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異界の魔神 【改訂版】  作者: 飛狼
1章 魔神誕生
32/51

32.銀狼の巫女と戦乱の予感(12)

いつもより少し長いです。


 頭上を見上げると、雲ひとつない青空が広がっていた。その青空の下を、キングたちカブトが羽を広げて悠々と飛び回っている。

 別にキングたちは、ただ遊びで飛んでいる訳ではない。周囲を警戒しての事だったのだが、穏やかな陽射しを浴びて飛び回る姿は、なんとも気持ち良さそうに見えた。


 ――後で、乗せてもらえないかな。


 キングの背に揺られて飛ぶ自分の姿を想像して、自然と顔が綻んでくる。

 そんな事を考えている俺はというと、じゃれつくユキの相手をしていた。


「だから駄目だって、ユキ。力も体格も違うから、俺がぺしゃんこになるって……」


 覆い被さるユキを振り払いながら周りに目を向けると、河童たちが普人族の武装解除を行っている。

 で、何故か俺とユキの横では、ウチの凸凹コンビが当然のような顔をしてうんうん頷き、辺りを眺め回していた。


 これはあれですか。

 貴方達はもう相談役とか、ご意見番のつもりですか……つもりですね。


 右を見ればヒゲが、顔にまとわりつく蚊のようにピュルピュル動き回り……ウザイです。そして、左からは「ゲロゲロ」と、黒板を引っ掻く音みたいな不快な鳴き声が響き……ウザイです。

 もう嫌、勘弁してよ。

 またしても、俺の口元からは「はぁ」とため息がこぼれ落ちた。


 しかしそれにしても、今回の乱闘では死亡者が出たかもしれない。幸い俺の眷属となった、カブトや河童たちの中にはいないが、相手となった普人族の中には死者が出たかも知れないのだ。そう思えるほど、激しい争いだった。

 重傷者こそ、【神オーラ】の癒し効果で回復したようだが、さすがに死者を甦らす力や欠損した手足を戻す力はない。或いは、レベルが上がれば蘇生や再生も可能なのかも知れないが……。

 とにかく、死体を見るのも嫌な俺は、確認もせずうっちゃっている。

 だって、そうだろう。元いた世界でも、人の死に立ち会うのはまれな事だった。事故で亡くなった両親の葬式の時ぐらいだ。しかもその時でさえ、死に化粧を施され木棺に納まった姿しか知らない。そんな俺が……とてもではないが、この場で無惨な姿を晒す死者を確認する気にはなれなかった。

 それに、先に襲って来たのはそっちだと、開き直ってもいた。【神オーラ】で、重傷者を癒しただけでも有りがたいと思ってもらわなければとさえ、俺は考えていたのだ。軽く考えていた訳ではないが、戦場を知らない俺が雑に考えていたのは事実。これは事故なのだと自分に無理矢理納得させていた。

 だがそれは、後に甘い考えだと思い知らされるのだが、この時の俺はまだ深刻には考えていなかったのだ。




 取りあえず事情聴取をと思い、ユキたちを引き連れ、先ずはコボルト達、獣人たちの元へ向かうが――何故か、俺が近付くだけで震えて縮こまっている。うずくまり此方に顔を向けようともしない。

 彼らに安心してもらうため、笑顔すら浮かべて近付いたのに、なんとも失礼な奴等だ。助けて上げたのに、その態度はどうかと思うよ。

 あ、そうか。ウチの連中のせいか。ユキたちを怖がってるんだな。


「おい、お前ら、あんまり怖がらせるなよ!」


「バウ?」

「ゲロゲーロ我らは何もしておりませんがゲーロ」

「ギョー?」


 いやいや、お前らの姿が恐ろしいんだよ。こいつらは、自分たちの姿がいかに恐ろしいかを自覚していない。主である俺でさえ、たまに怖くなって腰が引けてしまうのに。一度きちんと、こいつらには教えておかないといけないと思う。

