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異界の魔神 【改訂版】  作者: 飛狼
1章 魔神誕生
22/51

22.銀狼の巫女と戦乱の予感(2)


 整地された道は真っ直ぐに、アドリアの果樹園を突っ切る。その向こうに樹木の隙間から、崩れた塔の先端部が覗いていた。


「おい、あれって……」


 ザンジが自然と足を止め、樹木の間に見え隠れする塔を指差す。それに釣られて私やツバイも足を止めてしまう。先頭を走っていたトーゴも、それに気付き足を止め振り返った。


「あぁ……邪神を崇拝する闇の信徒の本拠地だった塔だ……俺も実物は初めて見たぜ」


 トーゴもさすがに今度は、ザンジを馬鹿にする事もなく眉を潜めている。

 私も、幼い頃から何度も聞いた事があった。邪神を崇める教団『真なる冥闇めいあん』の事は。今は教団自体は壊滅し、各地に潜んでいた闇の信徒も狩り尽くされ、もう存在しないと聞いてるけど……。

 私は、今走って来た整地された道を振り返る。


「……まさかね」


 思わず呟いた私のひと言に、皆が顔を見合わせてしまう。


「やばくないか?」


 ザンジが顔を引き攣らせて言う。既に腰が引けている。


「しかし、先に進むしかあるまい」


 そう言うのは、表情を曇らせるツバイ。頻りに後ろを気にしていた。

 私も後ろを眺めるけど、さっき見えていた煙りはもう見えない。

 後ろからは帝国の追跡隊が迫って来てるのかも知れず、前には森を切り開き道を通した謎の――ひとりではないはず。これだけの道を造るには少なくとも、数名、いえ、数十名の土属性の魔法士が必要。


 ――もしやすると……。


 一瞬、森人族の魔導師たちが塔にいるのかもと淡い希望が浮かぶ。しかし、それを直ぐに首を振って打ち消す。

 駄目だ。自分の都合良く考えては。この数年、私も獣人族も、それで何度も痛い目に合ってきたのだから。甘い考えは禁物……けど、前にも後ろにも危険があるなら、今は少しでも任務が成功する可能性が高い前へと進むべきだ。


「そうね。もう残された時間もあまり無いはず」


 私はもう一度、後ろを振り返る。

 あれが本当に私たちを追跡する帝国兵の狼煙のろしならば、此方の行動は相手に筒抜けになっている事を意味する。


「急ぎましょう。そして、一時も早く良い首尾を仲間たちの元に持ち帰るのよ!」


 そう、まだ獣人連合の本隊が無事な間に……。


「うむ、そうだな」


 ツバイが力強く頷き、トーゴとザンジもそれに倣って同じく頷いた。



「油断せず慎重に進め!」


 ツバイが二人に指示を出し、今度はゆっくりと果樹園の中を進む。


「しかし、この匂いには参るな」


 しばらく歩むと、ザンジが真っ先にを上げた。

 確かに。

 これだけ強烈な甘い匂いは、私たち鼻の利く獣人には逆に辛い。

 周りの樹木には、その太い枝に所狭しと丸々と完熟した緑色の実がぶら下がっている。


「これだけ匂いがきついと、敵が近寄って来ても分からんぞ」


 先頭を歩くトーゴが文句を言いながら、近くに転がっていたアドリアの実を蹴ろうとした。


「あ、駄目!」


 慌ててトーゴを止める。


「ん?」


「これはアドリアの実。見た目は果実だけど、実態は周囲に漂う魔素を集め凝縮した魔力の塊。かなり危険なものなの」


 私の警告の言葉に、少し焦った様子で飛び退くトーゴ。


「そうなのか? 俺のいた集落の近くでは見掛けた事は無いが……」


「滅多に見ないものだから……」


 稀少だと言うと、今度は後ろにいたツバイが興味を示す。


「貴重なものなのか?」


「えぇ、食すには適さないけど、少量でも強力な回復薬などの原料になる。私は祖父が薬師だったから何度か見掛けた事がある」


 しかし、これだけ大きく成長したアドリアの実は私も見た事がない。そういえば、祖父がアドリアの木には危険があると。もし、見掛けても不用意に近付くなと言ってたような気がする。あれは何が危険だと……随分と昔の事で思い出せない。

