27.銀狼の巫女と戦乱の予感(7)
遅くなりすみません。
完全に夏バテでぶっ倒れてました。
まだ、推敲が不十分ですが、取りあえず投稿しておきます。
――あり得ん……このような事は見た事も聞いた事もない。
甘い匂いを放つ果実が、陽射しを遮るほど生い茂る樹林の中。眩い光を放ち、異形の者へと姿を変える魔虫ホルンケファー。異様で歪な姿――闇を垂らしたかのような真っ黒な身体から生える二本の足。ムクリと起き上がると、四本の腕がカサカサと動く。その醜怪な姿は嫌悪感を抱かせると同時に、禍々しさを感じさせるものへと変貌していた。
まさしく、現れたのは……。
――魔人!?
果たして、さっきまでいたのは本当にホルンケファーだったのか? それとも、今目の前にいるのは本物の……。
その考えに肌が粟立ち怖気が走る。魔人とは神話で語られる邪悪な存在。
思わず神剣を握りしめ、アランは口中で聖言句を唱える。
――マクスオールホシェフト……。
それは神剣を賜った時に、『聖光教団』より教えられた古代神聖語。その意味は、聖なる光で闇を払う。
聖言句を数回唱える事で、アランもようやく落ち着いてきた。
平静となった目で周りを眺めると、兵士たちも息を飲み体を強張らせているのが分かる。
「戦闘隊形を崩すな!」
アランの叱声が飛ぶと、兵士たちもハッと我に返った。
前列の兵士が片膝をつき、クロスボウを現れた魔人に向ける。その後ろに立つ兵士は短槍と盾を構えた。一番後方にいる魔法兵は、魔力を高め詠唱を始めていた。
瞬時に態勢を整えるのは、さすがに鍛えぬかれた兵士たち。しかし、兵士たちの表情には、微かな怯えの色が浮かんでいる。
それも当然だ。異形の魔人へと変貌したホルンケファーの前には、呻き声を上げ転がる、先遣隊の兵士たちの姿があるのだから。
まだ息はあるものの、手足はあらぬ方向に折れ曲がり、苦悶の呻き声を上げていた。
それが自分たちに訪れる運命を予感させ、恐怖を覚えてしまうのだ。
――まずい……このままでは一気に崩れる。
アランもイスカルと同じセナ王国の出身。元は近衛の兵士だった。だから知っているのだ。敗勢が濃くなり兵士の士気が著しく低下すると、例えいくら練度の高い兵士でも相手の雑兵 (ぞうひょう)に簡単に討ち取られてしまう事を。
ここで撤退を口にしようものなら、兵士たちは我先に逃げ出し一気に潰滅するだろう。敗走するところを追撃される事ほど恐ろしいものはない。それをアランも帝国戦で、嫌というほど経験した事があるのだ。しかも今回の相手は魔人。
だから――
「怯むな! 恐れるな! 日頃の訓練の成果を見せよ!」
アランは兵士たちを鼓舞し、士気を奮い立たせようとする。だがそれは、己に向けたものでもあった。
最初こそホルンケファーの群れ、しかも亜種に驚きはした。しかし、アランには神剣がある。
神剣といっても実際は、聖属性の魔力を内包した魔道具。それでも、あらゆる魔獣――ドラゴンの硬い竜鱗さえも斬り裂くと言われる魔法剣なのだ。
だから、ホルンケファーの亜種にも対処できると、いや、討伐できなくても追い払うか、悪くとも、牽制してる間に先遣隊を救出できると踏んでいた。
それだけの自信も、アランにはあったのだ。
だがしかし……。
現れた魔人が放つ禍々しい瘴気に、その自信は打ち砕かれた。中でも一際大きい群れの先頭に立つ魔人――圧倒的な力の波動を放ち、アランをして、後退り剣を向けるのを躊躇わすほど。
それでもアランは神剣を抜き、自分の心に渦巻く不安と恐れを振り払う。そして、己を奮起させ声高に叫ぶのだ。
「見よ! 我らには、地に蔓延る邪悪な存在を討ち払う、天空神の加護がある!」
天に向かって掲げる神剣が、聖なる光を放つ。
「おおぉ!」
呼応する兵士たちの闘気が迸る。
――魔人どもめ、そう容易くやられはせぬぞ!
アランたちと魔人が暫し睨み合う。
神剣が眩く光を放ち、兵士たちの士気が高まる。緊張が最高潮に達し、アランが戦いの開始を告げようとした時――。
「ア、アラン様、あれを!」
兵士のひとりが、樹林の向こうを指差した。
――あれは?
