26.銀狼の巫女と戦乱の予感(6)
「ふむ、どう見るこれを……」
イスカルが指差すのは、森の中を通る整備された道。
「へぇ……あっしらにも何がなんだか……先月この辺りに来た時には何も無かったのですが……」
答えるのは案内人の狩人のラダ。当惑顔で返事に困っていた。
イスカルたちアルガイエ家の領軍は、獣人族の密使捕縛に向かった騎士アランからの報せを待ちつつ、ゆっくり軍を進ませていた。だが、森の中に突如現れた整地された道に警戒を強め、更に行軍速度は鈍っていたのだ。
「ふむ……では、この先には何がある」
「……へぇ、この先には沼と廃墟になった塔が……」
鋭い眼差しを向けるイスカルに、びくりと怯えた表情を見せ言い淀むラダ。
「ん……何か有るのか?」
「イスカル様は何もご存知ないので?」
「…………あぁ、あの話か」
ラダが何を言いたいのか、ようやく思いあたりイスカルは顔をしかめた。
――呪われた沼か。
イスカルが、先代のアルガイエ伯爵に招かれたのは20年前。それまでは、この地より遠く離れた西方、現在は帝国内に組み込まれセナ州と呼ばれる場所の出身。アルガイエ領に招かれてから、聞き齧った程度の事しか知らないイスカルである。50年前に、この地で起きた戦い自体が他人事のように感じてしまうのだ。
――確か、『真なる冥闇』と呼ばれる邪宗の教団。その教祖が信徒を集め、この地で騒乱を起こしたと聞いていたが……それも50年も前の話。今は教団自体が、この大陸には存在しないはず。
思い出したものの、イスカルにとっては産まれてすぐの頃にあった戦い。激戦であったのかも知れないが、過ぎ去った昔の戦いにすぎない。だから、怯えの表情を見せるラダが不思議で仕方ないのだ。
「既に過去の事。今さら何を恐れる必要がある」
「……へぇ、ですが、近寄る者は祟られるとの噂がありまして、あっしらも滅多な事では近付かないようにしてますので……」
イスカルには、それこそ笑止な話である。元は帝国に滅ぼされたセナ王国の将。若い頃には、悲惨な戦場を何度も見てきているのだ。
確かに、激戦となった戦場跡地では、呪われ不浄の地になったとの噂をよく聞く。しかし、所詮はまやかしに過ぎないものが殆どだ。仮に、アンデッド系の魔物が出没したとしても、多少は骨はおれるものの剣で倒す事も可能。そして何よりも、そのために神官兵も従軍しているのだ。
そこまで考え、イスカルは改めて整地された道に目を向ける。
――しかし……。
その噂を利用して、何者かが此処に拠点を築こうとしているのかも知れない。いや、噂自体がその何者かが、拠点造りのために流しているのかも知れないと、イスカルは考える。
――そうなると、事は重大。
ここは、アルガイエ領からは目と鼻の先。もし、何者かが――そこで、ハッとイスカルは気付く。
――もしやすると、すでに獣人族と森人族の密約は成っているのでは。
その想像に、イスカルは背筋をゾッと寒くする。何故なら、もしすでに獣人族と森人族が手を結びここに拠点を築いているのであれば、真っ先に狙われるのはアルガイエ領。しかも今回の探索には、アルガイエ家の現当主テオドールまで同行しているのだ。
イスカルが青くなるのも当然だった。
――まずい……すぐにテオ様を避難させねば。
一族の後継争いを制して、テオドールが当主の座に就いたのは5年前。今、当主のテオドールが倒れると、またぞろ一族の内紛が再燃しかねない。そこを獣人族と森人族の連合につかれると、アルガイエ領は一気に瓦解するだろう。そして何よりも、テオドールはイスカルが第二の人生をかけて教え導いた現当主。もはや、己の全てに等しい。このような場所で失う事など、考えるだけでも耐え難いのだ。