 ま、とにかく、今は怖がってる獣人族の連中からは話を聞けそうにないし、先に普人族とやらに事情を聞くとしよう。

 普人族は、前にいた世界の人間と似た姿。その分、多少は親しみも持てるだろう。できれば、人の住む街にも行ってみたい。

 だから、此方に敵意が無いことを伝えて、今回の争いも不幸な事故だと納得してもらった上で、上手く和解できないかと考えていた。

 まぁそれも、この世界の人々の事情次第だけどさ。と、そんな事を思っていた……。


 普人族の兵隊さんたちは、呆けた様子で思い思いの場所で座り込んでいた。今はもう逆らう気力もないのだろう。ウチの河童たちが武器を取り上げようとしても、抵抗をする事もなく唯々諾々と大人しく応じている。

 そんな普人族の中でも、多くの者が集まり固まる集団がいた。そこに、一番偉い人がいるのだろうと当たりをつけて、ゆっくり近付いていく。


 ――おや、あれは……。


 その集団の中央には、鎧を脱がされた金髪の青年が横たわっている。しかもその青年の右腕が、肩の付け根から消失していた。

 そう、そこにいるのは、ユキに右腕を噛みちぎられた青年。どうやら、【神オーラ】の癒し効果で、命だけは助かったようだ。けど、未だに意識は戻らないのか、顔を歪め苦悶の表情を浮かべうなされていた。それを、周りにいる人たちが、心配そうに眺めているのだ。


 片腕を失う経験をしたのだ。悪夢にでも、うなされてるのかも知れないな。


 その傷を負わせた当事者であるユキに目を向けると、「バウ?」と首を傾げるだけで、気にも留めていない。でも俺は……。


 ……なんだか、居心地が悪い。


 さすがに気になってしまう訳で……ユキの強心臓ぶりが羨ましいよ。

 だから、躊躇ためらい立ち止まってしまう。


 そんな俺たちに、数人の普人族が気付いたようだった。そして、慌てた様子で、周りにいる人たちに何か囁いている。途端に全ての者が、怯えた表情で俯いてしまった。


 まぁ、こっちは獣人と違って当然の反応。さっきまで、ウチの連中とガチで戦ってたのだから。


 しかし、その中でただ一人、昂然と顔を上げ、此方を睨み付けるように視線を向ける男がいた。歳の頃は50過ぎか、いや、もう少し上かも知れない。軍人らしい、がっしりと引き締まった体が、見た目の年齢を引き下げてるように思えた。

 彫りが深く、少し角ばった風貌は気難しそうで、昭和世代にいそうな頑固親父そのものだった。


 ――うへぇ、あの手の人は苦手なんだよなぁ。


 何故か、学生時代の体育教師を思い出す。剣道部の顧問をしていて、格技の授業なんかも教えていた。何処の学校にも一人はいる、ちょっと強面こわもての教師。不良グループなんかも、一目おく存在だ。その教師と、目の前にいる普人族の男性が重なって見えてしまう。


 ――たぶん、おなじような性格なのだろうなぁ。


 一本、筋の通った、何があっても、自分の主張を曲げようとしない人。いつも流されて生きてる俺とは、真逆の生き方。だから……苦手なのだ。


 それにしても、近頃はどうも可笑しい。社会人になって数年は経ってた筈なのに、何故か学生時代の頃ばかり思い出す。社会人になってからの記憶は、ストンと抜け落ちたように思い出せない。

 これも、少年の姿に若返ったためか、それとも50年もの間、封印されてたせいなのだろうか……。


 とにかく、俺はこの手の人が大の苦手だ。目の前にすると、どうしても緊張して上手く言葉を伝える事ができない。

 だから――。


「おい、ちょっと事情を、どういう積りで襲ってきたのか聞いてきてくれ」


 ゲロゲーロとギョーの二人に、話を振り丸投げした。

 それにそもそもが、俺にはこの世界の言葉が分からない。だから、ゲロゲーロに通訳してもらう積りだった。しかし、


「ゲロ?」

「ギョ?」


 二人が、きょとんとした様子で見つめ返してくる。

 あれ、何か可笑しな事を言ったか?


