23.銀狼の巫女と戦乱の予感(3)
「ぬお? あれは……」
ユキが造った広場に、人影らしきものが見えた。
「あっ! ちょっ、ちょっとユキ! ストップストップ……止まってえぇぇ!」
「バウ?」
返事はすれど、一向に速度を緩める気配もない。もはや怒りの暴走車と化したユキを、誰も止めるすべを持たない……って、馬鹿な事を考えてる場合じゃない。
焦って変な事を考えたけど、これって、初めての異世界人との遭遇。ファーストコンタクトな訳で……お、俺の身だしなみは大丈夫だよな。
自分の服装を眺め――田中と大きく名前の縫い付けられた紺色のジャージが、そこにはあった。
……忘れてたよ。
俺って、まだ体操着のまんまだ。
これでは失礼に……いやいやまて待て、あいつらは俺の果樹園に火をつけ…………ん?
よく考えたら、俺の果樹園って訳でもない。勝手に俺がそう思い込んでただけで……あ、ちゃんと持ち主がいて、俺たちが勝手に占拠してるだけかも。
不味いぞ、そうなると非常に不味い。この世界に来て、いきなりお尋ね者になる可能性もある。
俺が混乱してる間にユキは広場に達し、異世界人の前で速度を落とした。広場では既に、ウチの河童たちが異世界人たちを取り囲んでいた。
「おぉい! まだ事情が分からないから、一応は丁重に扱えよ」
河童たちに声をかけると、「ケロケロ」返事はするけど、本当に分かってんのかよ。
未だに、河童たちの言葉は分からない。俺の言ってる事は、何となく分かってくれてるようだけど……ユキとかは普通に会話してたのに。
俺が会話できるのはゲロゲーロだけ……何だかなぁ。理不尽に感じるのは何故だろう。
しかし、この異世界人は……あれは、ケモ耳? ってか、まんま犬ぽい顔をしてる。きちんと服を着てるし、人だと思うんだけどなぁ。
「うぅぅん……あ、コボルト?」
異世界ファンタジーでは定番の生き物。そんな事を考えていると、【叡智の指輪】の声が頭の中で響く。
『彼ラハ、コノ世界デ暮ラス獣人族デス』
えっ……そうなの?
獣人って、もっとこう……元の世界のラノベやアニメみたいに、人の姿に獣の耳と尻尾が生えたのを想像してたよ。でもこいつらは普通に、二足歩行の獣に見える。相変わらず、この世界は俺の期待を裏切るね。
「俺が前にいた世界の人間みたいなのもいるんだろ?」
【叡智の指輪】に聞いてみると、
『ソレハ普人族ト呼バレル人族デス』
そうなの。普人族って……あ、ゲロゲーロが言ってた、沼で実験や召喚をしようとしてた連中かぁ。やっぱ、好戦的で野蛮な連中なのかねぇ。文明人の俺としては、出会うのが嫌になってくるよ。
それにしても、これだけ種族の見た目が違うのに、この世界の人たちは仲良くしてるのだろうか?
元いた世界、地球だと肌の色が違うだけで差別とかあったけど。この世界だと、どうなのだろう。
そんな事を考えてると、異世界人が俺を指差し何か叫んでいた。
「$%&♯※*……」
うん、なに言ってるか分からん。
ま、当然といえば当然なんだけど。ほら、ラノベとかだったら普通に日本語が通用したりする訳で……いや、分かってたよ。ゲロゲーロのスキルでは、日本語が神言語ってなってたからね。そう、分かってたよ…………くぅ、悔しい。ちょっとだけ期待してたのにいぃぃぃ……。
「グルウゥゥ……!」
ユキが唸り声を上げると、異世界人たちはたちまち大人しくなった。
「ユキ、あまり脅かしたら駄目だよ。ほら、震えてるじゃないか。それと、お前たちもな」
ユキと河童たちに釘をさしておく。まだ、事情が分からないからだ。
さてと、どうするかな。よく見ると、怪我をしてるようだし。最初は河童たちが何かしたのかと思ったけど、近寄ると中の一匹は――あ、一応は人だから、この場合はひとりか。
とにかく矢のような物が数本、体に刺さっていた。
ということは、こいつらと争っていた連中がいる訳で――俺は果樹園の方に目を向ける。
塔から眺めた時に上がっていた火の手は、既に鎮火していた。
と、その時……。
――ドオォォン!