イスカルは慌てたように周りの兵士たちを見渡し、テオドールがいるはずの後方に目を向ける。
すると――。
「イル、なぜ速度を緩める。もっと皆を急がせろ」
当のテオドールが、傍まで歩み寄って来るところだった。
「テオ様こそ、何故ここに?」
ここは、森を進む領軍の先鋒。テオドールは、後方で兵士たちに厚く護られているはずだった。
イスカルが、傍らに付き従う側近の騎士たちに目を向けると、ばつが悪そうに目を伏せ顔を背けた。
「そう睨むな、イル」
「ここは危険な森の中。直ぐに後方にお戻りください」
「はは、何が危険な森だ。ここ数日は何事もなく、代わり映えのしない森の中をただ歩いてるだけではないか。それより、どうなのだ。アランからの報せはまだなのか?」
どうやらテオドールは、未だ自らが獣人族の密使を捕らえたいとの思いが強いようだった。だから先鋒にまで足を運んだのだと、イスカルには見て取れたのだ。
――今のテオ様に、この先に敵の拠点が有るかもと、お知らせするのは危険だ。
それこそ、勇躍して突撃しそうな危うさを感じてしまう。だから、どうやって森の外まで引き返させようか、頭を悩ますイスカルだった。
と、そこに、辺りを警戒していた兵士が声を上げる。
「テオドール様、イスカル様、伝令の兵が戻ってまいります」
その声に、皆が今いる謎の道の前方に目を向けた。
確かに、視線の先で此方に駆け寄って来るその兵士は、アランと共に送り出した兵士だった。
「おぉ、遂に密使を発見したか」
テオドールは単純に喜ぶが、イスカルは渋い顔でそれに釘を刺す。
「まだ、分かりませんぞ。それに、密使も一組とは限りませんから。もし捕らえたなら、その者を訊問し全容を確かめるのが先。安心するのは、それからでございます」
「イルは、相変わらずの心配性だなぁ」
からからと陽気に笑うテオドールの声を聞きながら、イスカルは駆け寄る兵士を眺め眉間に皺を刻む。
駆け寄って来る兵士は、全身を金属製の鎧で包まれている。かなりの重量のはずなのに、それを感じさせない駆け足。それは、イスカルがアルガイエ領に招かれてから20年。鍛えに鍛えてきたアルガイエ領軍の精鋭兵士だからだ。
ここにいる兵士たちは例えドラゴンと相対しても、そうそう引けを取らないとイスカルが自負する精鋭兵士たち。
鍛えぬかれた兵士に満足を覚えつつ、不吉な報せでなければ良いがと思うイスカルだった。
だが――テオドールの前で片膝を突く兵士は、さすがに駆け通しだったのだろう。しばらく、荒い呼吸を繰り返し息を整える。そして、皆の予想だにしない報告をしたのだ。
「テオドール様に、ご報告申し上げます」
「良い、堅苦しい挨拶はなしに、早く申せ」
「はい、それでは申し上げます。アラン様と我らが駆け付けた所、すでに先遣隊は数人の獣人を捕捉し、戦闘にて手傷を負わせ――」
「おおぉぉぉ……」
伝令の言葉に、テオドールやイスカルを始め、周りにいる騎士や兵士まで響めく。
「それで捕縛したのか!」
勢い込んで尋ねるテオドールに、困惑した顔を向け続きを話す伝令の兵士。
「いえ、捕縛には至らず」
「なに! 逃がしたのか!」
「まぁまぁ、テオ様。最後まで報告を聞いてからお尋ね下さい」
気が急くあまり報告の途中で、矢継ぎ早に問い掛けるテオドール。それを見かねたイスカルが間に入った。
「……うむ。では申せ」
「はっ、……捕縛には至らず、突如現れた魔獣の群れに襲われ先遣隊は潰滅。現在、アラン様は先遣隊救出のため魔獣と睨み合ってる状態でございます。何卒、新たな兵士の増援を……」
