1.木精と森の民(1)
「ゲロ?」
塔の二階に、ぞろぞろと皆を伴って上がって来ると、ゲロゲーロが吃驚したような声を出した。
「ん、どうした?」
「ゲロゲーロ陛下、あれはゲロ?」
広々とした二階には、床にちょっとした段差のついた場所がある。見ようによっては、祭壇のようにも見える場所。その後ろの壁が、青白く燐光を放っていた。
それは、二つの世界を跨ぐゲート、俺のスキル【異界門】。
――ん、俺とユキはこの二階で暮らしてるとでも思ってたのか。
俺の後ろで、ゲロゲーロは頻りに首を捻っている。
……思ってたようだね。
しかし、ゲロゲーロは前に一度、二階に昇って来た事があったよな。その時は【異界門】が見えていなかったのか?
どうやら、俺の眷族となった事で認識できるようになったみたいだ。
家族(眷属)や許可した者以外は入れないと【叡智の指輪】は言っていたけど、他の者は感知すらできないならここの安全は更に高まるよなぁ……。
異世界人との争い――起きてしまった事を、いつまでもくよくよ悩むのは俺の悪い癖。けど、この先、好戦的な異世界人たちがまたやって来るとも限らない。でも、向こうにさえ居れば、俺たちを見つける事ができないなら安心度も増す。
ちょっと心配性な俺かも知れないけれど、魔神に転生したといっても中身は一般人なのだから仕方がない。と、自分に情けない自分を納得させつつ、皆を『異界門』の向こうへと促していた。
「よし、それじゃあ、この向こうに行こうかぁ!」
「ゲロゲーロでは長老からお先にゲロどうぞゲーロ」
「ギョギョギョ……」
でも、ゲロゲーロとギョーの二人は、何故かお互い譲り合い尻込みしている。
振り返ると、皆がそわそわと落ち着かない様子だ。
ほらぁ、お前らが行かないと誰も行かないんだよ。ったく、こいつらは……。
と、そこに、「バウバウ」元気よくユキが走って行くと、【異界門】の向こうへと姿を消した。
お、ナイス判断だ、ユキ!
まぁ、いつも行き来してるし、そこまで考えてないだろうけどさ。
「ほらな、何も危険はないだろ」
それでも、尚も躊躇う二人の背中を押して、【異界門】へと向かう。
そして、【異界門】を越えた所で……。
「痛っ!」
急に二人が立ち止まったため、彼らの背中に鼻先をぶつけてしまった。
お前らはでかいんだから、そんな所で止まるなよ。驚くのは分かるけど、皆が入れないだろ。
「邪魔だ、邪魔!」
二人を少し乱暴に押し退け隙間をつくると、皆も後ろからぞろぞろと入って来る。
取りあえず俺の家族、眷属の全ての者が、俺たちの世界の地を踏んだのだが――その間、俺もゲロゲーロの横に並んで、同じく呆然と周りを眺めていた。
「これは……」
俺の本体、世界が激しく明滅を繰り返していたのだ。
ユキの時は、こんな風にはならなかったのに。一度に沢山の仲間を招いたからか……。
――まさか、壊れた?
ここって……俺の本体だよな。
慌てて、指にはまる【叡智の指輪】に向かって叫ぶ。
「おい、これは――」
しかし、同時に感情の起伏のない、【叡智の指輪】の声が脳内に響き渡る。
《マスターノ封印ガ一部解放サレマシタ。マスターノ能力モ一部解放サレマシタ》
――えっ?
そして、その瞬間、驚く俺の前で世界が弾けた。
「何がどうなってる?」
その時、思わず目を瞑った俺の頬を何かが、ふわりと撫で上げる。
――風?