 あれは……。

 私が思いだそうとしていると、


「てぇと、もしかしてこの周りにあるのは宝の山か?」


 喜色の混じった叫び声を上げるのはザンジだ。直ぐに、転がるアドリアの実を拾おうとしていた。


「だから駄目だと言ってるだろ」


 動きを止めたザンジが振り返る。


「触るのも?」


「あぁ、これだけ大きいと、どれだけの魔力を秘めているのか分からない。強力な魔獣ならいざ知らず、私たちのような人が、もし、口にしようものなら確実に魔素中毒であの世行きだな。触るのも止めておいた方が良いだろう」


「マジかよ……」


 ザンジがゆっくり引き下がるが、まだ名残惜しそうに見詰めていた。


「……帰りにでも、それなりの用意をして持って帰ろう」


 ツバイが最後にそう締め括る。


「な、だから危険かもと――」


 私が反論しようとすると、ツバイが右手を上げて押し止める。


「さっき、回復薬の材料だと言ったな。それは俺たちの軍に、今もっとも必要なものだ」


「あっ……」


 そうだった。先日の戦いで、多くの戦士が傷付き今も苦しんでいる。

 その事を思い出した。トーゴとザンジも、私と同じなのだろう。戦場で亡くなった戦友の事でも思い浮かんだのか、少し沈んだ表情で肩を竦めた。


「そうだな。帰りに持てるだけ持って帰ろう」


 私がそう答えた時だった。


「ギチギチギチ」


 奇妙な音がアドリアの木から聞こえてくる。しかも、その音はひとつだけでは無い。周りのアドリアの木の全てから聞こえ、辺りに響き渡る。


「何の音だ?」

「敵か?」

「気を付けろ!」


 ツバイたち三人が周囲をキョロキョロと見回し、私も――その瞬間、思い出したのだ。祖父が昔言ってた事を。


「静かに。きっとホルンケファーよ」


 ホルンケファーは身体を覆う硬い外骨格が、生半可な武器の攻撃では弾いてしまうBランクの魔虫。アドリアの実が大の好物で、アドリアの木に必ず一匹はいると祖父は言っていたのだ。


「ホルンケファーだと……」


 ツバイが驚いたように私を見詰めてくる。

 さすがに、ホルンケファーの事は三人も知っていた。割と有名な魔物……ていうか、魔法戦ではなく肉弾戦が得意な私たち獣人族にとっては、天敵のような魔虫。歴戦の獣人戦士なら知っていて当たり前だ。

 しかも――私は焦りと共に、周囲に数多く立つアドリアの木を眺める。

 これだけの数があるなら、ホルンケファーも相当な数が潜んでいるはず……。と、そんな事を考えてる間にも、頭上から一匹のホルンケファーが目の前に舞い降りて来た。


「ギチギチギチ」


 私たちに向かって威嚇するホルンケファー。そして、その後ろにまた数匹のホルンケファーが舞い降りて来る。


「でかい……」


 呆然とした様子で呟くのはツバイ。


 あり得ない!

 私も――いえ、私だけでなくトーゴもザンジも、驚きのあまり声を失っていた。

 それは、無理もない事だった。

 現れたホルンケファーは、通常より倍近く大きいからだ。


「……本当に、ホルンケファーなのか?」


 誰に言うともなく、震える声でザンジが疑問を口にする。

 通常のホルンケファーは、私たち獣人の半分にも満たない体の大きさをしているはず。それがどうだろう。今目の前にいるホルンケファーは、私たちより大きいのだ。その中でも、最初に舞い降りて来た一匹は、更に一回りは大きい。

 しかも本来ならば、頭頂部に長く伸びるつのが一本あるだけのはずが、もう一本その下に生えている。歪に捻れた角が……。更に、黒く光沢を放つはずの体も、まるで光を吸収するかのように闇そのものに見える。それが、禍々しい雰囲気を辺りに撒き散らしていた。

 もしかして、ホルンケファーの……。


 ――亜種!