それは、密使捕縛に向かった騎士アランからの援軍の要請だった。
「な、何! 魔獣の群れだと………どうする、イル」
まだ経験の少ないテオドールは、どうして良いか分からずイスカルを見詰めてしまう。
「……そうですな」
イスカルが眉を寄せ、伝令の兵に顔を向けた。
「その魔獣とは、どのような?」
「確かな事は分かりませぬが、ホルンケファーの亜種かと」
「なに、亜種だと……群れと言うからには数も多いのか?」
「見た限りでは、20を軽く越えるかと……」
「……ホルンケファーの亜種が20匹以上……」
驚きのあまり目を見張るイスカル。
それは当然の事だった。ホルンケファーは、通常の武器では傷を負わせるのは難しいと言われる防御に特化した魔獣。そして、もっとも厄介なのは、その飛翔能力。
討伐するにはそれなりの用意――例えば、投石機やバリスタなどを持ち出すか、或いは魔力の込められた魔道具か魔法兵で討伐を行うしかない。
その際でも、完全武装の兵士が十人以上で取り囲み牽制し、その間に魔道具なり魔法でとどめを刺すのが定石とされていた。だがそれも、飛翔されるとそれまでなのだが。
しかも、能力が数段は上がる亜種の上に、数が20以上となるとかなり厳しい。元来大人しいはずのホルンケファーが先遣隊を襲ったのも、狂暴性の増す亜種だからなのだろう。
そこまで考え、イスカルは断を下す。
「テオ様、ここは一旦退却の指示をお願いします」
「な、何を言っている、イル! 本気か!」
驚きの声をあげるテオドール。まさか、退却を示唆するとは思っていなかった。テオドールは、どのような作戦をとれば良いのか聞いた積りだったのだ。
「テオ様を、これ以上危険にさらす訳にはいきません」
イスカルとしては、自分が鍛えあげた兵士たちが、そうそう敗退するとは思っていない。だが、今回は想定外のホルンケファーの亜種の登場。魔道具などの装備も不十分な上にこの地の情報も乏しい。たとえ討伐できたとしても、此方が受ける損害を考えると撤退が最善の手だと思えた。
そして何よりも、イスカルにとっては、テオドールの安全こそが第一なのだ。
それに、伝説の種族でもある森人族の事も気になるイスカルであった。
数ある人族の中でも、格段に豊富な魔力を身に宿すと言われる森人族。森の奥深くに隠れ、外界とは一切の交流をもとうとしない。数年に一度、森の外縁部でたまに村人などが姿を見かけると報告が上がるだけなのだ。
伝説では、大地に大穴を穿ち山を削ると言われるが、実際には誰もその魔術の力を見た者はいない。
もしかすると、そのホルンケファーの亜種の群れも、森人族が操り嗾けているのではと、イスカルは警戒していた。
――アランには悪いが。
いや、アランもそれが分かっているから、狼煙の合図ではなく伝令を送って寄越したのでは考えてしまう。
狼煙では危険が伝わらず、兵士たちの手前、自分たちを見捨てて逃げろとも言えず、だから伝令に詳細を伝えさせたのではと、そんな穿った考えまで思い浮かべるイスカルだった。
――さて、後はテオ様をどう説得するかが問題なのだが。
それが、イスカルの一番の悩みであった。
そのテオドールなのだが――イスカルの助言に一瞬呆けた表情を見せるが、次の瞬間には険しい表情に変わり激しく詰問する。
「馬鹿な……イル、お前はアランや兵士たちを見捨てろと言うつもりか!?」
「御意に。彼ら、アランにしても、騎士となったその日から覚悟もできておりましょう」
「アランは、お前が見付けてきた俺の剣の師でもあるのだぞ。それを見捨てろと……」
「その通りでございます。時には少数を切り捨ててでも、軍全体の安全を図る。その切り捨てる者が、何者であろうとも。それが軍の上に立つ者、将の覚悟でございます」