「いや、だから……そっちが襲って来なければ、此方も攻撃するつもりは無いと、敵対する意思が無いことを伝えてだな。ついでに何故ここにきたのか、その辺りの事情も聞いて欲しいかな」


 みなまで言わせるなよ。その辺は、察してくれよ。などと、思ったけど……。


「ゲロゲーロ陛下、お言葉でございますがゲロ我輩、普人族と会話は出来ませんがゲーロ」


 えっ……そうなの。あれだけ色々と物知りだったから、てっきり会話が出来ると思ってたよ。


「ゲロゲーロ確かに、人族の中には我ら妖精種とゲロ意思の疎通を行える者はおりますゲーロ森人族などが有名ですが、普人族でもごくまれに現れますゲロ我らを沼へと集めた普人族にも、少数ですがおりましたのも確かゲロですが……見回した限りではゲロこの中にはおらぬかとゲーロ」


 ……えぇと、あれ。そうなると、ウチの連中で……会話できる者が誰も……いない?

 ユキが「バウバウ」と、頻りに自己主張してくるが――いやいや、ユキさん、貴女も言葉が分からないでしょ。て、いうか、ユキに任せると、ワニダコの時みたいに面倒な事になるので却下です。


 と、その時、普人族の強面の男性が、すくっと立ち上がった。


「$%&#+*……」


 うん、何か言ってるようだが、獣人の時と同じで、やはり俺にはこの世界の言葉は分からないようだ。まぁ、当然なんだけどさ。言葉以前に、発音そのもの自体が、聞き取り難い。「ア」なのか「ウァ」なのか、全く異質な音にしか聞こえない。


 ――これは参ったな。


 このまま捕まえておく訳にもいかないし、ましてや、まさか皆殺しにできる訳にもいかない。で、結局、普人族にはこのままお引き取り願う事にした。

 もう面倒臭いのと、言葉を交わせない事を知って興味を失った事が、半分以上の気持ちだったけど。

 それに、ウチの連中を俺の世界に連れて行けば、また世界は広がるだろうし。何か有りそうなら、ほとぼりが冷めるまで籠ってれば良いだろうとの考えもあったからだ。


 ――良し、そうしよう!


 で、皆に命じて普人族を追い払う事にした。

 武器を取り上げたまま追い払おうとすると、普人族も少し騒ぎ始めたが、さすがに武器を返す気にはなれない。後でまた襲って来るとも限らないので。だから、構わず追いたてる。というか、ユキが牙を剥き出し唸り声を上げて威嚇すると、慌てて逃げていった。

 その際、強面の男性が何やら文句を言ってたようだが、後はもう知らん、異世界語は分からんもんね。


 で、後はコボルトたち、獣人族の四人だが。

 こっちは放っていても、大丈夫だろう。四人では何もできないだろうし、傷も癒して上げたのだ。勝手に、どっかに行くだろう。


 しかし、結局何が何やら分からないまま。胸の中に、もやもやとしたわだかまりだけを残すだけの異世界人との初遭遇となった。なんとも後味の悪い気持ちを引きずり、俺は塔へと戻るのだった。


      ◆


 周りで歩む者の足取りは重い。森の中へと侵入した時の軍に従事する者らしい、荒々しくも精気あふれた物、天に届けとばかりに噴出していた鋭気は見る影も無かった。


 ――無理もない。


 イスカル自身も、武人としての誇りを砕かれ、心が折れ掛けているのだから。ましてや、一般の兵士が魔人たちとの戦いにおいて、己れに降りかかる恐怖を目の当たりにしては、心が打ち砕かれるのは当然の事だった。

 引きずるような足取り、それはもはや敗残兵そのもの。

 周りの兵士を眺め、イスカルは深々とため息を吐き出す。と、それに気付いた横を歩く男が、恐縮した様子で頭を下げた。


「イスカル様……申し訳ございません……」


 その男もまた、ユナ王国時代からの見知った者……五十人長のバーグ。さっきから何度も、イスカルに対して頭を下げていたのだ。


「……もう良い」


 イスカルは、何度目かの答えを力なく返した。



 イスカルたちアルガイエの領軍は魔人たちとの争いに敗れ、戦々恐々としている所を、とつぜん解放されたのだ。それを出迎えたのが、バーグたち樹林に残していた兵士たちだった。

 彼らは、怪我を負った先遣隊やアランが率いていた兵士を樹林へと運び、手当てを行っていたのである。バーグたちも作業の途中で、沼での戦闘音には気付いた。だが、バーグが兵をまとめて慌てて駆け付けた時には、既に戦闘は終わり領軍は潰滅していたのである。そこで、物陰から救出の機会を窺っているときに、突然の解放だったのだ。


