと出会った時に、逆鱗に触れなくて……。
地上に降り立ったユキが、四肢をグッと踏ん張り、その凶悪な口を大きく開ける。そこから吐き出されるのは、灼熱の火炎。
首を振りながら、まるで火炎放射器のように周りを嘗め尽くす炎。周囲の悉くが――樹木も転がる岩も、大地さえも焦がし炭化していく。
そして、樹上から炎に包まれ落ちてくる数匹の巨大カマキリ。
――あれ、まだ居たんだ。
もしかすると、ここは巨大カマキリの巣だったんですかね。
しかし、ユキの無双はまだ止まらない……って、俺にも止められない。次に哀れな獲物になったのは――少し離れた所で、四本の腕を振り上げたまま、硬直して固まる大きな獣。
――あ、あれは見覚えがある。
沼の周りで、ユキが初めて暴走した時に、瞬殺した熊っぽい獣。こいつも当然の如く――焦った赤熊が身を翻して逃げ出そうとするが、背後から容赦なく背中を踏み付けるユキ。ごきりごきりと音を鳴らして、鋭く尖った漆黒の爪が食い込んでいく。
赤熊は絶叫して暴れるが、ユキの太い足はびくともしない。ゆっくりと切り裂かれていく、赤熊の胴体。哀れ最後には、上半身と下半身の二つに分かれ、臓物を地面にぶちまけていた。
――うげげぇ、吐きそう……。
ユキさん、やりすぎだよ。しかし、まだ飽きたらないのか、算を乱して逃げていく残りのゴブリンを追い掛けて行く。
いやもう……大地の神とかじゃなくて、破壊神とかで良くね。俺の称号の『恐怖の大王』を、ユキに献上するよ。
でも、何故この場所に来て、ユキが大暴れしたのか分かった気がした。その理由が、視界の端に映っていたからだ。
ユキが周囲に放った火炎も、その一画は避けていた。そこに居たのは、この世界で獣人と呼ばれる連中。沼にいた獣人と同じなのかは、俺には見分けはつかない。でも、そのコボルトっぽい姿から、ふと、思い付いた事がある。
――そういえば、ユキって犬神だったよな。
思い出したのはユキの称号。
確か、犬種を統べる王だっけ。俺の世界にだけ適用されるのではなく、こっちの世界にも有りなのか?
だから、こいつらの危機に駆けつけたのかも知れないな。
それにしても――周りの破壊された状況に表情をしかめる。地面はあちこちが爆発の衝撃で掘り返され、多くの樹木が炭化し燻っていた。
――これから木精を迎えに行くのに、怒られなきゃ良いけどな。
離れる獣人たちに向かって声を掛ける。
「おぉい、火の始末だけは頼むよ!」
返事がないけど、分かってんのかね。
そこで、ふと気付く。さっきから背中がちくちくしていたのだ。
「おろ、何これ?」
背中に手を回すと、何かが引っ掛かっていた。
「おおぉ!」
それは巨大カマキリの鎌状の腕、その先端部分だった。まるで、刃物のように尖るカマキリの腕。
――俺って、結構ヤバかったんじゃね。
「……ユ、ユキさん、止まってえぇぇ……!?」
俺の叫びはまたしても尾を引き、虚しく森の中に木霊となって響き渡る。
まさしく死を撒き散らす、ユキのデッドコースターは、それからもしばらく続いたのだった。