鈍い轟音が響き地が揺れる。
果樹園でまた火柱が立ったのだ。
「……爆発? あ、キングたちか!」
何者かと争っているのか?
こいつらの仲間が、まだいるのか。どうする?
ここを任せる者が……ゲロゲーロは何処に行った?
塔を振り返ると、まだ遠くに――塔の入り口から出た小道の上で、ゲロゲーロとギョーの二人が、此方に向かってヨタヨタ走っていた。
――遅っ!
……っていうか、お前ら何で走ってんだよ。沼の中を泳いで来いよ、馬鹿!
本当に、この凸凹お笑いコンビだけは……頭が痛くなってくるよ、ホントに。
「ちいぃ、あいつらを待ってられん! おい、ゲロゲーロが……あ、違った。今はサンペイだったな……ややこしいなもう。とにかく、サンペイが来たらここは任せたと伝えておけ!」
周りにいる河童たちに、獣人を逃がすなとだけ指示を出し果樹園に向かう事にする。
「ユキ、行くぞ!」
「ガウ!」
ユキが走り出し離れる時、振り返ると獣人のひとりと目が合った。途端に獣人が引っくり返る。
何だよ、失礼なやつだな。やっぱり、この角のせいでびっくりしてるのかなぁ。そんな事を思いつつ、【神眼】を使ってみる。
ステータス
名前 :アリス・リュミエール
種族 :銀狼族
職業 :銀狼の巫女
これだけが分かった。
あれ、犬だと思ったら狼だったよ。ユキの時もだったけど……ホントに狼と犬って、見分けがつかないよな。
てか、同じ犬科だから一緒みたいなもんだろ。違うのか。
まあ、良いか……あ、巫女ってなってる。ということは、雌? あっと、女性なのか。犬みたいな顔だから性別もよく分からんよ。
けど、やっぱりこの世界の人たちは、好戦的で野蛮なんだなぁ。【叡智の指輪】も、地球の中世の頃に近い政治体系だとか言ってたし。文明レベルも低いんだろうなぁ。この世界の人たちと出会うのが嫌になるよ。
俺はことなかれ主義の典型的な日本人。争い事に、うんざりしながら果樹園へと向かっていた。
◆
離れていく魔獣とそれに跨がる魔王に、ホッと安堵した。そして、冷や汗が、どっと流れ出る。
傍らにいるツバイたちは、まるで魂が抜かれたようにだらしなく呆けていた。あの歴戦の勇士のツバイたちがだ。
それは無理のないものかも知れない。あの魔王が撒き散らす恐怖は、それほどのものだった。
私は巫女して、それだけの精神修行をしていたので何とか耐えられたが、ツバイたちには耐えられなかったのだろう。
しかし、その私も――さっき、目が合った時には、心臓を鷲掴みにされたかと思うほどだった。
姿こそ子供のように見えるが、あの禍々しい雰囲気は周りにいる魔人も、可愛らしく見えるほどだ。果たしてあれは……50年前、この地で邪神召喚の儀式が行われたと聞く……まさかとは思うのだが、最悪の考えが頭から離れない。
あれは、神話で語られる魔王よりも、更に最悪な邪神に思えてならない。それに、見なれぬ衣装には、謎の文字らしき物が刻まれていた。
……もしかして、あれは神代文字の封印ではないのか?
あれは太古の昔に封印されていた邪神。50年前の闇の信徒たちが行っていたのも、召喚ではなく復活だったのでは?
その想像に、体がぶるっと震えた。
そして、あの魔獣も……見詰められるだけで、歓喜と共に傅きたくなる。それは、体の中を流れる血が『従え』と頻りに囁くのだ。
あの魔獣は……もしや、銀狼族、いえ、獣人族を守護するはずの神獣。
私の巫女としての能力が、そう告げるのだ。
……分からない。何故、神獣と邪神が……。
この世界に、何かが起きようとしているのかも知れない。
かつて、伝説の初代銀狼の巫女リュミエールは、天界の神族と魔界の魔族が争った時に、地上の民を纏め神族に味方して戦ったと聞く。
だが、それは神話、おとぎ話だと……今までは思っていた。
果たして――私は今代の銀狼の巫女アリス・リュミエール。これから先、どう動けば良いのだろうか。