そこに現れたのは新たな魔獣。体長が5トロン(メートル)は越える巨大な漆黒の魔狼。見るからに狂暴なその姿は、目の前にいる魔人以上の禍々しい存在感を放つ。びりびりと伝わる力の波動。それが、魔人よりも更に危険だと教えるのだ。
そして……。
――馬鹿な……なんだこれは。
脚が、膝が、全身がガクガクと震え出す。
――あれは人なのか?
魔狼に跨がる人族の子供のように見える姿。
しかし、額から伸びる角が人族では有り得ない。漆黒の頭髪に、見慣れぬ奇異な衣装を身に纏う。透き通るような白い肌が、真っ黒な魔獣や頭髪から浮かび上がり、逆に妖しさを感じさせる。
周りを睥睨するが如く眺め回し、恐怖を放射しているのだ。
周囲の全てが動きを止め凍り付く。時すら凍り付かせたかのように……。
――これは威圧……邪眼!?
神話に語られる魔界の主たる魔王は、邪眼をよく使うと言う。まさか……。
アランの全身からどっと汗が吹き出す。
「見るな!」
アランが叫ぶ。だが、時すでに遅し。兵士たちも体を震わせ腰砕けに後退り、中にはぺたりと尻餅をつく者までいる始末。
「恐れるな! 構えを解くな!」
アランがいくら叱咤しても、一度崩れた士気は戻って来ない。
新たに現れた魔物に、完全に射竦められていた。
――くっ、高めた士気が……おのれぇ。
アランには、もはやどうする事も出来なかったのだ。
そして、アランたちの構えが崩れたのを見越したかのように、その魔物が聞き慣れぬ言葉で号令を発した。
途端に、「ギチギチ」と耳障りな鳴き声を奏で襲い来る魔人の群れ。
「怯むな! 矢を放て! 構えを崩すな!」
力の限り叫び、態勢を整えようとするアラン。しかし、兵士たちは恐れ慄き浮き足立つと、まるで統制の欠いた攻撃を繰り出す。
力なく放たれた矢は、魔人たちに掠り傷ひとつ負わせる事もなく弾かれ、散発的に放たれる、魔力を含んだ火球はあっさりと躱される。
あまりにも精彩を欠いた攻撃に、アランは歯噛みする思いで眺めていた。
本来は放った矢と前面に押し出した盾で牽制し、その隙に魔法を撃ち込む積りだった。
しかし、もう遅い。魔人の群れは、すでに目前にまで迫っているのだ。
「来るぞぉ! 盾を構えろぉ!」
それでも諦めず、アランはもう一度、声を枯らして兵士たちを叱咤する。
だがそれも空しく――颶風の如く押し寄せる魔人が腕を伸ばす。その手の先にある鉤爪が、まるで紙のように盾を切り裂く。
自分たちを護るべき盾を失った兵士たちは、脆くも崩れ弾き飛ばされた。そこから始まるのは、魔人たちの蹂躙。悲鳴を上げて逃げ回る兵士たち。
もはやアラン率いる50名の兵士が組んだ陣は崩され、そこは地獄と化す。追い掛ける魔人たちが「ギチギチ」と響かせる耳障りな音が、死を誘う調べのように聞こえるアランだった。
――もはや、ここまでか……。
天を仰ぎ覚悟を決めるアラン。
――イスカル様……後は頼みますぞ。
それは死の覚悟。
元々セナ王国が滅びる時に、死に瀕していたアランを救ったのはイスカルだった。その後、「セナ王国戦にはアルガイエの領主は参加していない」と、誘ってくれたのもイスカルだったのだ。
最初はセナ王国を滅ぼした帝国内で働くのに、忸怩たる思いを抱えていた。しかしそれも、今は感謝の念に変わっているアラン。
このアルガイエの領軍には、イスカルの伝手で数多くのセナ王国の兵士が招かれていた。先に招かれていたイスカルのお陰か、セナ王国出身の兵士たちは差別される事もなく活躍の場を与えられたのだ。
アランもまた騎士団の要職に迎えられ、挙げ句に、【聖剣技】の技量が認められ『聖光教団』より神剣を賜るほどとなった。今は、アルガイエ家の当主テオドールに【聖剣技】を教えるほどの立場。
アランにとって、アルガイエ領は第二の故郷となっていたである。
――それもイスカル様や、ひいてはテオドール様のお陰。
そんな想いの強いアランにとって、ならばとやる事はひとつ。
「はあぁぁぁ……!」
気合いと共に口中から鋭い呼気が迸り、体内にある魔力を一気に高める。神剣を右肩に担ぎ、ドンッと地を削り駆け出した。
疾風と化したアランが狙うのは、新たに現れた魔獣に跨がる妖人。魔人たちを操ってるかに見えたからだ。
「うおぉぉぉ……!」
雄叫びを上げ駆けるアランの左腕が、前方へと伸ばされる。次の瞬間には、左の手のひらから連続して吐き出される光弾。それは、聖属性の魔力で練られた【聖光弾】。悪しき存在を貫く【聖剣技】の基本技にして、もっとも有用な技。
しかし――
「な、何!」
続けざまに放たれた【聖光弾】は、魔獣の纏う黒いオーラに全て阻まれ吸収されていく。
が、驚きはしたが、アランも元より【聖光弾】でどうこう出来る相手とは思っていない。今の【聖光弾】は、牽制の意味合いの方が強い。
――ならば、この神剣を直接その体に叩き込むまでよ!