 亜種とは、特異な環境で産まれる変異種。その能力は数倍に跳ね上がり、性格も狂暴になると聞くけど……。

 私は、思わずゴクリと喉を鳴らし、無意識に腰に吊るす剣の柄を握っていた。


「手を出すな。一旦、退くぞ」


 真っ先に我に返ったのは、やはり何時も冷静沈着なツバイ。囁くように声を潜めて皆に指示を飛ばす。


「背中を見せず、ゆっくりと後退しろ」


 確かに魔虫といっても、本来のホルンケファは穏やかで比較的大人しい。攻撃しない限り、まず襲って来ることはない。でも、目の前にいるこのホルンケファーは……。


 私を含め全員が緊張し、武器に手を掛けたまま後ずさる。ホルンケファーと睨み合ったままじりじりとゆっくり――と、その時……。


 ――ヒュン!


 鋭い風切り音が、私の頬を掠めた。


「あ、がぁぁ……」


 その瞬間、肩を押さえて呻き声を上げるトーゴ。


「……何が?」


 トーゴを見ると、その肩に矢柄が突き立っていた。


「帝国の兵士だ!」


 ツバイの鋭い声に、後ろを振り返る。そこにいたのは、


「やっと見付けたぞ。薄汚れた獣共め!」


 金属製の兜と鎧で身を固めた、20名の完全武装した帝国兵。その内、10名ほどの兵士は片膝を突いてクロスボウを構えていた。

 まさか、このような時に……。


 それは私たちの油断だった。この状況では、さすがに経験豊富なツバイも隙が生じていたのだろう。強烈な匂いに鼻を潰され、ホルンケファーの登場とに、私たちは完全に後方への警戒を怠っていたのだ。幾ら我ら獣人族が、普人族より身体能力に優れていようと多勢に無勢。しかも、目の前ではホルンケファーが、頻りに威嚇音を鳴らしている。

 まさに、前門のグリフォン、後門のドラゴン。私たちは絶対絶命だった。


 帝国兵の中央に立つ指揮官らしき男が、右手に持つ剣の切っ先を私たちに向け叫ぶ。


「放て!」


 同時にツバイも叫ぶ。


「伏せろ!」


 慌てて地面に伏せ、転がり飛来する矢を避けるが――


「あ、ぐうぅ……」


 右の大腿部を激痛が貫く。

 痛い……体中の毛穴が開き、一気に汗が吹き出す。一瞬、意識が遠退く――が、それを強引に引き戻す。


 ――ここで、倒れる訳にいかない!


 私たちの任務の成否が、獣人族の運命を担っているのだから。

 激しい痛みに耐えながら、皆に呼び掛ける。


「ツバイ、皆、無事か?」


 ツバイたち三人は、呻き声を上げて答えるが――ツバイもザンジも傷付き、トーゴに至っては数本の矢が突き立っていた。

 幾ら頑健な銀狼族でもあれでは……。

 くっ、早く此処から脱出しなければ。

 だが……。


「第二斉射、用意!」


 帝国指揮官の無情な声が響いてくる。

 そしてまた、帝国兵がクロスボウを此方に向け構えた。


 ……ここまでなのか、私たちは。みんな、すまない。

 私たちの帰りを首を長くして待つ仲間たちを思い、ぐっとまぶたを閉じる。

 しかし、幾ら待っても次の矢は飛んで来なかった。

 代わりに聞こえて来たのが――


「あぎいぃぃぃ……!」

「ま、魔法兵、何とか……あがあぁぁぁ……」


 帝国兵たちの上げる、絶叫混じりの悲鳴だった。

 恐る恐る目を開け飛び込んできた光景は、ホルンケファーに襲われている帝国兵。周囲に立つアドリアの樹木の枝に現れた、数多くのホルンケファーが、次々と帝国兵に襲い掛かっていた。

 目の前にいたホルンケファーも、いつの間にか私たちを飛び越え向かって行っている。


 ――助かったのか?


