24.銀狼の巫女と戦乱の予感(4)
遅くなりすいません。
連日の猛暑に、呆けてしまい投稿するのを忘れてました。
今回も、主人公視点ではありません。
帝国側の話を少し。
鬱蒼と生い茂る森の中を、多数の兵士達が散開し行軍していた。辺りに鳴り響くのは、兵士達の剣帯と鎧がガチャガチャと擦れる耳障りな音と、草木の枝葉を斬り払う音のみであった。
「ふむ、面妖な……」
兵士たちの後ろを進むイスカルが、顔をしかめて呟く。と、その横で案内に立つ狩人がビクリと体を震わせた。
それもそのはずで――イスカルは歳こそ50を過ぎているが、年齢を感じさせないがっしりした体格。短く刈り込まれた白髪混じりの茶色い頭髪などが、軍事一筋に生きてきたのを窺わせる。角張った顎の線が意思の強さを、眉間に深く刻まれた皺が気難しさを示していた。そして、周りにいる兵士たちに指図する立場でもあるのだ。
案内人の狩人が腰を低くし、諂いとも戸惑いとも取れる表情を浮かべ、イスカルを見詰める。
それに気付いたイスカルが、片眉をピクリと動かした。
「別に、お前に問題があるのではない」
「へぇ……」
愛想笑いを浮かべ、ぺこりとお辞儀をする狩人。しかし、その狩人も、どこか浮かない顔で周囲を見渡していた。
ここは『世界樹の森』と呼ばれる場所。その南の外縁部とはいえ、魔獣どころか普通の鳥獣すら見掛けない。外縁部を狩猟場にしている狩人も、「こんな事は初めてだ」と不思議がり首を捻っていた。
その様子に、何か不測の事態が起きているのではと、イスカルはまた不安を覚えてしまうのである。
と、その時――。
「イル! イルはどこに行った?」
後方から苛立ち混じりではあるが、若者らしい張りのある声が聞こえてくる。その声の持ち主は、イスカルの主人でもあるアルガイエ伯爵家の当主テオドール。
一瞬、顔を曇らせるものの、直ぐ様、後方へと取って返すイスカルであった。
「テオ様、ここにおります」
「おぉ、イル。一体どうなっておる。まだ見付からんのか」
主人であるテオドール・アルガイエは、まだ二十歳そこそこ。流れるような鮮やかな金髪に、すらりとした体形。名門貴族の当主らしく、目元は涼やかに容姿も端麗。身に纏う煌びやかな白銀の鎧が、森の緑に良く映える。
だが今は、その涼やかな目容に、慍色を浮かべていた。
その様子から主の不機嫌さ、最早うんざりだとの心情が、手に取るように分かるイスカルだった。
「はっ、未だ姿を捉えておりませぬ」
「むむむ、何とかせよ!」
怒鳴るように無茶を言うと、右手で側頭部を掻き毟る。それは癇癪を起こす前の、テオドールが幼き頃からの癖だった。その事をイスカルは見知っていた。
だから、素早くテオドールに駆け寄ると、周りには聞こえぬように小さな声で囁く。
「テオ様、周りには家臣たちの目がございます。何卒、ご辛抱のほどを」
「む……分かっておる。もはや、子供ではないわ!」
「はっ、これは差し出がましい事を申しました」
イスカルが慣れた様子で頭を下げると、テオドールも少し落ち着く。それもイスカルには分かっていた。
いつもの日常的なやり取り。テオドールの周りを警護のために固める兵士たちも、それが分かっているからか、素知らぬ振りで周りに注意を向けている。
それら兵士たちを満足そうにチラリと眺めた後、イスカルは眉間に皺を寄せテオドールに顔を向けた。そして、口を開こうと――しかし、先にテオドールが口を開く。
「分かっておる。何が言いたいか。アルガイエ家の当主らしく、毅然とした態度を示せと言いたいのであろう」
「……その通りでございます。分かって頂いているのであれば、何も申しません」
イスカルが僅かに頬を緩め笑みを浮かべた。
主従であるはずのテオドールとイスカルが、このように気安く会話をするのには訳があった。
イスカルは、元々が帝国の出身ではない。今より20年前、帝国によって滅ぼされたセナ王国の将軍であったのだ。その時は亡び行く国に殉じようとしていたイスカルだったが、先代のアルガイエ伯爵がその文武の才を惜しみ、家臣へと拾い上げようとしたのである。
最初こそ固辞していたイスカルであったが、何度も懇切に口説く先代伯爵に心を動かされ、渋々ながら最後には受け入れ頷いたのだった。