 その事を、戦闘に気付くのが遅れ、直ぐに駆け付けられなかった事を気にしてのバーグの態度なのであるが――イスカルにとっては反対に、バーグたちが無事であった事が、不幸中の幸いだったと感じていたのであった。

 周りの兵士たちの様子では、この森から脱出するのも覚束なかっと考えていたからだ。バーグたち、まだ活力のある兵士たちが、引っ張っているお陰でこうして曲がりなりにも、軍の体裁を整えて行軍しているのである。でなければ、とうの昔にかなりの脱落者が出ていたのは、イスカルにも容易に想像できた。それほど――まともに歩くのもままならぬほど、兵士たちは気力を殺がれていたのである。


 ――それにしても……。


 イスカルが傍らに視線を向けると、簡易担架で運ばれるテオドールとアランの姿が目に映る。


 ――被害は甚大。


 アランは魔力の完全な枯渇に、体を動かすどころか、言葉もまともに発する事ができない状態。テオドールに至っては、利き腕である右腕が消失しているのである。

 今は、戦闘で受けた精神的痛手からか、未だ意識は戻らない。目を覚ました時のテオドールの姿を思い浮かべ、イスカルは暗澹たる気分に包まれる。


 今回の戦闘では、取り上げられた武器や消耗した魔結石などの魔道具の物的損害もさることながら、人的被害はそれ以上に大きいと言わざるを得ない。

 報告では、戦闘での死者は十二名。あれほどの激しい戦いにも関わらずにだ。死んだ者には失礼かも知れぬが、思っていたよりも少なかった。

 と、イスカルは考えるのだが、そこでもう一度、周りで力なく歩く兵士たちを見回す。


 ――しかし、果たして幾人が兵士として復帰できるで有ろうか?


 戦場で恐怖に負け心を砕かれた者は、もはや兵士としては役に立たない。肝心な時に、踏ん張って心を奮い立たせる事ができないのだ。

 それがイスカルの、今までの経験に基づく見解だった。

 兵士ひとり育てるのも、それなりの金と時間、労力も掛かるのだ。今回連れてきた軍団は、イスカルがこの二十年、己れの全精力を傾けて作り上げた領軍の中核を成す軍団。それが、先ほどの戦闘で一瞬にして瓦解して潰えたのである。

 イスカルの落胆は、はかり知れぬほど深かった。


 ――しかし、解せぬ。


 今回の事は、イスカルにとっても不可解な事ばかりであった。


 我らアルガイエ家が、獣人族の密使探索を命じられたのは分からぬでもない。領地が『世界樹の森』に接しているのだから……だが、テオ様を煽るかのように焚き付けて、自らが出向くように仕向けたのは解せぬ。しかも、まるで我らを待ち構えていたかのように妖魔の群れが現れ襲われた……。


 ――まさかと思うが……。


 イスカルは、ヴォルフガング家の当主であり、現内務卿のゴズラへと疑いの目を向ける。

 常に陰謀の噂が絶えぬゴズラ内務卿。今回の件も、裏で何か画策しているのではと勘繰ってしまう。


 ――思えば、五年前のお館様の時も……。


 それはテオドールの父親であり、イスカルの恩人でもある前アルガイエ伯爵。

 五年前、突然の病に倒れ意識不明に陥った。その前日まで、至って元気で政務に励んでいたにも関わらずにだ。そして、三日後にはそのまま帰らぬ人と成り果てた。

 その際には、イスカルも随分と奔走した。

 名のある大神官から果ては場末の呪術師まで訪ね歩き、原因の究明及び治療法を模索したのである。が、遂に原因は謎のまま、外部からの襲撃や毒殺などの痕跡もないことから、激務による心労からの発作と断じられた。

 その当時のアルガイエ伯爵は、帝国における五人の執政官のひとりであり、内務卿を拝命していたのである。その内務卿の席を、伯爵が病に倒れた後に継いだのが、ヴォルフガング家のゴズラ。

 だからこそ、疑いの目を向けてしまうのだ。

 当時は、不審を覚えつつも一切の痕跡が無いことから、一応の納得はしたイスカル。が、その後のアルガイエ家内での一族の内紛。そして、今回の探索と、裏でヴォルフガング家が暗躍してるのではと、疑うと切りが無かった。