アランの走る速度が更に増し、魔獣が目前に迫る。右肩に担ぐ神剣の柄を、グッと握り締める。
と、その時だった。
眼前に、フッと黒い影が過る。
「ちいぃぃ!」
舌打ちと同時に、影に向かって神剣を振るうと横っ飛びに転がった。
――キンッ!
辺りに乾いた金属音が鳴り響き、さっきまでアランがいた場所を横殴りの凶風が通り過ぎていく。
アランの前に立ち塞がったのは、先ほどまで魔人の群れの先頭にいた一際大きな魔人。
頭頂部から生える長い角をずるりと引き抜くと、それでアランの神剣を弾き、尚且つ、アランに向かって横薙ぎに振るったのだ。
アランが咄嗟に横に転がっていなかったら、その体は無惨に引き裂かれていただろう。
――あれは剣?
それは確かに剣だった。禍々しい暗黒の剣。引き抜かれた角の刀身に有るのは、びっしりと細かい牙が生える鋸状の刃。
「くっ……だが、負けぬ……負ける訳にはいかない」
立ち上がったアランが、【聖剣技】の数々を繰り出す。
「【刺突剣】【火炎斬】【雷刃破】!」
死力を尽くし、持てる最高の技で神剣を振るう。
突き、振り下ろし、横に薙ぐ。神剣の聖なる光が、空間を引き裂く。が……その悉くは弾かれ、あっさり躱される。
「馬鹿な……我が【聖剣技】が……」
驚くのは己の技が躱された事ばかりではなかった。邪悪な存在を切り裂くと言われる神剣が、全く通用していない事に衝撃を受けていたのだ。
「ギチギチギチ」
体を揺すって声を上げる魔人。それはまるで、アランを見下し嘲笑っているかのようだった。
――俺では勝てないのか。
絶望感に包まれるアラン。だが、諦める訳にはいかないのだ。
アルガイエ領は、ここから近い。このような魔人を見過ごす訳にはいかないのだ。
もし魔人たちが、アルガイエ領の街に現れたら甚大な被害をもたらすだろう。
そして何より、この場所の近くに本隊が……。
――敬愛するイスカル様、テオ様を危険に晒す訳にはいかない。
「まだ、まだあぁぁぁ!」
戦いが始まる前に走らせた伝令では、魔人の事までは本隊に伝わっていない。それでも、イスカル様なら我が意を覚り、本隊を此処より遠ざけているかも知れない。いや、それを信じて今は時間を稼ぐ。だから……。
――もっと魔力を高めるのだ!
体内にある魔力だけでなく、生命力そのものを燃やし魔力へと変えるアラン。
――俺の全てを燃やし尽くし、一撃に全てを賭ける。
全身に魔力を行き渡らせ、聖なる光を纏う。生身の体が耐えられるぎりぎりまで――いや、それを越えて。
アランの全身が強烈な光を放った。
「そおりゃあぁぁぁ!」
光の奔流と化したアランが、魔人の横をすり抜ける。それは、神速の域に達していた。
狙うのはあくまでも、魔獣の上でふんぞり返る魔王。
群れを率いていた魔人が、庇うように立ち塞がったのだ。やはり、魔獣に跨がるのは魔王に違いないとアランは確信し、【聖剣技】最強の奥義を放つ。
「喰らえぇ! 【聖光滅殺斬】!」
魔獣の傍で飛び上がるアランが、必殺の一撃を繰り出した。
が――魔獣がひょいと上げた前肢が、聖光と化したアランを受け止め地面に叩きつける。
それは、然もうるさげに、まるで羽虫を追い払うかのように前肢を動かしたのだ。
「な、何いぃぃ!」
もんどり打って、ゴロゴロと転がるアラン。片膝ついてようやく身を起こすが、全身から血流が溢れ出す。魔力を限界以上に高めたためだ。
――これでも届かぬのか……。
その時、手に持つ神剣がポキリと音を鳴らして根元から折れた。
――なっ、馬鹿な、我が神剣が……。
その音は、アランの心がへし折られる音でもあった。
がくりと肩を落とし項垂れるアラン。
唸り声と共に迫る魔獣。背後からは「ギチギチ」と音を鳴らして魔人が迫る。
それでも、アランは動けないでいた。
完全に心は折られ、生への執着そのものを手離し、己の死を甘んじて受け入れようとしていたのだ。
だが……。
――ドンッ、ドンッ、ドンッ!