だが、仮にもイスカルは、滅びたとはいえ敵国の将。当初は領軍の末端で軍務に就ければと、イスカルは軽く考えていた。しかし、先代伯爵は周囲の反対を押しきり、イスカルを思いもかけぬ役職へと登用したのである。それはあろう事か、産まれたばかりだった伯爵家嫡男、テオドールの傅役への大抜擢だった。
アルガイエ伯爵家は帝国内でも、4大貴族と称される名門。広大な領地を持ち、数多い貴族の中でも屈指の大領主である。
そこに、新参、しかも敵国の将だった男。そのイスカルに次代を担う嫡男を預けるとは、それだけ惚れ込み並々ならぬ信頼を寄せたと言えるだろう。
イスカルは驚きと同時に、感動すら覚えたのであった。
それ以来20年。その信頼に応えるためテオドールを教え導き、アルガイエ伯爵家を支え、それこそ粉骨砕身、全身全霊を傾け働いてきたのである。
5年前に先代伯爵が病を患い身罷った時も、嫡子のテオドールが領地を治めるにはまだ若いと、一族内で大いに揉めた。その内紛を上手く納め、テオドールを次代の当主へと押し上げたのも、イスカルの手腕があっての事だった。
幼き頃より手塩にかけ育てた、若き伯爵家当主テオドール。立派な領主に成長したと、イスカルは思っていた……のだが。
「下等な獣風情が、我ら人に余計な手間を掛けさせおる。あのような、人に成りきれぬ獣など根絶やしにすれば良いのだ」
「テオ様、獣人族もまた人ですぞ」
「イル、何を言ってるのだ。5年前、帝国の法によって、人ではないと定められたではないか」
――やはりテオ様は……。
反獣人主義の思想に、染まってしまったと思うほかなかった。これまで偏った考えにとらわれぬようにと気を配ってきた積りだったがと、忸怩たる思いが込み上げるイスカルであった。
イスカルにとって、5年前に帝国が掲げた『反獣人政策』は、不快に思い受け入れがたいものだった。若い頃に暮らしたゼナ王国は獣人に対して寛容であり、イスカル自身も勇猛な獣人戦士たちに武人として敬意すら払っていたからだ。
それに、帝国の今ある広大な版図も、獣人戦士たちの協力があってこそのものだとも考えていた。だが、強大な国へと変わると、もうお前たちの助けは要らぬとばかりの手のひら返し。それが、帝国の手酷い裏切りとしか、イスカルには思えないのだ。
――それにしても、テオ様はいつから選民思想に取り憑かれたのか?
幼き頃より領主の責任と義務を説き、貴族の模範となる立派な人物に成るようにと教え導いた積りであった。
目の前で、獣人族への愚劣な誹謗を繰り返すテオドールに、何故との思いが募るイスカルであった。
――やはりあの男が。
ここ数年で、テオドールが変わったのはある人物と親しくなってからだと、イスカルは考えていた。
イスカルが脳裏に思い描くその人物とは、帝国に五人いる執政官のひとり。政務を司る内務卿ゴズラ・ヴォルフガング。
ヴォルフガング家は、元は小さな領地しか持たぬ子爵家だった。それが、現当主のゴズラが跡を継ぐと、あれよあれよという間に中央政府内で昇進を重ね、現在はアルガイエ家と同じ伯爵位を戴く。その上、病に倒れるまで先代のアルガイエ伯爵が務めていた内務卿の席に、ゴズラ・ヴォルフガングが座ったのである。
名門意識の強い帝国貴族界では異例の事。有り得ぬ事なのだ。
5年前に、帝国の政策を反獣人に転換させたのも、ヴォルフガング家が強く後押ししたからだと言われている。
帝国貴族院に、隠然たる勢力を築いているといわれるヴォルフガング家。
――裏に何かがある。
イスカルだけでなく、誰もがそう考えるのは当然だったろう。
裏で権謀術数の限りを尽くすゴズラ・ヴォルフガングに、まだ若い主のテオドールが毒されているのではと、イスカルは心配だったのだ。
今回の件も、獣人族の密使が森人族の元に向かったとの報せを受け、それを阻止するためにアルガイエ家の領軍を動かしていた。その際に、内務卿から大分に焚き付けられたと感じられた。
そのお陰で、当主自らが捕縛に向かうといった軽はずみな行動に出ているのだ。というのも、先日行われた獣人族との会戦では、当主たるテオドールは勿論、アルガイエ家の領軍でさえ参加していない。
それは、現在の探索を行っている『世界樹の森』の南に、領地が接していたからだ。『世界樹の森』の奥深く、深層部には森林族の都が隠されていると言われ、それに備えるために昔からアルガイエ家の領軍は滅多に動かさないのである。