 ――わしとした事が。


 全ては妄想を積み重ねた推論。その事に、はたっと気付き、イスカルは自嘲気味に口元を歪めた。


 それにしても、魔人どもを率いていたあの妖魔。我ら普人族の子供のような姿をしておったが……ただならぬ妖気を撒き散らしていた。近寄って来た時に「何者だ!?」と誰何したが、此方を小物と見下してか完全に無視された。


 誇り高き武人イスカルにとって、それは看過出来ぬ程の屈辱であった。


 ――が、それも仕方ないのかも知れぬ。


 今考えると、そう思えてくるイスカルだった。此方を羽虫の如く扱える程の強大な力。それが、内包されているのを、イスカルは感じたのである。

 あの小さき姿、あれは……擬態に間違いあるまい。とてもあのような小さき存在ではなく、もっと何か、大いなる邪悪な存在。

 だが、何の積もりか知らぬが、我らの傷を癒したあの光。あれは噂に聞く、『聖光教団』の大神官が大勢集まり行う神聖術、【恵みの聖雨】に勝るとも劣らぬ聖光現象。

 何故、あのような邪悪な存在が、聖なる光を発する事が出来る?

 それに、我らの傷を癒した上に突然解放した目的も分からぬ。我らに何もせず解き放ったのは、己の存在を世界へと知らしめるためなのか……分からぬ。全てが分からぬ。

 あの妖魔は、いったい……。


「……何者なのだ!?」


 それは、アルガイエ領に迫る未曾有の危機を感じ、思わずイスカルの口からこぼれ落ちた言葉だった。と、傍らから弱々しい声が聞こえる。


「……魔王……」


「アラン、今魔王と言ったか?」


 それは、魔力の枯渇に憔悴しきったアランだった。まだ、舌が上手く回らないのか、担架の上で次の言葉を紡ごうと、頻りに瞬きを繰り返していた。


「……あぁ、すまぬ。今は良いのだ。無理をするなアラン」


 イスカルはアランを安心させるため、胸の上をポンと軽く叩く。それに落ち着いたのか、アランがまた瞼を閉じた。それを見届け、イスカルは「ふむ」と頷く。


 ――魔王……か。


 神話などの伝説で語られる存在。今までならそのような戯言、一笑に付してきたイスカルであったが、あの妖魔を見た後では笑えない話である。

 確かに、アランの言うように、あれは『魔王』と呼んでよい存在かも知れぬが……。


 ――帝都に、中央にどのように報告するのだ。まさか、魔王が現れましたとは言えまい。


 それに今回は、獣人捕縛の任にも失敗している。だからといって、今からまた獣人を追いかけるのも無理がある。

 イスカル自身でさえ、これより先の森の奥深くに分け入るのに躊躇するほどなのだ。とてもではないが、今の兵士たちには無理な話であった。


 帝都への報告に、イスカルは頭を悩ませる。

 たださえ、ユナ出身の者を多く登用して目を付けられているのだ。今回、当主自らが乗り出しての捕縛失敗。責任を取らされるのは目に見えていた。

 とはいえ、獣人族や森人族の事もある。あの妖魔共と繋がっているのか分からぬが、どちらにせよアルガイエ領だけで事にあたるのは不可能。

 その上――ちらりと担架で運ばれる、片腕を無くした主へと視線を走らせる。


 テオ様があのような姿になっての、捕縛の任、失敗。それ見た事かと、またぞろ、一族内で争いが起きかねない。


 問題は山積し、イスカルには頭の痛い所であった。

 と、その時。


「イスカル様!」


 そのイスカルの主、テオドールを運ぶ兵士が呼び掛けてきたのである。


「ん、どうした?」


「テオドール様の意識が……」


 兵士の言葉を最後まで聞くまでもなく、イスカルは飛ぶようにテオドールの側へと駆け寄った。


「テ、テオ様!」

「イル、イルなのか?」


「はい、イスカルはここに居りますぞ!」


 イスカルが、テオドールの残された左の手のひらを、しっかりと握り締め呼び掛けた。


「……おぉ、イル。お前の忠告を聞いておれば……」


 と、そこでテオドールの表情が凍り付いた。


「イル、おかしいぞ。俺の右腕が動かぬ」


 そこでようやく、テオドールは自分の身に起きた異変に気付いたのだ。