 どうやら、帝国兵が最初に放った矢が、ホルンケファーの怒りを買ったようなのだが……何故、私たちは襲われないのか。それが不思議だった。


「今の間に、ここから脱出するぞ!」


 痛みに顔を歪めるツバイが、私たちに向かって叫ぶ。

 そうだ、私には果たさなければいけない使命がある。ほっとするのはまだ早い。


つぅ!」


 右足に刺さった矢を引き抜こうとするが、それをツバイが止める。


「やめておけ。今抜くと血流が止まらなくなるぞ。ここから逃げるのが先だ」


 自分も酷い矢傷を負っているのに、私に手を伸ばすツバイ。その手を借りようやく立ち上がる事ができた。痛む右足を引き摺り、何とかこの場を後にする。一番傷の重いトーゴはザンジが肩を貸し、何とか運んでいた。

 そのザンジが、顔を歪めたまま帝国兵たちを睨み付け、吐き捨てるように言う。


「けっ、馬鹿が、自分から呼び込んでやがる」


 でも、果たしてそれだけだろうか。あのホルンケファーは何故、私たちを襲わなかったのだろう。

 魔虫には知恵もなく感情もない。ただ、本能のままに動くと言われているが……。

 それに、ザンジは帝国兵を馬鹿にしていたが、彼らもホルンケファーに私たちを襲わせようとの狙いがあったのではないか。


 私は首を捻りながら、アドリアの樹木が林立する果樹園から逃げ出した。後ろを振り返ると、帝国の魔法兵が火球を放っているのが見えた。 

 苦し紛れなのだろうが、あの程度の火球ではホルンケファーの亜種には傷ひとつ付ける事はできないだろう。


 危ういところで果樹園を抜け出すと、広々とした場所に辿り着く。そこもまた森の中で発見した道と同じく、しっかりと整地された大きな場所。軍が練兵でも出来そうな広場だった。


「一刻も早く安全な場所を見付け、トーゴの手当てを行わないと……」


 ザンジに支えられるトーゴを、ちらりと眺めて言うとツバイも頷く。私も足に矢が刺さったまま、ツバイとザンジもあちこちに矢傷を受け血を流している。けど、私たちはまだましだ。

 獣人の耐久力は、この世界に暮らす人族の中でもずば抜けている。それでも、トーゴの傷はかなり重いものだと映った。今はもう、口がきけないほど憔悴していた。


 ――早く休める場所を。


 焦りを感じつつ広場の向こうに目を向けると、噂の呪われた沼、青黒く澱んだ沼が広がっている。そして、その真ん中には、崩れ掛けた塔が陽の光を浴びておぞましい存在感を放っていた。


 トーゴの事を考えると、あの塔で傷が癒えるまで休養するのが最善なのだろうけど……。

 帝国兵の事もあるが、今はさすがに行く気になれない。何か危険なものが有るとしか思えないからだ。

 ツバイを見ると、私と同じ考えなのだろう。軽く左右に首を振る。


 周りを見渡すと、沼の岸辺沿いに道が続いていた。


「取り合えず、沼の外周に沿って向こうへ……」


 だが、私の言葉は途中で凍り付いたかのように途切れた。

 何故なら――沼からぼちゃりと水が跳ねる音を鳴らし、異形の者たちが姿を現した。人の形こそしているものの、人ではあり得ない者たち。水を滴らせる体は黒くぬめぬめとした皮膚に覆われ、額からは捻れた角が伸びる。

 禍々しい雰囲気を漂わせ、不気味な声を発するその姿は……。


 ――魔人!


 神話で語られる魔人を、思わずにはいられなかった。しかも、現れた数は百を軽く越える。


 しかし、それだけで終わらなかった。


 塔から此方に向かって延びる道上を、颶風ぐふうと成り駆け寄る漆黒の魔獣。

 その姿を見ると何故か、身体の中を歓喜が走り抜ける。だが、その魔獣に跨がる者に目を向けた瞬間、体が、心が、私の全てが凍り付いた。

 それは、心の奥底から沸き上がる恐怖。人としての根源、本能に根差す原初の恐怖を感じていたのだ。

 気が付くと、ぺたりと尻餅をつきぶるぶると震えていた。


 黒き魔獣に跨がるのは、恐怖そのものを体現した小さな魔王だった。


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