まだ若いテオドールは、その事に不満を持っていた。血気盛んな若者らしく、戦場で華々しく手柄を立てたいと思うのは当然のこと。
だから、内務卿に上手く乗せられ、自らが探索及び捕縛に出向いたのだ。
イスカルも当然、最初は当主が出向く事に危険だと反対したものの、最後には押しきられ認めたのである。
それは……。
――別に、戦地に赴くわけでもあるまい。
相手は手練れの獣人族といっても、密使の任に就く数人の獣人。危険も少ないだろうと考えてのことだった。
獣人族に同情はするが、戦いとなると話しは別。イスカルも根っからの武人。相手が誰であろうと、手心を加える積りなどない。逆に、若い主の良い経験になると思っていたのである。
――しかし、今回は上手く乗せられたが、内務卿には何か思惑があるのかも知れぬ。テオ様にも、一度釘を刺しておく必要がある。
イスカルが複雑な思いを抱え、主であるテオドールや周りの森を見渡していると――。
「あちらに狼煙が!」
周囲を警戒する兵士から、叫び声が上がったのだ。
「おぉ、遂に発見したか!」
テオドールが喜色混じりの声を上げた。が、直ぐにイスカルが冷静に訂正する。
「テオ様、よくご覧ください。あの狼煙には色がついておりませんぞ」
アルガイエ家の領軍では、狼煙に染粉を混ぜることで色をつけ、情報の重要性を段階的に別けているのだ。
赤なら危険。青なら問題なし。敵発見の場合なら黄色といった具合にだ。
しかし、今回の狼煙は灰色。情報の重要性では、低い方なのである。
「おそらく、先遣隊が何らかの痕跡を発見したのでしょう」
「む……それぐらい分かっておる! だが、何かを発見したのは確かだろう。急ぐぞ、イル!」
逸る気持ちが抑えられず、走り出そうとするテオドールをイスカルが慌てて止める。
「将たるもの、軽々しく動くものではございませぬ」
「……いや、しかし」
「まだ、獣人たちの痕跡発見と決まった訳でもありません。ここは次報を待ち、将らしくじっくり悠然と構えてください」
イスカルはテオドールを押し止めながら、周囲の兵に矢継ぎ早に指示を出していく。
「騎士たちは、テオ様の周りを固めろ! 周囲に放っている斥候兵の数を増やせ! あと魔法兵と神官兵は、対物理、魔法障壁の準備を!」
周囲の兵士たちが、イスカルの指示に慌ただしく動き出す。
「イル、相手は人真似の獣が数匹だろう。少し大仰ではないか」
「ですが、ここは外縁部とはいえ『世界樹の森』の中には違いありません。何があるか分かりませんから」
「ふん、森林族か。だが、あの亜人共も、ここ数十年は森の奥から出てこぬのであろう?」
「そうでは有りますが、いつ何時も、備えを怠ってはいけません。常に有事に備えるのも、将に立つ者の務め」
イスカルは、これ幸いと将軍として培ってきた経験を実地で見せ、心構え等を教え諭しているのだが、テオドールはどこか不満顔だった。
それを横目に見ながらイスカルは、集まってきた騎士たちに顔を向ける。
「騎士アラン、テオ様の御前に!」
「はっ!」
イスカルの呼び掛けに、ひとりの偉丈夫が前に進み出る。
アランと呼ばれたその騎士は、他の騎士とは違い白銀のミスリル製の鎧を身に纏う。そして、同じミスリルの兜を小脇に抱え、テオドールの前に片膝を突いて頭を垂れた。
「それではテオ様。騎士アランに、獣人捕縛の命令を」
「……我も一緒に」
「駄目でございます」
テオドールの言葉を即座に否定するイスカル。
「……分かった分かった。そう睨むな、イル」
肩を竦めたテオドールが、改めて騎士アランに顔を向ける。
「では、騎士アラン。兵士一隊を率い先遣隊に合流せよ。敵を発見したなら直ちに捕縛せよ! もし抵抗するようであれば、その生死は問わぬ」
「はっ、この神剣に掛け必ずや!」
騎士アランが、腰にある剣を手に取り声高に誓う。
アランが持つ神剣。それは大陸全土に根を張る『聖光教団』が、これはと見込んだ騎士に下賜する剣。刀身に聖なる光を宿し、如何なる邪も斬り裂くといわれる剣である。
立ち上がったアランが、50名ほどの兵士を引き連れ、急ぎ足で本隊から離れていく。
その後を追い掛けるようにして、アルガイエ家の領軍がゆっくりと進む。
その数は500を越える。中には、生え抜きの騎士や魔法兵が数多く含まれていた。