突如、アランの周りで爆裂音が響き、地を抉り土煙を上げる。
数多くの火球が飛んで来ると、アランの周りに着弾していた。
――いったい、何が起きてる?
慌てて振り返ると、周囲の森から喚声を上げて現れる兵士たちが見える。それは友軍の兵士、アルガイエの領軍だった。
その先頭に立つのは――
「……あれは、イスカル様!」
驚くアランに、イスカルの怒鳴り声が届く。
「今の間に、そこから早く脱出しろ!」
周りを見渡すと、火球だけでなく数えきれないほどの矢も、魔人たちに降り注いでいた。
その矢もただの矢ではない。先端部に備わるのは鉄鏃ではなく、代わりに魔結石が赤く煌めく。それが、火炎系の魔道具『爆炎矢』だとアランには分かった。
しかし、それでもこの魔王や魔人には通用しないだろうと、アランの表情が歪む。
「イスカル様、お逃げ下さい!」
「馬鹿者! お前を置いて逃げる訳にいかぬ。テオ様からアランを連れて帰れと命じられておる!」
――なんと、テオ様が……それにイスカル様まで先陣を……ならば、ここで座して死ぬ訳にはいかぬ!
「うおぉぉぉ……!」
僅かに残る魔力を両の手のひらに集め、目の前の地面に叩きつける。
ドカッ!
地面が抉れるほどの衝撃。その反動を利用して、空中高く大きく飛び退いた。宙でくるりと一回転し、すらりと地面に降り立つアラン。
――まだ、戦える。テオ様が、イスカル様が望むなら!
拳を突き出し戦う意思を示す。
――剣が無ければ、己の手足で戦うのみ!
「俺はまだ、戦れるぞぉ!」
死力を振り絞り吠えるアラン。
しかし、アランが漆黒の魔獣、それに跨がる魔王に目を向けると、何故か急速に退いていく。魔王が未知の言葉で号令すると、魔人たちも慌てたように退いていくのだ。
――何故だ?
確かに、イスカル様を始めとした大勢の友軍が現れた。それを恐れてとは、とても考えられない。少々兵士たちの数が増えた所で、あの魔王や魔獣、魔人たちと正面に戦えると思えないからだ。
「大丈夫か、アラン!」
首を捻るアランの元に、イスカルが駆け寄って来る。だが、アランの凄惨な状態に目を剥き絶句した。
何故なら、限界を越える魔力の行使によって、全身が血に塗れ傷だらけの体だったからだ。
直ぐに神官兵を呼び寄せ、治療をさせようとするイスカル。それを、アランが手を上げ制止する。
「今は取りあえず、この場から抜け出すのが先」
「ふむ……大丈夫なのか?」
「はい、まだ何とか動けますから……」
周りでは、傷付き倒れた兵士たちを神官兵が応急手当を行い、この場から次々と運ばれていく。魔人たちにあれほど蹂躙されたはずなのに、見た限りでは、重傷者は多いが命を落とした者はいない。
まさか手加減されていたとは思えないがと、アランはまた首を捻る。
「それにしても、あの魔物は何だったのだ?」
イスカルが問い掛けながら、アランに肩を貸し二人は歩き出す。
「……魔人、或いは……」
アランは魔王と言いかけ、その先を言い淀む。
それは、アランが魔王だと感じただけで、実際は不確かな事。だから魔王だと、イスカルの前で断定するのを躊躇ったのだ。
「ふむ……魔獣ではなく魔人か。アルガイエ領の『世界樹の森』に対しての防衛その他諸々を考え直さねばならぬな」
イスカルが渋面を作り、そう言った時だった。
ドガッ!
またしても響き渡る爆裂音。しかし、今度は魔人たちが退いた方向。近隣の者から、「近寄れば祟られる」と忌み嫌われるいわく付きの地、呪われた沼からだった。
「何が……」
アランはイスカルと、思わず顔を見合わす。
「……イスカル様、テオ様は?」
「ん? 先に森から撤退……」
そこで、ハッと顔色を変え、言葉が途切れるイスカル。
「まさか!」
それは、二人が同時に叫んだのだ。
そして二人は続きの言葉を失い、その顔色は血の気が引き蒼白なものへと変わっていた。