「お、俺の右腕があぁぁ!」


「テオさま! お気をしっかりとお持ち下さい!」


 左右に体を揺すり暴れるテオドール。それを必死で宥め落ち着かせようとするイスカルだった。


 領主といっても、テオドールはまだ若い。

 アランに【聖剣技】を、イスカルには将としての心構えなどを――二人に武人としての薫陶を受けていたのである。領主としての気概より、武将としての気概の方が強かった。それなのに、利き腕である右腕を失ったのである。


 武人の自信は、どこから来るのか?

 それは己の最後……いざというときに、己の身ひとつでも敵に向かう気概。それを、利き腕が無くなった事で失ったのだ。テオドールは、かなりの衝撃を受けてしまったのである。

 或いは、これが歳を経た者で有れば武人としての将来を諦め、これより先はより良い領主へと邁進したかも知れない。しかし、テオドールはまだ若かった。だから諦め切れず……。


「おのれぇ……俺は神に選ばれたアルガイエ家の当主。このような事……有ってはならない」


 テオドールの瞳に浮かび上がるのは、受けた恐怖を上回る憎悪。


「……獣人どもめ……あの魔物も……全てを根絶やしにしてくれる!」


 うわ言のように何度も繰り返される言葉。憎悪すら通り越して、テオドールは狂気さえ漂わせ始めていた。

 その姿に、ぞっと寒気が走るイスカル。これから先、アルガイエ領に訪れる危難を覚え、言い様のない不安に包まれるイスカルであった。


     ◆


 そこは、一筋の光も届かぬ場所。いや、一切の光を拒絶した空間といって良いだろう。

 そんな墨を垂らしたような闇の底で、誰ともつかぬ嗄れた声が響く。


『封印が解けたのか?』

『完全に封印されていたはずだが、何故目覚めた』

『いや、能力は全て封印したはず』

『監視のため残した闇の欠片が戻った』

『まだ、完全体にはなっていない』

『覚醒はまだ』

『今一度の封印を』

『それは不味い』

『駄目だ』

『駄目だ』

『駄目だ』

『今一度、監視の闇を送ろう』

『それが良い』

『それが良い』

『それが良い』


 それは年齢も、性別さえ判断のつかぬ声。複数であるのか、ただひとりの個人が言葉を繰り返しているのかさえ判断のつかぬ声。

 あえて言うなら、複数の精神をひとつの場所に詰め込み同時に喋る、そんな会話にもなっていない奇妙な物だった。


     ◆


「だから、お前らの姿が怖いんだって……」


「ゲロゲーロ陛下のお言葉とはいえゲロそれは聞き捨てなりませんぞゲーロ」

「ギョー!」

「ガウ!」


 俺の言葉にゲロゲーロが、氏族で一番のイケメンだと反論し、残りのギョーやユキも……。


「あっ、ユキは別です……だから、角でつつくのは止めて」


 俺たちは、ワイワイと騒がしく塔へと戻っていた。


 封印されていた俺が復活した事によって、周囲が大きく動き、この異世界が破滅へと転がり始めた事を、この時の俺はまだ気付いていなかった。


これにて、第1章『魔神誕生』の終了です。


次回からは第2章『世界樹との邂逅……そして』です。


といっても、私はガラケー投稿なので、現在は章分けが出来ません。

まあ、その内、何処かのPCからでもアクセスして章分けをしようかと。


それでは次章の予告を。


魔神への転生を果たしたタクミは、新たな眷属を得るために森の最深部へと分け入る。

そこで、出会うのは……。

異世界の真実を知り戸惑うタクミ。


その一方で、妖魔討伐へと動き始める帝国軍。

復讐の念に囚われた憎悪の炎が、タクミたちの住まう沼へと襲い掛かる。


そして、遂にタクミの怒りが爆発する。


「何故、皆で平和に暮らせないんだよ!」


解放される魔神の力!


次章『世界樹との邂逅……そして』、乞うご期待!?



※明日にでも人物紹介を挟み、それ以降に連載再開です。


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