「馬鹿な…………それが、イルお前でもか」
「当然でございますな」
「……」
「さぁ、撤退のご指示を」
「で、できる訳がない! 今回はたとえお前の助言でも聞き入れる訳にはいかぬ。お前がいくら反対しても、援軍に向かうぞ。俺がこの軍の主、アルガイエ伯爵なのだから!」
「ふふ、テオ様も立派になられた……ですが、困りましたな」
将らしい覇気を見せるテオドールに、笑みを浮かべるイスカル。
「では、こうしましょう。わたしが軍の一部を率いアランたちの救出に向かいますので、テオ様は引き返してください」
「なっ……」
「わたしもこれ以上の譲歩はできませんぞ。テオ様は、アルガイエ家の当主。誰も代わりはできないのですぞ」
「…………わ、分かった。だが、必ずアランたちを救出して参れ」
「御意に……」
これが、テオドールをどう説得するか悩んでいたイスカルの落としどころだった。イスカルも最初からアランや兵士たちを見捨てる積もりなどなかった。自らが一隊を率いて、ホルンケファーの亜種の討伐は無理としても、アランの救出には向かいたいとは思っていた。
アランはセナ王国時代からの知り合いであり、イスカル自身が呼び寄せテオドールの剣の師へと抜擢したのである。テオドールの股肱の臣であると同時に、イスカルもまた片腕とも頼む人物なのだ。
また、イスカル自身の夢のためにも必要不可欠な存在であり、このような場所で、しかも魔獣の討伐において失うには、あまりにも惜しい人物なのである。
とはいうものの、この場で最も大事なのは主君であるテオドールの安全。そこで血気に逸るテオドールを宥め説得するために、一計を案じたのが今の問答であったのだ。
しかし、
――もう少し、テオ様もごねるかと思っていたが……。
と、イスカルは少し拍子抜けすると共に、そこに一抹の不安を覚える。
だが、今は時間的な余裕もない。不安に感じる気持ちを振り払い、テオドールが心変わりする前にと、素早く周りの兵士たちに指示を出す。
「ヨハン、マルク。テオ様の事を頼んだぞ!」
「はっ、この命にかえましても!」
イスカルはテオドールの傍に立つ騎士に声をかけると、300あまりの兵士たちを引き連れアランたちの元へ向かうのであった。
それを、大人しく見送っていたかに見えたテオドールだったが……。
「お前、ラダと名乗っていたか」
テオドールが声をかけた相手は、イスカルとのやり取りをしてる間、近くでずっと額を地面に押し付け跪いていた狩人のラダ。
「へ、へえぇ!」
飛び上がらんばかりに仰天して返事をする。
「この辺りに詳しいのであったな」
「……へぇ、この辺りがあっしらの狩猟場でごぜえますので……」
領主であるアルガイエ伯爵が声をかけたのだ。ラダは額を地面に擦り付けたまま、緊張するあまり返事する声は震えてさえいた。
「では、案内しろ」
「えっと……何処にでごぜぇますか?」
「決まっているであろう、この先に。この道を通らず、迂回して沼に行けるように案内しろ!」
「テ、テオ様!」
驚いたのは、傍にいたヨハンとマルクの騎士ふたり。今さっき、イスカルに頼むと言われたばかりなのである。
慌ててテオドールを止めようとするが――
「うるさい! 俺がアルガイエ家の当主だぞ。どうするかは、俺が決める!」
怒声を発するテオドールを止められる者は、この場にはいなかった。
「俺が魔獣を討伐し、人真似の獣も捕縛して、イルを驚かしてやるのだ」
それは若武者らしい無茶な振るまいというよりは、イスカルに早く一人前と認められたいとの思いの現れだったのかも知れない。