それ以外にも、ざざぁと波の音が聞こえ、風が運んで来る少し湿った匂いが鼻をくすぐった。
――もしかして。
そっと瞼を開けると、俺たちの世界が激変していた。
もはや、大地の端が見えなくなるまで世界は広がり、頭上には青空さえ見える。その青空の中には、ぽっかりと白い雲が浮かび、爽やかな風が押し流して行く。足下へと目を向ければ、細かい砂粒がびっしりと覆い尽くす。
そうだ、俺たちが立つ場所は砂浜。目の前には水溜まり、いや、もうそれは湖……いやもっと、もう海と呼んでも良いほどに透き通った水がどこまでも続く。吹き抜ける風に煽られ、波まで打ち寄せていたのだ。
ここを出た時は、まだ何もない大地が広がるだけの真っ白な世界だった。
それが今は……。
――俺は本当の意味で、世界と呼べるものを創造したのだ。
目の前の光景に感動し、俺は心を震わせていた。そこへ……。
「ゲロゲーロ陛下、ここは何処なのでしょうかゲーロ?」
ゲロゲーロが戸惑った様子で声をかけてくる。
「ここは俺が創造し、お前たちが影響を与えた世界」
「ゲロ我らがゲーロ?」
更に困惑した様子を見せるゲロゲーロ。
「そうだ。ユキが大地を産みキングが風を、そして、ゲロおっと……サンペイとギョーの二人が水を産み出し――」
そこで一旦、言葉を途切らせると、後ろにいた皆をぐるりと見渡す。
「それだけじゃない。皆の力が、この世界を成長させたんだ!」
「ゲロゲーロ我らが、新たな世界の創造の一端を担ったとゲーロ」
幾分声を震わせそこまで言うと、ゲロゲーロが突然に膝を突いた。それに倣って、皆が一斉に膝を突き頭を下げた。
けど、約一名。もとい、一匹だけ訳が分からず、きょとんと首を傾げるユキ。
「ふふ、ユキは良いんだよ。今のままで……」
ユキの傍に近寄り、その首筋をわしゃわしゃと撫でてやる。そしてもう一度、皆を見渡して……。
「そうだ、ここは俺たちの世界だあぁぁ!」
俺は高らかに宣言したのだ。
「ゲロゲーロ神王陛下、ばんざあぁいゲーロ!」
途端に、弾けるように響き渡る大歓声。
もうそれからは、お祭り騒ぎだ。
ゲロゲーロや河童たちは、「ケロケロ」「ゲロゲロ」と大合唱を始めて踊り出す。その横で、ギョーはヒゲをピュルピュル震わせ大喜び。いつもより激しくヒゲを伸び縮みさせている。キングやカブトたちも、「ジジジ」と羽を鳴らして空を飛び回っていた。
ユキは俺の近くで、波打ち際で跳ね回っている。打ち寄せる波がよほど珍しいのか、「バウバウ」と吠えながら波と追いかけっこしていた。
――皆、喜んでくれて何よりだ。
「ゲロゲーロそれにしても陛下、ここは心地好い魔素に溢れゲロ我ら魔素を糧として生きる妖精種には天国で御座いますなゲーロ」
そうだった。こいつら妖精だったな、忘れてたわ。
「ゲロゲーロここ五十年の間ゲロ沼の魔素は徐々に涸れ果てて行きゲロこのように大量の魔素を浴びるのは久し振りで御座いますゲーロ」
……何故か、心当たりがある。
多分それは、この世界が寄生していたからだ。
「はは……それなら良かったじゃないか。これからは好きなだけ、ここで魔素を吸収できるからな、ははは」
皆には黙っていよう。
「ゲロゲーロところで陛下ゲロこの世界には名前が有るのでしょうかゲーロ」
あぁ、名前かぁ。そうだよなぁ。ここはもう、ちゃんとした世界になったのだ。いつまでも名称が無いのは不味いよな。
しかし、俺は名前を付けるのは苦手なんだよなぁ。どうしようか……。
「そうだな……これよりこの世界は『アルカディア』……」
「ゲロ『アルカディア』で御座いますかゲーロ」
「そう、ここは俺たちの理想郷。これよりは『アルカディア』と呼ぶことにしよう」
すると、世界がまた輝き出し、
《マスターノ封印ガ一部解放サレマシタ。マスターノ能力モ一部解放サレマシタ》
またしても【叡智の指輪】の脳内放送が鳴り響く。
そしてまた光り輝き、世界が広がる。
へっ、何それ……。
「ゲロ今のはゲーロ?」
ゲロゲーロが驚いていたが――いやいや、俺の方が驚いたよ。
えぇと……名前を付けただけでレベルが上がるとか……こんなことなら早く付ければ良かったよ。
ゲロゲーロには、また世界が成長したようだと伝えると、大喜びで皆に伝えに行った。その際に、名前を知らせたから、更に激しいお祭り騒ぎになっていた。
しかし、立て続けにレベルが上がるとはね。一気に家族を増やしたから、封印も少し緩んだのかな。
――さてと。
俺は、皆の大騒ぎを横目に見ながら、ステータスの確認をする事にした。
まぁ、あまり期待出来ないが……。
なんといっても、俺のステータスは俺に優しくないからだ。
脳裏に浮かんだのは、野鳥の雛が卵の殻を破り飛び出て来る姿。雛が孵化する時は、最初はちょっとずつ殻にひびが入り、最後には一気に殻を破り飛び出す。
俺の封印も最初は少しずつ緩み、最後には一気に解けて完全復活する。そんな姿を想像していた。
期待せず、俺は「ステータスオープン」と唱えた。




